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とある陸珊瑚漁師達の生態

作者: 戦夢

大部族団だいぶぞくだん東岸の砂陽海さようかいに面す巨大な珊瑚礁海岸。一般的には「陸珊瑚おかさんご海岸」と呼ばれるこの秘境海岸沿いには無数の漁港や養殖拠点が在る。その陸珊瑚北端に近い位置に在るのが同海岸最大の港湾都市「ベリアラード港」。同港の歴史は古い。かのベルエラ王国時代に築かれた当初から巨大都市として名を馳せ、神聖ハイドラ王国時代を経て砂陽海主要港へと成長した同国屈指の歴史都市でもある。

この記事は同港中心市街から最も離れた場所における去年の夏の一日を記した記録。


統一歴148年5期13日。現地時刻は午前七時と数分頃。数キロ離れた高台居住地区から市営の大型巡回車両に乗って「第18漁港」に到着した。早朝の早い時間に起床した事で体が順応してないのか重く感じる。この日の為に取材用の機材は携帯録音器と同じく写真撮影用の携帯撮影機のみに絞ったが、予備の蓄電池や携帯電話等の必需品が嵩張って旅行用の背嚢がやや重い。

私は背嚢のずれを修正しながら周囲を見渡し少し深呼吸。同じ巡回車両から降りて近場の漁協事務所や各種施設へ向かう労働者集団の後を追う。砂陰地方沿岸出身の私と異なり多くが砂陽人さようじんの漁業関係者だが、中には釣り具を持ち簡易浮揚胴衣等を纏った雑多な人種集団も混じっていた。

私は無所属の個人記者。主に各種産業向けの情報媒体に隔週で独自記事を提供販売している。基本的に夜型の生活習慣が身に染みているので、西の岩山から昇った日に照らされた彼らと異なり朝に弱い。この日の予定は記事に必要な情報、具体的には取材先の選別と取材予定日の調整を行うと決めていた。

私の流儀は所謂「現場主義」に貫徹している。各種情報網に接続された掲載情報等から情報を集める一律選別に頼らない。同業種含めた気者界隈では一般的な手法を採用している。

次に第18漁港について簡単な説明をしよう。同港はベリアラード港(市)を構成する41の区画の最南端地区に位置する港だ。市中心部の貿易港や物流関係地区から最も離れている為、実質的に同市における陸珊瑚海岸沿岸での船舶基地(泊地)と言える。よって港には多数の漁船や個人所有の沿海泊船クルーザー、船台船や中小の貨物船等が多数停泊している。事前調査で調べた結果この港だけで一日平均でおよそ200隻前後の船が停泊するが、この日は休業期間中だった事から漁業関係の船が北か南の海域で遠征操業しており少なかった(それでも高台から俯瞰しただけで150隻以上が停泊していた)。

私はそんな幾つかの事前情報を頭の中で整理しながら防風林が並ぶ沿岸道路を進んだ。最初の目的地は同地区唯一で、アラード港市唯一の個人経営海洋生物展示研究所の「ヘイトン水族館」だ。停留所から同水族館へむかう場合、沿岸道路(市道)の末端まで徒歩か個人送迎者を利用するしかない。勿論市中心部と接続された環状線を通って末端地区の沿岸道に入る事も可能だが、砂陽地方は格安の公共交通機関が発達していて車を借りる必要が無かった。

沿岸道路を挟んで向かい側に並ぶ簡易宿泊所や衣服類洗濯会社。個人経営の酒場や飲食店等が軒を連ねる通りを歩き、私は停留所から西に2キロ程離れた沿岸道路の端にたどり着いた。沿岸道路の端は舗装されてない砂利が敷かれた山道に接続されており、目当ての水族館は山道と道路の境目から大きく海側に飛び出した岩場の上に建っている。外観は白とやや青みがかった空色の塗装が特徴的な二階建ての建物。営業中と書かれた正門前の案内板が少し錆びていたが、正面入り口を中心に眺める限り年代物の建物には見えなかった。

私は手に何も持たず正門を通過。解放されたガラス張りの入り口を通って靴を上履きに履き替えると、正面の壁に「見物客用」と書かれた方の廊下(左手方向)へ進む。やや長い廊下内は照明が点灯してなくやや暗いが、窓から差し込む複射光が汚れの無い白い塗装に反射して廊下の先まではっきりと見える。また、同施設は研究所でもあるので廊下や天井に汚れや劣化等は見られない。電灯も比較的最近の半導体照明であり、窓枠含め清掃や保守整備がいき届いている。

