第一章 30 『少女の絶望』
記憶からはじき出されるようにアイリは目を覚ました。時間にして30秒ほどの出来事だった。はじめて見た母の姿と自分を育ててくれたナーヤのついた嘘が頭を回りかけ、それよりも今は大切なことを思い出したアイリは頭を振った。先ほどまで感じていた眩暈や息苦しさ、嘔吐感などは綺麗さっぱりと消え去っていた。裾から除く白く細い足には血の跡はあれど傷跡は一切残っていなかった。アイリはこれならと立ち上がると再び走り始めた。
アイリの選択肢の中で最大のカード死の痛みと感覚を代償に身体の完全なリセット。鍵の呪いの最大の利点であり、最大の欠点ともいえるものだ。この制限のせいで、呪いは一子相伝に受け継がれてきてしまっている。しかし、先ほどの記憶の中で、ナーヤの言っていた『ようやく……鍵の継承を止められるチャンスだったのに……』という発言が引っ掛かった。まるで、呪いの解き方を突き止めたようなそんな言葉だった。それでも、真相は闇の中だ。ナーヤは8年前の魔獣騒動で命を落としていた。最後に話した時のことを時折思い出す。
赤い髪を上げて修道服と呼ばれる神官の正装に身を包んだ女性がこちらを見ていた。その瞳は右目がその髪と同じく燃えるように赤く、左目は見つめれば吸い込まれそうな美しい琥珀色の瞳をもっていた。虹彩異色症。所謂オッドアイと呼ばれる瞳を持っていた。普段は長い前髪で左の瞳を隠している彼女も神に祈る際は髪を上げていた。多少不愛想なところもあったけど、彼女は優しく。とても器用でなんでもそつなくこなし、私を世話する傍ら魔導研究までしてた。才色兼備ともいえたナーヤに幼いながら憧れていたのを今でもぼ得てる。そんな彼女の唯一ともいえる欠点が忘れっぽいところ。本人が言うには昔はそんなこともなかったはずとのことだけど、どこまであてになるか。
そんな彼女との最後の会話はミーちゃんの家から一度孤児院に戻った時のこと、教会から戻ってきたナーヤを見つけたアイリはその背中に声をかけた。
「ナーヤー今日ミーちゃんのお家でご飯食べてくるね?」
その声にナーヤは振り返るとアイリの頭を撫でた。どこかはねていたのか優しくなでつつアイリの髪を直した。
「ん?あぁーアイリーヘレンさんのところね。えぇわかった。遅くならないようにしなね?」
「はぁーい、いってきまーす!!」
「えぇ、いってらしゃい……あまり遅くなったら迎えに行くからねー」
とても短いやり取りだった。
ナーヤがいればこんな状況も少しは良くなってたのかな……
そんな考えが頭をよぎって自分が弱気になっていることに気が付き一度立ち止まり、空を仰ぎ見た。朝焼けに照らされ黄色がかった青空が頭上に広がっていた。大きく息を吸って覚悟を新たにもう一度踏み出した直後、異変は起きた。
「よしっ!!__________________ッ!?!?!?!?!?」
見えない何かに左腕を思いっきりひかれている。つかめれている感覚がしっかりとあり、服もつかめれていることを感じさせるように皺を作っている。しかし、実態がない。アイリは思わず振り払おうともがく様に右手で払いのけるように動かすが手首があると思われる場所をアイリの腕は素通りする。
「ひっ!?!?!?!?!?!?!?」
短い悲鳴を上げて、精一杯にもがく髪を振り乱し一心不乱にしかし、左腕の感覚はのこったまま、アイリの腕をつかむ不可思議な力がだんだん強まっていく。そして、アイリを飲み込まんとするように目の前にグワリと歪みが口を開けた。アイリは逃げられもせず腕を引く力に体勢を崩し、その拍子に歪みに飲み込まれた。アイリはとっさに強く目を閉じた。少しの浮遊感の後、転移に伴う激しい疲労感がアイリを襲った。足の裏が地面につく感覚の直後、へたりこむように地面に倒れ目を開けた。一面の水、一瞬自分が水の上に転移させられたのかと錯覚するほど青い空間。空も大地も崩れかかった水に覆われたその場所がわからなかった。しかし、状況が全く違うがそこがいつもの平原であることに気が付き
「かはっ…….ゲホッゲホッ…….どうして、ここに……?あと、少しだったのに…….」
あの体力なら村まで数分の位置だったのに、それが今はスタート地点……どうして?なんで?もう少しで助けも呼んでこれそうだったのに……それに、こんな状態じゃ……もう逃げるなんてできない……でも、いったい何が……
混乱した頭のままあたりを見回そうとして、その異変に気が付いた。今倒れているところから10mほど先にアイリのよく知る少年が所々血を滲ませ、うつぶせに倒れていた。呆然としていた顔がアイリと目が合って我に返ったのか、もがく様に起き上がろうとして……崩れた。上手く力が入らないのか、すぐに地に顔をつけて、動かなくなってしまった。
「____ッ!!!?ユーリ!?」
ユーリのその姿を見た瞬間、アイリの身体が反射的に動き始めていた。もがく様に腕を突き転移の疲労でうまく動かない体を無理やりに引き起こすがすぐに足がもつれはじめ倒れそうになった。
たった数メートルがこんなに長かったことなんてなかったのに……身体が重い……足に鉄あれでもついてるのかな……景色ってこんなにゆっくり動くものなの……?
