魔術師長様の花嫁
私がこの世界に召喚されて早三年。
頓馬な魔術師が恋人の誕生日に珍しい花を送ろうと、異世界の花を召喚したところ、現れたのが私だった。
私の名前は寿花。
花(植物)と花(人間)。いくら何でも対象の括りが雑すぎやしないか。腕が悪いにも程がある。なぜそんなぺんぺん草並みの実力で召喚術など高度な術を使ったのか、甚だ疑問だ。花なんぞ、花屋で買うか、庭先に咲いているのを引っこ抜けばいいじゃないか。
そんな必要のない術の失敗により、私は生まれ育った日本での生活から突如切り離され、このフローリア王国にやってきたのだった。
とっ散らかった本を本棚に戻しながら、私は差し込んできた光にふと視線を窓の外にやった。雲ひとつない快晴だ。
ああ、今日もいい天気だ。春の陽気だ。
清々しい気持ちに口元を綻ばせた時、陽気さの欠片もない声が飛んできた。
「眩しい。カーテンを閉めろ」
その不機嫌そうな声を聞いて、せっかくの気分が盛り下がる。私は内心舌打ちしつつ言われた通りにカーテンを閉めた。
私は現在、件の魔術師が所属していた魔術師団で働いている。この目の前の不機嫌そうな男、もとい上司、もとい私の後見人である魔術師長の侍女として。
召喚された後、王国は私の処遇に頭を悩ませた。
召喚術は魔術の中でもかなり高度で、召喚するものによってはこの世界に大きな影響を及ぼす危険性がある。当然のごとく使用に関しては厳しい審査と許可が必要だ。そしていかなる理由でも、意思ある生き物の召喚は禁止されている。
私を召喚した魔術師はよほどズボラなのか馬鹿なのか、使用許可すら取らずに術を行使した。結果、召喚が禁止されている生き物(私)を呼び寄せるという大失敗を犯しやがったのだ。
この魔術師はもちろん懲戒解雇、罪人として捕らえられた。しかし牢屋に入れられたその夜に脱獄し、恋人と手に手を取り合って逃亡。忽然と姿を消し、今の今まで発見されていない。私は苦情の一つも言う前にトンズラこいたその魔術師を一生恨むと決めている。
召喚されてしまった生き物(何度も言うが私のことだ)の処遇を巡って、国王陛下や大臣のお偉方があーだこーだと話し合った。彼らにとって、私は迷惑物以外の何者でもなかった。なんの罪もないはずの私に向けられる冷たい視線の数々。まるで罪を犯したのが私かのようだった。
どう考えても理不尽な扱いだが、当時はやたら豪華な服を着た偉そうな人達の前に罪人よろしく連れて行かれ、味方の一人もいない中、寄ってたかって邪険な態度をとられるという状況に、困ってるのは私じゃい!と怒りを爆発させられるほど鋼の心臓は持ち合わせていなかった。
とにかく常識では考えられない状況に私はただただ怯えた。しかも気のせいか、処分、隠蔽、など物騒な単語がチラホラ聞こえていたからなおさらだ。
段々と話の雲行きが怪しくなり、同時に私の命もあやしくなり始めた時、それまで紛糾する話し合いを傍観していた魔術師長が口を開いた。
「彼女は私が引き取ります。部下の落ち度だ。上司である私が責任を取るのが道理でしょう」
責任を取るとか殊勝な台詞の割には尊大な態度だったが、追い詰められていた私には、その言葉は暗闇で見出した光明に他ならなかった。咄嗟に救いを求めるように項垂れていた顔を上げると、魔術師長とバチっと目があった。
私は自分の置かれた状況も忘れ、ポカンと間抜け面を晒して惚けてしまった。
すっごい美人……。
魔術師長は、美の化身かと見紛う程の美しい男だった。漆黒の長い髪は星でも散りばめたかのように艶々と輝き、肌はシミひとつなく透けるように白く滑らかだった。通った鼻梁の下には形の良い口が上品に据えられ、そこから発せられる声は天上の調べのようだった。そして何より印象的なのは切れ長の紫の瞳。その瞳に見つめられると魂を吸い取られるような心地さえした。