およそ10m前後の廊下を進むと突き当りの角に行き着いた。角には受付らしき小さな窓口が在り、私から見て窓口右側の壁には資料と案内図が書かれた印刷物が多数張られていた。私はそれらを一瞥すると受付台に置かれた小さな呼び鈴を四回鳴らす。この地域の人々は時間感覚が遅い連中が多く、用があるときはこうして急ぎ用だと伝えてやれば応答してくれる確率が上がるのだ。

呼び鈴を鳴らすと奥から短い返事が帰ってきた。私は当水族館の経営者兼研究主任に取材関係の話を聞きたいと簡素に伝えた。多少声を張り上げたので受付部屋と繋がった関係者用通路の奥まで聞こえたようで、奥から小走りに走る履物(革製)の音が近づいてきた。

さて、ここで私がこの水族館を訪ねてきた理由を紹介する。簡単に言えば各種情報媒体に掲載された当水族館の情報があまりにも乏しく、基本的に電話や手紙等での取材が不可能だと判断したからだ。私は次に説明する独自記事に必要な情報を揃える最初の手掛かりがこの水族館を運営する所長に有ると判断していた。

この当時私が制作していた独自記事の中に「陸珊瑚海岸の生態系変化に関する現状」と言う投稿記事があった。この記事は主に同年の8期頃から各地の産業・博物関係紙やドレストン海地方の漁業者向け情報誌等に広く掲載された。当時はこの記事を「陸珊瑚現状」として扱っていたので、今後どう記事はこの名で統一する。

呼び鈴を鳴らしてから十数秒後、ようやく取材対象の所長らしき人物が受付室に入室。私は身分証を兼ねる「大部族労働機関紙委員会」が発行した「二級記者資格証明票(以後は二級記者標)」を提示。同時にもう一度取材要件である「陸珊瑚生態系の変調」に関する取材の話をした。

私の話を聞いた所長は確認した二級記者標を私に返す。同時に研究活動が忙しい事を理由に展示通路内で展示物を使って説明すると提案。私はその案を承諾して所長兼研究主任の案内に従った。

本来は見学料を払えば誰でも展示場の展示物や資料などを閲覧できるが、私が通されたのは受付窓口から更に進み廊下の突き当りに在る最初の展示物前だった。その展示物は陸珊瑚海岸の全域を記した大型の地図で、丁字通路の左右に大きく広げられた状態で壁に貼ってあった。縮尺は5cm辺り1㎞と市販の都市地図程度だったが、全体が巨大であることから陸珊瑚海岸全体の形状と大きさが一目で理解できた。

まず最初に所長は私を地図上の現在地である地図右端付近に案内。ここ数年同海岸の沿岸と近海で発生している上昇・下降海流の分離現象から説明し始めた。

この現象は砂陽海沿岸の表層と下層を流れる二つの海流(流れる方向が真反対)が起伏に富む陸珊瑚沿岸から沖合の海底で接触。局所的に乱流を発生させることで海を攪拌させる力が弱まったのを意味し、例年で10期から翌年の2期まで続く雨期明けの富栄養化拡散を阻害させていた。この結果取材している当時の陸珊瑚海岸沿岸では局所的な赤潮や生物移動が顕著にみられ、水産資源関連の資源増殖場等への獣性生物や海獣類の侵入が頻発していた。

この時私は依然調べた範囲で集めた原因について幾つか質問。一つ例を上げると陸珊瑚海岸(砂陽海側)の中央付近に建設されたばかりの「新シャワール港」の大規模埋め立てとの関係性など。

所長は局所的な海流の変化は何れも小規模で、陸珊瑚海岸含め沿岸で実施された埋め立てや陸地・堆積岩床の掘削等で沖合を流れる海流を変化させるのは不可能だと明言。仮説として世界的な海面上昇による温度分布の変化や陸珊瑚海岸の緑化による地下水増加が考え得ると回答した。

私は次の質問として同現象がもたらす陸珊瑚海岸(沿岸)の生態系や水質変化等を幾つか聞く。多くは事前に調べた事で特定種や地域を絞って質問。この手の専門分野で殆ど知られず経験を重ねてきた所長の意見を聞きのが目的だった。

