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第一章 26 『幻惑の少女』

  ユーリが、マルティナ・アーガイルと初めて会ったは3年前のことだった。その年の初め、若干9歳の孤児でありながら中層域連合国最難関とされる幻影魔術試験を突破した才女が、古くからカルトの防衛を担う。鬼の家系アーガイル家の養子となったことが、一部の貴族や商人の間に広がった。それはシェイド・フォーラスの耳にも入った。

 そしてあの日、ユーリとシェイドはアーガイルの屋敷を訪れた。


 カルトの街の街は大きく分けて4つのエリアに分かれている。一つ目は一般街区と呼ばれる平民が居を構える区画で主に北北西から東南東のエリアがそれに該当する。二つ目は防衛区。中央に位置するブリュンヒル要塞をはじめとした兵士の詰め所や砦など北西のエリアが俗にいう貴族街と呼ばれる場所だった。どこの街にもこうした金持ちが住む場所はあるもので、このカルトでも変わらない。

 その貴族街の一角に一際大きな屋敷が建てられていた。煌びやかとは言えないが厳かで気品がある。まさに名家の住まいと言える西洋屋敷。

 鉄格子の先端には槍がつけられている。そして、その前に立つ2人の門兵も槍を持っている。その組み合わせが王侯貴族の屋敷かと言いたくなる様な厳重な警備に子供ながらに恐怖心を抱いたのをユーリは憶えている。

 二人いる門兵のうち若干暇そうに欠伸をする門兵にシェイドがゆっくりと近づくと、門兵はハッとして背筋を伸ばし、


「シェイド・フォーラス様、ユーリ・カルレス様ですねぇ?主人がお待ちです。」


 僅かに間の抜けた様な声で確認を取った。

 そう言うとそれに続く様にもう1人の門兵が口を開いた。


「注意事項と致しまして本日は招待者様以外をお通し出来ませんのでご容赦くださいませ。使用人の方がいらっしゃるのであればどうぞこちらへ」


 間の抜けた門兵とは対照的にきっちりとした口調でどこか事務的な台詞を喋った数トーン高い声の主。見た目が同じ鎧を着ているが、中身は女性なのだろう。よく見れば兜の後ろから長い緑色の髪が伸びている。その女性が門の脇の馬車置き場に視線を誘導するようにジェスチャーをした。そこには、数台の馬車の外で待機している使用人達の姿があった。

 その女性の言葉から僅かに間を空けて、


「「開門いたします。少々お待ちを」」


2人が見事に揃った動きでおもむろに槍を垂直に掲げると持ち手の尻で同時に地面を叩いた。カンッという乾いた音が空気を震わせ、それに反応する様に門がギシギシという見た目に反して重そうな音を立てながら開き始める。これから会うのはこの街一の権力者とも呼べる人物。実権こそ握っていないが、その影響力はこの国の軍隊を動かせるとも言われている。もし、機嫌を損ねる様なことがあったらと子供ながらに考えてしまう。

ディサムスとは何度か会っているものの毎度緊張してしまっている。どうもあの人は苦手だった。


「お待たせいたしました。このまま、まっすぐお進みください。」


 シェイドはゆっくりと歩いて境界線を越えた。ユーリもそれに続く様に小走りでシェイドの後ろについて歩いた。


 門の内側はまた、変わったものだった。真っ直ぐに伸びる石畳の道とその先に建つ白を基調とした洋館。その前の庭園には芝生と薔薇園の様なものがある。とても自然なものだった。しかし、そんな自然なものの中で異質を放つものが、今2人の歩いている石畳の道の横にあった。等間隔に並べられた15本の十字架。その下には盛り土がされており、十字架をよく見れば、削れてよく見えないが、人の名前が彫られている。要するに屋敷の景観をぶち壊す様に墓が立ち並んでいた。

