13.本気
「ジュドウ、道中宜しく頼む」
「お任せください」
父の言葉に受け答えたのは、ジュドウ・マホン――王国騎士団副団長。
「気を付けるのよ」
母から差し出された黒い外衣を受け取る。
「シュリア姉様もマリアル姉様も男の人達には付いて行ったら駄目だからね!」
リオルからはお小言を。
本日は、ルイスの成人祝賀会。
聖騎士6名に護衛され、王都に向けてマリアルと共に旅立つ。
雲一つない快晴。朝日が眩しい。王都に到着する頃には、朝日が丁度真上に差し掛かるところだろうか。
日除け防止の外衣を頭から被り、出立の準備をする。
聖騎士達が各々の聖獣を召喚し、背に乗る。
「シュリアお嬢様、お手をどうぞ」
元同僚からのお嬢様呼び。どこかくすぐったい。すっかり騎士気取りのイアンに苦笑しながら、差し出された手を取る。
イアンに引き上げてもらい、横座りになるように空中で向きを変えて黒い背に乗った。
マリアルはマホン副団長に抱えられて、銀色の背に横座りに乗っていた。
「それでは、行って参ります!」
私のその言葉を合図にするかのように、一斉に聖獣が翼を広げて飛び上がった。
先頭のマホン副団長を左右にリューグとキリアを乗せた聖獣が囲み、その後ろから私とイアンを乗せた聖獣が追い、その左右をカイルとルイスを乗せた聖獣が守るような形で配置していた。
風で外衣の裾がはためく。外れないように頭のフードと外衣を留める金具の周辺の端を手で押さえた。
自力でバランスを取るのが難しくなったが、イアンが後ろからしっかりと支えてくれていた。
イアンは片手で手綱を掴み、もう片方の腕を私の腰に回していた。危うさも厭らしさもなく、安定していた。
聖騎士の中ではイアンはマホン副団長並に硬派で安全な殿方だと謂われていたが、改めて納得した。
今日のメンバーの中で、令嬢を自身の聖獣に乗せて移動する際に適任なのが、マホン副団長とイアンだと。
リューグとキリア(前回、事情で来れなかった)は論外だった。二人とも女の子が大好きな、ちょっと……いやかなり困った男の子だった。
特にキリアは、スキンシップが激しい。男女問わずに。今日、迎えに来て顔を合わせるなり、早速抱きつこうとしてきた。
男性と分け隔てなく全く同じように接してくれるのは嬉しいが、女の勘とでもいうべきか、貞操の危機を感じた。
思わず投げ飛ばしてしまったが、私は悪くないはずだ。令嬢の護衛担当が滅多に当たらないのは自業自得なのだろう。
キリアがマリアルの方をチラチラと見ている。黄緑色の瞳がマリアルの姿を完全に捕らえてしまっている――が、いつもの一目惚れだろう。マリアルのオレンジ色のドレスが自分の髪色と同じだからと運命を感じてしまったに違いない。惚れやすいのが、玉に瑕だ。
「――キリアよりも、両側を気にした方がいいと思うぞ」
不意を突くようにイアンが耳元で囁いた。前方でキリアが身震いしているのが見えた。
指摘されなくても、さっきから気づいていた。両側から突き刺さるような視線を向けられていることに。
護衛対象として守り抜く使命で片時も目を離さないように凝視しているのとはやはり違うのだろう。
二重の呪いが解け、完全な女性となった途端、親友だった男性にいきなり「嫁になれ」と求婚されてしまい、戸惑っている。
素直に嬉しいとは思う。でも正直、色恋沙汰が分からない。
二人のことは、好きだ。それが、恋愛対象として好きなのか、好きになれるのかが分からない。
男性だった時も、お嫁さんにしたいと思う女性はいなかった。そう、初恋も未だだった。そもそも、恋愛感情そのものが分からない。
お嫁さんになることが夢だったが、いざ現実味が増してくると急に怖くなった。
「二人とも本気……なんだよね?」
「さあ、どうだろうな。本人にしか答えは分からないし、本気だと思うかは、シュリアが自分で決めたらいい」
