11.勝負
生活範囲はブラウ伯爵家の屋敷内、もしくは、その周辺に限定されていた。
黒幕に狙われている私を『会』と名の付くパーティーに招待されるはずもなく。領内を気軽に散歩できるはずもなく、襲撃に備えて行動は制限されてしまっている。
向こうはどのような手段を取ってくるか、予想できない。
私を誘拐するために人質に獲るなどの卑劣な行動に出るかもしれないからと、身近の者も一緒に護衛対象となり、軟禁生活を余儀なくされている。申し訳ない気分でいっぱいだ。
屋敷の中もとても静かだ。人が少ない。
信用の置ける者、自分の身を守れる者といった最低限の人数に数を減らしている。守る対象が少ない方が護衛する方も楽だし、その分攻撃に回せる。
アマレロ家襲撃事件以降、何も起きていない。黒幕が動く気配もない。当然、行方も情報も未だに掴めていない。大人しく敵襲を待つしかなかった。
後手にしか回れないのがまどろっこしい。これだけ何も無いと、私は本当に狙われているのかと疑いたくなる。
囮として派手に動き回り誘い出そうかと思ってしまいたくなるが、それこそが黒幕の狙いだとすると、自分から罠に掛かりに行くようなものだ。
父も娘を敢えて囮にすることは考えていないようだった。
身の回りの護衛は二人の聖騎士が交替で任に就き、屋敷の内外は当家の専属護衛騎士達が警護している。
今日の外回りの騎士の顔ぶれを見て、溜息が零れた。
「溜息吐いて、どうかした?」
マリアルも窓に近づいて、外の様子を窺っていた。
「今日は周辺の散策は中止するしかないと思って」
「……そうね。残念だけど、その方がいいでしょうね」
軟禁生活も半月強。マリアルも私と相性の悪い顔を把握したようだった。
屋敷の外に出るとなると、護衛への負担が大きくなる。本日の外の護衛担当は、私が屋敷の外側に行くのを快く思っていない者達だった。
屋敷内で身体を動かすとなると、鍛練かダンスくらいだろうか。
ダンスなら、マリアルも一緒に楽しめるが……。
「シュリアお嬢様、ご依頼の品――例の一式が届きました」
入室を許可すると、侍女が依頼の品を乗せたワゴンを押して、部屋の中に入ってきた。
「テーブルの上に並べたら、仕事に戻って大丈夫だ。後はこちらで確認する」
「畏まりました」
「コレは私の大切なモノだから、自分で持つ」
大小様々な箱が幾つか有ったが、その中で1メートル程の細長い箱にのみ目を付け、両手でそっと抱えた。
中身を取り出して確認しているうちに、全ての箱がテーブルの上に並び終わっていた。
「忙しい所、ありがとう」
「では、失礼致します」
侍女は優しく微笑むと退出していった。
「シュリア――お前、何てモノ頼んでるんだ!」
途端にリューグが吠えた。相変わらず、不良騎士然だ。でも、かっちりとタイを締めるよりも、少し緩めた方がリューグにはよく似合っていた。
「見ての通り、愛剣だ」
女性の身体に合わせて新しく発注した。窓から差し込んできた太陽の光に反射して、刃がキラリと瞬いた。
「そりゃ、見りゃ分かるけどよ……令嬢に必要なのか?」
「私は戦える令嬢だからね。勿論、父様の許可は得ている――というわけで、勝負しよう!」
「お、俺!?」
リューグに向かって、剣先を向けた。
「私が勝ったら、ダンスの練習に付き合おう。上手く踊れる方が令嬢にモテるぞ!」
「いや、あの……その恰好で戦うのか?」
動きやすいシンプルなドレスだが、勝負には心許ない。リューグが指摘するように勿論、戦闘には向かない。
「安心してくれ、準備万全だ」
抜かりはない。例の一式に揃えてある。
「シュリア、早く着て見せて! 想像以上の出来だよ!!」
リューグとの会話の合間に許可を取っていたマリアルが箱を開けて、中身を確認してくれていた。
マリアルの喜びようから、期待も大きくなる。
「着替えるから、一旦、部屋の外で待機してくれ!」
「行くぞ!」
「ちょ、イアン!? 離せ!!」
「ああなったら、止められない。シュリアもシュリアンだからな……諦めろ」
空気と一体化していたイアンがリューグの耳を引っ張り、颯爽と部屋の外に連れ出して行った。
扉が締まる直前、イアンは滅多にお目にかかれない笑顔を見せていた。あの笑顔の後でよく私も度肝を抜かされた。
楽しい余興でも企んでいるのかもしれない。
何だかんだ言いつつ、リューグも付き合ってくれるのだろう。
こうして護衛で一緒に過ごすようになり、わだかまりは消えている。
男性でも女性でも、どちらの私も同じように接してくれている。それが懐かしく、嬉しかった。
◇◇◇
「勝負あり!」
審判を買って出たイアンの快活な声が響き渡った。
「ま、負けた……」
首筋に剣の腹を当てられたリューグが項垂れた。気力が削がれたのか、その場に座り込んでしまった。
「そう落ち込むな。ハンデがなければ、私が負けていた」
この勝負は、リューグが圧倒的に不利だった。
「怪我……してないよな?」
恐る恐る、リューグが訊いてくる。
試合方法は、お互い相手の身体を傷つけない――というのが条件だった。それを提案したのはイアンだ。私を優位に立たせてくれたようだ。
