17.黒幕
「――弟の命を助けたければ、こっちに来い!」
当家の庭でルイスとキリアの鍛練を見学中、先の襲撃事件で捕らえられ、脱獄し行方を晦ましていた男がリオルの首元にナイフの腹を食い込ませながら突然現れた。ナイフを持つ手首を少しでも返せば、リオルの頸動脈が斬られる。
「姉様、来ちゃ駄目だ!」
「喋るな。首が斬れるぞ」
「――っ!?」
男は愉快そうに笑いながら、リオルの首にナイフを一層食い込ませた。刃が掠れたのか、リオルの首から一筋の血が流れた。
「――がっ!?」
「キリア!?」
「動くな!」
数メートル離れた場所でキリアが右肩を押さえながらうつ伏せに倒れていた。痛みで顔を歪ませていた。負傷した腕がだらんと垂れていた。肩を外されたようだ。
ルイスがキリアの傍に向かおうとしたが、此処に居るはずのない場違いな騎士がキリアの頭に剣先を向けていた。この裏切者の騎士――ライナルが黒幕と繋がっていたというわけか。
当家の護衛騎士達は全て昏倒させられていた。遠くからでは息をしているのか判断できないが、微かに気配は感じるから、命までは奪われていないのではないかと思いたい。
運が悪いことに、父は領地の視察に出ていた。
応戦できるのはルイスと私だが、リオルとキリアが人質に獲られ、動きを封じられている。
「貴様――」
「剣をあっちに捨てろ!」
「――チッ」
ルイスは舌打ちをしながら、ライナルが顎をしゃくり示した方向に向かって剣を放り投げた。
「避けるなよ」
ライナルはキリアを拘束すると、ルイスに向かって掌大の球を投げた。
球がルイスの足元に落ちると魔法陣が出現した。発光し、ルイスの身体は光に覆われた。
光が消えると、ルイスの姿は衣服だけを残して消えていた。置き去りにされている上着が不自然な動きを見せると、中から小さなリスが現れた。
「お前……ルイスに呪いをかけたのか?」
歯をギリギリと噛みながら、ライナルを見上げた。
「見れば分かるだろ。折角女の子になったんだから、そんな怖い顔しちゃ駄目だって――また襲われたい?」
ライナルは私の全身を舐めるように見ながら胸の辺りで視線を固定すると、舌を出して上唇を舐めていた。この男は――私を襲った先輩騎士の一人だった。上着を破き、ズボンを脱がせようとしていた方の。
この場所にマリアルが居なくて良かった。マリアルは今日、当主に呼ばれ一時的にアマレロ家に戻っていた。他の聖騎士が護衛に就いている。
「今日は、お友達のお嬢様はいないのか。彼女には責任をとってもらおうと思ってたんだけどな。残念だ」
マリアルを襲った男でもあった。もしマリアルが此処に居たら、この男に連れ去られていただろう。
「無駄話はその辺にして、女をこっちに連れて来い!」
「分かったよ――大人しくしていろよ」
ライナルは主犯格の男に不貞腐れながら返事をすると、騎士の証である若草色のタイを外した。私の両手を背中に回すと外したタイを巻いて両手を拘束した。騎士のタイは特殊な生地を使われているため、簡単には解けない。魔法を封じる呪印が施されていた。
「歩け!」
後ろから背中を押された。逆らえずに、足が前へと進んでいく。
男との距離が徐々に近づていった。
リオルが涙目になりながら、「来ちゃ駄目」と小声で呟き続けていた。
「リオルを離せ!」
「約束通り、離してやるよ」
男との距離が20センチまで縮まったところで、リオルは解放された。
もしここでリオルを放さなければ、私の膝蹴りが炸裂したことだろう。察知されたのかもしれない。
「うわっ!?」
「リオル!?」
リオルが数メートル先の地面に投げ飛ばされた。
足をリオルの方に向かって一歩踏み出したが、ライナルに拘束されたタイを掴まれて動きを封じられた。
男はリオルを放り投げた後、懐から握り拳大の球を取り出した。その球を地面に投げつけると魔法陣が現れた。
その魔法陣の文様は、聖獣を召喚する際に現れる魔法陣に良く似ていた。逆向きだから、何処かへ送還されるのだろう。
「姉様――!?」
リオルは左手で胸を押さえて蹲りながらも、私に向かって必死にもう片方の手を伸ばしていた。
光に包まれた直後、敵の男達と共にその場から私の姿は消えた。魔法陣も痕跡を残さず、跡形もなく消えていた。
◇◇◇
魔法陣の光が消え視界に飛び込んできたのは、天蓋付きの大きな寝台だった。