私の間抜け面にフッと皮肉げな笑みを浮かべた魔術師長に、「危険だ」「どんな人物かわからぬ」「何かあってからでは遅い」「異分子は処分してしまうに限る」など口々に反対する大臣達に、私から視線を外した魔術師長はツンドラ並の冷たさで言い放った。
「私がこの小娘に遅れをとるとでも?」
その一言が決定打となった。
後日知ったのだが、この魔術師長、べらぼうに強いのである。その強さたるや、北の大国と言われるフローリア国軍全軍を一瞬で塵にできるほどなのだ。
各国に一人いれば重畳と言われる“スペシャリスト”と呼ばれる魔術師でも、その実力は一師団相当。魔術師長がいかに化物並みか分かろうというものだ。ちなみに魔術師長はこの世界で現在ただ一人“マスター”の称号を持っている。
政権奪取も片手間で行えるだろうこの男が魔術師長の座に大人しく収まっていることは、フローリア王国の七不思議の一つに数えられている。
私はそんなある意味危険人物である魔術師長に命からがら救われたのだった。
「せっかくのいいお天気なのに。少しは陽に当たらないと不健康ですよ」
「そなたはしょっちゅう陽に当たっているから、そのように肌が色づいているのだな」
色づいて、なんて一見色っぽい台詞だが、地黒であることを揶揄された気がするのは思い違いか。それとも白色人種から有色人種に対する差別を受けたのだろうか。世界が世界なら国際問題だが、悲しいかな、この世界には白人しかいないのだ。私が問題喚起したところで、マイノリティーどころか世界の中心で一人寂しく人権を叫ぶことになるだろう。
私を救った魔術師長は、お綺麗な顔に反して、お世辞にも性格が良いとは言えなかった。
「ところで、さっき国王陛下の使者が呼びに来てたでしょう。行かなくていいんですか?」
「用があるなら自分から来いと言ってやった」
先ほどから出かける素振りも見せずに書物をしている上司は、目線を落としたまま何でもないことのように言い放った。私は国王陛下に同情した。こんな部下、扱いにくくて仕方ないだろう。
ため息をつきながらお茶の支度に取り掛かかる。もうすぐこの部屋にやってくるだろう陛下のために。
「ため息などつくな。辛気臭い」
「すみませんね!誰かさんが余計な仕事を増やすもんですから!」
ついイラっとして言い返す。
この魔術師長の専属の侍女は私一人だけなのだ。だから毎日朝から晩まで仕事に追われてているし、本来は予定外の客にお茶なんか淹れてる暇はないのだ。
何故国の重鎮である魔術師長に侍女が私一人だけなのか。それはひとえにこの魔術師長の性格の悪さが原因だろう。
魔術師長の地位や名誉や美貌に釣られて、以前はこの侍女職も希望者が殺到していたらしいのだが、今は悲しいかな、募集をかけても誰も応募してくれない。きっと我らが魔術師長様の平等の精神が広く知れ渡ってしまったからだ。つまり女性だからといって容赦がない。荷物持ちなど当たり前で、重かろうがかさばろうが持てる限りは持たせるし、下男がやるような汚い仕事でも必要とあれば「やれ」の一言で無慈悲に命じる。基本的に国の重鎮である魔術師長に仕えるような高級侍女は良家の子女で、生まれた頃から蝶よ花よと大切に育てられたお嬢様方だ。侍女として働くといっても、その目的のほとんどが行儀見習いで、仕事らしい仕事といえばお茶を淹れることや、ちょっとした部屋の片付けくらい。当然魔術師長の仕打ちには耐えられない。
ましてやこの男、普段は優しさの欠片も見せない冷酷ぶりだ。一生懸命仕事を終わらせても、「遅い」「低脳」「なんだこの出来は」「ボサボサするな。早く次の仕事に取り掛かかれ」と、無慈悲な言葉のオンパレード。
しかも仕事は出来るが面倒くさがりな魔術師長、片付けた先から部屋を散らかしていく。読んだ本は読みっぱなし。脱いだ上着は脱ぎっぱなし。その上、少しでも自分の気に入らない場所に片付けようものなら、射殺すような視線で睨みつけてくる。片付けるタイミングも大切だ。もう使わないものなのか、わざと置きっ放しになっているのかを見極めなければならない。無理ゲーだ。
