5.襲撃
早いもので、令嬢に転身してから半年が経とうとしていた。
半月後には、18歳の誕生日を迎える。
結婚適齢期に入るが、今の状態では将来の夢の『お嫁さん』は叶いそうもない。そんな未来は視えない。
最近は、淑女のレッスンは殆どしていなかった。
基礎的な事は全て習得した。
刺繍やピアノなどの楽曲を嗜んだが、出来栄えに満足したものの、それ以上に楽しみたいとは思えなかった。
ダンスは好きでも、踊れなければつまらない。令嬢と認められていないのだろう。誘われない。
身体は女性になっても元男性だった事実は弊害にしかならないのかもしれない。
舞踏会も頻繁にあるわけでもなく、参加しても壁の花だった。
カイルと踊ったのが余程気にくわなかったのか、冷遇されてしまった。
遠巻きにされるならまだ我慢できたが、罵声されるのは辛い。
「令嬢からダンスに誘うなんて、はしたない」
「元は男だもの、仕方ないわ」
「呪いとはいえ、身体は女性でも心も本当に女性なのかしらね?」
「令嬢になったのなら、令嬢らしく話し方を変えたらいいのに」
本人達は扇で口元を隠して囁いている風を装っているが、彼女達の声はしっかりと耳に届いた。
カイルは参加していないからか、言いたい放題だった。
「カイル様といえば――解呪方法を探して、国内中を駆け巡っているらしいですわ」
「友達想いなのね。素敵!」
「カイル様に探させないで、自分で探したらいいのに。何様のつもりなのかしらね」
「でも……呪いにかかった本人は、解呪を望んではいないみたいだけど?」
令嬢達の責めるような視線が痛かった。それよりも……。
――カイルはまだ解呪方法を探しているのか。
道理で、最近姿が見えないと思った。
確かに彼女達が言うように、私が解呪方法を探しに行った方がいいのかもしれない。時間もたっぷりあるのだから。
そうすれば、カイルの負担は減る。
淑女レッスンにも身が入らないし、評判の良かった護身術も今は低迷している。
「令嬢に武力は必要ない」
「俺達に守られていればいいんだ」
「そうだ。俺なんて、危うく使い物にならなくなるところだったんだぞ!」
男性達からは、女性が護身術の習得を反対する意見も聞こえてきていた。
そう言われても仕方ないとは思う。女性は男性に守られる存在――それが昔からの風習だったから。
そうだとしても、『危うく使い物にならなくなるところだった』という痴漢の言葉だけはどうしても許すことはできなかった。
怒りで身体が震えそうになった。
右手に力が入った。ぐっと握り締めた。
できることなら、今直ぐこの場で鳩尾に一撃を入れたい――そんな衝動が生まれた。
――使い物にならなくなってしまえば、良かったのに。
本人に直接言えたら、どんなにか爽快だっただろう。
悔しい。何も言えない自分が。何もできなかった自分が。
でも、襲われる被害者が出なくて、良かった。それだけが救いだった。
――男らしくない、私。
――女らしくない、私。
――どちらでもない中途半端な私は、どう在るべきなのだろうか。
「俯かない。堂々としていなさい!」
「……マリアル」
今日の主役だというのに、ダンスから抜け出してきたマリアルが身を寄せてきた。触れ合うくらいに近い。
「あの男よ。わたしが襲われた話をした――」
マリアルは私の耳元で小声で話しながら、3人の中にいる、一人の令息だけを睨みつけていた。
「力の差は歴然だから、普通の方法では女性は男性には敵わない。だから、女性は守られるものだと思われても仕方がないのかもしれない。でも……守る存在に襲われたら、誰が守ってくれるの? 自分で自分の身を守るしかないのに」
マリアルはの肩は僅かに震えていた。
「誰が何と言おうと、わたしはシュリアに感謝している。シュリアンが護身術を習得してくれたから、シュリアはわたしに教えることができたのだから。シュリアン、ありがとう。シュリアもありがとう」