柔らかくて軽そうな掛布団の盛り上がり方から、人の形だと推測できた。でも、どこか違和感があった。
「――ようこそ。我が屋敷へ」
男が寝台に近づき、端に腰掛けるとそう言った。
「招待を受けた覚えはないが、私に何の用だ?」
「この状況でも元気に吠えるとは、勇ましいお嬢さんだ。俺は大人しい女が好きだが……まあ、いい。どうせ、中身は俺好みの女になるんだし」
男は品定めするように、私の全身――頭の天辺から足先まで視線を移動させながらゆっくりと眺めていた。
厭らしい目つきではないが、途轍もなく不快を感じた。
「入れ物としては悪くない」
満足そうに肯く。男の言っている意味は理解できないが、碌な事ではないことだけは直感した。
「なあ、立ってるの疲れたから、座ってもいいか?」
「……そこの椅子に座ってろ」
気怠そうなライナルの声に男は苛立った様子を見せたが、部屋の端にある椅子を指さした。
ライナルは濃茶色の木製の椅子の背凭れ側を寝台の方に向きを変えると、本来の座り方とは逆に座り、背凭れの上部に両腕を組んで乗せ、その上に顎を乗せていた。何ともだらしない座り方だが、男は気にするのは止めたようだった。無視していた。
気を落ち着けるように一息吐き出すと、場を仕切り直すように名乗った。
「一応、自己紹介をしておこうか――キールトン・シンザだ」
まさか――!? 家名には聞き覚えがあった。
「良い反応だ、目が零れ落ちそうだぞ。驚くのも無理はないか。自分に呪いをかけた男と同じ家名だもんな」
「お前は――」
「ブライトン・シンザは兄貴だ――といっても俺は、妾の子で存在を隠されていたから、俺の事を知る者は殆どいない」
主犯格の男――キールトンは機嫌が良いのか、一人勝手に出自を語り始めた。
「俺は殺されるはずだったが、兄貴が匿ってくれたおかげで俺は生き続けることができた。兄貴は俺の恩人になるが、善意で匿ったわけでもなかった。呪術の助手兼実験台にされたよ。自力でも解呪したが、まだいくつかの呪いはかかったままだ。けど、お蔭で呪術に詳しくなったし、そう不幸でもなかったな」
不幸な生い立ちを話す割には、あっけらかんとしていた。
「兄貴が呪いの返り討ちで死んで、俺は笑いが止まらなかった。これで俺は自由になれるってな」
真から喜んでいる無邪気な笑いだった。
「兄貴は禁書の他にも沢山の財産も隠し持っていたからな、一生暮らすのに困らなかったよ」
この男がブライトン・シンザの文献や禁書を持ち出していたのか。黒幕で間違いないだろう。
シンザ氏の顔は知らないのでキールトンに似ているのかは分からないが、見た目は20代半ば。シンザ氏が存命であれば40代半ばを過ぎているはずだから、歳の離れた兄弟だったのだろう。
改めてゆっくりとキールトンを眺めた。顔立ちは平凡だ。これといった特徴がない。髪は土色で人混みに紛れると見つけるのは難しそうだ。呪いのためか、瞳は白目と同化するくらい透き通るような色素が抜けきった薄い茶色だった。
自由を得、多くの財産を持った男が何故、今回の事を企てたというのか。真の理由はまだ見えてこない。
「セピア遺跡の魔法陣はお前の仕業か?」
「そうだ」
「豪雨で各領土を浸水の被害に遭わせて王国騎士団が復興で派遣されるように仕向け、警備が手薄になる隙を作らせて令嬢達を誘拐する目的でか?」
「ご名答だ」
推測は当たっていた。
ご機嫌なのだろう。すらすらと喋ってくれる。
「未婚令嬢に狙いを定めたのは、聖獣を召喚し契約させるため?」
「それも正解だが――生娘の身体も両方欲しかったんだ。一石二鳥だろ?」
「何を企んでいる?」
「理由は――俺の後ろ」
キールトンは片足を寝台の上に乗せて後ろを向くと、盛り上がっている部分を掛布団の上から愛おしそうに優しく撫でていた。
「こっちに来い! 見てみろ」
「これは――っ!?」
誘われるままに寝台に近づくと、掛布団から顔を覗かせていたのは、女性の顔だった――が、息をしていなかった。
先程の違和感の正体がようやく理解できた。呼吸の動きがなかったのだ。頬の赤味はなく、顔色も蒼白だった。
死後どのくらい経っているのかは不明だが、朽ちた様子が一切見られない様子から呪いをかけられているのだろう。寝台の下が淡く光っているのが見えた。床に魔法陣が描かれているようだ。
「美しいだろう?」
清楚な美しさというよりも妖艶という言葉が当て嵌まるような女性だった。