細心の注意を払って剣先を巧みに動かすのは得意だった。それが勝負の分かれ目だった。
令嬢相手では鍛練は役不足だが、大雑把なリューグの剣技の上達には一役買えただろう。
私も怪我をしないように必死だった。怪我をしてしまえば、愛剣を母に没収されてしまうから。
「傷ひとつない」
「それなら、いいんだけどさ……シュリア、本気で急所狙って来ただろ!?」
「リューグは上手く躱すと信じているからね。お蔭で、いい鍛練ができた。リューグ、ありがとう」
リューグは大柄だが、実はすばしっこい。野生の勘なのか、躱し続けるのが得意だった。
手足のリーチが短くなったから、感覚を掴むための良い練習台がリューグだった。
黒幕と対峙した時に、自分の身を守れるくらいには動けるようにしておきたかった。そうすれば、護衛する側の負担も軽くなるだろうからと。
試合は体力も筋力も減った分、更に不利な状況だった。条件は優位でも、本気を出さなければ勝てない相手だった。リューグも手加減してくれたから、勝てたようなものだが、勝ちは勝ちだ。
それに、マリアルとのデートを賭けたリューグに負けるわけにはいかなかった。
「ダンス……拙い……命がヤバい……」
リューグが呪詛のようにぶつぶつ呟いていた。どことなく顔色も悪い。そこまでダンス嫌いではなかったはずだが……何故、命がヤバいのか。
「最近、ダンスの練習相手がいないとぼやいていただろ。丁度、良かったじゃないか。二人も可憐な令嬢が相手してくれるんだから」
「お前、他人事だと思って……いつか、復讐してやる」
リューグは負けたショックから立ち直れていないのか、いつものようにイアンに突っかからなかった。弱々しく吠えるだけだった。
「二人とも、お疲れ様! はい、どうぞ」
「ありがとう、マリアル嬢」
「マリアル、ありがとう」
離れた場所で観戦していたマリアルが傍まで来て、持ってきたタオルをリューグと私、それぞれに渡してくれた。
「シュリアの繊細で流れるような動きは綺麗だった。リューグ様もシュリアの鋭い攻撃を上手く躱し続けてて、兎に角、二人とも凄かった。見ていて面白かった」
マリアルは頬を紅潮させて興奮していた。褒められたリューグも萎れた表情から一転、晴れやかな笑顔に戻っていた。
「まっ、何とかなるだろ。バレなければいいんだから。さて、ダンス――」
「折角の所悪いが、交替だ!」
「げっ、カイル!?」
気配を消して近づいてきていたカイルが、背後からリューグに話しかけていた。話の途中で遮られたから、カイルに歯向かうかと思いきや、飛び上がり脅えた様子を見せていた。
「何をそんなに驚いている。気づいていなかったのか? 気を緩め過ぎだ」
「あ……と、その……キリアはどうした!?」
カイルに叱られたリューグが助けを求めるようにカイルの後ろにいた人物に目を向けた。
「ちょっと、ごたごたがあって……カイルに変わったんだ」
リューグの疑問に答えたのは、こちらに向かってゆっくりと歩いてきた聖騎士――ルイス・シーニーだった。
聖騎士は通常、二人ペアを組んで行動する。
私もカイルとペアを組んでいた。
ルイスのペアはキリア・オランジュだが、報告書に不備があり、部隊長とマンツーマンで書き直ししているらしい。それ以外にもまだ事情はあるらしく、急遽、カイルが代わりに担当することになった、と。
今現在、カイルは特定のペアを組まず、今日のように臨機応変でペアを組んでいた。
騎士団は黒幕探索でも忙しくなっているからか、非番の調整で聖騎士の護衛担当が変わることが多かった。その所為か、カイルが私の護衛担当になる回数は多かった。
「……ルイスも大変だったな」
「僕はそうでもないよ」
リューグとルイスは顔を見合わせると苦笑してお互いを労わり合っていた。
「――シュリア、久しぶり!」
人懐こい笑顔でルイスが『シュリアン』と同じように声をかけてきた。
「暫く見ないうちに、一段と別嬪になったね。ドレス姿も可愛かったけど、その恰好も似合うよ」
ルイスに最後に会ったのは、騎士団を辞したときだった。改名したことを告げると、すぐに『シュリア』と呼び変えてくれる順応力の高い少年だった。
会うなり、真っ先にドレス姿を褒めてくれたように、男装令嬢でも美辞麗句は健在だった。
「騎士っぽいけど、リボンが女の子らしくて可憐だね」
形は騎士服に似せた群青色の上着とズボン。上着のボタンは淡い水色で首元は桜色のリボンという女性らしさを取り入れた逸品だ。
「ありがとう、ルイス。相変わらず、女性を褒めるのが上手いな。お世辞でも嬉しいよ」
「僕は本当のことしか言わないよ――知ってるでしょ?」
「あぁ、知ってる」
「なら、僕のお嫁さんになってくれる?」
ルイスは自然に当然の如く言葉を放ったが、周りは驚くほど静かになった。全ての視線が私とルイスに集中した。
「覚えていない?」
ルイスはターコイズブルーの瞳を揺らしながら不安そうに私を見つめる。
「否……覚えている」
忘れるはずがなかった。強烈すぎて、今でも鮮明に思いだせる。
『――僕のお嫁さんになってください!』
剣を携えて向かい合うなり、ルイスが発した第一声を。