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二人きりの日課



 平べったいガラスの容器に赤い蓋がついている。


 マリアベルが首をかしげると、オズワルドは「一日分だ」と言って得意げに笑った。書類をテーブルの上に置き、そのケースを受け取る。蓋を開けると乳白色の軟膏が入っていた。続いて顔を近づけ匂いを嗅ぐ。薬草だろうか。独特の匂いがツンと鼻を刺した。



「これは?」


「マリアベル。僕は天才だと思うんだ」


「ふふ、染み入るほど存じておりますわ」



 彼は勢いよく起き上がると、ケースを持ったマリアベルの手ごと握り込んだ。



「どうやら薬学の才もあったようなんだ。自分の才能が怖いくらいだよ!」


「まあ。他分野にも手を出そうと考えていらっしゃったのですか? 初耳ですわ」


「サプライズだからね」


「サプライズ?」


「これは傷跡を治す薬だ」


「きず、あと……?」



 ドクリ、と心臓が跳ねた。

 薬学の才、サプライズ、傷跡。この三つの言葉から導き出される答えは一つだ。けれど、そんな夢のような、都合のいい話が存在するものなのだろうか。化物だと、誰にも彼にも匙を投げられたこの顔を、人に近づける方法が、本当に――息をしようとしてひゅうと喉が鳴った。

 ケースを持つ手が震える。


 オズワルドはマリアベルの右半分を覆う仮面に触れ、こつこつと指で叩いた。



「君は僕のためにこれを半分に割ってくれた。では僕も、僕の意見を通すために努力しなければだろう? 僕は君の表情を何の隔たりもなく見ていたい。君が火傷の跡を気にするのなら、夫としてそれを取り除くまでだ」



 まさか届出で役立つとは思わなかったが、と照れくさそうに頬を掻く。



「でも、一つ注意点がある」


「……注意、点」



 オズワルドは使用例がない、と顔をしかめた。

 理論上は肌に残った魔力の残滓を無効化し治癒を促すことが出来るそうだが、治験などはしておらず、これが初めての使用となるらしい。不安に思うかもしれない、嫌ならば使うのはやめようと提案されたが、断る理由は何一つなかった。


 元よりこの身を差し出すつもりで婚約に頷いたのだ。今更怖気付く心などありはしない。それに――神の寵愛について研究したいからと婚約者に選んだというのに、彼はマリアベルの身体を一度も調べようとはしなかった。それどころか、健康に問題はないかと気を遣ってくれる日々。

 嬉しいが少し申し訳なく思っていたところだ。

 これでようやく役に立てると、マリアベルは嬉しくなった。



「まったく。少しは戸惑ってほしいのだが……。副作用があるもの、肌に害のありそうなものは一切使っていない。もし失敗しても害はないので安心してくれ」


「本当に、お優しい方。どうか、わたくしのことはお気になさらず。元々酷い有様ですもの。これ以上酷くなろうが些末なことですわ」


「……マリアベル」



 オズワルドは切なそうに眉を寄せた。しかしそれも一瞬のこと。彼は軟膏をマリアベルから受け取ると、説明を続けた。



「この薬は塗る側の魔力に呼応して回復を促す。回復魔法に近く……そうだな。作用する形を決めて一点集中型にしたものと言えば分かりやすいか」


「ただの軟膏ではなく塗り手の技量も重要だと?」


「その通りだ」



 彼は満足そうに頷いた。

 つまり、薬が出来たので毎日塗り込むように、ではなく、薬が出来たので毎日手ずから塗り込みにくるぞ、ということが言いたいらしい。


 仮面を外した状態で、真正面で見つめ合いながら、火傷の跡に触れられる。マリアベルはその光景を想像して膝の上に置いたストールをぎゅっと握った。

 灯りを、と小さな声で囁く。



「ん?」


「灯りを消しても……よろしい、ですか?」


「君がそうしたいなら」



 ほっと胸を撫でる。マリアベルは立ち上がって灯りを消し、カーテンを閉めた。

 空は雪雲に覆われている。日の光は届かない。唯一、テーブルに置いてあるランプだけが、ゆらゆらとオレンジ色の炎を揺らめかせている。


 ぼんやりと浮かび上がるオズワルドの隣にもう一度腰を下ろす。纏う炎の光が明るいせいか、いつもより血色がよく見えた。深い藍の瞳の奥に、ちかちかと光が混ざる。

 吸い込まれそうな美しさだった。



「愛し子は基本他人の魔力を受け付けないが、例外として自身に害のないものであれば受け入れることはできる。ところでマリアベル。回復魔法の効きについて理解しているか?」


「はい、存じております。回復魔法においてもっとも大事なことは信頼。回復魔法はとても繊細な魔法の一つで、不安や恐れがあると身体の反発を招いてしまう。どれだけ相手に心を開き、抵抗を少なくするかが効き目に関わってくる――でよろしいでしょうか?」


「そう。その通りだ。だから高名であればあるほどアドバンテージが掛かっていて効きが良くなる。で、だ。僕は回復魔法も履修しているぞ。マリアベル」



 ぽん、と叩いて胸を張るオズワルド。その姿がまるで子供のようで、マリアベルは思わず笑ってしまった。



「ふふ、そのように念を押さずとも、わたくしがあなた様に不安を抱くことなどありはいたしません。誰よりも信頼しておりますわ」


「そうか。うん。……だが君の場合、普通の人間であれば1のところを10の抵抗として表れてしまうだろう。効き目は格段に悪くなる。時間はかかるかもしれない。仮面を外すのが嫌だとは知っている。だが――」


「すべて、承知の上ですわ。オズワルド様」


「分かった。では始めるぞ」



 仮面を外し、目をつぶってすべてをオズワルドに預ける。

 しんしんと降り積もる雪の音すら聞こえてきそうな静寂の中。オズワルドの規則正しい息遣いと、衣の擦れる音が妙に耳に残る。ふいに、ひやりとした冷たさが頬に当たって肩を震わせた。

 ぬるぬるした軟膏を恐る恐る塗り込めていく指。しかし、五秒も経たずしてそれは動きを止めた。


 塗り終わったにしては早すぎる。

 何か問題が起きたのでは――と、マリアベルは目を開いた。

 するとそこには、顔を真っ赤に染めたオズワルドが、所在なさ気に視線をうろつかせていた。ランプの光でより赤みが増しており、少し心配になるほどだ。



「オズワルド様? 一体何が」


「……君、ちょっと僕に気を許しすぎだ。抵抗が一切ないんだが。普通、どれだけ親しい間柄でも多少の抵抗はあるものだぞ」


「そうなのですか?」



 不思議そうに首をかしげるマリアベル。既に身体も心もオズワルドに捧げている。何をされようとも一切抵抗する気はない。彼は常人では1の抵抗もマリアベルは10の抵抗となると言ったが、ゼロに何をかけようともゼロにしかならぬのと一緒だ。

 不思議なことはなにもない。



「と、とにかく、神の寵愛からくる魔力への抵抗は問題ない……のが実証されたわけだが……続きをする前に、ちょっと君を抱きしめたい」


「少し寒くなってまいりましたか? でしたら――」



 ストールを広げ、オズワルドの肩にかける。



「わたくしなどで暖が取れると良いのですが……どうぞ」


「本当に君って子は……」



 一切の抵抗なく差し出された腕を掴み、オズワルドは腕の中にマリアベルを引き入れた。




 こうしてマリアベルの日課に、オズワルドとの時間が追加されたのだった――。



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