右の目じりには泣き黒子があり、厚めの唇には真っ赤な口紅が塗られていた。目は閉じられているから瞳の色は分からないが、肩より長めに切り揃えられえている漆黒のストレートの髪は濡れたような艶を帯びていた。一度動くと色香が舞う黒蝶のような。
「気に入っていたんだが、今日でこの姿ともお別れだ。名残惜しいが、動かないのはつまらないからな。それに――俺が愛しているのは中身だから、外見が変わろうが全く問題ではない。お前もそう思うだろ?」
キールトンは嘲笑いながら私を凝視していた。
中身を愛するというのは同意するが、獲物を捕らえるかのように見つめられると嫌な予感しかしない。思わず、鳥肌が立った。
「先程の答えだが、聖獣の角でお前の魂を浄化する」
「それはどういう――!?」
「お前の身体にカナリアの魂を入れるには、お前の魂は邪魔だ。だから、浄化する」
やはり、碌な事ではなかった。鳥肌も立つわけだ。
「本当はカナリアが病気で亡くなる前に、聖獣の角で癒せたら、お前の魂を浄化することもなかったんだが……己の不運を恨んでくれ」
魂を浄化されないとしても、どちらにせよ聖獣の角は強奪されることには変わりない。キールトンの企みに賛同するわけにはいかないが、魔法を使えない状態では反抗する手立ても見つからない。
ライナルが傍から離れるのを許可したということは、この部屋からは簡単に出られないという強い自信があるのだろう。
「さあ、始めようか!」
寝台から降りたキールトンが私の手を引き、寝台と対角線上になる位置に移動した。
指定された場所に置かれると、魔法陣が浮かび上がった。目の前にももう一つ。
「ルナ!?」
目前の魔法陣で私の意志とは無関係に強制的に聖獣を召喚したようだった。
ルナは微動だに動かない。正規の召喚ではないからか、呪術の力が働いているのか、魔法陣は浮かび上がったままルナの動きを封じていた。
私も同じように動きを封じられていた。ルナに触れることすら叶わない。
あっさりと敵に捕まり、抵抗ひとつもできない自分が歯痒い。悔しい。
「ルナ、ルナ!」
言葉だけ発することが許された口で、咽喉が痛く掠れるくらいに何度もルナに呼びかけた。でも、呪の影響か念話は返ってこない。
真正面に向かい合うルナの表情は、動きを封じられているというのに何故か穏やかだった。絶望の色は感じられない。
「さて、儀式を始めるとしよう」
私とルナ、そして寝台の魔法陣が眩く光った。
「これでようやく――何だ、何が起こった!? 一体、どういうことだ!?」
魔法陣の光は一瞬だけで、瞬く間に消失してしまった。呪は発動しなかった。
不発に終わったからか、魔法陣も消えた。同時に、召喚の強制力も解かれたからか、ルナの姿も消えていた。
理由は分からないが、難は逃れた。まだまだ油断はできないが、これからどうするか冷静に判断できる時間は持てそうだ。新しく魔法陣を刻み直すまで、時間の猶予ができた。
後ろ手に拘束されているが、身体は自由に動かせるようになった。キールトンから距離を置こうと後ずさりしたが、それよりも早い動きでキールトンは私の肩と顎を掴み、身体が触れそうなくらいに引き寄せた。
「……成程な、そういうことか」
「何がそういうことなんだ?」
「惚けるな。くそっ! 何で解呪できない!? お前、まさか――」
キールトンが何を言わんとしているのか、理解できた。苛立ちも頂点に達しているのか、口調もかなり荒く粗野だ。
「自分に呪いをかけたが――それがどうかしたか?」
「魂の契約呪……忌々しい。しかも、簡単には解呪できないように重ねがけしているとは、お前も酔狂だな。そこまで惚れた男がいたとは驚きだが、幸いにも繋がっているのは魂だけのようだしな。さっさと解呪して俺が引き裂いてやるよ!」
キールトンが私の肩と顎を掴んでいた手を乱暴に離した。肩が押され、後ろに数歩下がった。乱暴だった割には、力はあまり入っていなかったのか、転ぶことはなかった。足の踏ん張りが利いた。
「俺は解呪の方法を調べて儀式の準備をする――ライナル、この女を隣の部屋に連れて行って、寝台にでも括り付けておけ! 正し、野暮な真似だけはするなよ。分かったな?」
「はい、はい」
ライナルは不真面目な返事をしながら椅子から立ち上がると、ゆっくりと近づいてきた。私の腕を掴むと、キールトンの指示通り、隣の部屋に連れて行った。