8.告白
「カイルに訊きたいことがあるのだが……」
「何だ?」
「公爵夫人の務めは大変か? 私に務められると思うか?」
カイルの表情がぱっと明るくなったが、期待してはいけないと気を引き締めたのか、真顔になった。
「他家の事は分からないが、母はほとんど夫人らしい務めはしていない。家は領地運営していないし、パーティーも最低限にしか開かない。そのパーティーを仕切るのは当家の執事長と侍女長だ。最終確認は父がしている。母の夫人の務めは会に参加して父の隣で微笑むことだから、誰でも夫人は務まると思う」
カイルの言葉が本当なのだとしたら私にも務まりそうだが、本当にそうなのかと疑いたくなった。
当ブラウ家は、パーティーの催しは全て母が取り仕切っていたし、淑女レッスンの学びでもそう教えられていたから、他家もそれが当たり前だと思っていたが違うのだろうか。
「当家が特殊なだけだと思う。母は『自分の隣で微笑んで会に参加するだけでいい』という父の条件に承諾して結婚したから。母は暇があれば、傷薬の研究に没頭している」
「傷薬って、もしかして……?」
カイルの背中に塗った傷薬に視線を移した。
この傷薬は、薬草の匂いも少なく傷にも染み難い上に、余程の深手の傷でない限り、綺麗に治る優れものだ。
この傷薬を扱っているのがアズゥ男爵家が営む調剤薬局で、カイルの母――モニカ夫人がアズゥ男爵の末妹ではなかったか。
「母は子供の頃、父を庇って大怪我を負った。だから、母の背中には今も大きな傷跡が残っている。嫁の貰い手がないと思い込んだ母は、家が薬剤師の家系だったこともあり、傷薬の研究開発に力を入れるようになった。母の貰い手がなかったのは、父が裏で手を廻していたからなんだが……」
どうやら、騎士団長も責任を取るとモニカ夫人に求婚したらしい。一目惚れした相手だったから、チャンスだと求婚したものの、言葉が足りなかった。
しかも、信じてもらうために魂の契約呪を結んだらしい。息子のカイルと同じように、記憶を代償にして。
当時の騎士団長はまだ騎士団に入団する前のことだから、子供の悪戯として処理されたようだ。
呪いをかけられたモニカ夫人は激高したらしい。
「母は父の鳩尾に肘鉄を食らわせたと、半年前に俺に教えてくれた」
カイルは少し蒼褪めた顔で言った。モニカ夫人にこってりと叱られたと母を通して聞いていたから、その時の事を思い出しているのだろう。
「母は強い女の子が好きだから、シュリアは可愛がられると思う」
「そうか――よし、決めた!」
「シュリア?」
私は椅子から立ち上がって、カイルを見下ろした。腰に手を当てて、仁王立ちする。
「カイル――私の婿になれ!」
カイルは絶句していた。顔をぽかんとさせていた。予想していなかったから、吃驚しているのだろう。
「私はカイルの背中の傷の責任を取る! だから、私はカイルの嫁になる」
喜ぶどころか、カイルは苦虫を食い潰したような顔になった。
「私が嫁になるのは嫌なのか」
「嫌ではない!」
ここで嫌だと言われてしまったら哀しいが、それよりもここで喜んだら、カイルの嫁には絶対にならないと決めていた。
「俺は、責任でなん――っ!?」
カイルは途中で言葉を紡ぐのを止めた。はっとした顔をしていた。気づいたようだ。
「シュリアのあの時の気持ちがやっと分かった。責任で嫁にすると言われても嬉しいはずがないんだよな……シュリア、済まなかった」
カイルは寝台の上で土下座した。
「分かってくれたならいい。だから、顔を上げてくれ」
カイルはゆっくりと恐る恐る上体を起こした。姿勢よく正座している。
「私は男前だが、こう見えてもロマンチックが好きなんだ」
そう言って、左手の甲を上に向けてカイルに差し伸ばした。
「シュリア・ブラウ嬢――貴女を愛しています、俺がこれからも貴女を一生守ります」
カイルが差し伸ばした私の左手を右手でそっと触れた。
「俺と結婚してください。俺のお嫁さんになってください」
「はい。喜んで」
私が肯いたのを確認したカイルは、私の左手にそっと口付けた。
仁王立ち令嬢と正座令息の求婚場面がロマンチックなのかは分からないが、私達らしいのではないだろうか。
カイルは相変わらず、純情青年のようだ。
真剣な表情で求婚していたというのに、指先に口付けた途端に顔を紅く染めた。
