9話
巨大なダンプカーを連想させるその巨体は、身長二mはありそうなジョージさんすら小さく見えてしまう。
生えた牙も丸太のように巨大で、一体どれだけの獲物を餌食にしたのか、牙の先端が黒く変色している。
そして何より目立つのが、大きな額で紫色に輝いている、クモの巣のようなマークだった。
「もしかしなくても、あれが黒幕だよね」
「だろうな。大方あのデカブツが、他のイノシシに知恵吹き込んでたんだろうよ。どうやったのかは知らんが」
巨大な黒いイノシシは、なぜかゆっくり歩いてあーしたちのいる場所へ向かってくる。
のっしのっしと歩く度に重い足音が響き、巨体の重量を感じさせる。
高台で他にイノシシの群れがいないことを確認したあーしは、魔力が底をついて飛ぶことも出来なくなったゼルを抱え、皆より少し後ろの方で待機していた。
もし仮に、この状況で更にイノシシの群れが来ようものならさすがに農園を廃棄する以外に選択肢が無く、いつでも逃げられるように馬車の近くで待機する形だ。
あーしの前ではジョージさんとミュールちゃんが、いつでもあの黒いイノシシを受け止められるように最前線で構えている。
完全にパワー系として認識されたミュールちゃんの背中はとても頼もしく、八百屋の女の子としての面影は一切感じられない。
・・・情けないな。本来は冒険者のあーしたちが体張らなきゃいけないのに。あーしは役に立たないけど。
しかしそんなミュールちゃんとジョージさんでさえ、あの巨体を受け止めきれるのだろうか。連戦続きで体力も消耗しているし、それこそ交通事故のように跳ね飛ばされてしまうかもしれない。
嫌な考えばかりがあーしの頭の中をぐるぐる回る。
そんな中、あーしに抱えられたゼルが不意に口を開いた。
「なぁエリンの姐さん。あんた錬金術師だよな? 魔力回復用のポーション用意できねえか?」
その言葉にあーしはハッとする。
そうだった。ポーションみたいな回復アイテムは体力だけじゃなくて、魔力も回復できるのがあるんだった。
それでゼルの魔力が戻れば、この状況を打開できるかも。
「たしか二本ほど作り置きがあったような・・・」
「足りねえな、今から十本頼みたい。そんだけあれば俺のとっておきでアイツをブッ飛ばせる」
「十本も!?」
おしとやかなエリンさんが大声をあげて驚く。たしかにあーしでも十本は多いと思うけど、ちゃんとゼルには残念な理由がある。
「妖精の攻撃魔法は十倍燃費が悪いんだ。だから頼む」
「待ってください! だからといって・・・」
「姐さんの言いたい事は分かる。だけど、そうも言ってらんねえだろ」
ゼルとエリンさんのやり取りの間にも、黒イノシシはゆっくりと距離を詰めてきている。
そしてそれを迎え撃とうとしているのは、エリンさんの家族だ。
「・・・わかりました。ジョージさん、ミュール、気を付けてね!」
「うん!」
「任せとけ! ゼルの奴が回復するまでに片付けてやるよ!」
家族で言葉を交わし、エリンさんは急いで農園の建物の中へと入っていった。
「ミュール、いけるか?」
「大丈夫だよ、お父さん」
「よしっ! 行くぞおおおおおお!」
ジョージさんが雄たけびを上げ、二人は黒イノシシの下へと走り出す。
斧を背中に背負っているのを見るに、さっきのミュールちゃんのように押し留めるつもりなんだろう。
それに応えるように黒イノシシも咆哮を上げ、二、三回地面を蹴った後、猛烈に走り出した。
お互いに激しくぶつかり、鈍い音が響く。
ミュールちゃんが左の、ジョージさんが右の牙を掴んで必死にこらえるものの、地面に引きずったような跡を残しながら、なおも黒イノシシの突進は止まらない。
「どうしたアカネ」
「えっ?」
声をかけてきたゼルの方を向くと、その小さな顔に向かってあーしの目から涙が落ちた。
慌てて目元を拭う。
