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第一章 29 『引き継がれていく“鍵”の呪い」

16年前 チェストヴォ共和国クラネース・サルフォス山山中の小さく暗い小屋の中に女のすすり泣く声だけが微かに聞こえた。女の腕には赤ん坊が抱かれ、女のすすり泣く声などどこ吹く風で穏やかな寝顔をうかべている。どこにでもありそうな孤独な家族の姿に見える光景は明らかに違っていた。1秒ごとに女の肌は老婆の様な深いシワを刻んでいく。茶色く若々しい髪は栄養を急速に失い灰色を経て毛先から白くなって抜け落ちていく。秒読みで歳を取っていく異様な光景を見せられている様だった。


「ごめん…….なさ…….い…….ごめん…….なさい……アイリ…….ごめん…….なさい……おかあ…….さま……っ…….っ…….私…….耐えられなかったの!?」


老婆に姿を変え続ける女の悲痛の叫びは壁に吸い込まれ誰にも届かない。


「___っ!!!?ぅうああああぁぁぁぁぁぁぁぁアァアアアアァァァァァァあああ」


叫びを聞いて目を覚ましてしまった赤ん坊がけたたましいサイレンの様に泣き始めた。しかし、女は焦点の合わない瞳を虚空に漂わせるだけで、あやそうとはしなかった。光の灯らない目がようやく我が子に向けられたのは数分後だった。泣き疲れたようでトロン…….とした赤ん坊の瞳を見つめ返す女は今しがた目を覚ましたかのように少しずつ目を見開き始める。そして、何かを思案したかと思うと、赤ん坊を抱いたまま、フラフラと弱々しく立ち上がると扉に近づき、突き破るような勢いで扉を開けると薄暗い小屋の中から足を踏み出した。ふわふわとした大粒の雪が視界の端を通り抜けるサルフォス山の長い長い冬の訪れを告げる初雪は完全に老婆へと姿を女が見る最後の雪になるだろう。

老婆は小屋の前に崩れ落ちるように座り込むと羽織っていた肩掛けを抱いている赤ん坊に巻きつけた。いつの間にか寝落ちしていた赤ん坊は一瞬寒さから険しい顔をしていたが、肩掛けを巻かれたおかげで穏やかな顔をした。

 老婆は弱弱しい手つきで自分の懐をまさぐると、少し歪な形をしたオカリナを取り出した。石で作られたそれは古びていたが、手入れが行き届いているようでわずかなひび割れの後をなくすように修繕が施されていた。老婆はそれを口にあてがうと深呼吸するかのように大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す息を使って音を奏ではじめた。

 それは雪の中にほんの僅かにしか届くことのないほど弱弱しい。消えかかった命の灯のようで、誰かの耳元で囁くような小さな……とても小さな子守歌のようだった。

 意識だけでこの光景を見ていたアイリにはその曲が何処か懐かしく感じられた。直接聞いた覚えなどないのに懐かしいその曲に耳を傾ける。思い出すことはできないがきっと、心は覚えている。好きな人とふれあえばその人との記憶がおぼろげに浮かんでくるような……きっと、そんな感覚に近いもの。

 そこでようやく老婆が抱きかかえているのが自分自身だということに気が付いた。生後1・2週間といったころだろう。クラネースの協会の中で発見されたのも丁度そのころだと孤児院のシスターナーヤから聞かされていた。

 老婆が一曲吹き終える間に10回以上荒い息を吐きだした。ようやく手を止めた老婆の額には大粒の汗が滴り落ちている。急激な老化に伴い肺活量が極端に落ちたのだろう。この瞬間にも老婆の身体は年老いていった。数分が立ち老婆が再び、オカリナを吹こうとした時、一人の女性が雪の中から現れた。長身に黒いローブの上からでもわかる起伏に富んだ身体をした女性だった。赤い髪を腰まで伸ばし、前髪で左目を隠している。その特徴に若干の差異があるもののその女はサラ・ミサイアスと瓜二つの女だった。


「ようやく……来て、くれたのね……ナーヤ……」


「ええ……それがあなたからの最後のお願いだもの……アーシャ」

 赤髪の女はその黄色い瞳に涙をためながら精一杯の平静を装って、老婆に顔に手を伸ばした。老婆のよぼよぼのほほに触れる瞬間一瞬ためらったかのように手を止め、意を決したようにそのほほに触れた。変わり果てた友のほほに刻まれた深いしわをなぞる女の顔は危篤状態の者を見るような、諦めたような優しい微笑みを浮かべていた。