 それに驚き目を見開くユーリにシェイドが、

「アーガイル家の当主が代々背負ってきた宿命の……その戒めなのだよ……」

 と言っていたのを憶えている。


 その後は一言も話すことなく、その場を通り過ぎ、3mはあろうかという巨大な扉の前に来た時、ちょうどその扉が開かれた。中から出てきたのは、本人も大きければ、背負っている斬馬刀も身の丈を超える狐の獣人。ヘレンだった。


「ん?シェイド先生に……お孫さん……今日はどうされましたか?」


 シェイドはこのころ衛兵の訓練教官をしていた。ヘレンはその教え子の1人だった。

 この頃ユーリはまだ。ヘレンとは顔見知り程度の仲で、ヘレンはユーリの事をお孫さんと呼んでいた。

 

 そんなヘレンに


「こっちは、お嬢さんに会いに来たんだ。」

 そう言うと、「ああ……会えればいいんだが……」と納得したようにヘレンは声を上げた。後半何かボヤいていたがシェイド達には聞こえなかった。


「それにしても機嫌がよさそうだね。ヘレン。奥さんの調子が良かったのかな?」

 ヘレンの教官をやっていたこともあり、カミラがこの屋敷の一室で眠り続けていることを知っていたシェイドがそんな質問を投げた。

 

「ええ、先生。今日は天気がいいからかいつもより、顔色も良かったんで、安心して訓練が出来そうですよ」


「そうか、それは何より。お前もそろそろ教官になる頃だ。少しは部下たちにアドバイスをしてやるといい。いい訓練にもなるだろう。」


「はい、先生。先生のような教官になってみせます!!」


「ん?……そんな必要はない。」


「えっ?」


「お前はお前らしく居ろ。そうしてそうあり続ければ、お前のやり方はそう遠くないうちに見つかるさ」


「……なるほど、自分らしさ……ですか?」


「ああ、おっと……そろそろいかないといけない。アーガイルを待たせて居った……」


「……これは申し訳ありません。引き止めてしまいましたね。」


「気にすることはない。私も教え子の元気そうな姿を見れた。たまにはお前も草原に顔を出しなさい。」


「はい、近い内にお邪魔します。」


「ああ、来たときにはついでにユーリに格闘術でも教えてやってくれ」


「えっ……剣術じゃなくていいんですか?」


「大剣を持つとお前は少々……大雑把に過ぎるからな……」


 少し言いづらそうに一瞬口ごもったシェイドは結局、上手い言い回しがなかったのか諦めたように言った。


「うっ……否定はしませんがね……」


 ヘレン自身も多少自覚はあるようで、バツの悪そうな顔をして、眼を明後日の方向に泳がせた。


「では、また。」


「はい、先生。検討を祈ります。」


 二人はそう短く言葉を交わす。ヘレンの最後の言葉が気になりながらも、ユーリはシェイドに手を引かれて、巨大な屋敷の扉の前に立った。一瞬の間をあけて、おもむろに扉が軋みを上げて開き始めた。ユーリはびくりと体を震わせた。まさか扉がひとりでに開かれるとは思っていなかっただけにユーリは驚かされた。よく見れば、扉にドアノブやら取っ手らしい物はそもそもついていなかった。そんなユーリの反応を見てシェイドは想像通りの反応だったのかニヤニヤと年甲斐もなく悪戯少年のような笑みを浮かべた。その反応が癪に障ったユーリは、シェイドに突っかかっていた。


「シェイ爺、なんでそんなニヤ付いてるの……孫が驚く姿がそんなに面白い?」


「いや、別に?あまりに予想通りの反応が見られたもんだからね……人間、ことが思い通りにいくと、つい笑みをこぼす生き物なのだよ……それは切迫した状況であればあるほどな。まぁ、ムカつきついでに覚えておくといい」


シェイドはまだ教官モードが抜けていないようだった。

時折こうして、役に立つのか経たないのかわからないようなことをユーリに話した。


「また、長年の経験?」


「まぁ、そんなところだ。そろそろ行こうか」


そう言うとシェイドは歩き始めた。それについて数歩、屋敷の中に入るとそれに伴って扉も閉まり始め、玄関ホールの半ばまで来た時に背後でガシャンという音が静かなホールにこだました。


