14.呪術
「ルイス、成人おめでとう!」
「ありがとう、シュリア」
正午過ぎに、ルイスの成人祝賀会が開幕した。
「――シュリア嬢、僕と踊っていただけますか?」
騎士服の正装に身を包んだルイスが満面の笑みで手を差し伸ばした。
袖口には金の刺繍が施されていた。
「はい、喜んで」
ルイスの手を取り、約束通り、ファーストダンスを受ける。
ルイスにエスコートされ、ダンスフロアの中央に移動した。
曲に合わせて、踊り始める。
「似合ってる。ドレスにピッタリ合って良かった」
「ルイス、ありがとう」
ルイスにプレゼントされた百合をモチーフにした髪飾りが踊りに合わせて揺れる。
祝賀会が始まる前に、「遅れたけど、シュリアの成人祝いのプレゼント」とルイスに渡された。
ディープブルーのシンプルなドレスに白百合の髪飾りがよく栄えた。
「今日は大胆だね。目のやり場に困る」
ルイスは照れくさそうに笑いながらも、清々しいくらいに堂々と見ていた。
「動きやすくていいよ」
「僕としては、フリルが無い方が好きかな?」
「そう? 可愛らしいのに」
本日のドレスにはスリットが入っていた。膝より少し上の部分から。踊る時に足が肌蹴ないようにフリルで重みを付けていた。
「僕も今日から成人の仲間入りだ。これで、いつでも結婚できる」
繋いでいるルイスの手に力が籠められたのが伝わってきた。
真っ直ぐに見つめるルイスの瞳に籠められた想いも真っ直ぐに伝わってきている。
高波のような熱い想いが押し寄せてくる感じがした。
「舞踏会で一緒に踊るのが夢だった。シュリアンと練習で踊りながら、ずっとそう想っていた」
騎士団ではルイスもシュリアンと同じように女性パートを付き合わされていた。
ルイスも女性パートを踊れたから、お互い、練習し合うことが多かった。
どうしたら男女が踊りやすいのか二人で研究したこともあった。
だからなのか、ルイスとのダンスは踊り易かった。息もピッタリだった。
この後、ルイス以外の殿方とひっきりなしに踊ったが、ルイス以上に息の合うダンスは踊れなかった。
ダンスの相性だけで選ぶなら、ルイスなのだが……ダンスの最中も、常にカイルの視線を感じていた。
執着されている――嫌でも理解できた。勘違いではない。そんな生易しい視線ではなかった。
責任を取りたいだけなら、ここまで執着することもないだろう。
何がカイルをここまで執着させているのか、理解に苦しむ。
シュリアンだった頃――あの事件が起きてからずっと、今と同じようなカイルの視線を感じていた気がする。でも、その時の視線よりもずっと重い。
カイルはあの日からずっと、シュリアンの傍に居た。いつでも私を守れるように傍に居てくれたのだろう。
あの事件後、1ヶ月間は片時も離れないようにカイルは常に傍に居た。私が自分の身を守れるようになるまで、ずっと。
あの時、カイルに救われなければ、今の私は存在していなかったかもしれない。シュリアンとシュリア、二人の心は壊れてしまっていただろう。
あの事件が起こったのは――騎士団に入団してから半年が経った頃だった。
もうすぐ消灯という時間。訓練室にタイピンを忘れたことに気づき、急いで取りに行った。
翌朝でも良かったのかもしれない。どうしても気になって眠れないからと、イアンに告げて寄宿舎を飛び出した。
四人部屋だったが、部屋にはイアンしかいなかった。同室のカイルとリューグは不在だった。
「あれ? こんな所に女の子見~つけた!」
「ほんとだ」
タイピンを手に取り、振り返ると扉の前に先輩騎士が二人立っていた。見るからに酒に酔っているのが分かった。
赤い顔が近づいてきた。口からは強い酒臭が吐き出される。
一人が扉の前に立ち塞がり、逃げ道を塞いでいた。非力だった私は先輩騎士に捕まり、押し倒された。
「やめろ!」