所長はほんの少し頭を働かせたようで、とある海獣を中心に説明し始める。この時出てきたのが「海獅子(若しくは陸珊瑚牙竜)」で所長は左方向に歩きながら説明。私と所長は来た道を少し戻ってある場所で止まった。

その場所は陸珊瑚海岸の北東部沿岸に位置し、現在の第18漁港から南西に80㎞程の場所に在る大きな浸食岩礁。元々は陸珊瑚海岸等などから流出した土砂が堆積岩地域に積もって出来た平たい島だった。現在は一部を残して海没しており、同地の海底には多数の漁港跡や船が沈んでいる。

所長はその島を指差しながら腕と口を動かす。海流変化による島の縮小によって住処を失った海獅子は沿岸の入り江等に分散しており、自然保護や生態系保全から当該海域での漁業が大幅に制限された状況を説明してくれた。

この時の取材で所長は言わなかったが、陸珊瑚海岸含め砂陽地方沿岸における浸食と堆積現象は毎年何処かで発生している。二千年近い歴史の中で自然現象と生物作用によって数十倍に拡大したのが陸珊瑚海岸であり、恒常的かつ局所的な地形変化が部族民から現状への理解と関心を奪う最大の要因と言える。

所長は海獅子や文明種による食物連鎖が生態系の(同海岸での)選択的淘汰を維持してきた事を強調。ベリアラード港と南のサウナックの水産関係者が長年に渡り築いた生態均衡が例の現象で崩される可能性に言及した。

私は所長の話を経済視点で考察。今後も海流の異変が続けば地域経済にどのような異変がもたらされるのか興味を感じ、迷うことなく所長に質問した。所長は自身が水産事業者ではないと忠告してから(つまり経済的・事業に関する問題は本職に聞けと言う事)、真っ先に土地管理に関する取引が見直され漁業範囲の枠組みも変わると明言。この時既に影響が発生している海獣捕獲や海洋清掃業等も大幅な事業縮小が始まっており、場合によっては内海(南枯死海)での養殖産業の需要が高まる可能性を示唆した。

この時の取材で所長は何度も海洋生物資源量の話を繰り返した。海洋生物の研究が主な同研究所は元々陸珊瑚海岸北部の水産資源量調査の為に設置された政府系研究組織だった。所長のより3代ほど前に市営に変わったが、現在も過去の研究を引き継いで陸珊瑚海岸北部の生態調査・観察活動を継続している。

私はその後も数分間幾つか情報のやり取りを続け、これからの取材活動を決めるのに必要な判断材料を得た。所長は研究で忙しいので拘束出来たのは十分程度だったが、幾つもの具体的な数値を確認できたのは大きい。そして折角水族館に来たのだから帰りに展示物を見て回ると決め見物量を払った。


時間にして8時20分前。水族館の正門を通過して沿岸道路に出た時、私は朝食を食べずに旅館から出た事を思い出した。まだ日の出から二時間程度しか経過してないので飲食店は閉じていると考えたが、道路沿いに建ち並ぶ幾つかの飲食店は開店していた。私は己の幸運が続いたことに気分を良くし、たまには値段が高い料理でも頼もうかと考えた。

私の好物は幼少の頃から煮物と変わらない。当然の様に関連の鍋物屋を探すと直ぐに見つかり、私は換気扇と食器を叩く様な音を出す一軒の店に突入した。店の中には複数の客が入っていて、個人席は半分程度しか空いてない。客の多くが水産関連の労働者の様で、仕事着の作業服や防水服を着た数人の男が入店した私をちらりと一瞥する。

私は酒と煮物と油の匂いが充満した店内に入り、個人席に座って品選び始める。近年では珍しく写真や図が無い名前だけの品表を流し読み、折角海辺まで来たのだからと「魚貝風味の海戦鍋」とやらを注文した。

料理が届くまでの待ち時間を有効利用する為、先ほど所長から聞いた情報を整理する為に取材帳を胸袋から取り出した。赤道に近い場所なので朝でも気温が高い。幅広のゆったりとした半袖と半膝を着用していたが、換気装置が全力運転だった事で外気より寒く感じた。