此処に来る前、カイルの見舞いに来ていたルイスとオルガ様にはそれぞれ求婚のお断りの返事をしていた。
◇◇◇
「求婚の件だが――」
「カイルを選ぶと決めたんでしょ? もう充分に分かってるから、それ以上言わないで」
ルイスは泣きそうな顔でそそくさと立ち去ってしまった。その後を無言でキリアが追った。
「大勢の前で、『私だって、愛する男を守りたいんだ!』なんて聞いたら、もう諦めるしかないって」
「後は俺達がルイスを慰めるから、シュリアは安心して、カイルにでも求婚してやれ!」
リューグとイアンもキリアに続くようにルイスの後を追って行った。
傷心のルイスだが、1月後に運命の再会を果たすことになる。
再会したのは――ミリア様の侍女の一人。
勇敢な侍女はミリア様を襲い掛かる魔獣の前に立ちはだかったそうだ。魔獣に襲い掛かられる前にルイスに助けられたので、彼女は無事だ。
ルイスに助けられた侍女は、偶然の再会にルイスを御礼にとお茶に誘ったそうだ。勇敢な侍女は恋に破れた傷心のルイスを優しく慰め、親交を深めていった。
ミリア様は無断外出した罰として、また僻地に花嫁修業に向かったが、今度はそこで生涯腰を落ち着かせることになる。改心して良き出逢いに恵まれることを祈りたい。ルイスのキューピッドにはなったわけだし、人を恨めば自分に恨みが返ってくるというから、私が気持ち良く生きていくためにも彼女の幸せを祈った。そうそう会うこともないから、祈れたのかもしれない。
「腕輪なのですが……」
オルガ様が言いにくそうに話しかけた。掌の上には、オルガ様に貸したマリアルのプレゼントの腕輪が乗っていたが、腕輪に嵌め込んであった孔雀石は消えていた。
「僕の魔力の糧になってしまい、粉々になってしまいました」
「そうですか」
「すみません」
「謝らないでください。オルガ様が居なかったら、100もの魔獣が召喚されていたのですから、孔雀石も代償となったのでしょう。ですから、私はオルガ様に感謝しています。でも、謝るなら、マリアルに謝罪してください」
マリアルのペンダントの孔雀石も、双子石だからか、一緒に粉々になったと聞いた。
「マリアル嬢には先に謝罪させていただきました」
「そうでしたか」
「すみません」
「何故、謝るのですか?」
「先にシュリア嬢に謝るのが流儀ですから」
オルガ様の顔には申し訳ないという気持ちが前面に現れている。律儀な人だ。
人格的には、オルガ様はシュリアンの理想の紳士然なのだが……完璧すぎるからこそ、物足りないのかもしれない。
「怪我の方は大丈夫ですか?」
「はい」
オルガ様は、魔獣に襲われたマリアルを庇ったときに左腕に怪我を負った。服に隠れて見えないが、傷は少し深いと聞いている。
それよりも――。
「髪、短く切ってしまわれたのですね」
「中途半端に切れ切れになってしまいましたので、一度、切り揃えることにしました」
オルガ様の背中の中心まで伸びていた桜色の髪は、頭の根本から数センチと短くなっていた。
髪に貯めていた魔力の殆どを使い切り、バラバラに自然と切れてしまったらしい。
「その髪も似合いますよ」
「ありがとうございます」
オルガ様はお世辞だと思っているのか苦笑しているが、思った通り、美青年になった。男前になった。
こんな素敵な男性に求婚されたというのに、私が選んだのはオルガ様とは正反対の男だ。
そろそろ世間話も終わりにしなくては。本題に入ろう。
「オルガ様――」
「はい」
オルガ様はピンと背筋を伸ばして、私を直視した。その表情はいつものように穏やかだった。
「私は、未熟でヘタレなカイルが好きです」
「カイル殿が未熟でヘタレですか……くっ。でも、そうですね……ぷっ。シュリア嬢の前では確かにそうかもしれませんね」
オルガ様は右手を口に当てて、忍び笑いしていた。
「貴女がカイル殿を好きになったのが、何となく分かるような気がします」
オルガ様はしみじみと言っていた。
オルガ様はあれから髪を伸ばすことなく、ずっと短いままだった。
美青年が露わになったオルガ様は令嬢達の人気が急上昇した。誠実で懐が広くて穏やかな青年だから、モテるのも当然だろう。
人気急上昇のオルガ様を心を射止め、お婿さんにしたのが――!?
