7.解呪
「シュリア、そして、シュリアン、成人おめでとう!」
両親が口を揃えて祝いの言葉を述べた。
今日は私の18歳の誕生日だった。
「父様、母様、ありがとう」
身内だけのささやかな成人祝い。
禁書が盗まれたのか、黒幕が禁書を持っているのか、その情報はまだ何も得られていない。
聖騎士であれば情報を得られたかもしれない。一令嬢だと何もできないのが悔やまれる。
ただ、推測が正しければ解呪方法が見つかるかもしれない。
そうなったらきっと、解呪するしかないだろう。解呪しない理由はなくなる。それが道理だ、私の我儘が通るはずもない。
だから、解呪できても、できなくても、どちらの自分でも生きていけるように、シュリアもシュリアンも一緒に成人を祝うことにした。
シュリアとして生き続けたとしても、シュリアンとして生きてきた証を残したかった。
シュリアンに戻るとしても、シュリアとして生きた証を残しておきたかった。
だから、「二人の私を祝いたい」と両親に伝えた。快く承諾してくれた。
女装と男装、どちらにしようか悩んだが、男装は着れるものがなかった。仕立てる時間もないからと、満場一致で女装に決まった。この日のためのドレスを仕立てたのだからと。
成人祝賀会を自粛することになったが、これで正解だったのだろう。
「シュリア姉様、シュリアン兄様、成人おめでとございます」
身内だけの祝いにしたから、こうしてリオルも参加できているのだから。
リオルが物心つく前には王国騎士団に入団し、一年の殆どを王都で暮らしていたから、あまりゆっくり話す機会はなかった。
だから、時間の許す限り、リオルと時間を過ごした。父から学んだことや騎士として学んだことなど、これからリオルに必要な事を伝えた。
呪いにかかって女性になったことも。そして、小さい頃の将来の夢が『お嫁さん』だったということも全て伝えた。
『シュリア姉様の心の中には、シュリアン兄様もいるんだね』
リオルなりに、二人の私がいることを認めてくれた。
一緒に暮らせる私の方がお好みではあるみたいだが……。
『聖騎士の兄様もカッコよくて好きだけど、フワフワの姉様も好き!』
シュリアンだったときよりも、よくシュリアに抱きついてきている。シュリアンのときは抱っこをせがまれた。
最近は、リオルをどのような紳士に育てるか、悩んでいるところだ。
「これ、僕からのプレゼント!」
「……結婚許可願い?」
「結婚したい人がいたら、僕にそれを出してね。僕が許可した人でないと、結婚しちゃだめだからね。分かった?」
リオルはそう言うと、抱きついてきた。絶妙な角度で私の胸に埋めている。計算しているとしか思えない。
「特に、姉様は絶対、僕の許可なしでは結婚しちゃだめだからね!」
「姉様だけ?」
「兄様はお嫁さんをもらうけど、姉様は他の家に行っちゃうでしょ?」
「他の家に行くかは分からないが……結婚したい男性ができたら、リオルにこれを出したらいいんだね」
「そう。じゃ、お願いね!」
抱きつきすぎると叱られると分かっているのか、程好いところでリオルは離れていった。
とても良い笑顔でデザートを頬張っているが、明日の父の鍛練はきっといつもより厳しくなるだろう。リオルに鋭い視線を送っている父の眉間には深い皺ができていた。
「シュリア以外の女の子にはしないと思うわよ。シュリアンは憧れのお兄様だから、無理矢理襲うこともないでしょうし、安心しなさい」
隣に居たマリアルが耳元で囁いた。
我が屋敷に滞在してから半月。リオルもマリアルに懐いていた。兄様・姉様談で盛り上がっているらしい。
どうやら、リオルはマリアルには抱きついたことはないという。
胸の大きさが理由ではないはずだ、きっと。マリアルは丁度良い大きさだ。
「シュリア、シュリアン、成人おめでとう」
順番を待っていたマリアルも同じように祝ってくれた。勿論、マリアルも二人の私を祝うことに真っ先に賛同してくれた。
間を置かず、祝いの贈り物も差し出してくれた。
「ありがとう、マリアル」
マリアルから贈り物を受け取った。中身は腕輪だった。とてもシンプルな造りの。シュリアにもシュリアンにも似合うように選んでくれたのが一目で理解できた。
一粒の孔雀石が嵌め込まれていた。守護を意味する魔石。痴漢撃退といった魔除けとして身に付けると聞いたことがある。
「実は……わたしとお揃いなの」
マリアルのはネックレスだった。首元を飾る同じ孔雀石がシャンデリアの光に反射した。
「シュリアン、成人、おめでとう」
身内だけの成人祝賀会も終わりに近づいた頃、突然の来訪があった。
「カイル……どうして?」
招待はしていない。
騎士服ではないから、仕事で訪れたというわけではなさそうだ。
「親友として成人を祝いに来た。ブラウ伯爵には許可を得ている」
父の方に視線を向けると、父は肯いた。
「来てくれて、ありがとう」
カイルの後ろには、二人の男女の姿も見えた。目の前まで歩み出てきた。
「シュリア嬢、成人、おめでとうございます」
「シュリアン様、成人、おめでとうございます」
それぞれ、祝いの言葉を贈られた。
「ありがとうございます。オルガ様、ミリア様」
何故、この二人も一緒にいるのか戸惑いながらも、平静を装い応対した。
成人祝いに駆けつけてくるような親しい間柄ではない。
オルガ様は解呪の専門家の師の元で助手として働いているので、今回の解呪の件で何度か顔を合わせている。その程度だ。
ミリア様は親しいどころか、嫌厭されている。彼女からは特に罵声を浴びさせられていた。
