第一章 18 『守りたかったもの、守れなかったもの〜顕現〜』
風と共に周囲の雪の中から大量の冷気が噴出し、そこに人影が生まれた。しかし、それを意にも介さず雪熊が一直線にヘレンたちをめがけて走り始める。地響きと共に確実に迫ってくる雪熊にディベリーはまったく動じた様子を見せない。一方の雪熊は左足に体重を乗せると右腕を振り上げた。その爪がディベリーに届くという距離になってようやく間に何者かが割って入るのが見えた。
ガィィィィィィイインッという反響音が森に響き渡った。風圧で周りの雪はブホォンと舞い上がり視界を埋め尽くした。
雪熊の腕力を防げるものがいるのか?そんな疑問はその光景を見てかき消えた。
雪熊とディベリーの間には、両腕が槍の形状のドールが割り込んで、あと数センチでディベリーにめり込もうかという雪熊の爪を右の槍で受け止めていた。
「______っ!?ブロォォォォォォオオオ!!!!」
雪熊は僅かに顔を歪めると右腕を素早く引き次は左腕を即座に振り上げ、先程よりも強い力で振り下ろした。
ガキィィィィィィィィィイインという先ほどの氷の爪が槍に叩きつけられる音に加え鉄と鉄を打ち合わせた様な甲高い音が耳を刺し、追いかける様にブウォンという風圧が遅れて伝わった。
思わず耳を塞ごうとして塞ぐには関節が自由に動かない体であることを思い出すと、せめて飛ばされないように身を屈めて踏ん張る。
雪熊は止められるや否や空いている右手を横薙ぎに振った。これには、さしもの両槍のドールも防御が遅れ弾き飛ばされた。それでも地面に転がることはなく、片槍を地面に突き刺すとそれを軸に一回転し、その間に体制を立て直し見事な着地を見せた。
雪熊はそれを見てターゲットをディベリーから両槍のドールに変えたのかすぐさまドールに向かっていった。
それを確認するとディベリーは、こちらを振り返り、なんの変化もしていないヘレンを見て若干表情を曇らせた。
「何を惚けているんだい?早く僕に顕現する所を見せてよ」
と、まるで駄々をこねる子供のようにふざけた様に言った。
「それとも、やった事がないとか?」
ちゃかすような声音で言うディベリーにヘレンは無意識に視線を外した。
「なるほどねー……ま、いいや、面白そうだから、教えてあげるよ。」
こいつってあれか?快楽主義者なのか?
「僕もたまにやらないと鈍っちゃうからねーよーく見ときなよ」
ドールと雪熊の激しい攻防戦が繰り広げられている傍らで、ディベリーは顕現をやってみせると吐かした。どれだけ余裕があるというのか……
そんな考えをしている内に周囲の雪が正解には雪の結晶。つまり氷がディベリーを中心とした引力が働いているかのごとく吸い寄せられ、そして、ディベリーに次々と吸収されていき、青白い輝きに包まれた。薄暗い森を照らし出していく______
それに気が付いた雪熊が一瞬こちらに向かおうとして、両槍のドールに足止めされる姿が視界の端に移りながらもヘレンはディベリーから目を離すことができなくなっていた。
『………こいつは……!?』
目の前、そこだけが雪解けしたかのように地面があらわになったその空間にヘレンよりも一回り大きい雪のように真っ白な狐がディベリーの代わりにそこにいた。
『____これが顕現だよ。炎狐の末裔。』
先ほどまで耳で聴きとっていたディベリーの声が、頭の中に直接響いた。心信というやつか。獣人同士のネットワーク。獣化時に言語中枢を失う獣人どうしでのみ通るテレパシー。顕現にも同様のことが起こるのか……
