9.真実
「――さて、何から話そうか」
全員が椅子に腰掛けると、父は語り始めた――全ての始まりの真実を。
場所は当家で一番広い応接間に移していた。「話が長くなる。立ち話も疲れるから」と父に促されて。
上座に両親が並んで座っていた。父の隣にいる母は覚悟を決めたかのように背筋をピンと伸ばし、気丈に振る舞っていた。
両親の向かい側にはカイルとオルガ様が、左右には私とリオル、マリアルとミリア様がそれぞれの椅子に座った。
この配置にマリアルは眉を潜めたが、自分が適任だと認識したようで大人しくミリア様の隣に腰を下ろしていた。
「結論から話すと、シュリアは女の子として生まれるはずだった――」
「――まさか!?」
父の第一声に真っ先に反応したのは、カイルだった。
オルガ様は顔色を変える様子はなかった。唯一人沈黙し、話が続くのを待っていた。
「そう……呪いだ!」
「――だとすると、生まれる前?」
「シュリアがニーナの子宮に宿るのを、あの男はそれを狙っていたのだろう」
父の口から「あの男」という単語が出た時、完全に抑えきれなかった殺気が漏れ出た。
私の身体にべったりとくっついていたリオルが戦慄するのが伝わってきた。
一部とはいえ、経験ある私ですらも軽く慄いたほどだ。父の殺気は凄まじかった。
「あの男……?」
カイルだけは、父の殺気に物怖じしていなかった。冷静に訊き返していた。
普段殺気に中てられることのない令嬢には辛い。ミリア様は気を失いかけていたが、何とか耐えたようだ。
母は膝の上の両手を強く握り締め、震えていた。それは父の殺気が原因ではなく、怒りや哀しみを必死に堪えていたのではないだろうか。
母の様子に気づいた父が左手だけを動かして母の両手を上から重ねるように添えると、一度目を閉じた。その一時後、殺気は消えた。
「奴は狡猾だった。我々に悟らせないよう、巧妙な手口でニーナに呪いをかけた」
父の口調は淡々としたものに変わっていた。
「ブライトン・シンザ……」
「そうだ」
オルガ様の呟きに父は静かに肯いていた。
「ブライトン・シンザ?」
「存命であれば、師匠と肩を並べられるくらい優秀な解呪に長けた人物だと謂われていた」
カイルの問いに答えたのはオルガ様だった。
「そんな男がどうして!?」
オルガ様はそれ以上の情報は持ち合わせていなかった。首を横に振っていた。
「恋慕だ――奴はニーナに異常な程に執着していた」
父が語るには、シンザ氏の片思いだった。
研究者一筋だったシンザ氏は現国王の誕生日を祝う舞踏会で出会った母に目を奪われ、ダンスに誘った。
母は誘いに応じ二人は踊ることになったが、彼はダンスが下手だった。母の足を踏んでしまった。
それを見た周囲の者は彼を笑い者にしたが、母は責めずに「研究で忙しく、お疲れだったのでしょう?」と優しく労わったそうだ。それが切欠で、母に強い恋情を抱くようになった――ということだった。
「ニーナ以外の令嬢には見向きもしなかった。一途といえば聞こえはいいが、そんな生易しいものではない。公爵家という身分を笠に着せて、自分以外の男を傍に寄せ付けず、追い払った。裏では脅してもいたようだ」
父は一瞬、真向かいに座るカイルに鋭い視線を投げていた。
「ニーナと同じように公爵位にも執着し縋っていた。どちらも捨てきれず、その結果、結局は何も手に入れられなかった……」
母はブラウ伯爵家の一人娘だったから、公爵家に嫁ぐことはできなかった。否、嫁ぎたい想う程にシンザ氏を慕ってはいなかった。慕うどころか、異常な執着に恐怖を抱いていた母は、父に相談した。シンザ氏に対抗できる一人が、父だったから。
父もシンザ氏と同様、爵位も立場も同格――公爵家の長男だった。
ある意味では、シンザ氏のお蔭で両親は親しくなり、お互いに愛を育み合う間柄になったというわけだ。
公爵位に無頓着だった父は弟に譲った。その後伯爵家に婿入りし、両親は結ばれた。
父の弟――叔父は、父のお蔭で愛する女性と結ばれたこともあり、快くブラウ伯爵家の後ろ盾となり、シンザ氏から圧力を掛けられることはなかった。
平和に暮らしていた。でもそれは、表向きでしかなかった。
「迂闊だった。あの時に気づけたら――」
母の妊娠から間もなく、祝いが届けられた。
沢山の贈り物に中には、シンザ氏のも紛れて込んでいた。
母の親友の贈り物に直接呪いをかけたらしい。そのことは5年も後に判明した。
当時は誰も気づかなかった。
それも無理はない。彼は解呪の天才と呼ばれていたのだから。
解呪に長けているということは、呪いにも精通しているということだ。
「呪いをかけられたことに気づいたのは、シュリアが5歳の時だった」
私が母に訊ねた、「どうしたらお嫁さんになれるの?」という言葉を聞いた瞬間、母は直感した。呪いを掛けられていた――そのことに。
その直感は数時間後、確信に変わった。
――ブライトン・シンザ氏が原因不明の謎の死を遂げた!
