15.恋慕
「カイル――何の呪いをかけた! 言え!」
カイルの胸倉を掴んだ。上着に皺の痕が残るくらいに強い力で。
「魂を繋いだ」
「何故、そんな莫迦なことを――」
「嫌なら、解呪してくれ。俺はそれで構わない」
カイルの瞳は私だけを映している。目を逸らさず、真っ直ぐに見つめている。
魂を繋ぐ――魂上で婚姻を結ぶことを意味しているが、解呪は実に簡単だった。
呪術に関しては素人同然のカイルより私の方が優れていた。子供のお遊び程度の呪いは、私が意志の力でいつでも跳ね除けても解呪することができる。
しかし、そう単純でもない。
「代償は何だ? 白状しろ!」
「……記憶だ」
「何の?」
「シュリアとシュリアンに関する記憶全て」
私から解呪すれば、カイルから私の記憶が消えてしまう。
「カイル、お前が自分で解呪しろ!」
そうすれば、代償を払わずに済む。
「俺は解呪しない。解呪したいなら、シュリアがしてくれ」
カイルは本気のようだ。瞳に揺らぎが無い。
「何故、こんなことを仕出かした? 理由を話して欲しい」
胸倉から手を離し、心を落ち着かせてから問い質した。理由も分からずに解呪はしたくなかった。
「俺は……シュリアが好きだ! 好きなんだ! 狂おしいくらいにシュリアが好きだ!」
まさかの愛の告白だった。つまり――強く感じていた執着は恋情だったということか。
理論的には納得できた。でも、心が納得できない。
大体、狂おしいくらいに好きというのがおかしい気がする。ロマンチックからかけ離れている告白は認めたくない。
それに、呪術が発動する直前のカイルの思いつめたような顔が気になって仕方がない。頭から離れない。
きっと何か理由があるはずだ。ここまで馬鹿げた真似をするはずがない。そう思い込みたいだけなのかもしれないが、カイルを信じたかった。カイルを信じる私自身も信じたかった。
それよりも――カイルは何故、代償を記憶にしたのか。その方が重要だ。
「カイルは……記憶から私を消したかったのか?」
下手をすれば、カイルは代償を払うことになっていた。私が無意識に呪いを跳ね返していたら、カイルの記憶から私の存在が消えてしまっていた。それほどにも危険を賭けた呪いだった。
「違う! 消したくはない!」
「それなら、こんなことをする必要はないはずだ」
「俺は知りたかったんだ。卑怯な真似だとしても、どうしても知りたかった」
「何を知りたかったんだ?」
「シュリアが俺の事を心から拒絶しているのか、俺を受け入れる気持ちがあるのか。一切の望みがないのなら、シュリアの事を忘れてしまえばいいと思った。そうしたら、シュリアは幸せになれる」
カイルが何を言いたいのか、要領がまったく掴めない。
カイル自身も訳が分からなくなっているのかもしれない。迷子になった小さな子供のように、今にも泣きそうな顔をしていた。
泣きそうな顔を見られたくないのか、俯いてしまった。
私がカイルを虐めている気分になってきた。
カイルはいつも堂々としていたから、このような情けない姿は見たことがなかった。初めての姿に戸惑い、怒りも忘れてしまった。
「カイルが私の事を忘れたら、どうして私が幸せなんだ?」
カイルが安心するように、私が欲しい答えがカイルから引き出せるよう優しい声色を意識した。
「ゆっくりでいいから、教えて欲しい。思っていること、全部吐き出していい。きちんと最後まで聴くから」
頭を撫でようかと思ったが、とっくに成人を迎えている大人だったと気づいて、伸ばしかけた手を引っ込めた。その代わりに、カイルの右手を両手で包み込んだ。力いっぱい握り締めているカイルの右手が気になっていた。
「俺はシュリアが好きだ。けど……同じくらい、シュリアンも好きだ」
カイルは私に右手を握られてぴくっと身体を動かした後、俯いたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「最初は男を好きな自分はおかしいと悩みまくった。悩んだ末、シュリアンだから好きなんだと納得した。俺はシュリアンを一生傍に置きたいと思っていた。だから、シュリアンが女だったらいいのにと思ったことも何度もある。婚姻という契約で一生傍に居ることが許されるから」
シュリアンが聖騎士である限りはカイルの傍に居ることはできるが、ブラウ伯爵家を継ぐ身。いずれは領地に還らなければならない。そうなれば、一生傍にいることはできない。女性になった今、必ず婚姻するとも限らないが……。
「……実際にシュリアンが女になって、これで一生傍に繋ぎ止められると想ったら嬉しい反面、己が恐ろしくなった。無理矢理にでもシュリアを自分のモノにしようとする凶悪な俺が暴れ出しそうになって、男に戻さなければならないと躍起になった。俺の好きなシュリアンが消えてしまいそうな気がして……シュリアンにも戻って欲しかった」
カイルがしばし沈黙する。続きが言葉として出てくるまで、静かに待った。
「……もう男には戻らないと分かって、シュリアの口から嫁になるのが夢だと出てきたときは、俺がシュリアを嫁にする! そのことしか頭になかった。なのに――俺以外にもシュリアに求婚する男が出てきて……しかも、俺の求婚はシュリアには信じてもらえなくて……」
いつも堂々と話すカイルの声は、次第に小さくなっていった。少しばかり、幼い口調に変わっていた。
見た目は強面なのに、不意にカイルが可愛く感じた。
あの状況では、カイルの求婚を信じろといわれても無理だろう。自分の代わりに呪いにかかった償いで求婚しているとしか考えられなかった。案外、不器用な男なのかもしれない。恋に関しては。
「どうしたらシュリアに信じてもらえるのか俺、分からなくなって……こんな惨めな俺を知られたくなくて、挑発してみせたりして――かっこ悪い」
カイルが一度、大きく息を吐き出した。吐き切った途端に、カイルを纏っていた自信なさげだった雰囲気ががらりと変化した。
俯けていた顔を上げて、狂気を孕んだ瞳で私を凝視した。
思わず腰が退けそうになったが、カイルの右手を包み込んでいた両手に力を入れて、踏ん張った。今ここで野放しするわけにはいかない、と。
「俺はシュリアが好きだ! シュリアの幸せを願っている。けど……俺以外の男の嫁になるというなら、その幸せを壊すかもしれない。だから、俺の嫁にならないなら、俺の記憶からシュリアンもシュリアの記憶も消してく――っ!?」
――バシン!
