第一章 13 『守りたかったもの、守れなかったもの〜約束〜』
蜘蛛の巣は死を象徴したものだろう。
獲物は糸に引っかかって初めてその存在を理解する。
目の前にあっても見ることも感じ取ることができず、その存在を認識したときには、命を絡め取られる寸前。それはまるで末期癌のようで、自覚すれば恐怖にすくみ上がる“死”がジワリ……ジワリ……とにじり寄ってくる。
抗う術もなく"死”に絡めとられる。
まさに今の状況を象徴していた____
地面に張り巡らされた線が陽の光にキラキラと煌めき瞬間、眼下にある荒野は大きく波打った。それはまるで大海のようで、大地が剥がれ落ち地面の下の黒い空間が露わになる。バラバラと地面が崩れ落ち地面があるはずの場所にはまるで荒野をスプーンでくりぬいたような底の見えない穴が空いている。それを覆うように被せられた薄っぺらな大地がところどころ膨れ上がり、巨大な黒い槍が徐々に姿を表す。その数は8本。そのどれもが倒木が張り付いている。まさに擬態するための身体。クレーターレベルの空間を地下に作り獲物がかかると姿を表す。ひときわ長く鋭い鎌のような形状の歪な第一歩足が出ると徐々に胴体が地表に姿を表し始めた。その姿をヘレンは呆然と見ていることしかできなかった。
触肢に続いて上顎と鋭い毒牙。額が姿を表し大小5つの赤黒い瞳がギョロギョロと動き回り少しずつ焦点があい、糸に囚われ動くことのできないヘレンを値踏みするように見つめてくる。
「____くっ……」
目があって初めて恐怖を実感した。眼の前にいる顔だけで6mはある巨大な蜘蛛が30m程先に突如として顔を出したそれは、全くと言って敵意が存在していない。それはつまり、全く興味を持っていないか、俺を巣に引っかかった異物か餌としか見ていない。こちらをじっと見ていることから全く興味がないということはないだろう。だとしたら……____その考えに至ると同時に、全身の毛が総毛立ち嫌な汗が吹き出す。そうしている間にも地面から蜘蛛の巨躯が這い出した。
本来ならひとまず撤退をするべきところだが、ヘレンは四肢を封じられていた。ここに踏み込んだ時点ですでに目の前にいる巨大な蜘蛛の巣に囚われていた。踏み込んでしまった以上、もはや逃げることは叶わず、ただ喰われるのを待つしかなくなっていた。黑蜘蛛が身動ぎすると同時に後ろの荒野の木々が一瞬のうちに枯れ果て、背中に生えている枯れ木が徐々に生気を取り戻し、緑の葉をつけ始める。しかし、直後その木が一瞬で付けた葉を落とした。
「____??」
こいつは何がしたいんだ?そんな疑問が頭をよぎった。しかし、その答えはすぐにわかった。四肢に先程までなかった掴まれる感覚が走る。ハッとして自らの足に視線を落とす。
足には地面から這い出した白い腕のようなものが絡みついていた。剥がそうともがくもじわりじわりと上に絡みついていく。足に灯る炎もお構いなしに這い上がってくる手は、雁字搦めのように身じろぎすらも許さない。
必死で抜け出そうと火力を上げ焼き切ろうとしてみたものの焼き切れる様子はない。もはや動くことすらもできず、黑蜘蛛がのそりのそりとその長い歩足を動かしてよってくるのを呆然と見つめることしかできなくなっていた。
力の限り吹き飛ばしたユーリに任務の成功を託して、一瞬ちらりと彼らが飛ばされていった空を見つめる。しかし、朝日の煌々とした光によってその姿を確認することはもう叶わなかった。
「好きな奴くらい、テメーで守り抜いて見やがれ……____ユーリ・カルレス」
ヘレンは自嘲気味に呟いた。
世界がどうの未来がどうのとか……今はどうでもいい。それでも、大切な女の一人も守れずにこれから起こる困難に立ち向かう事など出来るはずもない_____
今も心に突き刺さる。自分の守れなかった女性を思って____