「アーシャ……何日か…….会わなかっただけなのに、ずいぶんと歳を取ったのね……」


「そぅね……あの美貌を失ったのは……惜しいわ……でも永遠に二十歳でも……いられないもの……270年。270年もあの姿でいたの……だから……十分ね……」


 老婆は、いつの間にか抜け落ちた歯を見せ冗談めかすように笑った。 その姿はどこか垢抜けていて10分ほど前に見た時よりも随分と皺が増え、自分が先程まで絶望の中にいた事を忘れているようにすら見えた。むしろ、死期を悟っているのだろう。その見た目は120歳など優に超えている。そろそろ言葉も話せなくなってもおかしくないほどに皺くちゃだった。


「それよりもぉ……あんたには……苦労を掛けるだろうけど……この子……アイリを、よろしく、頼むよ……」


 そういうと、抱きかかえていた赤ん坊を震える腕でナーヤに差し出した。いつへし折れてもおかしくない腕が差し伸べられナーヤは受け取ろうとして赤ん坊と共に柔らかく抱きしめた。慈しむように、包み込むように、それを見ていたアイリはどこか懐かしい感触とそれからにおいを感じたような気がした。


「……心友の頼みだ。確かに引き受ける……この子は、守り抜いて見せる……大地の守り人として一族の……いえ……あなたからの信頼に掛けて_____必ず」


その言葉には彼女の決意がありありと感じられた。


「あぁ……信じてるよ……ナーヤ……ミサイ……アス……_______わが……しん……ゆ_______」


 老婆の顔からはもう表情を読み取ることすらもできなかった。それでも穏やかな優しい表情をしていたのだろう。耳元で囁くようなその言葉を最期まで言い終えたかというタイミングで、老婆の瞳からは光が失われ、身体はいしお持たない人形のようにくたりと力なく崩れ落ちた。ナーヤは老婆の亡骸をそれから数秒と経たずに形をなくし砂となって堆積した。直後、一陣の風が吹き砂が吹き流された。さらさらと雪に交じって舞い上がる砂が雲の隙間から顔を出した月明かりに照らされてわずかにきらめいた。ナーヤも意識だけのアイリもつられて空を見上げた。

 お母さんは……亡骸すらも残せなかったんだ……さっきの会話……290年……私が、子供を産まなければ……私は、死なない……生きていた時間が長ければ長いほど……最後は苦しんで……


「手紙をもらってから一週間……間に合わなかった……もっと早く来ていれば、継承が終わってからじゃ……どうすることもできやしないじゃないか!!!!何をしてるんだ私は!!!!」


 空を仰ぎ見たままナーヤは大粒の涙をボロボロと流し静かな月夜に吠えた。悲しみをぶつけるあてもなく親友の子を腕に抱き、自分の無力感にひたすら打ちひしがれていた。


「この日のために何年……研究したと思ってるんだ!!!!呪いを解くための______ようやく……鍵の継承を止められるチャンスだったのに……やっと……ここまできたのに_______」


 ナーヤは自分の腕の中で身じろぐ小さな命を思い出し、視線を落とした。ボロボロと流れる涙が赤ん坊の頬に落ちる。その流れに逆らうように赤ん坊はナーヤに手を伸ばしていた。ナーヤは無意識に赤ん坊に顔を近づけた。小さな手がナーヤの肌を包みその手の上を涙の粒が滑り落ちた。そこでふと、アーシャの亡骸のあった場所に一冊の灰白色の装丁の分厚い本が置かれていることに気が付いた。


「なんで……こんなところに、本が_____」

 ナーヤは片手で赤ん坊を抱くとその本を手に取った。重厚感のある質感とは裏腹に存在感のない装丁。その本には題名すらもなく、めくってもただ字だと思われる記号の羅列が記号が気障荒れているだけの本。最後のページに≪次、この本が開かれたときそのものが、主、アイリ・ファーメシアスであることを願うばかり≫ただそれだけは読み取ることができた。

「これが……アーシャが言ってた……大地の契約の書……っ!?______________」

 直後、それに目を通したナーヤが、とっさに赤ん坊を雪に投げ出したかと思うとその場をのたうち回っていた。目の前にはページが開かれたまま浮遊する灰白色の本があった。その前でナーヤは毒を飲まされたかのようにもがき苦しんでいるようにも見えたが、根本的に違っていた。激しすぎる頭痛に耐えるように頭を押さえつけのたうつ。ある瞬間、ぴたりとその動きが止まり、直後何事もなかったかのように立ち上がると、赤ん坊を雪から片腕で乱雑に抱え上げると、懐から群青色の装丁の本を取り出し、灰白色の本に導かれるように小屋の中に入っていった。


 何が起きたの?呪い?魔法?でも、まるで操られているみたいな______


 数分と経たずにナーヤは赤ん坊を両手で抱えて小屋から出てきた。その手には、灰白色の本も群青色の本もなかった。ふらふらとした足どりで、雪道を歩いていき、やがて、アイリから確認することはできなくなった。月が再び雲に覆い隠され、世界が暗闇に閉ざされるとともに、アイリは世界からはじき出された。


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