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side:ダミアン



 見られている気がする。


 街中を歩いている時も、食事をしている時も、仕事で部屋に籠っている時も、果ては就寝時ですら――ずっと視線を感じていた。男か女かは分からない。情愛も憎悪もない。ただ籠の中のペットをじっと観察するような、冷えた視線が朝も夜もなく付きまとう。


 いつからだ。

 考えて、マリアベルとの婚約を解消した夜の帰り道だったことを思い出す。最初は小さな違和感だった。それがどんどん膨れ上がり、今では押しつぶされそうな圧を感じるまでになった。

 ようやく悪夢から解放されたというのに、あまりに酷い仕打ちではないだろうか。きっとルードリヒ伯爵家の仕業だ。かの家は魔導の名門。マリアベルという不良債権を押し付けられなくなった腹いせに呪いをかけたのだ。


 どうして自分はこうも外れくじばかり引くのだろう。マリアベルの元婚約者ダミアンは、まるで死人のような生気の失せた目で眼前の建物を見上げた。

 彼は今、ルードリヒ伯爵家の屋敷前にいる。


 両親からは酷なことを押し付けてしまって申し訳ない、ルードリヒ家には我々からお詫びをするからお前はゆっくり療養しろ、本当にすまなかった、と言われたが、もう耐え切れなかった。

 この視線は一等恐ろしいものだ。人ならざる者の仕業だ。手遅れになる前に早く頭を下げて許してもらえるよう誠心誠意お詫びをしなければ――ダミアンはふらふらとした足取りで門扉まで歩く。

 すると、警備の男に呼び止められた。見知らぬ顔だ。新しく雇われた人だろうか。



「どのようなご用件でしょうか?」


「あ、あの、僕はマリアベルお嬢様の、元、婚約者でダミアンと……」


「マリアベルお嬢様の……」



 男は顔をしかめると、周囲を確認してから人気のない場所までダミアンを案内した。



「無礼を承知で申し上げます。今すぐお帰りになられた方がいい」


「し、しかし、大事なお話があるのです」



 顔も見たくないほどお怒りなのか。ダミアンは俯く。警備の男は短く刈りそろえた頭をボリボリと掻いて、話ができる状態ならばいいのですが、と困惑気味に言った。



「それは、どういう?」


「使用人たちから聞いた話なので真偽のほどは不明ですが、判断の基準になればと思いお話しいたします。この家はきっと、呪われている」



 男の視線の先を追い、ぎょっと目を向く。


 伯爵家の中でも特に領地運営に成功しているルードリヒ家の屋敷は、絢爛豪華がぴたりと当てはまるほど煌びやかな佇まいをしていた。至るところに金の装飾がなされ、瑞々しい緑に囲まれた広大な建物。いつ来てもキラキラと眩しかった。――だというのに、目の前のこれはなんだ。本当にあのルードリヒ家の屋敷なのだろうか。


 屋敷の周囲のみ曇天が立ち込め、綺麗だった庭は雑草が伸び放題。カァカァと鴉の鳴き声があちらこちらから聞こえてくる。眩かった装飾も今ではくすみ、不気味さに拍車をかけていた。

 まるで廃墟と見紛うばかりの荒れように呆然とする。



「異変が起こったのは、マリアベル様があのオズワルド・エルズワース様に見初められ、家を出られた日から起こりました」


「オズワルド・エルズワース、だって? あの?」


「ええ。神とも悪魔とも噂される、新域魔導具の生みの親。オズワルド・エルズワース様です」



 天才的な魔導の才と頭脳を持つ、世界を震撼させた新域魔導具の祖。


 魔力のない者や一部家族からは、その功績により神の如く崇められ、反対に、魔導の才で権力を誇示してきた者たちには目の上のたんこぶよろしく嫌われている存在だ。

 数々の嫌がらせを純然たる力でねじ伏せ、敵対する者には容赦のない姿から悪魔とも称される。とんでもない人物だ。



「ど、どうして、そのような方がマリアベルと?」


「さあ、私も詳しくは。ですが、ルードリヒ家の現状はオズワルド様の怒りによるものだと、使用人たちは申しておりました。この家の者たちがマリアベルお嬢様にしてきた仕打ちは到底看過できるものではない。ゆえに、彼女をこの家から引き離し呪いをかけたのだ、と」


「その呪い、とは……」


「最初は当主代行を務めていらっしゃるクローディア様。次にご当主とその奥方。使用人。シェフ。庭師。掃除夫。彼らは次々と不調を訴えてきました。――いえ、不調というのは少々語弊がありましたね。精神がお疲れになっていったのです」



 男は大きく息を吸って空を見上げた。



「見られている」


「……え」


「皆、口を揃えて言うのです。見られていると。外も中も関係ない。まるで空気そのものに目がついているような、人ならざる者に監視されているような、冷えた視線を感じる、と。おかげで使用人たちは次々とやめ新人たちで回しておりますが、まぁ、ご覧の有様です。俺は視線なんて感じませんが、……肌で感じるものはあります」


「見られて、いる……」



 同じだ。足元から崩れるような思いがした。

 ルードリヒ家に謝罪をすれば解決すると考えていたが、顔も声も年齢すら不明とされるオズワルド・エルズワースが関わっているとなれば探し出すのは不可能。いや、マリアベルの件で恨まれているのなら弁明しようがない。

 ダミアンは天を仰いだ。いつまでも。いつまでも。見られている。静かに刺さる視線。ぞわりと肌が粟立った。

 もう、逃げられない。弱弱しく男の服を掴む。



「彼らは今、……どのような……」



 状態ですか、と言おうとしたが喉に引っかかって出てこなかった。知るのは恐ろしい。それでも、知らなけばいけない気がした。

 男は一呼吸目を閉じて、分かりました、と答えた。



「お会いできるかどうか尋ねてまいりましょう。どうぞ」



 男に促され、玄関扉の前までやってくる。じっとりと脂汗が滲んできた。ここに立った瞬間、視線からの圧が増した気がする。

 見られている――だけではない。

 気付いた。じわじわと溶け出すような殺気が混じっている。心の底から湧き上がって来た一握の不安。それは勢いよく量を増し、溢れ、どろどろと流れ出てゆく。気のせいだ、気のせいだと思い込もうとして頭を強く左右に振ってもみたが、逆に強める形となってしまった。怖い。心臓がうるさいくらいに脈打っている。このままここにいては駄目だ。本能が告げている。



「あの、僕、やっぱりッ……!」


「お前のせいだろう!! お前が!! お前がぁああッ!!」


「違う違う!! 私の、私のせいじゃない!!」



 突如、耳をつんざくような怒号が響き渡った。誰の声――と思う前に扉に何かが叩きつけられた。べちゃっと潰れるような音。それはナメクジが這いずり回ったような線を描きながら、下へ下へと落ちていく。追うように視線を落とす。赤い液体が、扉の隙間から流れてくる。

 屋敷の中ではまだ誰かが叫んでいる。



「――ぁ、ぁあ」



 逃げなければ。

 逃げなければ。

 逃げなければ逃げなければ逃げなければ。



「う、ぁ、あ、あああああああぁぁああ!!」



 これ以上関わってはいけない。踏み込んではいけない。

 足がもつれ、何度も地面に叩きつけられようとも、ただひたすらに走って逃げた。



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