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ウロボロスの指切り  作者: 毒の徒華
二人の違和感
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07.カレンダーとβエンドルフィン

 




【木村 冬眞 七】


 あれから事件のことを色々調べるうちに、記憶の断片が時折フッと浮かんでくることがあった。

 思い出そうとしても中々思い出せないのに、美那子といるときや、事件について調べたりしているときにその傾向が強かった。

 そしてその頻度は徐々に増していった。

 ひすみさんは時折現れては、僕が落ち込んでいるときに励ましてくれた。

 どうしてそんなことをしてくれたのかも、僕といつ知り合ったのか等は思い出せなかったが、確かに当時僕はひすみさんのことが好きだったことも思い出した。

 顔は未だに思い出せないのに、好きだったことだけはなんとなく思い出すなんて、おかしな話だ。


「なんだか……すっきりしないな……なんで思い出せないんだろう……」


 ふと僕は背もたれに寄りかかってカレンダーを見た。

 もうすぐ結婚式だ。事件のことばかり考えていたが、よく考えたらもう明後日じゃないか。

 夢中になって事件について調べていたら時間が過ぎるのが早く感じる。美那子は結婚式が間近だというのに、最近は帰りが極端に遅くなっていた。


「もう夜の22時なのに……まだ帰ってこない……」


 僕は美那子に電話をかけた。事故や事件に巻き込まれていないといいのだが。しかし美那子は電話に出なかった。

 電話を切って、少し携帯を見つめた後にカレンダーを見つめる。

 何故だろう、過去にカレンダーをよく見つめていたような気がした。


 ――弁護士の人、来た?


 長い睫毛の下の、大きな目がカレンダーをとらえる。


 ――んー……九月かぁ……来られるかな……。


 まただ。

 また弥生さんのことを思い出す。それも、いつも困ったような顔をしている彼女ばかり。


 ――なんだ……? 弁護士? 九月? 何のことだろう。弁護士に用事があるようなことなど、今まであっただろうか


 時計の秒針の音だけがずっと響いて、僕の心をかき乱す様に時間は一刻一刻と着実に過ぎていった。

 こんな気持ちのまま、結婚式に臨んでいいのだろうか。




 ◆◆◆




【水鳥 麗 七】


 高校三年生になったばかりという、春の足音が聞こえてきた頃。

 私が学校からの帰路でフラフラと歩いていると、家の前に誰かいるのが見えた。しかし、視界が霞んでいて誰なのかよく解らない。男の人? 漸く視点が定まって、誰なのか解った。

 ラファエルだ。


 ――あぁ、そういえば聞きたいことがあったんだ。何を質問するんだっけな……


 ラファエルは相変わらずの容姿だった。

 最後に会ったときから髪の毛が伸びているとか、顔立ちが変わっているとかそういうこともない。しいて言うなら、服装が冬仕様になっているくらい。

 灰色のトレーナーにダウンジャケットを着ている。地味な配色。髪の毛が長いことを除けばその辺にいそうな普通の男性だった。

 私がラファエルに適当に手を振りながら近づくと、彼もぎこちなく手を振ってくれた。本当に、手を振るのに下手という概念があることに驚かされる。

 私が声をかける前に、彼は私に真剣な表情で話し出した。


「麗さん、来てください」


 そう言って私の家の裏手の、あまり人の通らないところまで誘導する。私は頭がぼーっとして、あんなに話したかったはずなのに、今の私はそれすら思い出すのが困難だ。


「ラファエル、今日こそ教えてください。じゃないと私……」


 私……の後から何と言おうとしているのだろう。自分でも解らない。


「……腕を出してもらえますか」


 何を言っているのか私は解った。

 解った私は、右腕を彼の前に差し出した。


「はい」

「そちらではないですね。左腕の方です」

「……嫌だ」


 やっぱりね。ほら、()()()()だ。


「……麗さん、キチンと手当しないと……」

「………………」


 私は左腕の袖をまくって、彼に見せた。知っているなら、隠す必要もないだろう。

 見せた私の左腕にはいくつもいくつも、何度も何度も自分で傷つけた傷痕が残っていた。それほど深くない傷が沢山、生々しくついている。腕はボロボロだった。

 自傷行為だ。

 自分で自分の身体を何かしらの形で、意図的に傷付ける行為。私の場合はカッターナイフばかりだった。


「………………」


 私のその腕を見て、彼は沈黙した。傷の様子を見ている。


「……見せましたよ。これで満足ですか?」

「それを辞めないと、あなたは死んでしまいます」


 フラフラするし、なんとなく予想はしていたけれど、やっぱりこのまま続けると死ぬのか。

 まるで自分のことなのに他人事のように感じた。


「…………死んでもいいかなって」


 もう、いいかなと私は思っていた。

 生きていることに、意味を見出せない。

 母に会えば怒鳴り散らし、物が飛んできたり手を挙げられたり、やり返したら殺し合いになってしまいそうな家も、綺麗事ばかりいう周りの人たちも、誰かを貶めて自分が這い上がろうとすることしか考えていない人たちも、もう見ていて疲れてしまった。

