2.帰郷
生まれ育ったブラウ伯爵家に到着した。帰郷するのは半年振りになる。
今日まで5年と数ヶ月、王都で暮らしていた。
12歳で王国騎士団に入団し、従騎士として2年勤め、その後聖騎士になった。
これまで寄宿舎生活をしていたが、女子禁制の官舎に滞在するわけにもいかず、休暇も兼ねて帰郷することになった。
「ルナ、ありがとう」
私は召喚の儀で契約した聖獣の純白の背から地面に降り立ち、頭の上にある角を優しく撫でた。
ルナはユニコーンと呼ばれる聖獣だった。一見は馬に見えるが、額の中央から一本の角が生えている。
ルナは『どういたしまして』と念話で答えると、瞬く間にその姿を消した。
「さて、行くか」
屋敷に向かって足を踏み出し、エントランスに入ると弟のリオルが満面の笑顔で出迎えてくれた。
リオルがこちらに向かって走って来るのが見えた。
跳ねる度に、リオルの蜂蜜色の柔らかい髪の毛がふわふわと揺れる。
「兄様、お帰りなさい!」
リオルが勢いをつけたまま、飛び着いてきた。身体がよろめいたが、何とか受け止めることができた。
「リオル、ただいま」
「兄、様!?」
リオルの顔が埋めた場所が丁度私の胸だった。
「兄様の胸……腫れてるの? 病気? 痛い?」
心配そうな表情でリオルが見上げていた。
「大丈夫だ。痛くない」
「なら、良かった。痛くないなら、あの……触ってみてもいい?」
私と同じ碧色のリオルの瞳が私の胸をじっと見つめている。興味津々といった感じで、キラキラ輝いていた。
血の繋がった弟とはいえ、立派な男の子。触らせるのは如何なものかと思ったが、少し首を傾げながら上目遣いで窺われると願いを叶えたくなる。
リオルの寂しがりやな子ウサギを思わせるような垂れ目に弱かった。
私もリオルと同じ7歳の頃は好奇心旺盛だったから、気持ちは分かる。物珍しい物を見つけるとついつい触ってしまった、そんな記憶を思い出した。
でも、このまま素直に触らせてしまうのも勿体ない気がする。
「私のお願いも聴いてくれるなら、触ってもいいよ」
「お願い? 何?」
「今日からは、姉様と呼んで欲しい」
「姉様? どうして?」
リオルは反対に首を傾げた。不思議がるのも当然だろう。身体は女性になったが、顔の造りは殆ど変わっていなかった。
変わったのは頬くらい。シャープだったラインが少しふっくらし、丸みを帯びた。
着ている私服も男物だ。当然、女性用は持ち合わせていない。胸周りがゆったりした服を選んだ。余った袖や丈も折り曲げているので、不格好になっている。
「兄様は女の子になったんだ。だからもう、兄様ではないんだ」
「よく分からないけど……姉様と呼んだらいいんだね?」
「そうだ」
「じゃあ、姉様! 触ってもいい?」
肯くと、リオルは私の胸にそっと触れた。
「……柔らかい。母様の胸と同じだ」
リオルは胸の形に添って円を描くように両手を動かしながら、「母様のより、大きいかな?」と呟いていた。
「リオル、お勉強の時間よ」
リオルは自分を呼ぶ声が聞こえてきた方、背後を振り返った。
其処には、リオルと同じ蜂蜜色の髪と碧色の瞳の女性――母のニーナが立っていた。
「もうそんな時間? 姉様が帰ってきたのに……行きたくない。行かなきゃ、駄目?」
リオルは胸から両手を離すと私の腰に回してしがみ付きながら、母を見上げていた。今にも泣きそうだ。瞳がウルウルしている。
「シュリアンなら、暫くお家に居るわ」
「ほんと? いつまで居るの?」
「そうねえ……お嫁に行くまでかしら?」
「じゃあ、お嫁に行かなければいいよ。そうしたら、ずっと僕と一緒に居られるでしょ?」
口を挟む間もなく、母とリオルの会話が進んでいく。
「お嫁に行くかはまだまだ先の話だから、兎に角、今はお勉強にいってらっしゃい」
リオルはまだ納得できないのか動こうとしなかったが、勉強しなければ私とは会わせないと母に言われてしまい、侍女に手を引かれて渋々自室に戻っていった。
「シュリアン、お帰りなさい!」
リオルを見送った後、母は私の方に向きを変えると抱きしめた。
身長は母より少し高いだけ。数年前に追い越したはずたったのに。女性の身体に変化すると共に、身長も縮んでしまっていた。声色も声変わりする前のような女の子らしい声になっていた。
確かに願いは叶ったが、本当にこれで良かったのだろうか。押し込めていた不安が一気に募った。
男性に戻りたい、とは思えなかった。これから一生、女性として生きていきたい、そう想った。
