20.終結
――誘拐救出事件から1週間後、カイルがブラウ伯爵家を訪ねてきた。
「解呪したいんだが……」
「そうか、分かった。なら、しっかりと顔を上げて、私を見ろ!」
カイルは解呪するまで「面を見せない」約束を忠実に守っているが、解呪するために来たのだから、もういいだろう。
カイルが恐る恐る顔を上げる。
「解呪できないんだ……」
この1週間、カイルは解呪を試みたが、解呪できなかったと済まなさそうに言っていた。
それも仕方がない。解呪できないのも当然だ。簡単に解呪されないように強固の呪いを重ねがけしていたのだから。
そのことをカイルは知らない。誰もカイルに教えなかったようだ。きっと、カイルが狼狽えるのを見ていたのだろう。私もそうだ。
王国騎士団に到着した後、直ぐには解呪できなかった。
キールトンが仕掛けた土砂災害復興の対応や脱獄防止対策でそれどころではなかった。
私も簡単な事情聴取を受けた後、ブラウ伯爵領に戻り、自領の復興作業に参加していた。ルナの結界と氷の魔法で領地の民を救助していた。
今日までのことを思い出しながら、自分にかけた呪いを解いていた。
「――よし! これで解呪できるはずだ。カイル、解呪しなさい」
カイルは解呪ができなかった原因が気になっていたようだが、問い質すことはしなかった。不安げに解呪し始めた。
カイルは私に呪いをかけたが、処罰は独房監禁3日間ということで対外的に納まった。私の父も、王国騎士団の判断に申し入れしなかった。
私に呪いをかけたのは、キールトンへの対抗手段だったと王家にもそう報告されていた。実際にその通りだ。カイルがかけた呪いのおかげで、キールトンの野望を阻止できた。私の魂も守られた。
聖獣がカイルに「魂の契約呪を結べ」と命令していた。聖獣を守るためだったらしい。そのことを騎士団長達に念話で送り伝え、誤解も解けている。カイルが私に呪術をかけた理由も判明し、カイルの潔白も証明された。
でも気軽にかけるような呪いではないから、他の者に示しを付けるためにもカイルには厳しい処遇を与えられることになっていた。
風の噂では、どうやら騎士団長もカイルと同じことを仕出かしていたらしい。父が「血は争えない」と言っていたから、噂ではなく事実なのだろう。
今日はカイルがかけた魂の契約呪を解くために来ているが、解呪が終わると暫く会えなくなる。解呪後3ヶ月間、私への接触禁止が言い渡されていた。当家以外の領地の復興でほぼ無休で駆けずり廻ることになっていた。これが呪いをかけたカイルへの処罰だった。
漸く、解呪は成功した。魂の契約の呪いは完全に解けた。
カイルとの魂の繋がりが消えた瞬間、寂しさを感じた。役に立つことがあったとしても、呪いで繋がった関係を続けたくなかった。純粋な想いで繋がりたかった。
「シュリア、済まなかった」
カイルが土下座した。地面に頭を擦りつけている。この前の騎士団長を見ているようだ。
「もういいよ。報復は充分したから。だから、もう立ってくれ」
自分の言いたいことを言って報復した時点で、私自身はかなりスッキリしていた。
膝蹴りを入れられたことを思い出したのか、カイルは苦笑しながら立ち上がった。
不意に、真面目な顔になった。
「俺はシュリアンが好きだ!」
一拍置いた後。
「俺はシュリアが好きだ!」
そして、もう一拍。
「俺はシュリアンとシュリア、二人の君が好きだ!」
「ありがとう」
カイルの愛の告白に、満面の笑顔で応えた。シュリアンとシュリア、どちらの私も好きだと告白してくれたのが嬉しかった。シュリアンは今もシュリアの中で生き続けているから。カイルの心の中にもシュリアンが存在しているから。
不意にカイルの真面目だった顔が崩れ、太めで凛々しい眉尻が下がった。
「どうした?」
「――俺はシュリアが好きだ」
「うん、ありがとう」
更に眉尻が下がった。金の瞳が躊躇うかのように揺れ動いていた。潤んではいないが、泣きそうに見えた。
「……分かってくれて、ありがとう」
カイルは私から視線を外し、軽く俯いてしまった。子供みたいだ。
意趣返しのつもりだったが、虐めすぎてしまったようだ。
いつも堂々としていて頼りがいのあるカイルの姿に尊敬し憧れを抱いていたが、同じくらい畏怖していた。騎士として完璧すぎたから、雲の上のような存在だった。
私が男性から女性になってからは、顔を真っ赤にして狼狽えることが増え、子供っぽくなったり、拗ねたりと情けない姿も見られるようになった。
見た目は強面なのに、情けない姿を見ると可愛く見えるのが面白かった。
私だけに見せる表情だというのが、優越感を覚えた。
カイルの女々しい部分を見ても、嫌いになれなかった。憧れの気持ちも変わってはいない。寧ろ、対等になれたような感じがした。
