10.指輪
――時は数時間前に遡る。
医師の診察を終えて直ぐ、正装に着替えたカイルと共に両親のもとを訪問していた。
そこでカイルが父に結婚の許可を戴いた経緯を母に一字一句しっかりと告白し、母はその時に初めて父がカイルと交わした約束を知った。
母もよく父の身勝手さに困らせられていたと、今までの父の身勝手話を耳が痛くなるまで沢山聞かされた。
父は顔を引き攣らせながら。カイルは顔を蒼褪めさせながら、母の話を聞いていた。
母はまだまだ話し足りない様子だったが。
「シュリアもやっぱりわたくしの娘ね。身勝手な男に振り回される運命なのね、きっと……」
そう締めくくった。
哀愁漂う母を見る限りでは、私がカイルを好きな事は母はもう諦めていたようだった。母も身勝手な父を愛するがゆえに、許してしまっているから。
それでも、母は強し。
「シュリアを不幸にしたら、死んだ方がマシだと思えるくらいの呪いをかけますからね!」
そうカイルに宣言していた。カイルは堅唾を飲んで、母と直視していた。
「必ず、シュリアを幸せにすると誓います!」
母はカイルの返事にとても満足したように見えた。優しい顔でカイルを見つめていた。私を守り切ったカイルの心意気を認めたのだろう。
「リオルはどうするの? あの子、絶対に認めないと思うわよ」
「そうだな。リオルが許可しないと、私達もシュリアを君に嫁がせるわけにいかない」
母と父が真剣な表情でカイルを見遣った。
「リオル君に剣の勝負を申込みます。期間は1年。その間に、俺が掠り傷ひとつも負わずに勝利したら、婚姻を認めさせていただきます。そして1年後――シュリアと婚姻を結びます!」
カイルがリオルに勝負を申し込むことは昨日、カイルの求婚を受けて二人で相談した。
今後、カイルと真剣勝負することはもうないだろう。剣を交えることはあるかもしれないが、お遊戯程度になるだろう。
魔獣との戦でカイルと一緒に戦い、『シュリアン』もけじめをつけることができたから、もう悔いはない。充分満足した。
誘拐された女の子のお腹が傷つけられたことを知って、私は怖くなってしまった。子が宿る場所を傷つけてしまうのではないかと恐れた。
だから今は、子を授かることを優先したいと想った。その可能性を自分の不注意で潰してしまわないように、お腹を守ることに専念することにした。
カイルに伝えたら、安心したようだった。カイルはずっと私のお腹が守れるように細心の注意を払って、勝負をしてくれていたらしい。
それなら勝負を申し込まなければ良かったのではないかとも思うが、私が戦いたいという気持ちを汲んでくれていたのだろう。
カイルも私と勝負することを楽しみにもしていたのもあるのだろう。もう勝負しないと言ったら、少しだけ淋しそうにしていたから。
「リオルに勝負を申し込むのは構わないが、カイル君の勝ち同然の勝負をリオルに挑ませるのは可哀想だ」
「勝負はやってみないと分かりません。俺が油断すれば負けることもあるかもしれませんが、俺は手を抜きません。勝つために全て真剣勝負で挑みます!」
「そうか、分かった。リオルにはそろそろ受け身の方も鍛えなければと考えていたところだから、頼まれてくれるか?」
「少々、怪我を負わせることになりますが、構いませんか?」
「君の扱きは恐ろしいが、その分上達すると有名だからね。頼むよ。リオルは甘えたなところがあるから、逃げれらないように上手く煽って勝負を受け入れさせろ!」
「了解しました」
リオルの知らないところで、カイルとリオルの勝負は既に決定事項となっていた。
母もリオルの甘えた部分が気になっていたようで、父達の会話に深く肯き、賛同していた。
リオルが未だに私と母に抱きつき胸に顔を埋めていたから、これも因果応報なのだろう。背が伸びた分、思いっきり胸に顔が埋められたところで残念だが、そろそろ卒業してもらわなくては。
――そして、今に戻る。
父の肩車も飽きてしまったのか、父の肩から降りようと試みているが……母の胸をチラチラ見ているようでは、簡単には下ろしてはもらえないだろう。
リオルは知らない。明日から、厳しい特訓が待っていることに。
カイルにとってリオルとの訓練は軽いストレッチの部類に入るらしいから、早速明日から、私の結婚を賭けたリオルとの勝負が始まるのだろう。
「カイル」