でもそれは、私の身勝手な想いでしかない。
「母様、あの……」
謝罪すべきなのだろうか。最善の言葉が見つからない。
「わたくしはどんな姿でも貴女の願いを応援するわ。だから、安心して」
母は私の耳元で囁いた。
リオルは言われるがままに素直に『姉様』と呼んでくれたが、本当の意味で受け入れてくれたのかは分からない。
後数年経てば、理解できるようになるだろう。どのような結果になるのか、それを知るのは怖い。
「わたくしの可愛い娘、お帰りなさい」
母は私の事を『娘』と呼んでくれた。
女性として生きていくと決心したが、屋敷に戻ってくるまで家族に受け入れられなかったらどうしよう。そんな不安が尽きなかった。
でも、母は受け入れてくれている。その事は抱きしめられた温もりからも伝わってきた。
「ただいま、母様……ありがとう」
母は12年前の叔母の結婚式での出来事を覚えてくれている――そう思ったら、感極まって私の両瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
そんな感動の再開も束の間、母の一言で、私もリオルと同じように侍女達に手を引かれて浴室に連れて行かれた。
「娘らしく、着替えましょうね」
母は瞳を潤ませながらもとても楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。
◇◇◇
私は今、人生初のドレスを着ている。父にプレゼントされた、母の取って置きのドレスだという。
そのような大事なドレスを私が着ていいのか戸惑ったが、母は「自分にはもう若すぎるデザインだから」と半ば強引に着替えさせられた。
少し胸周りがきついことを除けば、他はピッタリだった。
「……似合ってる。わたくしの若い頃にソックリだもの、当然よね」
母は私の胸元を見て苦笑しながらも、誇らしげに言った。
鏡に映る自分の姿は母とよく似ていた。元々が女顔だった。特に今は背格好もほぼ同じだから、瓜二つに見える。
蒼から蜂蜜色の髪色に変えると、見間違えるくらいに酷似している。
母は30代後半だが、見た目は若い。17歳の私と並んでも、姉妹だと言っても信じてしまうだろう。
絶世の美女というよりは雰囲気美人。際立った特徴はないものの、顔の造りはバランス良く整っている。紅などほんの少し手を加えると華やぐ、化粧が映える顔立ちだった。
「この姿を見たら、きっとクリストフも喜んで貴方のドレスを仕立ててくれるわ」
クリストフというのは父の名前だ。
母は力説していたが、父は喜んでくれるのだろうか。娘になってしまった私を受け入れてくれるのだろうか。
それは、実際に会ってみなければ分からない。
父は今、領地の視察に行っている。
我が領も今回の豪雨の影響で川が氾濫し、道路が冠水した。作物や家屋にも多大な被害を被った。
父は領主として、王都から派遣された王国騎士団員と共に領内の各地を廻り、復興に努めている。
私も男性のままであれば、自領復興の希望を懇願し赴いていただろう。
結局は豪雨の原因となった遺跡の調査中に性転換の呪いに遭い、女性になってしまったため、駆けつけることはできなかった。
豪雨に関しては、既に問題解決している。あの呪いが間接的な原因だった。
私が呪いを受けた直後、呪いの魔法陣は消滅した。その魔法陣は魔力の供給源となっていたから、豪雨の原因だった魔法陣も完全に機能を停止した。
あの後、王都に戻り、医師の診察を受けた。この1週間、身体検査の毎日だった。医療塔に軟禁されていた。
診断の結果、性転換を除けば、呪いによる心身の影響はないということが証明された。
幸い――とでもいうべきか、解呪の方法は見つからなかった。
騎士団への入団の資格は男性のみに許されている。女性のままでは混乱を招く恐れもあるから、帰郷するのが安全と判断された。
「旦那様がお帰りになりました」
支度が整った丁度その時――執事長のジュノーが父の帰宅の知らせを持ってきた。
父の帰宅後間もなく、執務室に呼ばれた。
室内に設けられたソファーに腰かけ、父と向かい合っていた。
威厳が滲み出ている父と真正面から向き合うのは少々苦手だったが、逞しい体躯に憧れを抱いていた。私も将来、同じように逞しくなるのだと信じていた時があった。
「――騎士団長から、話は全て聞いた。決心は変わらないのだな」
「はい。変わりません」
