18.救世
隣の部屋には調度品はなく、一人用の寝台がひとつ中央に置かれているだけだった。ベッドメイキングはされていなかった。マットの上に畳まれたシーツがぽつんと置かれていた。
部屋の大きさは縦横幅10メートルくらいだろうか。大人一人が通れるくらいの出窓がひとつあるが、壁が暗い灰色だからか全体的に薄暗い。
「寝台に括り付けれって言われてもな。こう何もないんじゃ……使えるのはコレくらいか。んじゃ、横になんな!」
「――んっ!」
ライナルはマットの上に置かれているシーツに目を付けると、私を寝台の上に放り投げた。拘束された両手を下敷きにして、仰向けに横たわった。
マットに打ち付けられた時に、脹脛のところに何か毛のようなモノが触れた。くすぐったさに堪えきれなかった、くぐもる声が漏れた。同時にスカートの中で『カサッ』という生地の擦れとは違う小さな音もした。
「何か今、色っぽい声が出なかったか? もしかして、期待してるとか?」
「幻聴だ」
「……そういうことにしといてやる。いいから、大人しく寝てろよ」
ライナルは気にした様子もなく、手に取ったシーツを器用に切り裂いていた。
それで寝台に括り付けられるのかと思うとうんざりしたが、今はそれを気にしている場合ではなかった。
一瞬だが、スカートの裾から何かが顔を出した。その何かは――リス。呪いにかけられたルイスがスカートの中に潜んでいた。
ライナルがシーツを裂く音と重なるように、私のスカートの裏地を引っ掻く音が微かに聞こえた。その音でルイスの意図してることが伝わってきた。
「縛られた手が下敷きになって痛いから、横向いてもいいか?」
「……ああ」
怪訝な返事だが多少の気遣う心はあるのか、ライナルは許可した。
ライナルに注視されたまま顔はライナルの方を向けて、拘束された両手は隠れるように横に向きを変えた。
その後もライナルは余計な動きをしないようにチラチラを私の方を窺っているが、こちらの動きには気づいていないようだった。
今、私の背後にはリスになったルイスがいた。スカートの後ろ側の裾から出て、拘束されている私の両手まで移動してきた。
リスのルイスは、歯牙で若草色のタイを噛み裂いていた。
「何時から、あの男と繋がっていたんだ?」
ルイスの存在に気づかれないように、少しでも気を逸らせればとライナルに話しかけた。
「……半月前だ」
意外にも素直に答えてくれた。渋い表情から、あまり良い出会いではない事は見て取れた。
半月前ということは、キールトンの脱獄後か。移動系の魔法陣を使っていたところから推測すると、自力で脱獄したのだろう。
「博打で多額の借金を抱えていたところに現れて、肩代わりしてくれた」
問い質してはいないが、ライナルは勝手に喋り出した。やはり、碌でもない出会い方だった。
「それで……呪いでもかけられたか?」
ライナルは大きく目を見開いた。図星のようだ。
「首謀者だと知っていれば、奴に借金の肩代わりなんて頼まなかったのに!」
印象が薄い顔立ちとはいえ、アマレロ家襲撃事件にはライナルも居たから顔は見知っていたはずだ。呪いをかけるくらいだから、変装して近づいたのだろう。
「あの男……ふざけやがって! ここで、お前を穢したら奴はどう思うだろうな。全部、お前の所為だ! 俺の肋骨が折れたのも、急所を蹴られたのも、呪いをかけられたのも全てお前の所為だ! 責任取れ! 俺に犯されろや!」
いつの間にか、キールトンへの怒りが私に矛先を変えてしまったようだ。
私の所為だと叫ぶが、完全にライナルの自業自得だ。
両肩を寝台に押し付けられて、両足もライナルに上から跨れて動きを封じれてしまっている。
昔を思い出して身体が強張ったが、もう何もできないあの頃の私ではない! と自分を叱咤激励した。それに今は、可愛い相棒もいる。
「いてっ!」
リスのルイスがライナルの脛の弱い部分に噛み付いていた。
逆上して頭に血が上って興奮しているライナルは気づかなかったようだが、寝台に押さえつけられる直前に、両手の拘束は外れていた。ルイスがギリギリのところでタイを噛み裂いてくれていた。
「――ぅぐっ!」
ルイスの噛み付き攻撃で押さえつけられていた圧力が緩んだ隙にライナルを押し退け、渾身の力でライナルの鳩尾目掛けて膝蹴りを入れた。位置的に狙いやすかった。
私の方へ倒れてくるライナスの腕を掴んで、手首を返すように回してライナスの全身をくるりと反転させ、床に投げつけた。