こうして今現在、魔術師長付の侍女になろうという女性は一人もいなくなってしまったのだ。
本人も使えない人間ならいらないという考えで、特に現状を打開する気はないらしい。そして最近はそのツケは全て私に降りかかるというシステムだ。そろそろ労基に訴えたい。
お嬢様方と違い、私はこの仕事を辞めるわけにはいかない。というか辞められない。私にはこの国で、いや、この世界でここにしか居場所がないのだから。
初めのうちは、それはもうビクビクしながら働いた。なにせ魔術師長に見放されたら、今度こそ命が危うい。私の生殺与奪権を握るこの男に、何としても気に入られ、私の能力を認めてもらわなければ、と、ただただ仕事に邁進した。おかけで故郷への郷愁に浸る暇はなかった。とにかく死んでたまるか、なにくその精神でどんな仕事にも全力で取り組んだ。魔術師長に睨まれようが嫌味を言われようが、無我の境地で乗り切った。
そうこうしている内に、徐々に魔術師長が望んでいることが把握できるようになっていった。私の仕事ぶりに魔術師長が時折見せる満足そうな表情に、えもいわれぬ達成感を覚え始めた今日この頃である。
それに、魔術師長の下で働いて分かったことがある。それはこの男、意外と懐が広いということだ。
いや、もちろん皮肉屋だし傍若無人だし自己中心を代表する男だが、私が何回仕事でミスをしても、クビにすることだけはしなかった。そして異世界の異なる常識や習慣に右往左往していた私に、面倒くさそうにしながらも逐一これはこうだ、あれはああだ、と教えてくれた。
それに何と言っても、魔術師長は私の後見人でもある。召喚当時、誰もが見捨てようとした私を救ってくれたのは魔術師長だけだった。魔術師長はおそらく、この世界で唯一の私の味方……なのかもしれない。たぶん。自信は無いが。……やっぱり気のせいな気もするが。
ただ一つ、これだけは自信を持って言えることがある。それは私でなければ魔術師長の侍女は務まらない、ということだ。主に逃げ道がない、という理由で。
「忙しいならば茶など用意しなくていいぞ。どうせ来るのは国王だ」
「馬鹿ですか。そういう訳にもいかないでしょう」
魔術師長にとって陛下は仕えて“やってる”程度の人物かもしれないが、曲がりなりにもこの国の最高権力者。一介の侍女には雲の上の存在だ。
しかし慣れとは恐ろしい。もしくは私は自分でも思ってた以上に図太い神経の持ち主だったのかもしれない。最近では魔術師長相手に言いたいことを言えるようになっていた。恩人とはいえ、この性悪男にいつまでも下手に出ていたら私の精神が持たないのだ。
けれど、やはり限度は大切よね。
魔術師長は下げていた目線を上げると、三年経っても唯一慣れることのない美しい顔に麗しい笑みを乗せた。
「……ほう。まさか馬鹿とは私のことか?」
私はヒクッと唇を震わせたままその場で硬直した。
しまった。さすがに言い過ぎた。つい本音がポロッと出てしまった。
魔術師長は椅子から立ち上がると、ゆっくりと私に近づいてきた。残酷で意地の悪い光を宿した紫の瞳が私をひたと見据えている。 長いローブをゆったりと靡かせながら私の前に立った魔術師長は、白魚のような手を持ち上げると、私の頬をつと人差し指の爪で撫でた。
私の背中をゾクゾクとしたものが駆け上がる。
「そなたの命を助けてやったのは、誰だったろうな?」
ん?と首を傾げた魔術師長から壮絶な色気が放たれて、それを間近で受け止めた私は鼻血を吹きそうになった。
これはまずい。そして怖い。
私は自己防衛のためにスッと視線を外した。
「そ、それはもちろん、魔術師長様です」
「そうか?」
魔術師長は今度はスルリと私の鼻筋に指を滑らせた。
ひいっ!やめて怖いから!