イアンの言う通りなのだろう。相手が本気だとしても、私がそれを信じなければ、全て嘘になってしまうのだから。
結局は、自分がどう信じるか決めるということなのだろう。
「俺が今、シュリアを嫁にしたい――と言ったら、信じるか?」
「信じない」
「はっきり言うね……けど、どうしてそう思う?」
「私はイアンの好きなタイプとはかけ離れている」
イアンの好きなタイプは、庇護欲をそそる可愛らしい女の子だ。私とは真逆。ダンスを誘う令嬢はいつも、華奢で可愛らしいタイプだった。
「一度ダンスに誘おうとしたが、カイルが睨みを効かせていたし、一人だけ解呪探しに必死だったから、解呪方法が見つかったら男に戻るかもしれない。そう考えたら、令嬢として扱うべきではないと思い、ダンスに誘うのは止めた……悪かった」
イアンはまるで私の心を読んだかのように、ダンスに誘わなかった理由を語った。でも、素直に話してくれたことで、イアン達も戸惑っていたのだと分かり、少しほっとした。
「女の子はか弱いから守るのが当たり前だと思い込んでいたから、少しでも力を入れたら骨が折れてしまいそうなくらい華奢な女の子が自然と目に入っていたが、最近はお互いに背中を守り合うような女の子もいいかなと思い始めている」
「それって……」
「俺も――シュリアに惹かれている」
淡々としていたイアンの口調が急に語尾が強くなった。
「ただそれが、恋なのかは分からない。今は、気になるというところかな」
再び、淡々とした口調に戻っていた。
「そうか……ありがとう……」
お淑やかな令嬢ではなくとも、私をひとりの女性として、人間として認めてくれている、肯定してくれたことは嬉しかった。
イアンのあまり抑揚のない喋り方は落ち着くが、恋に発展する感じは全くしない。何となく感情的になるのが苦手な自分を鏡で見ている気分だった。
もう少し感情を籠めて「嫁にしたい」と求婚されたら、イアンを意識できそうな気はするが……目前で迫られるように求婚されるのも苦手意識を感じてしまう。
兎に角、両側から突き刺さる視線が重苦しい。常に見張られているようで、息苦しい。
実際、昨日までの6日間、護衛でカイルとルイスが毎日傍にいた。湯浴みや就寝の時は離れていたが、何故か交替がなかった。そして、毎日、一緒にダンスか剣と護身術の鍛練をしていた。
――6日前。イアンとリューグが王都への帰還を見送った後。
「俺が勝ったら、ダンスの練習に付き合ってくれ!」
ルイスとダンスの練習をしていると、カイルが仏頂面で剣の勝負を挑んできた。
剣の勝負をしなくても、普通に頼まれればいくらでもダンスの練習に付き合うのだが……カイルの気持ちがさっぱり分からなかった。
出会った従騎士の頃から、カイルは私に頼み事をする時は勝負を持ちかけてきたから、いつもの事かと軽く流していたが。
「シュリアが勝ったら、嫁にするのを諦める」
勝負を受けると返事もしていないのに、褒美を勝手に決められた。カイルの気持ちが益々分からなくなった。
「では、私が勝ったら、カイルの嫁にはならない。それで構わないな?」
他に貰いたい褒美は思いつかなかったから、カイルの望み通りに勝負を受けた。
「構わない。俺が勝つから、問題はない」
口角を上げて不敵に笑いながら自信満々に宣言するカイルに腹が立った。
堂々と受けて立ったが、私はカイルに勝利したことは一度もなかった。
正攻法で敵わないのは嫌な程に分かっていた。今の私では更に勝率は下がっている。
「ハンデを貰ってもいいか?」
「シュリアの好きなように、望むだけハンデをやる」
「随分と大盤振る舞いだな」
滅茶苦茶、カイルが憎らしい。その自信を根こそぎ刈り取ってやりたい。
「どれだけハンデがあろうと、俺が絶対に勝つ!」