私が油性文具の細筆を取り出して取材時に書いた幾つかの情報を纏めていると、一つ席を挟んだ右側の個人席に座って麺類を食べていた漁師風の男から声を掛けられた。その男は私よりやや歳が上で頭を短く刈り込んでいた。男は私に記者かと聞いたので、そうだと返答すると漁協に取材かと再度聞いてくる。当時の私は気分が良かったので、必要なら取材すると返答。少し間を開けて自らが漁港に来た理由を話した。

男は簡単な私の説明を聞いただけで内容を理解したようで、三日ほど前まで漁協等に複数の電話・口頭取材が来ていたと教えてくれた。私は経験からその時に漁協等を取材した多くはベリアラード港とサウナックの市内新聞社か市報道局の調査員(主に三級記者資格保持者と無資格でも可能な市民調査員)だと理解。先ほどの自己紹介で省いた二級記者資格を有している事を教る。

未統歴75年頃。記者資格制度を世界で初めて帝国が導入した事で情報管理職の公的管理が世界中に浸透し始めた。我が国の大部族団では統一歴に入ってからの導入だったが、導入が遅れたおかげで完全な公務員化せず高い中立性を堅持している。これは主に労働機関紙委員会に対する評価によって維持されているので、二級記者以上は基本的に身分を明かさず何かしらの世間話(情報関連)をすることが無い。

よって麺類を食べていた男は私に記者標を返すと、特に大きな動きは無いと述べてから取引先の話をし始めた。

その男は季節によって職種を変える変則季節労働者で、夏頃になると陸珊瑚海岸の漁港を拠点に日雇いや短期労働を継続していた。最近は加工関係や船舶修理などの仕事が多く羽振りが良いと語り、同業者の多くが世界樹関連に移ったおかげでたっぷり稼げていると喜んでいた。

男は不定期労働者なので私の様な公的記者に対して不利になる立場ではない。私より長く生きているおかげで処世術が上手かった。男は今日取材した事を少しだけ(この場合、機密事項と不特定多数の利益を左右しない情報)話して欲しいと述べ、見返りに最近取引した客から聞いた情報を教えると提案してきた。

もし私が二級記者資格をとったばかりの頃だったら、十分な分析が出来ず労働機関紙憲章を逸脱していたかもしれない。私はそんな事を考えながら思考を巡らせ、かつ思い出しながら少しづつ見聞きした情報を話し始める。

まず最初に砂陽海沖合を流れる二層の海流に発生した異変。現在公表されている情報と合わせて、今日取材した作用と影響から推測される結果を幾つか答えた。男は頭の中で整理しながら聞いていたので眉毛が動き瞬きしながら聞いていたが、一度たりも私の話を遮り質問しない。それどころか、断続的な相槌から当人もある程度の情報を掴んでいたのが判明した。私は共益の観点から提供できない情報が有ると忠告。もし今回の異変を放置すれば、これまで水産業界が築いた努力を否定する結果を齎すかもしれないと伝えた。

当時の陸珊瑚海岸における生態系異変は様々な形で顕在化しており、男は私が補足説明として挙げた沿岸開発と海流変化の原因が異なる話を黙って聞いていた。専門家の所長から聞いた幾つかの原理を専業者に話すのは適切ではないが、男は私の話を聞いて納得した表情で感謝を述べた。

今度は自分の番だと言い、男は数日前に取引相手の複数客から聞いた情報を複数話し始めた。

やや説明が複雑で専門用語が度々登場した話だったが、男は私の立場に配慮して十分な補足や解説を欠かさなかった。男が提供した情報は大まかに二つと、二つの関連話の分を含め全部で三つ。何れも陸珊瑚海岸の沿岸と堆積地区(岩場や岩盤の台地等)で立て続けに頻発する怪現象の話だった。注意すべきは何れも又聞きした話と言う点。男に話した相手は全員が土木建築関係の作業員か工場労働者だと言う点だった。

その話を聞いている最中に出来上がった料理が私の手元に置かれた。魚貝風味の海戦鍋は白身魚と海老や貝を緑葉色野菜で煮込んだ見た目どうりの鍋料理だった。かつて遠洋船舶の船乗りが食べていた保存食料理とは異なり、どちらかと言えば漁師料理に近い。