足が地面に触れている感覚は確かにあるがその足は10センチも上がっていないように感じる。つんのめりながら何とか前に進む。どこかに窪みでもあればアイリの体は簡単に前方に投げ出されていただろう。しかし、アイリの進行を露骨にユーリを視界から外させるような大仰な動きで妨げたのは、長く煌くような金髪に黒いワンピース。その上に白いマントを羽織った少女だった。アイリはその姿を見て、立ち止まり、驚きに目を見開いた。
「えっ…….ティナ…….ちゃん?」
「お久しぶりですね。アイリ様……」
「えっ……どうして、ティナちゃんが……ううん、それよりそこをどいて!!ユーリの怪我を直さないと!!」
少女はアイリの言葉にゆっくりと首を横に振った。冷たい凍り付くような感情の読み取れない瞳がアイリを見つめていた。
「残念ですがそれはできません。」
その答えにアイリは少女を睨み付けた。そして、
「なんで!?このままじゃ、ユーリが!!」
今にもつかみかかりそうな怒気をはらんだアイリの声が響き渡った。
「改めて、自己紹介をさせていただきます。私は七つの冠、セブンスクラウンの光……7番目の子供。ベネトナシュ・ティトスともうします。アルコル・ファーメシアスの末裔アイリ様をお迎えに上がりました。」
そういうとティトスは騎士の様に跪いて見せた。
「ですので、私が退くかは……アイリ様の返答次第です。もし、私の望む答えが得られないのであれば……残念ですが、彼にはここで死んでもらいます。」
そういうと、マルティナは背後にいるミザールに合図を送るかのように手を上げた。そこでようやくアイリは、もう一人異形のものがユーリのそばにいることに気が付いた。その姿に思わず息をのんだ。ミザールはその場で身体から影をはやしユーリの首をつかんで空中につるし上げた。
「ぐっ__________っ!!」
「アイリ様もわかっていらっしゃる通り……私たちの要求は……アイリ様。アイリ様が私たちと一緒に来てくださるのでしたら、私たちは彼を開放します。」
「私は……私は……」
アイリの肩に圧し掛かるのは、世界の破滅か自分を大切にしてくれている男性……それ以上に、自分が本当に大切だと思える最後の男性の命。
私は、世界かユーリかなんて、選べるはずがない。でも今ユーリを取らなければユーリはここで……でも結局世界をとってもいずれ世界とともにユーリが……ううん、そうじゃない。ユーリを取ったとしても世界を取ったとしても私はきっと連れていかれる。ここで私を見逃すメリットはティナちゃん達には一つもない……それじゃぁ……私は……
「わかり______」
「アイリ、ダメだ!!!!逃げろ!!……俺なんてどうなっても……いい……だから……逃げてくれ!!お前だけは……俺に……」
もうろうとする意識の中で絞り出すような声が空気を震わせた。弱弱しい声の中に確かな覚悟を感じさせるその声は途中で遮られた。
「……フゥッ……」
短い嘆息交じりの声と侮蔑するようなまなざしをユーリに向けてから短く
「ミザール」
「あぁ……」
「待って……」アイリがそう叫ぶ前にティトスの声を合図にミザールは影の腕を動かしユーリの体を地面に叩きつけた。ゴキッゴチッという生々しく身体が折れ千切れる音が響いた。
「ぐふぅぁ……ぁぁぁぁぁぁっぁっぁぅぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁぅぅううぅぁう……っはっ……」
アイリはユーリのもがき苦しむ姿を呆然と見ていることしかできなかった。身体の下敷きとなって折れた腕からは骨の破片が飛び出し、額は裂け血があふれ出していた。ひとしきりもがき苦しんだユーリは肺から空気の抜ける音を最後に動かなくなった。痛みと衝撃から完全に意識を刈り取られたのだろう。それを確認したミザールが再びユーリの首を持ち掴み上げた。
「ちっ……手間かけさせやがって……」
そう吐き捨てる声にアイリは我に返った。
「お願い!!それ以上ユーリに何もしないで!!私があなたたちの命令に従うから!!!!お願いだから!!ユーリには……」
あまりに無残になったユーリの姿に悲鳴を上げるようにアイリは懇願していた。
「かしこまりましたアイリ様」
「……ミザール」
その一声で、ミザールはユーリを意外なほどに慎重に地面に下した。
「それでは、参りましょう。アイリ様」
そういうとティトスは振り返り時空に歪みを開こうとした。その背中にアイリが声をかけた。
「待って……ティナちゃん……」
アイリの声に首だけで振り返り返答を返した。
「アイリ様、私のことはティトスとお呼びください」
「……ティトス……」
しぶしぶといった様子でそう呼んだアイリにティトスは不愛想気味に返した。
「はい。アイリ様、何でしょうか?」
「……せめて、最後にユーリの傷を治させて……」
「はい、どうぞ。ただし、魔力は生存に必要最低限だけ再生させてください。」
あまりにあっさり了承したかと思うとやはりというべきか条件が付いてきたことにアイリは諦めのようなものを感じていた。
「……わかりました……」
改めて、彼女が自分が知っている少女とは別物になっていることをありありと実感させられた。