「大した自信だ」
「それだけ、俺は本気だってことだ。俺がどれだけシュリアを嫁にしたいと想っているか、証明する」
本当に求婚されているのだろうか。威圧感たっぷりに言われても信じられない。疑いたくなった。一般の乙女が夢見る求婚が、闘技になるはずがない。どちらかというと、喧嘩を売られている気分だった。そう考える方が納得できた。
「私の身体に一切の傷を付けずに戦闘不能の状態にしたら、カイルの勝ちだ。ただし、こちらはカイルにひとつでも傷を負わせれば勝ちとさせてもらうが――それで良いか?」
「それは面白い。その条件を呑もう」
この条件ならば勝てると自信が湧いた。
でも、ひとつもカイルに傷を負わせることはできなかった。然も、私も無傷だ。結局は、カイルの闘争心に火を付けただけだった。
剣を弾き飛ばされて手足に切り替えて攻撃したが、全て受け流され、躱された。カイルは私を傷つけることなく手足の自由を奪い、戦闘不能にしてしまった。
「……勝ったのに何故、苦虫を噛み潰したような顔をしているんだ?」
負けた私がする顔ではなかろうか。カイルは勝利を喜ぶ顔ではなかった。全く、嬉しそうには見えない。
「俺は……いや、何でもない。済まない」
カイルの苦しそうな表情を見ていたら、それ以上問い質すことができなかった。
カイルの身勝手さに振り回されたというのに、憎みきれなかった。完全に許したわけではないが、傍にいるのが嫌ではなかった。護衛としてのカイルは信頼しているから、安心できた。
でも今は、従騎士時代に戻ったような気がして、心の中にぽっかりと穴が空いたように淋しい。
カイルと王国騎士団の入団試験で対戦してから聖騎士でペアを組むまで、私にだけは何故かはわからないが、今のような苦しそうな顔を見せたり、仏頂面が多かった。酷く機嫌の悪い時は睨まれることもあった。
てっきり嫌われていると思い離れたが、気がつくと近くにいた。
ある事件が起きてからは、見張るように常に傍にいた。カイルだけでなく、ルイスやイアン、リューグとキリアの誰かがいつも私の傍にいた。
カイルが無邪気な笑顔を見せてくれるようになったのは、聖騎士になってからの初任務でドジを踏んだのが切欠だったか。
勢い余って、一緒に泥に突っ込んで、お互い全身泥だらけになった姿を見合って可笑しくて笑いを噴き出した。笑いと一緒に口に入った泥も噴き出たのが大笑いを誘った。
それから、近場の川で水浴びして。泳いできた巨大な魚を二人で協力して釣り上げて……楽しかった。
それなのに――女性になってからは、無邪気な笑顔を一度も見ていない。カイルの本当の笑顔が見れなくなった。
ダンスの練習をしても、身体に触れた途端に強張らせて、ぎこちない動きになっていた。
練習を重ねれば重ねるほど強張りは強くなって、居た堪れなくなった。嫌われているのではないかとすら思ってしまった。
「私より、マリアルとダンスした方が上達するんじゃないか?」
「否、遠慮する。令嬢の足を踏んだら申し訳ない」
カイルは一度、マリアルとダンスを踊ったが、その時に、危うくマリアルの足を踏みそうになった。
ワルツ以外は、壊滅的ともいえるくらいにダンスが下手だった。
そのため、マリアルはルイスとペアを組んで踊ることが多い。私もルイスとダンスはするが、カイルと踊る方が断然多かった。
「……私も令嬢だが?」
「シュリアは上手く躱してくれるから、心配ない」
これは褒めてくれているのだろうか。淡々と喋られても、全くもって嬉しくない。
ダンスになると、カイルはまるで壊れかけた機械人形のようだった。
「もうこれ以上練習しても、無駄なんじゃないの? 上達の見込みもなさそうだし、辞めたら?」
ルイスがカイルを睨みながら、凍えそうなくらいに低い声で罵倒した。