カイルは男性だが、女性的――心は純情可憐な乙女なところも在ると分かった。裸を見られて恥じらう姿はまるで乙女のようだった。カイルの色々な姿を見ているうちに、男らしさとか女らしさとか、関係ないのではないかと考えるようになった。今まで男らしくない、女らしくないと悩んでいた私をカイルが救ってくれた。私も男らしい男性的な部分も在ってもいいのだと。そう想えるようになった。
私はカイルに頼られたかった。女性になっても、カイルに頼りにされたいという気持ちを強く持っている。だから、カイルの頼りない部分を知って、私もカイルの頼りになれるかもしれないと想えた。頼りにされたいと想った。
これからはカイルとは頼り頼られる関係を築いていきたい、そう願っている。
今はもう、私が好きだというカイルの気持ちが本気だと信じている。何度も熱い告白されたら、もう認めるしかなかった。一番大切な宝物――私への想いを呪いの代償にしたのだから、信じるしかなかった。
呪いの代償が私への想いでなければきっと跳ね返していた。そうなれば、私の魂は浄化され、キールトンの野望は叶っただろう。
聖獣に命令されたとはいえ、許可なく呪いをかけたことは簡単に許される行為ではないが、結果的にはカイルはキールトンから私を守ってくれたことには変わらない。
カイルが俯いたまま何か迷いでも振り切るかのように頭を左右に振った。その直後顔を上げ、私を直視した。子供っぽい顔は消えていた。真剣な表情に戻っていた。
「俺はシュリアが好きだ――シュリアの幸せをいつまでも祈ってる。しっかりと祈り続ける。それだけは許して欲しい」
「分かった、許す!」
もうとっくに許していた。カイルがシュリアンも好きだと告白してくれた時から。
「ありがとう、シュリア……シュリアンもありがとう。シュリアンとペアを組めて良かった。今まで、俺と一緒に居てくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。私もカイルと一緒にペアを組めて良かった」
臨時で他の人とペアを組んだこともあったが、カイルとのペアが一番戦いやすかった。相性が良かった。
私はカイルに右手を差し出した。カイルも私に倣うように右手を出し、私の手に重ね合わせた。あの日と同じように――。
『私がカイルの相棒だ。よろしく!』
『よろしく、シュリアン!』
聖騎士の任命を受けた後、ペアが発表された。すぐさま隣に居たカイルに右手を差しだして握手した、その時の記憶を思い出した。
あの時も、今と同じようにカイルはほんのりと頬を染めて笑っていた。仏頂面が崩れた瞬間だったからはっきりと覚えていた。喜んでくれているのだと分かって、安心した。嬉しかった。
「シュリア……そろそろ離してくれないか?」
カイルが困った顔をしていた。
強く握っているが、カイルなら簡単に私の手を振り解けるはずだ。
「カイルは私から離れたいのか?」
私がカイルの手を離してしまえば、もう二度と触れることはないだろう。二度と会えなくなるような気がした。
ヘタレなカイルの事だ。申し訳ないと自己嫌悪に陥っているはずだ。遠くから見守るのが償いだとでも思っているような気がする。
カイルが私から離れようとしているのが重なる手から何となく伝わってきたから、掴んで離さなかった。
「俺は……シュリアには相応しくない」
「そうだな」
カイルの顔が哀しそうに歪んだ。私が肯定すると、更に歪みが酷くなった。
「カイルの私への想いは、相応しくないからと諦めてしまえる程度のものなのか?」
「――違う!」
カイルが声を荒げた。
「本当は諦めたくなんか……!?」
握手しているカイルの手に力が籠った。離したくない、そう伝えるかのように。
「だったら、諦めなくていい――」
「シュリア……?」
カイルの顔に左手を伸ばして、カイルの瞳から零れた一粒の涙を拭った。
カイルは目を丸くしていた。涙を零したことに気づいていなかったのだろう。
気まずそうに視線を落としかけたが、すぐに私と視線を合わせ直した。
「私も、カイルに相応しいとは言えないと思う。カイルが強引に解呪したことには腹が立ったが、私にも原因があったのではないかと思う。カイルが納得するまで、『解呪したくない』とそうはっきり言い続けたら良かったのかもしれない。最初から、お嫁さんになるのが夢だと言ったら良かったんだよ。そうしたら、カイルも強引に解呪することもなかっただろうから」
誰もきっと完璧な人間なんていない。いるかもしれないが、一握りくらいだろう。私にも欠点はある。
カイルは身勝手過ぎたが、私もカイルが信じるまで何度も「解呪したくない」と言えば良かったのかもしれない。
女性として自信が持てなかったから、男性に戻った方がいいのかもしれないという躊躇いがカイルに伝わり、解呪を諦めない原因を作ったのではないだろうか。
原因を探したら、いくつでも湧いて出てくるが、全ては過去の事。だから、原因ばかり探していたらキリがないし、過去に囚われ続けることになる。
だから、私は未来を視て歩きたい。これからのカイルを誠意を見て歩いていきたい。