「あれっ、あーしなんで・・・」
「・・・聞いてやるから言ってみろ」
「いや別にあーしは・・・」
にじむ視界の中では、ミュールちゃんたちに抑えられた黒イノシシが、徐々に勢いを落とし始めている。
そんな二人の頑張っている姿を見て、言葉を我慢する事が出来なくなった。
「・・・みんな一生懸命戦ってるのに、見てるだけの自分が、情けなく思えてきちゃって」
「そいつは違うな、アカネ」
そう言うとゼルは顔をぐいっと上に向けて、あーしの顔を真っ直ぐに見つめてきた。
「冒険者ってのはエリンの姐さんみたいに、戦闘に向かないクラスも普通にある。お前さんのインスタグラマーだってそうだろ。いわば適材適所だ。お前さんが必要とされる機会はちゃんとある」
その言葉に、涙が止まる。
「無理する必要はねえ。自分に出来る事を精いっぱいやり遂げろ」
「・・・・・・うん!」
あーしは片手でスマホを操作して、ミュールちゃんたちをフレームで捕える。
フレームの中には、二人の力で徐々に勢いを落とした黒イノシシが、ようやく止まった所が映っている。しかし互いに力は抜いておらず、膠着状態が続く。
「うっぐぅ・・・! ミュール! 左だ!」
「わかった!」
ジョージさんの指示に合わせて、牙を掴んだまま相撲のように左側へと押し倒す二人。
すぐにジョージさんが斧を振りかぶり、首元めがけて振り下ろす。
「喰らえええええ! んがっ!?」
甲高い金属音を響かせながら、ジョージさんの斧が弾かれる。
黒イノシシが頭を思いきり振り上げ、牙でジョージさんの斧を防いでいた。
そのままがむしゃらに暴れ出したかと思えば、後ろ脚で地面を蹴飛ばしジョージさんへ向けて土を飛ばす。
「ぶはっ!? コノヤロ・・・!」
顔にかかった土を手で払うジョージさんに対し、体制を立て直した黒イノシシは好機とばかりに、身をかがめて突進の準備に入る。
「させない!」
突進準備で無防備だった黒イノシシの左の顔面に、ミュールちゃんのドロップキックが炸裂する。
黒イノシシにとっても痛手だったのか、重厚な打撃音と共によろめく。
その隙をミュールちゃんは見逃さなかった。
身体と青いポニーテールを回転させながら、左回し蹴りを叩き込む。
よろめいた所に追撃を喰らった黒イノシシは、悲鳴を上げながら体を大きく右側に移動させた。
「ここで決める・・・!」
・・・あれは本当にミュールちゃんなのだろうか。
腰を落とし、更に攻撃を叩き込もうとするミュールちゃん。
彼女が走り出すと同時に、視力が回復したジョージさんが慌てるように叫んだ。
「ミュール! 耳を塞げ!」
「えっ?」
ジョージさんの声に一瞬気を取られたその後、腹の底から出しているような大声が、農園全体に轟いた。余りの音量に、遠く離れているあーしでさえ両耳を塞ぎ、ゼルを落っことしてしまう。
声の主である黒イノシシに一番近いミュールちゃんに至っては、爆心地と言えるその状況に耳を塞いでしゃがみ込んだまま動けなくなっている。
叫び終えた黒イノシシは、額のクモの巣のようなマークが紫色から赤色に変わって更に強く発光し、両目も同じように赤く血走っている。
誰がどう見ても、ブチギレているとわかった。
黒イノシシが頭を大きく右側に逸らす。
もしかしなくても、体のバネを大きく使ってミュールちゃんを吹き飛ばすつもりだ。
「やらせるか!」
直撃寸前でミュールちゃんを突き飛ばし、ジョージさんが身代わりとなって思いきり吹き飛ばされる。
「ぐああああああッ!!」
ボールのように吹き飛ばされたジョージさんは、バリケードすらなぎ倒す勢いで地面に叩きつけられた。
左腕が変な方向に曲がり、口から大量の血を吐いている。
突き飛ばされたミュールちゃんも、未だ体の自由が利かない様子。
ヤバイヤバイヤバイ!
このままじゃ二人とも殺される!