「僕とシュリアのダンスの邪魔をしないでくれないかな!」
「お前はダンスの練習する必要はない。充分、上手い」
「褒めてくれて、ありが――」
「だから、剣の鍛練でもしていたらいい」
「――っ!?」
お互い、敵意を剥き出しにして、口喧嘩をし始めた。
ルイスも私と対を張るくらいには強い。充分強いが、カイルには一度も勝利できていない。
今朝も二人の試合を見学したが、女性相手ではないからか、カイルはルイスに容赦がなかった。怪我はさせずに、ルイスをこてんぱんに伸していた。
「……あの二人が仲悪いのって、シュリアが原因よね?」
傍観していたマリアルが耳打ちしてきた。
「否、違う……多分。元からだ」
従騎士時代から、カイルとルイスは犬猿の仲だった。私が騎士団を辞す前までも顔を合わせれば同じように喧嘩していた。だから、私が原因ではない。喧嘩の出汁に使われているだけだ。
始まりは、入団試験からだろう。カイルはルイスとの試合だけ、時間をかけてじわじわと追い詰め、打ちのめしていた。優勝を賭けた相手にも、あっさりと勝利を勝ち取ったというのに。
それからも二人が試合をするたびに、鬼畜ともいえるカイルの特訓を見て、ルイスに同情した。そのお蔭で、ルイスの剣技はめきめきと上達したのだが。その部分だけは羨ましいと思っていた。
あの頃のカイルは見た目少女のようなルイスを追い詰める悪漢にしか見えなかった。今だと、良くて鬼教官か。
見た目はルイスと同じようなものだったが、私には割と丁寧に特訓してくれた。ルイスとは大違いだった。
手持ち無沙汰になった右手を柔らかくて温かい小さい手に包まれた。
「姉様、ダンスはもう終わった?」
勉強を終えたリオルが迎えに来たようだった。テーブルの上の置時計を見ると、時刻は15時を示していた。
リオルは私の後ろに隠れながら、カイルを睨んでいた。リオルの殺気程度ではカイルには痛くも痒くもないだろう。
リオルは気づかれていないと思っているだろうが、カイルはリオルを怖がらせないように敢えて気づかない振りをしているだけだ。カイルは子供に怖がられることを知っているから、自分からは近づこうとはしない。
根は素直な優しい奴なんだが、それがどうしたことか。シュリアになってからカイルはおかしくなった。その理由が分かるといいのだが……。
身勝手なカイルしか知らないリオルには、カイルに敵対心を抱くのも当然だろう。
でも、私は知っている。リオルがこっそり私とカイルの試合を覗き見しているのを。そして戦闘中のカイルの姿にだけは見惚れているのを。
カイルが戦闘能力だけはピカイチであっても、それを素直には認めたくないのは分かる。
父がカイルを私の護衛に就くのに異を唱えないのも、カイルの騎士としての実力を認めているからだろう。
母はカイルを遠くからじっと見つめていた。カイルの人柄をじっくりと見極めているようだった。
「お茶にしようか!」
「うん!」
「俺達もご同伴させていただこう」
リオルの返事に続いて、野太い声が聞こえてきた。
「お前ら、いつまで喧嘩してる? 交替だ、さっさと行け!」
筋肉隆々の壮年の聖騎士がカイルとルイスに向かって、怒声を飛ばした。
明日の護衛の打合せで、カイルとルイスは一度王都に戻ることになったらしい。
「若造は駄目だな」
「令嬢の護衛には向かんと報告した方がいいか」
騎士服を着崩した不良中年達の会話に違和感を覚えつつも、口を閉じて保身に徹した。口を禍の元にはしたくない。
「なら、お前の息子も駄目だな」
「そうだな……俺に似なくてもいいのにな。お前の息子は……上手くやるか……」
哀愁漂う聖騎士はリューグの父親だった。翡翠色の癖毛をボリボリと掻いていた。
「明日が心配だ」
リューグの父親の心労は増えることなく、一同王都に無事に到着した。