「私にも至らないところがあったんだ。だから、諦める必要はない――尤も、カイルが諦めたいのなら、私は引き留めないが?」
「諦めない! 俺、シュリアに相応しい男になるから……相応しい男になってみせる! だから、もう一度俺にチャンスをください!」
カイルの余裕の無い、こんな必死な姿は初めて見る。
傍から見ると情けないかもしれないが、私にはこんなカイルもカッコ良く見えるのだから困ったものだ。
もしかしたら、さっきカイルが静かに流した初めて見る涙に絆されてしまったのかもしれない。
堪えきれずに流れた涙が綺麗だなと見惚れていたから。
今も必死に涙を堪えようとするカイルが微笑ましいなと思ってしまっている。
「カイル、ちょっと屈んでくれないか?」
カイルは訝しがりながらも、言われた通りに素直に軽く膝を曲げて屈んだ。
「シュリア!?」
カイルの肩に左手を置いただけなのに、身体を固くして身構えている。
シュリアンのように拳で語ろうとは思っていないのだが……大人しく覚悟を決めて抵抗するのを諦めたのだろう。
目を閉じたら、何をされるのか見えないから余計に怖いと思うが、痛い事はしないから安心して欲しい。
「カイル、助けてくれてありがとう」
カイルの頬に口付けたら、気持ちの良いリップ音が鳴った。
目を開けて、口付けられた頬を手で押さえながら、カイルは顔を真っ赤にさせていた。
私に口付けた――あれは人工呼吸だが、その時も顔を真っ赤にしていたか。
それも仕方ない。カイルは私も好きなのだから。
「好きだよ、カイル!」
自然と口から言葉が出てきた。
カイルへの好きが友情ではなく恋情に移り変わってきているのを自覚していた。
カイルが嬉しそうに無邪気に笑った。久しぶりに見たカイルの笑顔だった。
「カイルのお嫁さんになるか、これからじっくり真剣に考える。だから、相応しい男になるのを楽しみに待ってる。ただし――また強引な手段を取ったら、次はない!」
これが今の私の答えだった。シュリアンとシュリアが出した答え。
シュリアだけでなく、シュリアンも好きだとはっきりと言ってくれたのはカイルだけだったから、カイルのお嫁さんになることを真剣に考えようと想えた。
真剣に鍛練の相手をしてくれるのはカイルくらいしか居ないし、誰よりも戦う私も認めてくれているから、凄く居心地が好かった。
狼カイルのフサフサの毛触りが忘れられない。カイルの素肌が想像していたよりもすべすべしていて、理想の筋肉にもまた触れてみたいと想っていた。シュリアンの時も、カイルはほとんど触らせてくれなかったから、存分に触れてみたい。
カイルの筋肉を堂々と触るには、婿になってもらうしかなく、つまり――カイルのお嫁さんになるわけで。公爵夫人という立場にもなる――それを考えると、怖気づいてしまった。
覚悟が決まったら、カイルに嫁ぐことにしようか。
そう急がなくてもいいだろう。まだ恋が始まったばかりなのだから。その恋が愛に変わるまで、まだ時間がかかりそうだから。
カイルの自己中心的な考え方は改めるように調教――ではなく、教育もしたい。
直情的なカイルが羨ましくもあるが、裏目に出るのは勘弁願いたい。
更生の機会を無駄にしたら、その時はカイルをバッサリ切り捨てる。
兎に角、今後のカイルの成長次第になるだろうか。カイルにはイイ漢度を育てていただこう。今のままでは、リオルは猛反対するのは目に見えているから。
でも、カイルはリオルの反面教師になってくれたから、リオルの将来の心配は不要だろう。
カイルと繋いでいた手をゆっくりと離した。
簡単に離れてしまったが、もう大丈夫だろう。
「分かった。チャンスを与えてくれてありがとう」
カイルは今まで一番無邪気な笑顔を見せて答えてくれたから。
「カイルだけ、ズルい! 僕だって、シュリアのために頑張ったのに。僕も、ご褒美が欲しい!」
カイルが私に会いに行っていると聞きつけて、急いで駆けつけてきたらしい。
ルイスの気持ちにも真剣に答えを出す時間も必要だ。
「ルイスもありがとう。助けてくれてありがとう」
ルイスが居なければ、ライナルに襲われていた。
ライナルだが、あれから捜索したがまだ見つかっていない。蛙(多分)のまま、何処に消えてしまったのだろうか。
縁があれば、また出会うことになるだろう。腹は立つが、報復できたから割とスッキリしている。
次に襲うことがあれば、今度は使い物にならないように『究極の奥義』を使う。今度こそ、絶対に狙う。
「言葉だけでなくて、僕も頬でいいから、口付けが欲しい……駄目?」
ルイスが今にも泣きそうな顔をして懇願していた。
その理由が分かるだけに、私も嫌とは言えなかった。カイルも同情していたのか、黙っていた。
乞われるまま、ルイスの頬に軽く口付けた。
余談だが、リスになったルイスの呪いを解いたのは私ではない。
乙女の口付けでルイスを元の姿に戻したのが、実は!?