それでもなお雪がディベリーに吸収され、徐々に雪解けの範囲が広がっていく。そして、雪熊の作り上げた氷柱すらも飲み込まれていく。その効果が徐々に雪熊まで迫っていく。ドールと組みあっている雪熊はそこから動くことができない。雪熊が徐々に押し寄せてくる力の奔流に恐怖しうろたえるのが確かに分かった。
何とかドールから逃げ出そうとあがきはじめ。その力にドールの身体が負荷に負け始めたのか、ギリッ……ギリッ……という音と時折、ミシッという音が微かに聞こえる。それでも抜け出すことはかなわず
「______ぐぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお!?」
あと1mでディベリーの吸収が雪熊に及ぶ、勝負あり。ヘレンがそう確信した瞬間。ピタリと止まった。
『_____っ!?』
とっさに視線を白い狐に向けた。
『おっと……僕の役目はここまでだったね_____』
そういうと、再びディベリーは青白い光に包まれその眩さに一瞬目を瞑り、再び開いた時には、先ほどまでそこにいた真っ白な狐の代わりにディベリーの姿があった。
ディベリーはヘレンのほうを振り返るとフッと笑った。
「ここからは、君のやるべきことだった……少し興が乗りすぎたみたいだ。」
そうこぼしたディベリーは、直後、雪へと姿を変え、崩れるとともに微かな風に舞い上げられスターダストのように微かな輝きをともなって空へと消えた。
「いずれまた会える時を楽しみにしているよ。まぁ、しばらくはこの戦いを見てるつもりだけどね」
虚空からディベリーの心底楽しみだと言わんばかりの声が静かな森に響いて消えた。
ディベリーが残していったものは2つ。それは時間稼ぎ用のドールと雪が溶け微かに湿った森。貰ったヒントと合わせれば、条件は揃っていた。
ヘレンはそう判断すると身体の魔力を振り絞るように自分を中心に火の渦を作り出した。それはまるで渦潮のように、地面を低空に撫でていく。炎が地面をなでた場所から大量の水蒸気が発生すると、周辺温度は急上昇する。それでも冬の乾いた空気が飽和することはなく乾いた大地に生える草木に順調に発火していく。一度ついてしまえばあとは早かった。開けた土地と言ってもすぐそこは森。乾いた端から燃え広がっていき、なおも必死に攻防を繰り返している双槍のドールと雪熊をも取り囲むように火は燃え広がっていく。魔力が尽きる頃には、周辺は火の海となっていた。
ヘレンが魔法を解くと同時に燃え盛っていた炎がヘレンに集まっていく。炎の塊を吸収するたびに身体に力が舞い戻ってくるようだった。どんどんとこれまで受けたダメージが打ち消されていく。これまでに経験した事のない量の魔力が身体の隅々を駆け巡る。ヘレンの身体はまだまだ、炎を吸収し続ける。ここまでくると底なしを疑いたくなる。まさか、この程度の量では足りないと言うのか?一抹の不安がヘレンの中に生まれていく。炎狐の最大魔力の貯蔵量は、ヘレンにとってまさに未知数だった。最悪、今のを繰り返さないといけないという覚悟を決めた時、その感覚は訪れた。腹が一杯になる様な満腹感が身体を支配する。それでも炎を吸収し続け、やがて限界は訪れた。炎を吸収して魔力に変えきると、同時に脳にフラッシュが発生する。
きた____!?ここしかない
そう本能が訴えかけてきた。飽和状態だった魔力が体外に溢れ出し再び炎に変化してヘレンを飲み込んでいく。その炎はやがて球状にまとまった。
それとともに頭に何かが流れ込んだ。
『……4世代ぶりか____』
何処か嗄れた声がどこからか聞こえた。視界は暗く、1m先も見通すことも出来ない空間。視線を漂わせても何も見ることができない。
(……?なんだ……ここ?)