「どうした?」
カイルは父とリオルの母の胸争奪バトルを楽しそうに眺めていたが、呼びかけると直ぐに私の方に視線を移した。
「リオルとの勝負に勝ったら、毎回、カイルに口付けるから!」
口付けが賭けのご褒美だと伝えると、カイルは全身を真っ赤に染めながらも嬉しそうに無邪気に笑った。
了承と判断したが、私の勝手な思い込みかもしれないから、確かめなければ。
「それとも、他の褒美の方が良い?」
「口付けでお願いします」
「場所の希望は?」
「……シュリアの好きなように」
カイルは暫く考えていたが、考え抜いた末、私が好きなように口付けて構わないと決めたようだ。意気地無し。
カイルのこの様子を見ている限りでは、私が強請らなければ、カイルは察してくれないだろう。仕方ない。
「カイル、お願いがあるのだが……」
「何だ?」
「その恰好で、もう一度、私に求婚してくれないか?」
カイルは周りをキョロキョロ見回していた。
「今、此処でか?」
「そうだ」
「……了解」
カイルは長年の付き合いから理解したのだろう。此処で断れば、婚約を撤回すると。
先程、両親に了承を得たばかりだから、まだ婚約の手続きは完了していない。よって、まだ求婚は有効だ。
カイルは地面に片膝を着けて腰を落とすと、私の左手を取った。
カイルが見上げる。まだ少しほんのり顔は紅いが、表情は真顔で凛々しい。
「シュリア嬢、俺と結婚してください」
「カイル様、貴方との結婚をお受けします」
カイルはこのまま指先に口付けるかと期待していたのだが、自由な右手を懐に入れて、何かを探っているようだった。
「少々早いが……」
懐に入れていた右手をゆっくりと出した。
「シュリア、誕生日おめでとう」
カイルはそう言って、懐から取り出した指輪を私の左薬指に嵌めた。ピッタリと嵌った。
ピンクゴールドの土台に小振りの金剛石が3つ綺麗に並ぶように嵌め込んであった。
「……気に入らなかったら、別な指輪に――」
大袈裟に首を横に振った。気に入ったと伝わるように。嬉しくて言葉が口から出てこない代わりに。
カイルは覚えていてくれた。そのことにただただ感激していた。
確かあれは――聖騎士2年目になった頃だった。
カイルやイアン達と一緒に、恋人に贈る指輪の素材を何にするか、話し合っていた。
「俺は、白金だ」
「僕は、金」
「俺は……何でもいいわ」
「俺も拘りはないな」
キリアとルイス以外は、指輪には興味ない様子だった。
「私はピンクゴールドだな。カイルは?」
「俺は、相手が欲しいのを贈る」
てっきりカイルも拘りがないと言うと思っていたが、カイルが一番まともな答えだった。
「確かにそうだな」
「カイルの言う通りかも」
「相手が欲しくないもの贈っても、嫌われるか」
「そうだな」
皆、口々にカイルに賛同していた。
私はすっかり忘れていたが、カイルはきちんと覚えていた。
カイルはあの時からもうシュリアンが好きだったから、覚えていたのだろう――。
「カイル、ありがとう。嬉しいよ!」
漸く、言葉が出せた。
身体も動くついでに、上体を屈めてカイルに身体を近づけた。
「カイル、大好き!」
感動して舞い上がっていた私は、カイルの唇に口付けていた。
「ちょ、姉様!? 僕まだ――っ!」
私のセカンドキスをバッチリ見ていたリオルが父の肩車から落下――したが、父が無事に受け止めた。リオルは父の厚い胸板に顔を埋めていた。
「ねぇ、シュリア。カイル君、息してないんじゃないの?」
母の言うように、カイルは息を止めたまま、固まっていた。息を止めすぎているからか、顔はもっと真っ赤っ赤になっていた。
「カイル……人工呼吸する?」
カイルは錆びた機械のようにギコギコと音が鳴りそうな動きで首を横に振った。動きに合わせて、鼻から息を出したり吐いたりと呼吸を再開させた。
「勝利の口付けは唇以外にするから、安心して」
カイルの顔は残念そうだった。どうやら、唇がお好みらしい。
「唇がいいなら、今度はカイルから口付けてくれ!」
カイルの顔は真っ赤を通り越して茹蛸状態になりながらも、ゆっくりと首を縦に肯いていた。
果たして、カイルからの口付けは、いつになるのやら。
1年後の結婚式までのお預けになりそうな気がするが……もしかしたら、もしかする?
カイルの純情を煽り過ぎてしまうかもしれないかな?