身体を起こしてライナルが裂いていたシーツを手に持ったが、落ちぶれても現役の騎士、ライナルは鳩尾を押さえながらもずりずりと後ずさり、私から距離を取った。
直ぐには動けなさそうだが、ライナルの朱色の瞳は闘志を漲らせている。下手に近づくと返り討ちに遭うだろう。これでもライナルは騎士として剣や体術は優れていた。先ほどはルイスの不意打ち攻撃があったから、楽に反撃できたようなものだった。
暫く睨み合いを続けていたが、先に動いたのはライナルだった。
「この女が!」
ライナルが腰に挿していたいた剣を鞘から抜き、迫って来た。
対する私は、手に持っていたシーツを魔法で凍らせた氷の剣で応戦した。
狭い部屋では、ライナルよりも身長が低い私の方が有利だった。
「ちょこまかと動きやがって」
体力はライナルの方が上だが、繊細な動きが苦手な分、大胆な力任せな動きが多く、私よりも息は上がっていた。とはいっても、ドレス姿の私もスカートが纏わりつき動きが制限される分、決め手にかけていた。素手には氷の剣は冷たく、長引く戦闘には不向きだった。
隙を逃さなかったライナルの剣が氷の剣を弾き飛ばした。
「しまっ――」
「これで終わり――っ!?」
無謀にもライナルの剣を受け止めようと両腕をクロスの形に組んで構えたが、予想していた衝撃はなかった。代わりに眩い光が襲い掛かって来た。
ライナルの剣が振り下ろさることはなく、空中で軌道を変えたかのように私の真横に無造作に「カラン」と落ちて行くと同時に、光も消えた。
目前に迫っていたライナルの姿も消えていた。ルイスの時と同じように衣服だけが残っている。
「――全く、大人しく寝台に括り付けとけと言ったのに、俺の大事な器を傷つけようとしやがって!」
「ぐぇっ!」
キールトンが衣服の下でモゾモゾと動いている物体に向かって足を下ろして踏みつけると、蛙のような鳴き声が聞こえてきた。
衣服の隙間から水かきのような前足が見えていたから、呪いで蛙の姿に変えられたのだろう。全く動きを見せていないが、単に気を失っているだけなのかは判別がつかなかった。
「いつの間にか、招かざる小者も紛れ込んでいたようだな」
「――ルイス!?」
ルイスがキールトンに捕らえられていた。指全体でリスの首元を締めるようにして。
キールトンの手の中で、ルイスがもがき苦しんでいた。
「まあ、丁度いい。準備が整った。此奴を殺されたくなければ、大人しくついて来い!」
ルイスの身を危ぶみ、言われた通りにキールトンの後をついて行くしかなかった。
私はキールトンに悟られないように、胸の谷間に手を突っ込んだ。
「其処に立て! 忌々しい呪いを解いてやる」
キールトンの指示に大人しく従う素振りを見せたが、魔法陣が描かれている手前で留まった。
「何をして――お前!?」
「ルイスを離せ!」
胸の谷間から取り出した折り畳み式のナイフの刃を自分の胸に向けた。心臓目掛けて、肋骨と肋骨の間に入れるように服の上から押し付けた。
肉体はそのままでも魂を浄化されてしまえば、死んだも同然だ。
最悪、死を覚悟しているが、むざむざと死ぬつもりもない。賭けだった。所謂、時間稼ぎだ。
勘だが、助けに来る。きっとカイルが助けに来る、そんな気がしていた。自信があるわけでもない。ただ、何となくそう想った。
それに――カイルにかけられた呪いを無意識に解いてしまわないように、自ら強固に呪をかけたのだ。簡単に解呪させられるわけにはいかない。解呪させられたら、カイルの記憶から私が消えてしまう。それだけはどうしても避けたかった。嫌だった。
カイルはどうしようもない奴だが、カイルとのかけがえのない想い出が沢山ある。その想い出をカイルに忘れて欲しくない。これからもずっと覚えていて欲しい。
勝手に忘れられてもらっては困る。私を忘れて、呑気に生き続けるだなんて、それこそ許せない。
どんな理由であれ、カイルには呪いをかけたことには変わりない。だから、罪を償ってもらわないと気が済まない。私を想う気持ちが本気だというのなら、永遠に私を想い続けて罪を償ったらいい。
カイルから魂の契約の呪いをかけられたその日の夜、私は強固の呪いを重ねがけした。眠っている間に解呪してしまわないように、誰かが勝手に解呪しないように。
この3日間、カイルが何故こんな呪いをかけたのか、冷静になった頭で考えていた。呪いの中でも簡単に解けてしまう魂の契約呪をかける必要はあったのだろうか。