――マホン副団長だった。
副団長は無類な動物好きだった。
騎士団に到着すると、騎士団長と副団長が迎えてくれた。
副団長はリスのルイスを見るなり、逃げ惑うルイスを捕まえ……口付けていた。
呪いが解けたルイスは全裸にも関わらず、その場から動かなかった。目は開いていたが、焦点が合っていなかった。
一方、口付けた副団長(既婚)もルイスだと気づいていなかったようで、放心していた。
今回の事件は、副団長も乙女心をお持ちだということで静かに終結した。
余談だが、副団長のお嫁さんは、つぶらな瞳が可愛い小動物――リスを思わせるようなご婦人だった。
でも、まだひとつだけ解決していない事件があった。
「俺も口付けてもらったら、呪いが解けると思うか?」
「いや……どうだろう。私には分かり兼ねる」
「駄目元で構わないから、口付けてみてくれないか?」
美女のイアンが迫ってくる。じわじわと追い詰められる。
リューグがカイルの後ろに隠れて、笑いを堪えていた。
「任務は終わったのか?」
「……ああ。さっき、漸く終わった」
イアンは深い、とても深い大きな溜息を吐き出した。
未だ美女なのは、最近巷を騒がせている痴漢を捕まえるための囮にさせられていたからだ。
『これだけの美女なら、痴漢も間違いなく襲ってくる』
――という、上司の一言によって。無事に痴漢を捕まえたようで何よりだ。
「それなら、オルガ様を訪ねたら解呪してくれると思うが?」
「そうかもしれないが、さっさと戻りたい。試しで戻れるならラッキーだ」
「ちょ、イアン!?」
美女のイアンに抱きしめられていた。イアンの目は据わっていた。それが妙に艶めいて色っぽい。
美女に迫られる男の気持ちが分かったような気がする。
見た目が女だからか、誰もイアンを攻撃できないようだった。
先日、笑い転げるリューグを一方的にフルボッコしていたのを見かけていた。
「離れてください!」
一人、勇者がいた。
「離れないと、解呪しませんよ!」
勇者はオルガ様だった。
遠く離れた所でキリアが仰向けで倒れているのが見えた。キリアの聖獣が寄り添っていた。癒しの呪いをかけているのだろう。
キリアが全力でオルガ様を連れてきたのだろう。イアンの為に。リューグ以上に八つ当たりされていたから。
オルガ様の言葉に、イアンは潔く私から離れた。
この場に於いては、オルガ様が最強だった。
イアンの呪いを解いている時のオルガ様は誰よりも頼もしかった。漢だった。
◇◇◇
私はお嫁さんになるのが夢だった――。
男性だった頃は叶わないと諦めていたが、女性になり、その夢は叶った。
数年後、私はお嫁さんになった。
純白のウエディングドレスを着て、旦那様と愛を誓い、口付けを交わした。
令息から令嬢に転身してから、沢山の楽しい思い出が走馬灯のように甦ってきた。
未婚令嬢誘拐事件解決から約1年後、再び事件が勃発した。
アマレロ伯爵領で淑女誘拐事件が起こり、遂にマリアルも誘拐されてしまった。
その知らせを受けて、私も救出に向かった。女体化したイアンとルイスと共に囮作戦に参加した。カイルは視覚的に無理だった……。
この事件を切欠に、幾つかのロマンスが芽生えた。勿論、私のロマンスも。
芽吹いた恋が愛という名の花を咲させた――秋晴れの日。
――私は強面ヘタレ騎士のお嫁さんになった……かもしれない?
『女の子、始めました!』完