マリアルは未だに睨み続けていた。
きっと、マリアルは知っている――私もあの男に襲われたということを。
何となくだが、そんな気がした。
「これだけは覚えておいて。わたしはシュリアンでもシュリアであっても、あなたの味方だということを」
マリアルの視線は私へと変わっていた。一転し、清々しい笑顔を見せていた。
「マリアル、ありが――危ないっ!?」
突然、轟音が響き、舞踏会場となったアマレロ伯爵家の屋敷の壁が爆破された。破片が飛んできた。
「マリアル、怪我は!?」
「大丈夫。シュリアは?」
「私も大丈夫だ――ルナ、ありがとう。君のお蔭だ」
咄嗟に聖獣を召喚した。応じたルナが結界を張り、守ってくれた。
「何が起きているの?」
マリアルが私の腕を掴んだ。その手は小刻みにガタガタと震えていた。
「分からない」
結界の外側は、煙で覆われていて何も見えなかった。
私の右手は、知らず知らずのうちに腰の辺りを探るように動かしていた。空振った右手が、もう騎士ではないことを知らしめていた。
暫くすると煙は徐々に消え、次第に視界が開けてきた。同時に、襲撃者が乱入してきた。
その数は、そう多くない。目視できた数は、5人。
襲撃者の味方なのか、敵なのかは分からないが、聖獣との同調を通して遠くからこちらに向かってくる集団の気配を感じた。
屋敷の護衛騎士や非番で参加していた王国騎士達が応戦していた。数は騎士側が圧倒的に多い。
剣と剣が交わる金属音しか聞こえなかった。魔法を使える者は襲撃者の中には一人もいなかった。
先程の爆撃は魔導具を使ったのだろう。
こちらは魔法が使えるのは一人……否、二人。とはいえ、屋敷の中で安易に魔法を使うわけにもいかない。
それよりも守りを固めた方がいいだろう。幸運にも、こちらには聖獣を召喚できる者が二人居る。
対角線上では、聖騎士のイアンもペガサスと呼ばれる聖獣を召喚し、結界を張っていた。黒い翼を拡げていた。
「ルナ、結界を拡げて!」
指示通りに、ルナは角を煌めかせて結界を拡げた。戦えない紳士淑女を二手に分けて誘導し、聖獣の結界内に招き入れた。
騎士達は優勢だった。一人の襲撃者を残すのみだった。武器を失い、取り押さえられるはずだった――が。
「動くな!」
逃げ遅れた一人の令嬢が人質に獲られた。令嬢の首元には短剣の腹が食い込むように押し付けられていた。
令嬢は顔面蒼白で、一言も声が発せないようだった。悲鳴でも上げてしまえば、傷つけられていただろう。
騎士達は動かない。動きたくても動けずにいる。
人質は、私を罵っていた令嬢の一人だった。
――私は、「助ける道理はない」と心の中で叫んだ。令嬢は戦わないのだから、と。
――私は、人質を助けようと機会を窺っていた。それが聖騎士の勤めだ、と。
もう、聖騎士ではない。だから、戦う理由はなかった。
でも、助ける術はある。このまま見殺しにしていいわけがない。
私だから、戦わない理由はない。
聖騎士ではないとしても、私は私だ。どちらも私。
今は《シュリア》だが、確かに《シュリアン》も存在している。
男も女も関係ない。一人の人間として――助けたい。ただ、それだけ。
私はイアンに目配せをした。
私に気づいたのを確認して、ルナの白い鬣に触れた。イアンも自身の聖獣の黒い鬣に触れる。
『合図したら、空爆をし掛けて欲しい』
『何をするつもりだ!?』
『向こうは私には気づいていない。空爆音で気を取られた隙に、敵から令嬢を引き離す』
『……了解』
聖獣の助けを借りて、念話を送り合った。
「マリアル……私は一人の人間として、人質を助けに行く」
「シュリア!?」
特攻に邪魔になるヒールの靴を脱ぎながら、マリアルを直視した。
「これでも、元聖騎士だ。私は私の誇りも大事にしたい」
「……分かった。無事に戻ってくるのよ。いいわね!」