この魂の契約呪は、呪いの恐ろしさを自覚するために大多数の子供が絵本で習うが、魔法陣の描き方は絵本には書かれていない。騎士や魔法陣研究者が基礎として最初に学ぶが、簡単に解かれてしまうし代償も大きいため、わざわざこの呪いをかけようとする者はいない。
絵本では、失恋した若い男が元恋人に魂の契約呪をかけ、呪いが解かれて命を落としていた。
失恋男の身になって考えてみた。
恋い焦がれる相手が自分以外の者と婚姻で結ばれてしまったら、さぞかし辛いだろう。自分に振り向かない相手を想い続けるのもきっと辛い。
それなら、忘れてしまいたいという気持ちも分かる気はする。
恋多き人生を送る人もいるが、真に結ばれる相手は唯一人だと私は想っている。だから、自分以外の相手を選んだとしても、その相手が相思相愛であれば、自分とは縁がなかったいうことなのではないだろうか。
最初はそう想えないかもしれないが、いずれは自分にも唯一の相手が現れて、結ばれるのではないだろうか。というか、そうであって欲しい。
そこで、私とカイルにも当て嵌めてみた。カイルが他の女性と結ばれたら、どう想うかと。
カイルの隣にミリア様の姿を浮かべた途端、祝福できないということははっきりと分かった。
ミリア様だが、私の成人祝いのあの日から一度も会っていない。ミリア様は王都暮らしだが、父――パルガン侯爵の妹が嫁いだ辺境地で静養しているらしい。ミリア様が私を罵倒したことをカイルがパルガン侯爵に報告したようだ。父に届いたパルガン侯爵からの謝罪文には、娘を甘やかせたことを詫び、厳しく再教育する旨が書かれていた。
マリアルならどうかと考えたが、そもそもマリアルがカイルを選ぶとは到底思えなかった。
『一途な男はいいけど、あんなヘタレ男は勘弁だわ。私の好みとは真逆だわね。あんな男を選ぶ令嬢は物凄く懐が広いのではないかしらね。まあ浮気の心配は要らなさそうだし、教育し甲斐はありそうだけど?』
そう言って、マリアルは含み笑いをしていた。
実際にカイルに惚れる懐の広い令嬢が現れたら、自分の気持ちも分かるかもしれないが……あまり考えたくない。
カイルと出会ってからの6年もの想い出をキールトン――シンザ氏由縁の輩に消されてたまるものか。
解呪されそうになった今、カイルの記憶から私の記憶を絶対に消したくない! その気持ちだけははっきりした。
「ルイスを殺せば、私も死ぬ」
本気だった。ルイスも大切な仲間だ。ルイスを見殺しにしてまで、生き延びるつもりはなかった。
「だから、俺は反抗的な女は嫌いなんだよ。あーくそっ!」
キールトンは悪態を吐きながらも、ルイスを離さない。
「分かったよ――他に従順な令嬢を探すわ。だから、勝手にしろ!」
「止めろっ!」
キレたキールトンがルイスの首を絞めつける指先に力を入れていた。このままではルイスが窒息してしまう。
キールトンの手の中でルイスが必死に逃げようともがき続けている
不意を突くこともできない。キールトンは、私から目を逸らさずに自分に危害を加えるような動きをしないか見張っていた。
――カイル、助けて! お願い!
心の中で必死に祈るように叫んだ。
今までどんな危機に陥ろうとも、カイルが助けに来てくれた。
どんな危険な任務でも、カイルが一緒だったから、立ち向かえた。
カイルは私にとって、頼れる相棒で憧れの騎士だった。
「……ル、……けて!」
口から出た言葉は途切れてしまい、思うように紡げない。
でも、想いだけは、カイルにだけは届いて欲しい。そう祈った。
――ガシャン!
突然、窓ガラスが大きな音を立てて割れた。
「何っ!?」
窓際に立っていたキールトンに割れたガラスの破片が襲いかかった。
身を庇う際に、キールトンがルイスから手を離した。ルイスがキールトンの手から解放された。
床に放り投げられたルイスはコロコロと私の方へと転がってきた。
「――カイル!?」
ガラスが無くなった窓枠から、カイルが部屋の中に入ってきた。膝のばねを利かせて華麗な動きで床に着地した。すっと立ち上がると、剣を構えキールトンと対峙した。
「シュリア、無事か?」
キールトンからは目を離さずに、視界の隅で私の姿を捉えながら、カイルが第一声を発した。
突如、1年前の記憶が甦った。
『シュリアン、無事か?』
山賊に捕まり、命を刈り取られそうになった時も、カイルは同じように助けてくれた。
祈りが通じた。きっともう大丈夫。萎みかけた希望に光が差した。