それは守ることのできなかった約束の記憶____
8年前、2月18日。その日チェストヴォ共和国南西部山間の町クラネースは、魔獣によって蹂躙された______
クラネースという町は、サルフォス山に登頂する為の宿場町として、夏場活気に満ち溢れる一方、冬の間はサルフォス山は、氷の魔獣が出るという理由で閉山となり、町には登山客はおらず、時折、宿を求める旅人と町民だけの町となっていた。
その日は、1週間ほど暖かい日の続いた後の寒い日だった。
当時は衛兵になりたてだったヘレンは、何も起きなそうなクラネースに配属された。新兵が研修の名目で配属されるのはたいてい重要ではない場所で、そんなところでは、見張り番以外の時間がありあまっている為。そこでみっちり鍛えさせられる。‘‘こういう時に身体を鍛えるのを怠ると出世に響く”と最初の研修期間に耳にタコができるほど聞かされていた。
連日まで気温が10度近くまで上がりぽかぽかと暖かい陽気だっただけにこの日の寒さは人種には堪えるのだろう……悪態をつく仲間をよそに町の周辺を青い衛兵用のマントと、大柄の体格にあった大剣を背負ってくまなく歩きまわる。結局は、じっとしていても寒いのと暇なだけという理由だったが、慣れてしまえばどうということはない。そもそもヘレンは元々毛並みがフサフサなこともあって、寒さには強い。こういう時は、獣人に生まれてよかったと少し勝ち誇る。さらに、雪国専用の衛兵のマントも耐寒性に優れていて、ヘレンにとっては少し熱いくらいだ。
周りは雪が降り積もり、その中を村の子供たちが雪遊びに興じている。何人かはついでとばかりに雪中草を掘り出して集めている。雪中草は、冬場食料の少ない土地では重宝する。雪の下でのみ育ち、雪解けで地表に出ると枯れてしまう不思議な草だ。シチューに入れるもよし、天ぷらにするもよし。それなりに万能な食材だった。
そんな姿を見ていると、7.8歳の女の子が2人ヘレンのもとに駆け寄ってきた。一人はヘレンと同じ狐の獣人、もう一人は人種。2人とも赤いマフラーをしていて、仲がよさそうに手をつないでいる。そして、ヘレンの元へ来るやいなや、獣人の女の子が右足にしがみ付いてくる。人種の女の子もそれに習って左足にしがみ付いた。
「パパー、みてみてー、雪中草いっぱい見つけたー」
右足にしがみ付いている獣人の女の子がそういいながら雪まみれの草をヘレンに見せる。
「おーミラ、えらいなー」
そう言って、ヘレンは7歳の娘ミラの頭をグシャグシャとなでた。
「ミーちゃんのパパの毛並みフカフカー」
「アイリちゃんも何時もミラと遊んでくれて、ありがとなー」
ヘレンは足にしがみ付いている2人を抱き上げると、自宅に向かって歩き始めた。
「アイリちゃん、その恰好じゃ、寒いんじゃないかい?」
アイリの格好を見てヘレンが尋ねた。その格好は七部丈のズボンに裾のほつれた少し大きめなセーターと何度も補修された後の残る靴と、紅いマフラー、雪の降っている日にしては明らかな薄着だった。
「ほんとに寒いときはミーちゃんに抱き付けば、私もミーちゃんも温かいから大丈夫ーねー?」
「うん!!アーちゃんすごくあったかい!!」
寒い中でも元気な2人を見てヘレンはニカッと笑うと
「そうか、なら、大丈夫だな!!」
町はずれの山道口近くにあるヘレンの家の近くまで行ったところで、今思いついたかのように
「お、そうだ。ミラとアイリちゃんが集めた雪中草、ママに揚げ物にしてもらうか」
そういうと、二人は目を輝かせた。
「「うん、そーしよー」」
そう言って笑いあった。
「おし、それじゃ、帰ろう」
それからすぐに、家の前に着いた。少し大きめのログハウス。ヘレンがここに来る際にヘレンの身長に合わせて作ってもらったものだった。おそらくヘレンがいなくなった後は、また、誰かデカい奴が新兵として来たら貸し出されるのであろう。