魚貝と夏野菜の匂いが鼻腔を占領し、胃袋が反応して消化液が出始め。しかし私は聞いたことが無い話に興味を感じ、あえて少し冷ます為に食べるのを遅らせる。

男の話を総括すると、ベリアラード港の南西部に位置した市行政範囲外の工事現場で一週間程まえから不審な現象が多発しているらしい。この当時の工事現場ではベルエラード港へ供給する水源設備の増設・改修工事が継続されていた。既に陸珊瑚海岸北部のベリアラード港近辺では総延長200㎞前後の排水路等が建設されており、工事の多くはその維持と改修を兼ねたものだ。それらの工事現場は大概が地下であることから落盤や岩盤崩落の危険性が有り、基本的に水道網は堆積岩盤層が頑丈な場所に建設されてある。

問題はそれらの工事現場で断続的局地地震・地下水噴出・地すべりや陥没等が急増。緊急の地盤調査を実施しているがこれ等の原因が解らない。原因不明の現象は工事現場のみに集中している事から、幾つかの再整備工事等が実質中断された。この結果、現地では数日前から大手建築企業だけでなく複数の政府系研究職員などが出入りするようになり、主に調査活動に必要な機材調達の一環で男の仕事先に機材整備・補修の注文が入っていた訳だ。

この時の私は当時進めていた取材計画に無い情報を聞き判断に迷った。別分野の情報を集める為には活動拠点を移す必要があった為、暇そうな同僚や仕事仲間に情報提供しようかと考えた。しかし海と比べ些細であっても陸珊瑚海岸内での異常現象であることに変わりない。私は18漁港での現地取材を終えた後、独自の方法でこの件を調査してからでも遅くないと判断した。


私は波しぶきが後ろの消波帯から僅かに届く距離に立ち。遠方の見つめながら陸地を魚が釣れるのを待つ釣り人達の話を聞く。船着き場を囲む最外周の堤防には多数の釣り人が暇そうな時間を潰しており、その中の数人に声をかけては釣果と最近の儲けを聞いて回る。既に何人に声をかけたのかも判らないほど声をかけたが、おかげで本職(漁師)と趣味連中の違いを見分けれるようになった。

地元では「年金堤防」と呼ばれる全長1.4㎞の波防堤防。内側には漁礁兼肥料用に育成する貝類と海藻類の養殖筏等が大量に設置されてある。禁漁期の漁師達はこれ等養殖場等で収穫した魚介類の出荷で生計を立ている。陸珊瑚岩礁等に設置した浄水・調整設備から供給された水源を利用する養殖法はこの地域では一般的であり、誰もが口々に都会の沖合に在る物に比べ綺麗で安全だと自慢する。

実際に含有物管理が厳格なのは洋上工場等で生育された類似品種なのだが、要は天然物で質が良ければ高値で売れる。一定の供給量さえ保てれば理論上は安泰である。勿論私が効きたいのはその事ではない。生態系の変化による漁業活動の推移を最前線に近い場所で確かめたいのだ。

そんなやり取りを期待して根気強く取材を継続した結果、私は堤防先端にほど近い場所で疑似餌を使う若い釣り人(男)に出会った。彼は目の粗い布を貫頭衣風に着こなす現地人で、当人曰く堤防釣歴25年の玄人らしい。漁期は親や兄弟の船(稼業)を手伝い禁漁期間中はひたすら堤防釣行に時間を費やす大の釣り好き。砂陽人の中でも肌が黒く焼けており、つばの広い丸帽子と衣服(下着も)にはほつれが目立ったていた。

私は彼の特異な出で立ちに興味を感じ声をかけたのだが、彼は私が予想したよりも生態情報に精通していた。およそ20年間の間漁港周辺で釣行を継続した結果、4~6年周期で釣れる魚種が様変わり(根漁の一部は除く)するらしい。当人は禁漁期間中に釣った魚種と量・魚体を記録しており、独自の判断基準と釣果情報を参考に操業期どの魚種を捕獲するか決めていると語ってくれた。詳しい内容は秘密だからと素人の私に教授されることは無かった。しかし回遊性の魚種釣果から沿岸に生息する魚類総量が増加していると聞いた。これは後年に調べた事だが、彼の言ったとうり沿岸部の魚類資源量は数年単位で増加と横ばいを繰り返している。

この時、若者の話を聞いた私は所長等の情報と合わせ一つの仮説を立てた。それは正に同海岸沿岸で近年顕著に推移している「脱秘境生態化・有用漁場化現象」そのまま。実質的にこの仮説を立証する為にこの後の方向性(取材方針)が定まり、後の「労働機関紙褒章」を受勲する。

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