「そろそろシャキッと立ちなさい!」
いつまでも固まって動かないカイルに見かねて、喝を入れた。
私の手だけは離さずに握っていたのは嬉しいが、同じ姿勢で腕が辛くなった。
カイルに握られている手をクイクイと引っ張ったが、私の力ではカイルはびくともしない。
悔しくて思いっきり後ろに体重をかけてカイルを引っ張ったら、カイルは自分の力で立ち上がっていた。勢いよく後ろに倒れそうになったが、カイルが自分の方に引き寄せてくれて、カイルの厚い胸板にダイブした。カイルは難なく私を受け止めた。
「カイル、ありが――」
「シュリア、愛してる」
カイルは両腕で私の身体を包み込み、強く抱きしめ――耳元で愛を囁いた。
どんな顔で囁いているのか見たかったが、顔をカイルの胸板に押し付けられていたので、純白のタイしか見えなかった。
因みに、リオルも父の胸板に顔を押し付けさせられていた。
――1年後。私、シュリア・ブラウは強面だが根は純情な騎士に嫁ぎ、シュリア・ロッソになった。
リオルとの勝負はカイルが圧勝し、リオルは泣く泣く私とカイルの結婚を許可した。
結婚許可を賭けた勝負は終わったものの、リオルはカイルに勝負を挑み続けていた。
剣の語り合いで、いつの間にかリオルとカイルは仲良くなっていた。
リオルはカイルの扱きのお蔭で、王国騎士団の入団試験で優勝するほどの腕前に成長した。
今年の召喚の儀で聖獣と契約し、無事に聖騎士となった。
二人が仲良くなるのは嬉しいが、私そっちのけで勝負ばかりしているから寂しい。
観戦していたら、身体がウズウズしてきた。
「シュリア、じっとしてろ!」
「姉様はじっとしてて!」
二人揃って、同じことを言われてしまった。
そんなことは言われなくても分かってるのに。
身重の身体で参戦なんかしません。
それにしても、リオルはすっかり父に似てきてしまった。可愛いリオルは消えていきつつある。
余談だが、リックは既に可愛いはとっくに卒業している。見る影もなくゴツイ身体に成長した。若いのに……カイルより老けて見える。
でももうすぐ、とても可愛らしいお嫁さんをゲットする。因みに相手は、魔法陣の中で腕に抱いていた女の子だ。
リックの変貌ぶりに女の子は吃驚したが、恋は無事に成熟した。
イアンの相手は華奢な令嬢だった。でも、芯は強い。リューグとキリアは、どちらが先に結婚できるか、競っている。
ルイスは昨年、件の侍女と結婚した。オルガ様とマリアルも2年前に結婚して、今、マリアルのお腹の中には命が宿っている。
「とーや、しゅいいの」
私の隣で、紅玉色の髪に碧の瞳をした幼児が両手をパタパタさせて行儀よく座っていた。彼の言葉を訳すと、「父様、凄いの」だろうか。
もうすぐ2歳になる可愛い息子を見ながら、「この子も将来、カイルに似るのだろうな」と頭を撫でていた。外見はカイル似だったが、性格は私似……かな?
反対の手でお腹を撫でる。もうすぐこの世に生まれてくる。どんな子が生まれてくるのだろうか。
楽しみにしながら愛情を籠めてお腹を撫でていると、左薬指に嵌めてあるピンクゴールドの指輪が煌いた。
カイルから贈られた指輪の内側には、文字が彫られていた。
『シュリアとシュリアンに愛を捧ぐ カイル』
『女の子、始めています!』完
*小話 ラウル&ルナ
俺はラウル。ペガサスと呼ばれる聖獣だ。
自慢は純白の翼で、誰よりも速く駆ける駿獣なのだ。
だから、俺はモテる。モテるのだが……番にすると決めているのは唯一人。
そう、俺は一途な男なのだ。
それなのに、俺が愛を囁いても、ルナには俺の愛は届かない。
それもこれも、俺の契約者――カイルの所為だ!
カイルがルナの契約者であるシュリアを怒らせたから、俺もとばっちりを喰った。
「私の可愛いシュリアを酷い目に遭わせた男と契約するラウルは嫌いだ。近づくな!」
そう言って、ルナは俺に強烈な蹴りを入れた。あれは見事な蹴りだった……。
ルナは暫く口を聞いてくれないし、散々な目に遭った。
折角、ルナを守るためにカイルに「シュリアと魂の契約呪を結べ!」と助言したというのに、アイツと来たら大勢の前で堂々と呪を発動させやがった。こっそりかければいいものを。
でも、最終的にはキールトンとかいう奴の思惑は阻止できたし、ルナも無事だったし、メデタシメデタシにはなった。
シュリアもカイルの求婚を受けたし、ルナもきっと……。
「ルナ! 俺と番になってください!」
俺は勇気を振り絞って、ルナに求婚した。
「私くらいでしょうね、ラウルの番になれるのは――」
俺はルナの角の洗礼を受け――ルナの番になった。メデタシメデタシ。