魔の宴-2
口調はともかく涼やかな声に、聞き覚えがあるなあ、と琉瑠は思った。だが、顔は思い出せない。一体誰だったか。改めて声の主に目を向けるが、やはり思い出せない。
ストロベリーブロンドに碧眼、猫のような大きな瞳。美人と形容すべき容姿をしているが、色彩としてはこの国ではありふれたものだ。大衆居酒屋の客としては些か上品な服装をしているが、領主の弟の知人であればそれは特徴になり得ない。
……多分、領事官か貴族の娘だろう、と結論づけて、琉瑠は涼やかな声の背後に目を向けた。
「独占しているつもりはないんだけどな」
琉瑠が観察している横で、アストが穏やかに反論した。
「ウェル、お呼びなんだし行ってくれば?」
「別の機会にな」
水を向けられて、フェアウェルトはしれっと嘯く。別の機会なんてあった試しがないし、あったとしてもそれは領主の弟として出席しているパーティであり、それは交流ではなく社交だ。
標的が一番冷めているのだが、ご令嬢(推定)は臆せず言葉を次いだ。
「あら、アストさまを余所者などと言うものはこの街にはおりませんわ。もう何年になると思ってらっしゃるの? 南大陸出身とはいえ、もうこの街の住人同然でしてよ」
「そう思ってくれて嬉しいよ」
一貫して高圧的な物言いのご令嬢に、しかしアストは軽やかに笑みを向ける。
ご令嬢と同席している男女は、此方に視線を向けてはいるものの、ご令嬢に加勢する気はないようだ。焦ったような表情のものもいて、数名は目を逸らしている。知らん顔は出来ない、でも関わりあいたくはない、といったところだろうか。
いつの間にか店中がこの会話に意識を傾けていた。
「余所者ってのがアストじゃないってんなら、誰のことを言ってんだ、お嬢さん?」
判っているだろうに、カナリエが訊く。酒杯を呷って、ご令嬢に視線を遣る。
年頃の令嬢らしく頬を赤らめた彼女は、やはり高圧的な態度のまま、言い放った。
「勿論、そちらの紅の方のことでしてよ!」
酒杯片手に観察していた琉瑠は、指をさされてのんびりと視線を合わせた。
紅の瞳が、真っ直ぐに射貫く。
その強さに少々怯んだご令嬢だったが、そこで引き下がることはなく、言葉を連ねる。
琉瑠の視線に気圧されて、周りからの視線に呆れが含まれていることに気付かないままに。
「貴女、異国の方なのでしょう? どうやってヴァースの皆様に取り入ったのか存じませんけれど、身の程を知りなさい! ヴァースの皆様のお優しさに甘えるなどと言語道断ですわ」
言い切った令嬢は、少しばかりの達成感に浸った。
父に連れられて出席した式典。同年代だからとご挨拶を許された領主の弟君。容姿も魔力も優秀な、女性たちの憧れの的。その彼の友人に媚びいる余所者。
友人達もきっと同意してくれる事だろう。そう確信していた。
隣の席の友人に袖を引かれるまでは。
「……申し訳ありませんヴァース様。少々酔いが回っているようです」
心外にも程がある。ご令嬢は声を上げようとした。そもそも酒など飲んでいない。
だが、声を出そうとした口は、別隣の友人に塞がれた。抗議しようと視線を向けると、彼女の顔面は蒼白だった。
何を怖気づいているの? そう思って他の友人を振り返ると、顔を背けられた。
……どういうこと。
「どうやら、そちらのお嬢さんの方が余所者のようだな。レイルルをご存知ないとは」
クロードがやれやれ、と溜息を吐く。
気付けば、店内のほぼすべての視線がこちらに向いていて、呆れたような、そうでなければ敵意に近い感情を向けられていた。
漸く、自分が立場の悪くなっていることに気づく。だが、何が拙かったのか、思い当たらない。
令嬢の背中を、冷や汗が伝った。
「……そちらのオニイサン、そう、黒髪の」
琉瑠が、令嬢から視線を外して、背後の男性に声を掛けた。描いたようにびくりと肩を震わせた男性は、揺れる声で、答えた。
「……なんでしょう」
「貴方のカフスの紋章、それ、副官長様の奥様のご実家のものよね? 奥様はお元気?」
「……はい、叔母をご存知でしたか」
「ええ、領主様のお茶会でご挨拶を。最近いらっしゃらないのだけれど」
「母と別荘に出掛けております」
「そう、それならよかった」
にこりと微笑むと、琉瑠はその隣の女性に矛先を向けた。
「貴女、リベラの方よね? 先日学会で発表された魔術、あちらの進展は如何かしら?」
「……学会にいらしてたので?」
「師匠が代わりに聞いてこいって言うから出席したわ。学問としての魔術にあまり触れたことがないからとても新鮮だったわ」
「ご興味がおありでしたら、研究に参加されますか?」
「流派をまたぐと色々うるさそうだから、次の学会を待つことにするわ」
「左様ですか」
口を開けた間抜け面を晒すのは自制したが、目を見開いてしまうのは避けられなかった。ご令嬢は、友人たちの対応に驚愕するしかない。
酒杯を空にしたクロードが、余所者へ説明を与える。
「御覧の通りだ。レイルルはご領主や御曹司の代行をすることもある。親御に訊くといい。屹度ご存知だ」
「ってゆーか懐かしいなこの感じ! レイルルが来たばっかの頃よくあったよなー」
「それよか、ウェル、何杯目だそれ」
「さあ?」
「4杯目よ、速過ぎ」
ご令嬢はわなわなと震えて涙目になった。
なによ、なによそれ、わたくし知らないわ。
反論しようにも、子どもの癇癪のような言葉しか浮かばず、そんな恥は晒せない、と口を噤む。
「ああ、思い出した」
「何を?」
琉瑠が、改めてご令嬢を見据える。
「彼女、財務長官の娘さんよ。最初にパーティに連れて行かれたときにお見掛けしたわ。挨拶はしてないけど」
ご令嬢(推定)――改め財務長官令嬢は、元々大きな目を更に見開いた。
「長官が領主さまに紹介してて、その横で真っ赤になってらしたから。ウェルにあっつうい視線向けてたわ」
「お、もしかして嫉妬ってやつか?」
「いえ? 見た目緊張してる風だったのに、声はまったく震えてなくて印象に残ってたの。可愛らしい声よね」
口調が違うから判らなかったわ、と微笑む琉瑠に、財務長官令嬢は別の意味で涙目になった。
「折角だし、ウェルなんかより私とお友達にならない、貴女?」
流し目を向けられてうっかり見惚れてしまったご令嬢は、初めてではない……。