「お待たせしまし・・・ジョージさん!? ミュール!?」
ようやく戻ってきたエリンさんが、目の前の惨状に悲鳴を上げた。
黒イノシシはジョージさんに止めを刺そうと、地面を蹴りながら突進の準備に入っている。
「姐さん! ポーションは!?」
「あっ、こちらに!」
「早くこっちに投げろ!」
エリンさんはひと際大きいポーションをこっちに投げ渡し、ゼルがあーしの胸を踏み台にしてジャンピングキャッチする。
そのまま転がるように着地したゼルは、ポーションの中身を急いで飲み干していく。
そうしている内についに黒イノシシが走り出した。このまま轢き殺してやるとでも言うように、全速力で駆けていく。
「プハッ! 『ロックスパイク』!」
ゼルが地面に両手を押し当て、魔法を唱える。
すると黒イノシシよりちょっと先の地面に黄色い魔法陣が現れ、そこに踏み込んだ黒イノシシの下顎を打ち抜くように勢いよく地面が飛び出した。
悲鳴を上げながら、滑るように地面に倒れる黒イノシシ。しかしすぐに起き上がり、魔法の主を理解しているのかゼルをまっすぐ睨みつける。
「今のうちだ。旦那とお嬢ちゃんを回収して来い。あとは俺がやる」
ゼルは黒イノシシから目を離すことなく、次の魔法を詠唱し始めた。
「わ、わかった。行こうエリンさん!」
「えぇ!」
あーしとエリンさんが動き出しても黒イノシシの様子に変化はない。
完全に頭に血が上っているんだろう。
「ハッ さっきまでの澄ました顔より、今の方がよっぽどイノシシらしいと思うぜ」
挑発しながらもゼルは魔法の詠唱を続ける。
それを横目に見ながら、あーしはミュールちゃんの下へとたどり着いた。
「大丈夫ミュールちゃん!? 怪我とかしてない? 立てる?」
「大丈夫です・・・。それより、お父さんは?」
「今お母さんが回復させてるよ。あーしたちも合流して安全な場所に行こう。アイツはゼルが何とかしてくれる」
「わかりました・・・」
必死でジョージさんを回復させるエリンさんの下へと急ぐ。
止血はもう済ませたのか、今は骨折した左腕の治療に努めているようで、固定した左腕の患部にポーションを少しずつ垂らしている。
すると腕の赤みが徐々に引いていき、小さな傷なら一瞬で治っていた。ポーションって飲み薬以外の使い道あるんだ。
しかし体力の消耗は回復できないのか、ジョージさんはぐったりとしたまま動けない。
「情けねえ・・・。こんなカッコ悪いとこ見せちまって・・・」
「何言ってるのお父さん! お父さんが居なかったら、私死んでたんだよ!」
「そうですよジョージさん。だから今は安静にしてて・・・」
母娘二人とも目に涙を浮かべながら、ジョージさんを見守っている。いい家族だなぁ。
「とりあえず、ある程度回復できたら安全に・・・あづッ!?」
あーしがこれからの事を説明しようとすると、後ろの方からすごい熱風が飛んできた。
何事かとそっちを見れば、その熱風はゼルが生み出していた。
「ハアァァァァァァァ!」
今までのどの魔法よりも巨大な赤い魔法陣が、ゼルの足元で燃えるように輝き、常に熱風を吐き出し続ける。
細長く繊細な赤い髪が、ゼルの気合に呼応するように、炎の如く激しく逆立つ。
「なんじゃありゃあ・・・」
「あんな魔法、初めて見ますね・・・」
元冒険者の二人ですら見覚えのない、ゼルの魔法。
「コイツはまだ試作段階なんだが、実戦テストってのも中々どうして燃えるもんだな」
ゼルが軽く腰を落とすと、背中に生えた四枚の羽の付け根から、徐々に勢いを増しながら炎が噴き出す。
その様子はまさに、ロケットの噴射口のようだった。
とんでもない魔法が来ると感じ取ったのか、黒イノシシが慌てたように突進する。発動前に潰してしまおうという魂胆だろうか。
だがしかし、ゼルの準備が終わるのが速かった。