今は借家だがいつかこんな家を建てるのもいいかもしれない。
「おし、到着!!ただいまー」
「「ただいまー」」
そう言いながら少し大きめな扉を開いた。中では、暖がとられているのか、扉を開けた瞬間に暖かな空気が漏れだした。
中の温かさに思わず蕩けそうになる3人を狐の特徴を持った亜人種の女性。ヘレンの妻カミラが出迎えた。
「あ、おかえりパパ、ミラ、アイリちゃん。外、寒かったでしょ?」
「ママー」「ミーちゃんママー」
「「せーのっ、あげものつくってー、あはははははー」」
そういって、雪中草を女性に満面の笑みで渡すと、2人は、笑いあった。カミラも微笑ましそうに2人を見つめる。
女性はヘレンに目を向けてその恰好を見て
「まだ、仕事中だったの?」
「ああ、だからまた少し出てくる。でも、すぐ帰ってくるさ。もうすぐ交代の時間だしな」
「そっか、でも、温かいお茶くらい飲んでいったら?」
「ああ、そうするよ。でも、さぼってると思われるのは嫌だから外で待ってる」
「ヘレンったら変なところでまじめねーちょっとくらい緩いほうがいいんじゃない?部下ができたら。‘‘あなたは真面目すぎて息苦しいです”とか、言われるかもしれないよ?」
「うっ……それは嫌だな……、まぁ考えとく」
そういうと、家の外に出た。
欄干に頬杖をついて雪景色をしばらく眺めていると不意に背後で扉が開いた。振り返るとカミラではなくアイリが立っていた。
「ん?アイリちゃんどうしたんだい?」
「おばーちゃんにミーちゃんの家でご飯食べてくるって言いにいかないと、あとで怒られちゃうから」
「そうだね。気をつけていってきな」
そう言って、アイリを送り出した。程なく再び扉が開き今度はカミラが顔を出した。
「おまたせ、はいお茶」
中から出てきたカミラはさっそくお盆に乗ったお茶を差し出した。差し出されたお茶からはモクモクと白い湯気が立ち上っている。微かに香るお茶のにおいになんとなく心が落ち着く。ヘレンはそれを受け取る。
「おう、ありがと」
そう言って、最初はちびちびと舌を鳴らしながら、最後は一気に飲み干した。寒い中で飲むお茶は特に温かく感じる。内側から温められるようなそんな感覚が心地いい。
その様子を見ていた。カミラが
「今日もちゃんと帰ってきてくださいね?約束ですよ?」
ヘレンが出かける前に必ずこういう。衛兵という有事の際には民の盾となる職業についているヘレンに対して、いつも帰りを待つカミラにとっては、ある意味ではまじないともいえるものだろう。無事に何事もなく帰ってきてくれればいいという気遣いが感じられる言葉だ。
「ああ、約束だ。必ずお前のそばに返ってくる」
そういって、いつも道理にニカッと笑うと、青いマントを翻して雪の中をザクッザクッと歩き始めた。
そのあとを大きな肉球が3つならんだ足跡が雪に残っていく。
魔物設定 その3
・アボリワフライメ
体長 30m(根やツタの全長1kmに到達することもある)テリトリー:半径100m
属性:水
史上最悪の食人植物。体内で万物を溶かす溶解液を生成することで知られている。縄張り内に入った生物に最も適した溶解液を作り上げることから“地中の実験室”とも呼ばれ、年間に500人ほどが被害にあう。幸いにして生息域は狭く生殖能力が極めて弱いため近年、減少傾向にある。しかし、非常に長命なため、あと300年は絶滅しないともされている。その捕食方法は、大きく分けて3つ、地中に潜り自らの溶解袋を落とし穴に使う方法。触手を利用して遠くの獲物を引きずり込む方法。泉に扮しやってきた獲物を捕食する方法。
※この生物はフィクションです。いたとしても精々食虫植物です。そしてついでに言えば花で世界一大きい種はラフレシアではなく、ショクダイオオコンニャクです。詳しくはググってください(笑)




