ぜつぼう
今までに一度だけ、『完璧なライトノベル』を読んだことがある。
別に普段から「この作品にはあれが足りない」とか、そういうことを感じるわけでも、考えているわけでもない。
だけど、そのライトノベルを読んだ瞬間、どうしようもない絶望感に襲われた。
作家を志しているものとして、心のどこかで「書きたい」と思っていた全てがその一冊にはまとまっていた。
自分がこれを書こうと思ったら、まず前提として文章力が足りない。 構成力が足りない。
自信を持っていた発想力ですら、足元にすら及んでいない。
僕にはこんな、感動で涙が溢れだすような、そんな作品を書くことはできそうにない。
僕は、その作品を作り上げるだけの技術が圧倒的に足りないことに希望を失った。 頭の中が真っ白になってしまった。
その時は「なろうで書いている作品を凍結させようか」なんて、そんなことまで考えた。
良い作品は読者に感動を与えるけれど、良すぎる作品は感動とともに、絶望までも運んでくる。
そういうことも、あるんだと思った。
だけど、ふと気がついたんだ。
完璧な作品があるということは逆説的に、そのほか全ての作品は何かしらの欠点を持つということになる。
僕は陰気な性格だから、よく自分の欠点を見て「自分はなんて、ダメな人間なんだ」と感じるけれど、案外みんなそんなものなのかもしれない。
そうやって世界を見ると、有名人や人気者ですら、何かしらの欠点を持っていることが多いし、逆にその欠点を武器にしている場合も多い。
悲しいかな、僕は特別な才能なんて持ってない。
多分これは、生まれ持ってのものなのか。 あるいは特別な訓練や奇跡によってしか手に入らないものなのかもしれない。
だけどそんな僕でも、この世界に存在してもいいんじゃなかろうか。
そんな僕も、もしかしたら無価値というわけではないのかもしれない。
それは「どうせみんな凡夫なんだから」と卑屈になっているんじゃなくて。
凡夫だからこそ、存在する意味があるんじゃないか。 って。
完璧に見える先輩よりも、弱点を晒してくれる先輩の方に好感が持てることもある。
欠点まみれの後輩の相手は、大変だけど、嫌じゃない。
才気あふれる人は、見ている分には応援したくなるけれど、
絶望を感じることはない作品を読んでも、僕は楽しいし、その作品にお金を払う価値があると思ってる。
だから本を買うし、人にオススメしたりもしてる。
だったら僕も、完璧なんかにこだわる必要はないかもしれない。
なんて、思いました。