暴れると鳩尾を殴られた。動けなくなった隙を逃すはずもなく、扉を塞いでいた先輩騎士に肩を押さえつけられ上半身を拘束され、下半身は鳩尾を殴った先輩騎士に跨られて動きを封じられた。手で口も塞がれた。悲鳴すら上げられない。
「胸、ぺったんこだな」
「これから成長期なんじゃないの?」
「んじゃ、揉むか……服、邪魔だな」
上着をビリビリに破かれ、胸部が剥き出しになった。
「下も脱がす――がっ!?」
ズボンに手を掛けられたところで、先輩騎士が視界から消えた。横に吹っ飛んでいった。
横たわった身体の真上を風が通り抜けていく。視界が一瞬、陰った。
「――ぐおっ!?」
その直後、上半身の拘束も消えた。
目の前にカイルが片足を上げて立っていた。上げた足をゆっくりと床に下ろす。
十メートル近く離れた場所で、先輩騎士達が胸を押さえながら身を屈めていた。
「カ……イ……」
上下の顎がガクガク震えて、言葉にならない。
手足は自由になったというのに、動かない。身体もガタガタと煩いくらいに震えていた。
寒いわけではない。なのに、震えが止まらない。
カイルが上着を脱いで、上半身にかけてくれた。上着に残っているカイルの体温が温もりを感じさせてくれた。
「触れるが……いいか?」
何とか首を縦に振って肯くと、カイルは私を抱き上げた。カイルの腕の中は温かかった。本当は触れられるのは怖かった。それよりも一刻も早く、押さえつけられていた無機質の硬く冷たい床から早く離れたかった。
カイルに抱き上げられて、掛けられた上着と同じカイルの温もりを感じた瞬間、安心できた。カイルの腕の中なら、もう大丈夫だと思えた。次第に身体の震えも治まってきた。
「遅くなって済まなかった……」
苦しそうな声で呟くように謝るカイルの腕は、ほんの少しだけ震えていた。
もしかしたら、カイルもずっと震えていたのかもしれない。そんな気がした。
カイルが謝る必要はないのに。カイルは戻ってこない私を心配して迎えに来てくれたのだから。
カイルの助けがなければ、どうなっていたのか。身体と心、両方の傷を抱えて生きていくことになっていただろう。
あの後直ぐに医務室に運ばれ、殴られた鳩尾の手当てを受けた。幸いにも怪我は鳩尾と手足を拘束された痣が付く程度で済んだ。
カイルに蹴り飛ばされた先輩騎士二人は、肋骨を数本折る怪我を負った。
彼らは酔って前後不覚だったらしい。何も覚えていなかった。高官の偉い子息だったこともあり、不問になった。直訴することになれば、カイルにも迷惑がかかることになる。私を助けるためとはいえ、先輩騎士達に重傷を負わした。その過剰すぎる攻撃が問題視されてしまった。私も公にして、家族に知られたくなかったから、隠蔽してもらった。
自分の保身もあったが、私を助けてくれたカイルを守りたかった。
助けられた直後、謝るカイルに首を横に振ることしかできなかったから。
あの事件から2日間、声が出なかった。3日後に声が出るようになり、漸くカイルに感謝の言葉が言えた。
「カイル――助けてくれて、ありがとう」
「自分よりも体格の良い奴を投げ飛ばす方法があるから、教えてやる」
カイルは開口一番に、そう言った。私への返事がそれだった。
カイルは体術にも優れていた。護身術を直接指導してくれたのが、カイルだった。実を云うと、教官よりカイルの方が教え方が上手かった。
それがキッカケで、カイルとよく話すようになり、少しずつ仲良くなっていった。
ルイスも同じような目に遭うかもしれないと、一緒に訓練した。今では懐かしい思い出だ。
その後も、別な同僚や任務でも数回男に襲われかけたが、護身術とカイルの助けもあり、上手く切り抜けてきた。
ルイスも一緒に襲われたこともあったが、カイル達が直ぐに駆けつけてくれて、皆で相手を返り討ちにしたこともあった。