「スピード勝負といこうか。よーい・・・・・・」
迫るイノシシを目の前にしても、ゼルは余裕綽々といった表情を崩さない。
そして。
「ドンッ!」
一瞬だった。
弾丸の如く飛び出したゼルは、数十mは離れていた黒イノシシとの距離を一瞬で詰め寄り、その眉間に思いきり頭突きをかました。
通り過ぎた場所に残った光の尾が、その速さを物語っている。
黒イノシシはまるで透明な壁にぶち当たったようにその場で止まり、勢い余ってつんのめるように後ろ脚が宙に浮いてしまった。
「す、すごい・・・!」
ミュールちゃんが感嘆の声を漏らす。
たぶんここにいるみんなが同意見だと思う。
「かーっ! 痛ってえなテメェ! 石頭かコノヤロー!」
お前が言うか。
と心の中でツッコミながら、あーしは呆気に取られた皆に声をかけて、ジョージさんを安全な場所に移動させるように促す。
あーしとエリンさんで肩を貸し、協力して運んでいく。
建物の近くにジョージさんを降ろしてゼルの方に目を向ければ、警戒した黒イノシシが慌てて距離をとった所だった。
「おいおい。テメェらは突撃が取り柄じゃねえのかよ。ならこっちから行くぞ!」
黒イノシシを挑発したと思ったら、瞬時に脇へと周って横っ腹に思いきり突撃する。
痛々しい悲鳴もお構いなしに、ゼルはヒット&アウェイで黒イノシシの全身にクレーターを作っていく。
「オラオラオラオラオラオラァ!」
喉や腹の周辺を重点的に狙っているあたり、多分さっきの咆哮を事前に防いでいるんだろうけど、戦い方がちょっといやらしいな。
黒イノシシも負けじと牙を振り回したり、噛みついたりしようとするものの、体格とスピードが違いすぎて全部徒労に終わっている。
その光景にふと、既視感を覚えた。
これは・・・。
「たしか夏場の蚊ってあんな感じだよね」
「ア、アカネさん!?」
慌てて咎めるようなミュールちゃんの声が聞こえた。
今はあーしとミュールちゃんの二人でジョージさんの様態を見守り、エリンさんは追加のポーションを作りに再び建物の中へと消えていった。
ジョージさんはゼルのあの姿を見た後、任せても大丈夫と踏んだのか眠り込んでしまい、ミュールちゃんに膝枕されている。
あーしはそんな二人を写真に収めた後、ゼルの方にカメラごと向き直った。
「あの、前から気になってたんですけど、何してるんですか?」
ミュールちゃんから質問が飛んできた。
そういえば、インスタについてはまだ説明してなかったっけ。
「んー? そうだね、これが冒険者としてのあーしの仕事」
世界最強の武闘派魔法使いの雄姿が、今目の前にある。これ以上のシャッターチャンスは無いでしょ。
本当はそれどころじゃ無いんだけど、ジョージさんと同じように大丈夫だとあーしは確信していた。
「うらァッ!」
スピードを乗せたゼルの跳び蹴りが、黒イノシシの右の牙をへし折った。
その痛みとショックが影響したのか、さっき以上に怒り狂って暴れまわり、さすがのゼルも距離を取らざるを得なくなる。
「ちょうどいいぜ。こいつで止めを刺してやる」
地面に転がった牙を素早く回収したゼルは、そのまま地面に手をかざして魔法を唱えた。
「『ロックスパイク』!」
怒りで我を忘れていた黒イノシシは,腹の真下に現れた土の刺に気づかずモロに直撃を喰らう。
少し宙に浮いた黒イノシシを見る事もせず、ゼルは姿が見えなくなるほどの高さへ一瞬で飛び上がったかと思えば、手にした牙を真下に構えながら黒イノシシへと一直線に落下してきた。
「くたばれェェェェェェェェェ!」
勢いを乗せた巨大な牙の一撃は、額にあるクモの巣のマークの中心に深々と突き刺さるだけに留まらず、勢いそのままに顔面ごと地面にねじ伏せた。
くぐもった断末魔を上げた後、黒イノシシは大地へとひれ伏したまま完全に動かなくなった。