ホールの大きさもユーリの見たことのあるどのホールよりも大きい。高い天井に手すりや並ぶドア、階段の高さと幅。その全てが規格外の大きさで構成された空間。まだ成長期の前で手足の伸びきっていないユーリだが、成長仕切っていたとしてもこの縮尺は到底合わないだろう。それは自分が縮尺の違う世界に迷い込んだかと錯覚するほどだった。

これは建物全体を歴代の頭首である鬼族の大きさに合わせた結果なのだろう。現頭首、ディサムス・アーガイルも3m近い巨体の男だった。


階段の前に差し掛かると、シェイドは立ち止まった。


「?……上らないの?」


ユーリがそう聞いた直後、階段がカタカタと音を立てて崩れ始めた。ユーリは思わずそちらに目が吸い寄せられていた。階段がただの坂に変わったかと思うと普段ユーリが使っている様な段数と高さに組み上がっていく。

その様子にユーリは惚けた顔をしていたせいか、シェイドに今度は盛大に笑われた。


長く幅の広い廊下には扉が一枚もなく、ユーリは不思議そうに首を左右に動かす。どういう訳か50mほど続いた廊下の終着点に一際豪勢な扉があった。何処ぞのボス部屋を思わせる煌びやかで繊細な装飾で彩られた扉はこれまた4、5mはあろうかという大きさだった。その存在感たるや子供を萎縮させるには十分すぎるものだった。


しかし、その扉は他の扉とは違っていた。近くに行っても扉が開かない。扉には先程までのものと違ってドアノブが付けられていた。


「ユーリ、開けてみなさい」


そう言うと、シェイドはユーリの背中を押し扉の前に立たせた。


「えっ……ちょっ……」


いきなり前に押し出されたユーリは、数秒慌てた後、シェイドを振り返り諦めた様に扉に手を掛けた。

見た目は100kgはありそうな扉。その重さとは反してその扉はあっさりと開いた。ユーリは僅かに安堵した。しかし、扉を開けた先には同じ扉が鎮座していた。


「えっと…….これは…….」


なんとなく、違和感があった。それを確信に変える為、ユーリは再び扉に手を掛けた。

重そうな扉は再び、スッと開き、その先にはユーリの予想通り同じ扉があった。


「ねぇ、シェイ爺…….いつから幻惑の中に入ってたの?」


「ようやく気が付いたか、だいたいエントランスホールのあたりだろうな……」


シェイド程の猛者ともなると、幻影空間に足を踏み入れた瞬間にわかるのだろう。ユーリの問いかけに事も無げに答えた。

つまりはあの長い廊下は実際には存在しない。犯人はなんとなく見当がついた。これから会いにいく、少女だろう。本人が勝手にやってるのか、ディサムスが意図的にやらしているのかはわからないが、中層域連合幻影魔術試験を突破した才女だというはなしだ。だとすれば、これくらいの事は可能だろう。


「まぁ、及第点というところだろう。じゃ、幻惑を破ってみるかの」


そう言うと、扉の前に歩み出た。


「幻惑を破る条件てのは色々あるが、重要なのは、今、自分が幻惑に囚われている事を自覚。あるいは疑うこと。そして、状況を把握する事。ここまで出来たらあとは、術者の意図を想像、実行するのだが、今回は、お前がいつも当たり前にしている事をすればいい。」