 それが正直なところだ。


「私は麗さんに死んでほしくありません」


 何故彼がそんなことを言うのか、私は解らない。しかし、真っ直ぐその目を私に向けてくる。生気のない目をしているあなたがそれを言うのかと、私はぼんやりと考えた。


「どうしてですか?」


 そうだ、いつも私のことを気遣ってくれる。他人であるはずなのに。

 ラファエルは視線を逸らしながらも、ハッキリとした声で話し始めた。


「麗さんは優しくて、頭が良くて、いつもしっかりしているんです。でも繊細で傷つきやすくて……それを周りに悟られないように無理しているのは知ってます。でも、私と話していて笑ってくれました。『初めて生きていて良かったと思った』って言ってくれて、私もそれが嬉しくて……」


 ラファエルの消えそうな声でも、私の頭のなかにはハッキリ聞こえた。

「生きていて良かった」なんて、言ったことない。思ったことすらない。それに、彼がそんな風に私を褒めるなんて初めてだった。


「上手く言えませんけど、私はあなたがいなかったら救われなかったんです。あの……、私のせいで巻き込んでしまったようなものなんですけど、でも……あのときの言葉に偽りがなかったなら、どうか生きていてください」


 ――私に救われた? ()()()()


 未来の話をされても、私には解らない。私がなんと答えていいか解らずに黙っていると


「……こんな状況で側にいられなくて心苦しいのですが……そろそろ、私はまた行かなければならないです。麗さん……大丈夫ですか?」


 大丈夫であるはずがない。そんな言葉、あまりにも無責任だ。

 いつもいつも、突然現れては私に対して予言じみたことをして去って行こうとする。


「大丈夫じゃないって言ったら、いてくれるんですか?」

「えーと……でも行かなければならないんですけど……でも、自分の身体をお大事にしてください……」


 結局行っちゃうんだな。と、思ったけれど、今までにないほど必死に訴えられたら、なんだかその申し出も断りづらい。


「……できるだけは」


 ラファエルはその言葉を聞き届けて、それでも私の方を心配そうに見ながら、困ったような顔をしている。

 僕の左腕の傷を何度か見て、本当に心配そうに狼狽していた。


「約束ですよ」

「…………」

「では……さよなら」


 その言葉を残してまたどこかに消えた。


「さよならって言うの……やめてよ……」


 自分の傷だらけの腕と、ラファエルの言葉が残った。

 私がいなかったら救われなかったと言っていた。その言葉に少し私は救われる。

 私も生きていて良いのかな。私のこと必要としてくれる人がいるなら。そう思いながら、私は自分のまくった袖を降ろした。


「約束って……一方的すぎない……?」


 私は自傷行為を完全に辞めることはできなかった。

 していなくてもなんとなく、しないでいられるだけだ。

 きっかけと言えば、あの時手首を軽く切ったときがきっかけだったと言って相違ない。

 自傷行為をするとβエンドルフィンという脳内麻薬が出るらしい。それがモルヒネの数倍の強さにあるもので多好感をもたらすと。そしてそれを抑えるためにセロトニンという物質が出て、そのセロトニンが増えると精神的な安定感をもたらすのだとか。だから何度も何度も、意識をしないで繰り返してしまうのだと言う。


「こんな状態なのに、なんで去って行くの……」


 私は『なんちゃって自傷行為』ではなくて、本当にその依存のサイクルに絡めとられていた。

 別に、自傷行為をしたときだけ出る物質ではない。どうやら性行為のときにも出るらしい。美味しいものを食べたときなども。


 ――笑っちゃう


 性行為に依存する人はたくさんいるし、美味しいものを追求する人もたくさんいるのに、なんで自傷行為だけ異質な目で見られるのだろう。


 ――結局、脳の中身は一緒じゃない。何かに依存するならそれが自傷行為だろうと、性行為だろうと、他の何かであろうと一緒じゃない?


 私は自分の部屋で、カッターナイフをくるくると弄びながら失笑するように笑った。本当に、くだらない。この世って本当にくだらない。生きている価値、本当にあるの?

 動脈に突き刺して、思い切り縦に引き裂けば私は死ぬのに――――


 ――私はあなたがいなかったら救われなかったんです


 ラファエルの言葉が私の心につっかえる。

 なにそれ、救われなかったって。私はなにもしていないのに。何が何だか分からないまま、それでも未来の私はラファエルを救ったのだろうか。

 そう考えるとどうしても自分の動脈にカッターナイフを突き刺して切り裂く気にならない。


「まぁ……死ぬのなんて、いつでもできるよね」


 私はカッターナイフを置いて、ペンを手に取って勉強を始めた。


 ――意味わかんない……


 勉強にはいまいち集中できなかった。





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