私は父の藍色の瞳をしっかりと見つめ、はっきりと答えた。
決心――というのは、一生女性として生きていくことだった。
今、王国騎士団は、各領の復興に忙しい。
王侯貴族の護衛や王都の治安といった通常の業務に加え、解呪探しに時間を費やすことで騎士団の任務にも支障が出てしまっていた。
王都内にある文献は全て調べ尽くしたと聞いた。諦めの声も多々聞かれた。不満の声も。
見つからない方が私にとっても都合が良いし、打ち切ることを騎士団長に自ら願い出た。そうすれば、全て丸く収まると。
「……そうか、分かった。君の気持ちを尊重しよう」
父はあっさりと了承した。その顔は優しい。穏やかだ。
きっと父は、私が女性になりたかった、その事に薄々気づいていたのだろうか。
もしかしたら、あの日の出来事を母が父に伝えていたのかもしれない。そんな気がした。
「ありがとうございます」
「これからどうするつもりだ?」
「母様から令嬢としての教えを請います」
これまでは男性として生きて行くと決心していたから、令嬢に関する知識は持ち合わせていなかった。
あまり深く知らない方が、男性として生きていけるだろうからと。
でも、これからは女性として生きていくのだから、必要となってくる。
「私からも、ひとつ頼みがある」
「何でしょう?」
「私が君に教えたことを、そのままリオルに伝えて欲しい」
父から教わったのは、簡単に云えば領主としての心構えだ。
領地の運営などは家庭教師から学ぶが、基礎的な事だ。領主として経験しなければ分からないことの方が多い。
そういった体験談は領主から直接訊く方が身に付きやすい。父子のコミュニケーションを大事にしたいという想いもあり、父も時間があれば、私に領地のイロハを教えてくれていた。リオルも最近、父から学び始めたところだった。
「領地の復興はまだまだ時間がかかる。リオルも君がいなくて寂しい思いをしているから、丁度良いだろう。頼まれてくれるか?」
私が女性になったことで、ブラウ伯爵家の後継はリオルに移ることになる。
我が国では後継は男子と法で定められているため、私は後継から外れる。
そのため、これから次期領主としての重みがリオルに一気に圧し掛かることになる。
私もリオルと同じ立場だったから、重圧がどれほどのものか理解している。
だから、父の頼みは建前で、リオルの精神的な支えにもなって欲しい、というのが本音だろう。
「分かりました。父様から学んだ事全て、リオルに伝えます」
「助かる。ありがとう。ところで……その……」
いつも率直に話す父には珍しく、口ごもった。
「父様?」
「君は将来……嫁ぐのか?」
一瞬、父が何を言っているのか、分からなかった。意味が分からないのではなく、何故言い淀んだのかが理解できなかった。
私自身は、令嬢になったのだから、嫁ぐのが当たり前だと思っていた。嫁がなければ、お嫁さんになる夢は叶わない。
突然息子が娘になったのだから、父も動揺しているのだろう。そう結論付けた。
「いずれは――と考えています。今の段階では子供を授かる身体であるのかが分かりませんので、定期的に医師の診察を受け、それから改めて決めようと考えています」
前代未聞の出来事ということで、今後も呪いの影響がないか、定期的に調べることになっていた。
医師の診断では、「月経が訪れれば子供が授かる可能性は充分にある」ということだった。
どうやら、月経が訪れても、必ずしも子供が授かるというわけではないらしい。
詳しい話はあまり聞けなかったので、そのうち母に訊ねてみることにしよう。
「どうするのか決まったら、教えてくれ。色々と準備も必要になってくるからな」
「分かりました」
「服も早く仕立てた方がいいか……」
父の視線が私の胸元に集中していた。
一度、ワザとらしく咳払いすると、苦笑しながら視線を戻した。
「服の仕立てについてはニーナに任せるから、相談しなさい」
早速服を仕立てるべく、手筈を整えてくれるらしい。母の服では胸が圧迫されて苦しかったので、正直に嬉しかった。
「ありがとうございます、お父様」
母の言う通りに父を『お父様』と呼んでみたら、父は顔を綻ばせていた。頬もうっすらと紅い。
平常は厳つい偉丈夫な父だが、母に関しては顔が緩む。
父から譲り受けた蒼の髪色以外は母にそっくりだから、どちらかというと昔から父は私に甘かった。
母にぞっこんな父は私を見て、嬉しそうにしていた。その表情に私の緊張も解け、胸を撫で下ろすことができた。