ある日、立て続けに少女暴行未遂事件が起きた。痴漢が許せなくて囮捜査に立候補したらカイルが真っ向から反対して、拳で語り合いしたこともあった。
「他にも適任者がいるだろう? なのに何故、一番先に立候補する!?」
「私は襲われた少女達の気持ちが分かるからだ! 無抵抗だった彼女達の代わりに、私が仇を討ちたいんだよ! 私が仇を討つ! 絶対にだ!」
カイルに躱されてばかりだったが、カイルの根気負けで私が勝利を捥ぎ取った。
「分かったよ。俺の負けだ――」
カイルは負けを認めたが、実は私がカイルに投げ飛ばされていた。
「私が成敗するから、カイルがギリギリまで手を出すなよ! いいな!」
立てた人差し指カイルに向けながら威勢よく言った。仰向けのままで息も切らしていたから、格好悪い姿だったが。
あの時は本当にギリギリだった。でもカイルは私との約束を律儀に守ってくれた。
「カイル、やったぞ!」
「よくやった……お疲れさん」
ドヤ顔で決めポーズした私の頭をカイルが苦笑しながらポンポンと軽く叩いていた。何故か、見守っていただけのカイルの方が疲れた顔をしてたが――。
カイルは恩人だが、今は狩人のようだ。向けられている視線が一層鋭くなった。
「僕と踊っていただけますか?」
「……はい」
すっかり忘れていたが、もう一人、私に求婚してくれた殿方がいたのだった。
罪悪感に苛まれながら、差し出されたオルガ様の手を取った。私の成人祝い以来の再会となる。
「解呪後もお身体は変わりありませんか?」
「はい。調子は良いです」
「それは良かった」
オルガ様と踊りながら世間話を続けていた。ルイスの次に踊り易かったような気がする。会話する余裕があった。
物腰柔らかい青年。それがダンスの動きからも伝わってきた。肉体的には物足りなさを感じるが、心が落ち着く安定感はあった。
優しく見つめられるというのも新鮮だった。ただ、静かすぎるような気がした。心の波は静かだった。
「僕の気持ちは変わっていません。貴女が好きです」
ダンスの曲が止まると同時に、オルガ様が率直に告げた。その表情は見ている私も気持ち良いくらいに爽やかな微笑みだった。
「ありがとうございます」
感謝の言葉しか紡げなかった。
オルガ様の口が開きかけたが、声が届くことはなかった。
「――俺と踊ってくれないか?」
背後から、カイルの威圧的な声が聞こえてきた。近づいてきていることには気がついていた。
次曲がラストダンスだと知らせる間奏が流れてきた。
オルガ様に一礼した後、ゆっくりと振り返った。すると、カイルがすっと手を差し出した。意を決したような表情をしていた。光に照らされた深紅の髪が燃えているかのように錯覚した。
無言で、カイルの手を取った。一気に身体の水分が蒸発してしまったかのように、口の中がカラカラに渇いていた。
ダンスのポーズを組み合わせると、最後の曲が流れ始めた。
相変わらず、動きは硬い。でも、今までの中で一番上手に踊っていた。程好い距離で身体が触れ合っていた。
会話は一切なかった。終始無言だった。
曲が終盤に差し掛かった頃、カイルはダンスフロアの中央へと向きを変えた。吸い込まれるように中央に躍り出た。そして、曲は止まった。
繋いでいた手と腰に回されていたカイルの腕に物凄い力が一気に加わるのが伝わってきた。無意識に腰を退けると、カイルの腕の力が更に増した。離れることができない。
カイルの金の瞳が光った。覚悟と困惑、そして贖罪が濃く混じり合っているように見えた。
「カイル――っ!?」
突如、足元に私とカイルを取り囲む魔法陣が浮かび上がった。発光し、瞬く間に身体が光に包まれた。まるで津波に飲み込まれるかのような光に。
光に包まれる直前、カイルの思いつめたような表情がどうしてか酷く気になった。
「シュリア!?」
「カイル!?」
魔法陣の外側で、ルイス達が叫んでいた。
カイルに仕掛けられた呪術が発動した――。