その一報によって。
呪いをかける側にも代償が必要だった。
相手に気づかせずに呪いをかけるというのは、高度な技術だ。それだけに危険も高い。相応な対価を払わなければならない。
相手に気づかれた時点で対価は払われる。そして、その対価が――命だった。
「気づいた時は遅かった。シュリアにかけられた呪いは定着していた。解呪できなかった」
シンザ氏は己の命を賭けてまで、解けない呪いをかけていた。
「もう忘れましょう。あんな奴のことは、頭の片隅からも綺麗さっぱりと消してしまうべきです。想い出にすら値しない!」
憤りを感じないわけではない。
それよりも、両親が嘆いているのを見るのが辛かった。哀しかった。
あの時、母が何故にあんなにも驚いていたのか、そして、「ごめんね」と言った本当の意味はやはり――女の子に生んであげられなかったことへの後悔だった。
両親を哀しませたシンザ氏は憎い。でも、もうこの世に存在しない奴に憎しみであろうが恨みの感情を向けるのは、相手の思う壺のような気がした。
「恨むのも勿体ない。死んでまで相手の心を捕らえ続けようとするクズの記憶は不要です」
完全に忘れることはできないかもしれない。
ふとした拍子に思い出すことはあったとしても、その度に、捨て続けたらいい。
「シュリア……」
「そ、そうだ……な」
マリアルは顔を引き攣りながらも苦笑し、父も毒牙を抜かれたように呆けていた。
「必死に探せば、解呪できたのでしょうね。現に今こうして解呪されたのだから――」
母だけはまだ捕らわれていた。自身の後悔の念に。憂いは晴れていなかった。
「貴女はわたくしに瓜二つだったから、女の子に戻ったら、わたくしと同じような目に遭うかもしれない。そう思ったら、解呪するのが恐くなったの」
呪いをかけられたことが判明したときはまだリオルは生まれていなかった。だから、解呪した後に一人娘になってしまうことを恐れた。
リオルが生まれた頃には、騎士団に入って聖騎士になると夢見ていたから、解呪は益々遠のいていった。
それで良かった。その時に解呪されても、女性を受け入れることはできなかっただろうから。男性として生きて行こうと強く決心していたのだから。
「私はシュリアンとして生まれて良かった。男性にしかできない体験ができました。騎士団に入って、聖獣と契約して聖騎士になることもできました。女性では、全て体験できなかったことです」
幸運だった。辛いこともあったが、それ以上に楽しい想い出が沢山ある。男女、どちらも体験できたのだから、贅沢だ。
「私の中には今も『シュリアン』が居ます。シュリアンだった時もきっと、『シュリア』も居た――そんな気がします」
シュリアンとして生きていくと決めていたから、気づこうとしなかっただけで、最初からシュリアも傍に居た。
お嫁さんになりたいという気持ちはシュリアの心だったのだから。きっと、私も居る、そう陰で自分の存在を伝えていたのだろう。
「一般の基準と比べると、シュリアンはあまり男らしくなかった。シュリアも女らしいとはいえない。だから、中途半端でしかない自分が情けなかった。でも今は、男性と女性が共存する私を誇らしく想う。
私は男性も体験したかったんだと思う。だから、敢えて呪いにかかった……そんな気がする」
この世に於ける呪いが全てかかるというわけではない。跳ね返すことも可能だ。
それは運の良さもあるが、呪いをかけられる本人の意志の強さにも比例するという。
私はきっと、男性にもなりたかった。だから、跳ね除けなかったのかもしれない。
生まれる前に、両親は私の名前を男の子なら『シュリアン』と女の子なら『シュリア』と決めていたことも教えてもらっていたから、私はどちらにもなりたかったのではないだろうか。
今後、同じ呪いにはかかることはないだろう。もう男性には戻れないと分かった今、少しだけ淋しさを感じている。前日に見た夢の意味が今日、漸く分かった。
呪いにかかったのは、母でも誰の所為でもない。だから、そう伝わると嬉しい。
「シュリアンもシュリアもごめんなさい……ありがとう……」
零れ落ちた涙が母の頬を静かに濡らしていた。