そんな暗闇の中、不意に20m先にポツリと小さな炎が生まれた。弱々しい光でありながらこの暗闇の世界では、どんなものよりも輝き、暖かく、確かなものだと感じられる。
そんな炎が揺らめいた。それと共に再び、嗄れた声が響き渡る
『ここは、貴様の遺伝子に刻み込まれた記憶。炎狐の血筋に脈々と受け継がれてきた場所。聞きたいことは、それだけか?』
「そうか……特にないな」
『では、問答を始めようじゃないか』
「できれば、手短にお願いします……気が付いたら身体が真っ二つなんて嫌なので……」
『そう、畏まらんでも良い心配する必要はない。気が付いたら1秒も経ってないだろう。所詮ここは貴様の深層心理に他ならん。それに、あの熊は、炎の玉に触れようともせんだろうな。』
「なら、まぁ……」
『では、貴様はつい43分と38秒コンマ73前に一度臨死した。それによって、4世代振りに顕現の資格を揃えた___』
ここに来たのは 5世代前が最後ってことか……5世代前ってことは、約200年前、伝わっている情報から亜獣大戦が勃発したあたりで、20年ほどで終結した。それからめぼしい戦争は起きてない。つまり、そういう事なのだろう。
『そこで、貴様の心の拠り所を問う。貴様は復習を望むのか?それとも、守ることを望むのか?それを聞かせろ』
(……俺は……)
そこで、町の蹂躙された姿を、仲間達がバラバラになって転がる光景が目に浮かんだ。怒りがこみ上げる。あいつを同じ様に殺してやりたい。その力をもっと早く手に入れていれば……あいつらをあんな目に合わせることはなかった。
もしも、何て事を口にする事に何の意味もない事など俺も理解している。それでも、思わずにはいられないではないか?もし、顕現であいつを殺し得る力が手に入るのであれば……俺は…
(俺は……あいつを……ころ……)
殺すと言いかけて、別れ際のカミラのミラの姿が頭をよぎった。
約束があった。誓いがあった。今もなお瓦礫の下から脱出を試みているかもしれない。なら、救い出してやらないといけない。夫として父親として、果たさなければいけない責任がある。愛する人との約束を守り、何よりもその人と家族を守る。
その為には生きて帰らなければならない。怒りや私怨に任せたらきっと帰って来られない。そんな予感がした。なら、俺の答えは今、決まった。
(俺は……カミラを……ミラを……助けたい!!……守りたいんだ!!)
ヘレンがその答えを言い切ると同時に、炎が大きく揺らめいた。
『それでよい!!合格だ!!!!』
小さかった炎が強く大きく燃え上り、猛烈な勢いで燃え上がっていき、津波の様にヘレンに押し寄せた。ヘレンはとっさに目を瞑った。
『誰かを怨み殺し尽くした者は、いずれ己が守りたいものをも殺す。それでは、今ここで死んだ方がマシだったと、嘆くことだろう。』
目を開けた先には、全長は14mは越えようという巨体に全身は温かな黄色と橙色の混ざり合った炎を燃え盛らせる狐が目を細め、ヘレンを真っ直ぐに見つめていた。そして、その色は少しずつ青色の炎に変わっていく。見た目では火力が弱まった様に見えるが、その実、青い炎の方が火力がある。
青い炎と赤い炎が2つ、狐の周りを漂っている。鬼火というやつだろうか?
こいつが炎狐なのか___
強さの中に美しさがある。ヘレンはそんな姿にただただ見惚れていた。
『さぁ、貴方は、自らの心に折り合いを付ける事が出来たはずです。』
(____!?)
先ほどまで聞こえていた嗄れた老人のような声ではない。透き通る様な女性の声が聞こえてくる。
『これから立ち向かうべき現実に挫かれる事があっても、それでも……立ち向かうしかないでしょう……それに手を貸してあげる事は、私には残念ながらできません……それでも、立ち向かってくれると信じています。貴方の歩む道が幸福に溢れている事を影ながら祈っています。』
呆然とするヘレンの視界が段々と白み出し、来た時とは逆に周囲が真っ白に染まり___
現実に引き戻されていた。
身体中に力が溢れている。自分が今どんな姿をしているか判然としない。それでも自分の身体の変化を敏感に感じ取る事ができた。
フゥーッ短い息を吐き出すと青い炎が僅かに口からもれた。
周囲を確認すると、50mほど離れた場所で雪熊が、双槍のドールの腕を切り裂き、喰いちぎったところだった。周辺は先ほど起こした炎が未だに草木を燃やし続けている。自分に目を向けると赤と青の炎の玉がフヨフヨと浮いている。
雪熊は、一瞬息を整えると、すぐにヘレンに標的を変え、走り始めた。周囲を見ていたヘレンは途端に臨戦態勢に入り、力強く一歩、地面を蹴り破った。
視界がこれまでに経験した事のない速さで後ろに搔き消え、雪熊の姿さえも捉える事が出来ない。
(_____???)
気が付いた時、雪熊すらも通りすぎていた_____