「善処する。痛いのは嫌いだからね」
苦笑しながら、答えた。
絶対に怪我をしない、とは言えなかった。従騎士時代を含め、数えきれないくらいの怪我を負った。
侍女達に磨かれ、充分に手入れが施された肌を傷つけたくはない。
怪我は治っても、全ての傷が綺麗に癒えるわけでもない。一ヵ所だけ――脇腹に消えなかった傷があった。その傷は、私にも残っている。
でもそれは、私が私である証だった。例え傷が残る怪我をしたとしても、命が在れば良い。五体満足であれば、充分だ。それが騎士として生きてきた中で培ってきた持論だった。
「これから大きな音がしますが、音だけです。結界内に居れば、安全です。私の聖獣が皆様を守ります――ルナ、よろしく!」
聖獣の背を撫でながら、結界内に避難している人達に簡素に告げた後、イアンに合図を送った。
合図が送り返されると同時に助走し、人質を獲った襲撃者に向かって死角から突進した。
――バンッ!
空爆の音で襲撃者が驚き怯み、令嬢の首元を押し付けていた短剣が離れた。
「――うっ!?」
背後から回り込み、短剣を持つ手に手刀を入れた。
短剣は敵の手から落ち、その手を掴んで僅かな力だけで投げ飛ばした。
這い蹲った敵の首の後ろにも手刀を入れ、意識を刈り取った。
「おい!? 大丈夫か?」
腰が抜けて崩れ落ちた令嬢をイアンが支えていた。気を失っていた。
全ての襲撃者は縄で手足を拘束されていた。
これで一件落着――にはならない。
「まだいるのか!?」
騎士の一人が叫んだ。
先程感じていた集団の気配は敵だった。その数は最初の襲撃者の数を上回った。
今度は騎士側が不利な立場になった。3対1だったのが、1対2に逆転した。
イアンは失神した令嬢を抱え、急いで自分の聖獣の結界に連れて行った。
「お嬢ちゃんは逃げないのかい? 気丈だなー」
令嬢だと侮っているのか、3人の敵が一気に詰め寄ってきた。
「ぐわっ!」
「うぐっ!?」
「……おっと! この女、魔法が使えるのか!?」
襲い掛かる敵に向かって、氷礫を放った。
3人の内、2人は鳩尾と喉元に命中した。上半身を曲げて悶絶している。
もう一人は避けられてしまった。
無事だった一人の剣が私に向かって振り下ろされた。
「――っ!?」
間一髪の所で躱したが、ドレスのスカートの部分が太腿の中央辺りから切り裂かれてしまった。
――強い!
素手では無理だ。懐に入れそうもない。
一張羅のドレスにスリットが入ってしまったが、好都合だった。これで動きやすくなった。
片足を前に出して蹴り上げた。避けられたが、それも計算の内。本当の目的は、落ちていた剣を拾い上げることだったのだから。
降ろした足で剣の柄を弾き、空中に上げた剣を受け取った。思っていたよりも、軽かった。愛剣に似ていた。これなら、応戦できる。
「お飾りの令嬢ではない、ってか。女だからといって、容赦はしない!」
宣言通り、手加減する感じはなかった。
正直、余裕はなかった。攻撃に転じる隙はなかった。防御するのが精一杯だった。相手の剣を受け止める度に、剣を持つ腕が痺れた。その痺れも徐々に増していった。
《シュリア》の身体になってからは、筋力も体力も格段に落ちた。力で圧された。
《シュリアン》は速度重視型だったから、《シュリア》よりは上手く立ち回れただろう。
でも、《シュリア》になったからこそ気づけた。《シュリアン》も充分に恵まれた身体だったということに。
段々と剣を持つ手に力が入らなくなっていった。そこに敵の重い一撃が入った。
受け止めた剣を上手く流せず、持っていた剣が手から離れた。勢いよく吹き飛んでいった。
「シュリア――!?」
マリアルが金切り声を上げて叫んだ。
「勝負あったな」
動けなかった。疲労の蓄積で手足の自由が効かなかった。
眼は閉じなかった。振り下ろされる剣をスローモーションのように眺めていた。
――キィン!