「当たり前にしてること?」


「そうだ。ここに来てから全部、魔扉だったのを覚えとるだろぅ?おそらく、この幻惑を構築した人間は、気分を害したのだろう。無遠慮に開けられる扉に」


気分を害する?ってどういう事だろう……ここに今日来た人達はそこそこの人数と回数だったのは容易に想像出来る。


「あ…….何となく読めてきた…….」


「ほぅ…….して、そのこころは?」


「ここに今日来るのは、ディサムスさんに呼ばれた貴族階級の人が多かったとしたら…….他の扉は魔扉だけで、使用人も外で待たされてる…….ということは…….」


「前に来た貴族達はここの扉だけが自分の手で開けないといけないとわかった時、それはもう苛立っただろうな。つまり?」


シェイドはユーリの考えを言い当てつつ、次の思考を促してくる。


「苛立ちながら乱暴に開ける貴族が多かった?」


「じゃ、丁寧に開ければよかったの?」


「…….まだ、わからんか?おまえは他人の部屋に入る際のマナーは知ってるだろう?」


「マナー…….んー……?」


「これだよ、これ」


そう言うと、シェイドは自分の方に掌が向くように拳を握り立てると扉を二回軽く叩いた。コンッコンッという心地い音が鳴り響いた。


「あ、ノック…….」


それを見て咄嗟に声をあげていた。


直後周りの壁に大きな亀裂が走りボロボロと壁や天井、最後には床までもが崩れ始めた。崩れる。そう直感したユーリは咄嗟に強く瞼を閉じる。しかし、訪れると思っていた落下する浮遊感は訪れず、恐る恐る目を開くと、先程までと同じ扉の前にいた。しかし、場所はエントランスホールの階段の上だった。

シェイドはいつの間にかユーリの後ろに立っていた。今度こそ開けてみろという事だろう。先程までの幻惑の狙いは、マナー講座というべきものだろう。それを自分より3歳も年下の9歳の女の子がやっているのだから、驚かされる。どんな女の子にのだろうか、何となく興味が湧いてきた。

ユーリはシェイドを真似るようにゆっくりとノックした。先ほどよりも弱々しくも心地い音が静かなホールに吸い込まれていった。

一瞬の静寂の後、


「入れ…….」


そう短く威圧するような声が響き、それを合図にユーリは扉を押し開けた。中にどんな女の子がいるのか少しワクワクとした心持ちで先程の扉とは比べものにならない重量感をその腕に感じながら、部屋の中に入っていく。それにシェイドも続く。


扉の中は外だった。突然目の前に広がる青空と地面の柔らかな芝生にユーリは唖然とした。いわゆるテラスのような作りになっている空間には木の長机と椅子、壁際には観葉植物が並べられ三方は壁になっているが天井は吹き抜けていた。幅、奥行き共に20mほどの場所には心地よい風が吹き抜けていた。

その場所には一際大きな椅子に腰掛けた厳つい大男と、普通の椅子に腰掛け、足をプラプラとさせながら美味しそうにお菓子を頬張る長い金髪の少女。そして少女の斜め後ろのワゴンの隣に給仕係の女性が立っていた。

女性はこちらに気がつくと会釈をし近づいて来た。


「ようこそいらっしゃいませ。2時間半ぶりのお客様ですね。お嬢様のマナー講座はいかがでしたか?ふふふ」


「孫は随分と頭を悩ませていましたよ」


「そうですか、貴方様には退屈なものでしたか…….それでは、席にご案内いたします。」


 シェイドはそうやって案内されていくが、ユーリはその場を動けずにいた。目の前の少女は、あんなにも自然体で、ほぼ意識することもなくあの幻惑を維持していたという事実に震撼していた。

 その意図は単純だった。だけど、あれだけ緻密な幻惑をあんなにも簡単に操る女の子が自分より幼い。才能をありありと見せつけられた。

 ユーリは無意識にフラフラと少女に近づいていく。少女のテーブルの向かい側に立つとようやく少女は、ユーリがいることに気が付いたようで顔を上げた。しかし、目が合ってユーリが自分のことを睨むような眼で凝視していることに気が付いて、夢中で食べていたお菓子をポロリとテーブルに取り落とし、短い悲鳴を上げた。


「ひっ……あ……あの……なんですか?」


 その悲鳴にユーリは我に返った。


「あ……ごめん……邪魔するつもりはなかったんだ……」


 ユーリ・カルレスとマルティナ・アーガイルのファーストコンタクトはこんなものだった。


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