大きな音が轟いた。
カイルの左頬に真っ赤に染まった手形が付いていた。私の手形だ。私が思いっきり、平手打ちした。
「巫山戯るな! 私の幸せを願ってる? それこそ、巫山戯てる。私の幸せを願ったなら何故、私が『解呪するつもりがない』といった言葉を聞き入れなかった!? 解呪を探し続けてくれたのは感謝しないでもないが、手順を踏んでくれても良かったのではないか? もし私があのまま男性に戻っていたら、どうなっていたと思う? ドレスを着ていたんだ! コルセットもしていたし、大変なことになっていたかもしれない。それに――カイルは魔法陣の光で視えなかったかもしれないが、身体の作りが変わると、物凄く痛みが伴うんだ。解呪するならするで、こちらにも準備があったんだ! そんな気遣いもできないで、私を好きだなんて笑わせるな!」
解呪後に、冷静になった頭で考えていた。あの時、男性に戻っていたら、どうなっていたのか。ミリア様を連れてきたことも。祝いの席を台無しにされたこともまだ癒されずに恨みの気持ちが根付いていた。
一発だけでは腹の虫が治まらなかった。積もり積もった恨み辛みが爆発した。
「――ぅぐ!?」
ドレスのスリットから左脚を覗かせて、カイルの急所――は外し、その真上、下腹部に膝蹴りを入れた。
私の脚力では、カイルを沈めることはできなかった。少し身を屈ませるくらいにしか衝撃を与えられなかった。
流石は私の理想の身体の持ち主だと一瞬関心してしまったが、中身は自分勝手で駄々を捏ねた子供みたいではないか。今までこんなヘタレ男に脅威を感じていた自分が莫迦らしくなった。
「私の幸せは自分で守りますので、ご安心を。記憶の方は消したければ、ご自分で消してください。解呪するまでは、その面は見せないでくださいね」
極上の笑顔をカイルに向けた。ほんの少しだけ首を傾げながら、念を押すように語尾を強調した。
カイルの切れ長の目は限界まで見開いていた。その瞳は怯えているように見えた。
マリアル曰く、「仕草はとても可愛かったけど、シュリアの笑顔は凍えそうなくらいに冷たかった」らしい。
「――ということですので、後はくれぐれも宜しくお願いします」
子供の尻拭いは親御さんに任せることにした。カイルの背後に佇んでいた騎士団長を見遣った。
「カイル・ロッソを独房に放り込んでおけ!」
騎士団長が近くの騎士達に指示を出した。
カイルは抵抗することなく、大人しく騎士達に連行されていった。その姿は叱られてしゅんとなっている子供みたいだった。
ルイスの成人祝賀会はカイルの茶番劇で幕を閉じた。黒幕が動きを見せることもなく、私の囮も無駄に終わってしまった。
帰りの護衛は、カイルの代わりに騎士団長が務めた。
「愚息がご迷惑をかけ、申し訳ありませんでした」
ブラウ伯爵家に到着し、父の顔を見るなり、騎士団長が土下座した。
騎士団長の威厳は崩壊していた。鳴りを潜めていた。
父の前で地面に頭を擦り付けている騎士団長は、一人の父親だった。
マホン副団長が事の全容を父に報告していた。
「やっぱり、血は争えないな……」
父は怒りを通り越して呆然としながら、ただただ深い溜息を吐き出していた。
「さっさと黒幕を捕まえて、うちの娘を囮から解放してくれ。分かったら、とっとと帰れ!」
怒声を浴びせながら渋面で騎士団長を見下ろす父の瞳は、どこか憐れんでいるように見えた。
騎士団長は微動だに動かない。
父はそれ以上、何も言わなかった。爪痕が残るくらいに右手を固く握りしめて、空を見上げていた。その表情は、遣る瀬無い己を嘆いているように見えた。
父が見上げる先の遠い空に暗雲が見えた。まるで、これから起こる悪い出来事を暗示しているからのような。
暫く沈黙が続いていた。
「……御前、失礼致します」
そう言って、沈黙を破ったのはマホン副団長だった。
土下座していた騎士団長が静かに立ち上がっていた。父を真っ直ぐに無言で見つめていた。その表情は威厳に満ちていた。父親の顔ではなく、騎士の顔を取り戻していた。
父と騎士団長はお互いに厳しい眼差しを交わしながら無言で肯き合っていた。
視線で何を会話していたのだろう。踵を返すと、騎士団長は背中を向けて立ち去っていった。
毅然とした騎士団長の後ろ姿を父は静かに見送っていた。
私は騎士団長の後ろ姿にカイルの面影を探していた。その背中には、カイルの思いつめた表情が映し出されていたような気がする。
今もずっと、脳裏に焼き付いている。私に呪いをかけた時のカイルの顔が。
カイルが独房から出されたのは、3日後だった。
その時、私は黒幕と対峙していた――。