この人は時々揶揄うようにこうやって私に向かって無駄に色気を放出する。なまじ神々しい美貌なだけに、その威力は計り知れない。カチンコチンに固まる私を見て、魔術師長はいつも満足そうな、底意地の悪そうな表情をする。悪そうというか、正真正銘悪いんだが。
感謝の気持ちを問われ、私は途切れ途切れに「ありがとうございます」と言った。
「そなたは人に礼を言うときに、相手から顔を背けるのか」
魔術師長は右手で私の顎を掴むと、やんわりと私の顔を自分の方に向かせた。
「わ、私の顔などお目汚しですので……」
「そのようなこと、気にせずともよい」
私の苦しい言い訳もどこ吹く風だ。というか、私の顔の造りに関して否定はないのか。何気に失礼だ。
間近で魔術師長の麗しい顔を見つめる羽目になり、私はクラクラと眩暈がした。
な、なんつー美形……。
何故神はこの男にこんなにも完璧な美貌を与えたんだろう。そして何故こんなにも性悪にしたんだろう。謎だ。謎といえば、この状況も謎だ。なぜ私はこんな至近距離で上司で後見人である魔術師長と見つめ合っているのだろう。
「ハナ……」
獲物を前に舌舐めずりする猫のように、魔術師長がその瞳を細めた時、扉をノックする音が室内に響いた。
その瞬間、スッと魔術師長が不機嫌になるのが分かった。
ひいぃ!!
「誰だ。帰れ」
私から視線を外さずに扉に向かって言い捨てる魔術師長。
さすがだ。誰に対しても贔屓なく横暴だ。
「も、申し訳ございません。国王陛下がお越しです」
チッ。
舌打ちをしながらも私を解放した魔術師長は、不機嫌を隠さない声で「入れ」と言った。
入れって、相手は国王陛下だぞ。
「……見合い?」
ピクリ、と魔術師長のコメカミが波打った。ビクリ、と私と陛下の肩が同時に跳ねた。
「私に見合いをしろとおっしゃるのですか?」
これは面白い冗談だ、といった表情で魔術師長は目の前の陛下に笑顔をこぼした。その視線の冷たさたるや、氷点下に突入していたが。
陛下は冷や汗をかきながら、大きくひとつ頷いた。
「そ、そなたも今年で三十歳。いつまでも独身というわけにもいくまい」
「陛下が私ごときの伴侶の心配をしてくださっているとは存じませんでした」
暗に余計なお世話だよ、と言っているのだろう。陛下もそれが分かっているのか、気まずさがビシビシ伝わってくる。
それにしても魔術師長が結婚。……想像がつかない。お相手は合金の心臓に針金の毛を生やした女性だろうか。
「そなたは我が国になくてはならぬ存在だ。早う後継者を作ってもらわねば困る」
つまりは早く子供を作れ、ということか。
確かに魔術師長の存在がこの国に与えている恩恵は計り知れない。その脅威によってフローリアに戦争を仕掛けてくる国はまずいないし、外交もし易いことだろう。
実際は制御不能な魔術師長を自国でも扱いかねているのが実情なのだが、そんなこと他国には言う必要はない。フローリアに魔術師長あり、という事実が大切なのだ。
魔術師長の魔力を受け継ぐ存在をフローリアは渇望している。それなのに魔術師長はいつまで経っても結婚する素振りを見せない。これまで魔術師長の不興を恐れて沈黙を守っていたお偉方も、ついに業を煮やしたということだろう。
「国中の貴族から娘を集めて晩餐会を催す。そこで好きな娘を選ぶがいい」
なんだそれ。王族並みの待遇じゃないか。そして一夜にして一生を共にする相手を選べというのか。陛下もビクついている割には無茶を言う。
陛下の言葉に、機嫌が下降して地底にめり込んでいるんじゃないかと恐る恐る魔術師長を見てみれば、予想に反して艶然とした笑みを浮かべていた。先ほどの凍える視線と違い、妖しげな色を瞳に乗せて。
何だろう。ついさっきまで不機嫌そうにしていたのに。逆に怖い。
「しかし陛下。ご存知の通り私は子を成すには魔力が多すぎる。下手に選べば、相手の娘の命も奪ってしまいますよ」
魔術師長の言葉に、陛下は渋い顔をした。