「オルガはシュリアンの成人祝いのプレゼントの協力者として同行してもらった。ミリアは……先日の謝礼をしたいそうだ」
察したカイルが即座に説明してくれた。
単純明快な答えに、どうしてだか嫌な予感がした。胸がざわついた。
カイルは私をシュリアンとしか呼ばない。敢えて、シュリアンだと言っているように聞こえた。
それよりも、カイルがミリア様を呼び捨てにしていた方が気になった。
私とマリアルのように、二人も幼馴染の間柄だと聞いていたから、おかしくはない。おかしくはないが……私の心に棘が刺さったようにチクリと痛みを感じたような気がした。その痛みはきっと、私も名前で呼んでもらえなかった哀しみ。
私だけではなく、私も祝って欲しいと嘆いていた。
「シュリアン様、先日は助けていただき、ありがとうございました」
ミリア様が優雅に淑女の礼をとった。その表情は感謝しているというより、勝ち誇って見えた。燃えたぎるような赤銅色の髪と同じように挑発的だった。
「体調を崩されたとお聞きしましたが、その後、調子はいかがですか?」
「おかげさまで、すっかりと良くなりました。大した怪我もありませんでしたし。シュリアン様のおかげですわ」
ミリア様はにっこりと微笑む。一見とても淑女らしいが、翠の瞳は笑ってはいなかった。
対する私は淑女も紳士の笑顔も、貼り付けることはできなかった。無表情になっていただろう。
感情を押し殺して社交辞令を交わすのが精一杯だった。少しでも気を緩めれば、ミリア様に殺気を放っていたかもしれない。
ミリア様は侯爵令嬢だ。伯爵令嬢(令息)の私より、位は高い。無体な事はできなかった。
先日の襲撃事件で人質に獲られたのが、ミリア様だった。
感謝されたくて助けたわけではない。一人の人間として、できることをしようと助けただけだ。
でも、助けたのはシュリアンだけではない――シュリアもだ。
だから御礼なら、シュリアンだけでなく、シュリアにも言って欲しかった。
こんな無礼な贈り物、わざわざ届けてくれてなくてもいいのに。連れてきたカイルが憎らしかった。
カイルは私に恨みでもあるのだろうか。そうとしか思えなかった。ささくれた心が更に抉られる。
「俺からは、解呪の贈り物だ」
「解、呪……?」
「漸く、解呪方法が見つかった――オルガ」
カイルに呼ばれたオルガ様が懐から杖を取り出し、乳白色のタイルの上に魔法陣を描き始めた。
「灯台下暗しというのは、こういうことを言うのだろうな」
カイルはとても機嫌良さそうに笑っていた。
解呪に関する文献は、カイルの正家、ロッソ公爵家の宝物庫に保管されていたという。
騎士団長の遣いで宝物庫に頼まれた物を取りに行った時に見つけたと嬉しそうに語っていた。偶然にも目的の物の横に置いてあったのだとか。
その文献を持って解呪専門の第一人者――ヘクトル・ノワール氏を訪ね、解読後、数回の実験を重ね、解呪の魔法陣が完成した。
そして、ノワール氏の信望の厚い弟子であるオルガ様が解呪の手伝いに来たという訳だ。
オルガ様の杖を持つ手が止まった。
「完成しました」
オルガ様が魔法陣を描いていた反対の手の甲で額の汗を拭うと、魔法陣の完成をカイルに報告した。
「オルガ、ありがとう。この魔法陣の中に入れば男に戻れるぞ、シュリアン……どうした? 入っていいぞ」
全身の血の気が引いて行くのを感じていた。手足が冷たくなっているのか、指趾先の感覚がなかった。
身体が思うように動かない。否、動きたくないと抵抗している。
解呪方法が見つかったのなら、解呪しなければならない。それは分かっていた。
でも、答えはまだ決まっていない。シュリアのままで居るのか。シュリアンに戻るのか。覚悟を決めていない。
もう少し、考える時間が欲しかった。せめて、先に知らせてくれたら良かったのに。
カイルの好意は有り難い。シュリアンにとっては。でも、迷惑でしかない。シュリアにとっては。
――解呪の贈り物は要らない。
そう言って、払い除けたかった。でも、そんなことをすれば、カイルの好意を無駄にすることになってしまう。
違う。そうではない。カイルに嫌われるのが怖くて、拒絶できないだけだ。
私しか存在しなければ、快く受け取っていた。でも、私も存在している。
私に遠慮しているのか、私は動かない。何も言わない。静かに存在しているだけだった。
私だけが、拒絶していた――このまま解呪するのは嫌だと。心の中で叫んでいた。
私という存在を認められないまま消えてしまうのは嫌だと、心が泣いていた。
「……シュリアン?」
「シュリアンだが、私はシュリアだ!」
一度でもいいから、カイルに「シュリア」と呼ばれてみたかった。
そうしたら、魔法陣に向かって自分の意志で足を一歩踏み出せたのに。
「早くしないと、魔法陣が消えてしまいます」
「シュリアン……」
私の願いは叶わない。それならばいっそのこと魔法陣は消えてしまえばいい。
魔法陣に魔力を供給しているオルガ様の苦しそうな顔から目を背けた。
邪な気持ちが罰だとでもいうように跳ね返って来たのだろうか。背後の存在に気づかなかった。
「手伝ってあげるわ」
ミリア様の囁く声。私にしか聞こえないような、とても、とても小さな声。
「――っ!?」
自分の意志とは関係なく、足が前に進んだ。背から押し出された圧に抵抗できなかった。
それ程強い力ではなかった。不意打ちに対応できなかった。
そのまま数歩前へと勝手に進んでいく。吸い込まれるように魔法陣の真ん中に足を踏み入れた。
踏み込んだ合図と共に、私の身体は魔法陣の光に包まれた。