刃は届かなかった。
「大丈夫か?」
刃の到達を防いだ剣しか視界には入っていないが、耳に届いてきた声が誰なのかは直ぐに分かった。
「……カイル」
受け止めた敵の剣を弾くと、カイルが目の前に歩み出てきた。
「辛いだろうが、俺の後ろに立っていろ。立っているだけでいい。動くな」
カイルはその場から殆ど動かずに敵の攻撃を受け流していた。
本来の好戦的な戦闘スタイルとは真逆だった。
その理由は――私の守りに徹するため。
それでも、カイルの剣捌きは見事だった。
攻撃に転じていないのに、数度打ち合っただけで敵の剣を弾き飛ばした。
武器を失った敵は、カイルと共に駆けつけた王国騎士達によって全て捕縛された。
「カイル、ありが――ぶっ!」
カイルは上着を脱ぐと、頭から被せた。
「着ろ!」
言われたようにカイルの上着に袖を通した。
周りの視線から隠すように、こちらに背を向けた状態でカイルは立っていた。
カイルの耳は真っ赤だった。白いシャツの襟から覗く首の後ろも真っ赤に染まっていた。
力の入らない指で何とかボタンを留めながら身体の状態を簡単に確認すると、胸の辺りの生地も裂けていて、胸の膨らみが所々露わになっていたことに気づいた。
少しだけ恥ずかしい気持ちになったが、大事な部分は隠れていたからまあいいか、と気にしないことにした。今はもう、カイルの上着で隠せたのだから。カイルの方が胸囲があるのか、胸廻りは少し余っていた。
「……着終わったか?」
「終わった――って、カイル!?」
振り返ったと思ったら、カイルはすぐさま幼子のように縦抱きに私を抱き上げた。こうしてカイルに抱き上げてもらったのは、二度目だ。あの時は横抱きだったが。
カイルの厚い胸板を服越しに感じる。あの頃よりも、ずっと逞しくなっている。安心する。このまま身を預けていたい気もするが、人前で抱き上げられているのはやはり恥ずかしい。
「カイル、降ろしてくれ! 自分で歩く」
「歩けないだろ? 足が震えている」
実際、その通りだった。足がガクガクしていた。膝が笑っていた。
毎日身体は動かしていたが、騎士だった頃に比べたら、雲泥の差だ。
筋肉の付き方も異なっているにも関わらず、《シュリアン》と同じように動いていたから、身体の限界は既に頂点を振り切っていた。
「屋敷まで送ってくる」
カイルはそう言って同僚に一言告げ、壊れた壁から外に出ると聖獣――純白のペガサスを召喚した。
「そのまま俺の胸に寄りかかっていろ」
カイルの腕から抜けて降りようとしたが、思っていたよりも身体は動かなかった。動くのも億劫で、カイルの胸に垂れかかってしまった。
カイルに抱かれたまま、聖獣の背に乗った。カイルは片腕は私を抱き上げているというのに、もう片方の腕一本だけで危なげなくしっかりとした安定した動きで聖獣の背に乗り上がった。
やはりカイルはカッコイイな。騎士として憧れてしまう。こういった頼もしいところが男女ともに人気があるのだろう。
そういえば……と、聖獣の姿を探したが、気配は感じなかった。
糧となる私の魔力に負担がかかるからか、何も言わずに帰還してしまったのだろう。
「聖獣、よろしく頼む」
カイルに応じた聖獣は純白の翼を大きく広げ、空高く駆け上がった。