「オルガ様、シュリア、こんにちは」
「マリアル嬢、こんにちは」
「マリアル、こんにちは……」
マリアルが訪問する予定はなかった。私に会いに来たわけではなさそうだ。
私を一見しただけで、マリアルの瞳はオルガ様だけを見つめている。つり目気味だからか、狩人のように見える。
「オルガ様!」
「はい……」
マリアルがオルガ様の右手を両手で包み込んだ。対するオルガ様はマリアルに圧倒されて、若干引け腰になっている。
「わたしは貴方が好きです。惚れました! シュリアを好きなのは知っています。シュリアが好きな貴方も好きです。好きなものは好きなんです! だから、振り向かせて見せます。親交を深めるためにも、先ずはデートに行きましょう! わたしとデートに行っていただけませんか?」
「――っ!?」
マリアルはオルガ様の右手を包み込んだまま両手を自分の胸元近くまで引っ張った。オルガ様の身体がマリアルに引き寄せられた。
「孔雀石のネックレスのお詫びをしてくれると約束してくれましたよね」
「……はい」
「ですから、お詫びはわたしとのデートにしました……嫌ですか?」
強気で攻めていたマリアルだったが、急に瞳をウルウルさせた。
「そんなことはありません」
「では、これから行きましょう!」
マリアルの瞳がウルウルしていたのは幻だったのだろうか。一瞬で消えた。活き活きとした笑顔だ。
「えっ!? 今からですか?」
「はい! ――ということだから、シュリア、ごきげんよう」
「ごきげんよう、マリアル……オルガ様も……いってらっしゃい」
デートに行ったマリアルとオルガ様を呆然と見送った。
マリアルは嵐のように来て、嵐のように去って行った。
――余談だが、マリアルの初恋はシュリアンだったらしい。……気づかなかった。
シュリアンを上回る紳士のオルガ様にマリアルは一層惚れたらしい。
オルガ様が私に求婚した時はまだ好感を持っているだけだったらしいが、魔獣に襲われた時にオルガ様に庇われたのが切欠でオルガ様への恋心に気づいたという。庇う時に、オルガ様の身体がマリアルの上に被さってしまったが、オルガ様の身体に触れた時に嫌だと思うどころか、心地好いと感じたらしい。その直後、『オルガ様の子供を産みたい!』と強烈に想ったそうだ。
オルガ様がブラウ家に訪問するという情報を掴み、当家を訪れたところに丁度、私がオルガ様の求婚をお断りした現場に遭遇し、これはチャンスだと早速行動を開始した。
「領地の運営は、わたしが何とかします!」
オルガ様がお婿さんになっても解呪の研究が続けられるように、そう言ってアプローチし続けたのだが、マリアルにはあまり領地運営が向いているとは言い難かった。
紆余曲折はあったが、マリアルを深く愛したオルガ様はアマレロ伯爵家の婿となり、領地運営に力を注いだ。後に、オルガが持つ豊富な知識で領地は繁栄していった。
オルガ様は研究者一本の道を辞したが、アマレロ家を改築して、そこで解呪の研究を密かに続けていったという。
これは未来の話だから、今の私には知る由もないが、デートに行った二人を見る限りでは、オルガ様の心配もいらなさそうだ。安心した。
ルイスにはイアン達が付いているし、私は心置きなく、カイルの求婚を受けた――というわけだ。