「分かっておる。それ故、できる限り魔力の少ない娘を集めさせた。この日のために、適した娘を養女に迎えた家もある」
ということは、魔力が少ないことを理由に貴族に引き取られた庶民出の女性も混じっているということだ。高貴な血筋を尊ぶ貴族がそうまでするとは。魔術師長と縁戚関係になるというのはそれほど魅力的なのだろうか。身内に悪魔を招き入れるようなものだと思うのだが。
私は部屋の隅に控えながらこの世界の子作りの仕組みを思い返した。ついでにそれを魔術師長から教えてもらった時の恐怖体験も思い出した。
『ハナ。この世界の人間はみな魔力を持っている』
『へー。そうなんですか。……ところでこの大きなソファで隣り合って座る必要があるんでしょうか』
『水とコップに例えよう。水は魔力、コップは魔力の器だ。皆等しくコップを持っているが、入っている水の量は人それぞれだ』
『……なるほど。ちなみに何故私は肩を抱かれているんでしょうか』
『コップから水を溢れさせてはいけない。過分な魔力は体に毒なのだ。と言っても、普通の人間の持つ魔力は多くて精々コップ半分程度だ』
『……耳元で話すのやめてもらえませんか』
『水は普段はコップにきちんと収まっている。しかし子作りの時だけは別だ。何故なら子種と一緒に男の魔力が女の体内に入ってしまうから。子種には男の魔力がふんだんに含まれている。女の体内に入った男の魔力は、女のコップに注がれる』
『……』
『だから魔力の多い魔術師は子作りには細心の注意を払う。伴侶は必ず魔力の少ない女でなければならない。でなければ自分の魔力で女の命を奪ってしまうからね。……ハナ、聞いているのか?もっと近づかなければ聞こえないか?』
『〜〜っ!聞こえてます!!では魔術師長の伴侶も魔力の少ない女性でないといけませんね』
『そうだな。しかし私の場合は更に難しい。私が持っているのはコップではなく……そうだな。樽かな。樽になみなみ水が入っている』
『……一生童貞でいてください』
『残念ながらすでに経験済みだ。体内に注がねば問題ないからな。試してみたいか?』
『結構ですっっ!!!』
ガクガクブルブル。思い出しても恐怖で震える。
なんだったんだろう、あれは。怖かった。そして最後の台詞は冗談か。それとも殺人予告だろうか。何が悲しくて魔術師長に夜のご奉仕までしなければならないのか。しかも魔術師長が最後にミスったら死ぬのはこっちってことじゃないか。
私が一人震えていると、魔術師長が何を思ったか、陛下の提案をあっさり了承した。
「分かりました。それでは晩餐会の会場で、最も魔力の少ない娘を私の花嫁として選びましょう」
「まことか!!」
「ダメです!!」
陛下の歓喜の声と私の咄嗟の制止が同時に室内を震わせた。
陛下にギロリと睨まれ、私は慌てて手で口を塞ぐ。
魔術師長は愉しげに口の端を上げた。
「どうした?ハナ。何がいけないのだ」
「いえ……」
だってコップと樽じゃ容量が……。
私はモゴモゴと言葉を濁した。自分でそう話してたのに。
「異世界からやってきた異分子の分際で口出しをするでない!」
陛下が不快も露わに怒鳴る。その言葉には流石にカチンときた。
好きでこの世界に来たんじゃないわよ!!
私はこみ上げる怒りを手を握りしめて耐えた。相手は国王。相手は国王。念仏のように心の中で唱える。
その時、魔術師長がフウと息を吐き出した。
「陛下。ハナは今、私の侍女なのですよ」
ズンッ。
魔術師長がそう言った瞬間、膝から崩れ落ちそうなほどの重力を感じた。
ゴクリと唾を飲み込んで魔術師長を見ると、底冷えのするほど温度の低い瞳で凄絶な笑みを浮かべていた。
「そ、そうだな」
汗をダラダラかきながら陛下が喘ぐように言うと、魔術師長はニコッと笑った。肩に感じていた重力がスッとなくなる。
「分かっていただければいいのです」
こ、こわ……。でも、私のために怒ってくれたんだよね……。
魔術師長の怜悧な美貌を見つめながら、ポッと胸の中が暖かくなった。どうしよう。嬉しい。
「ハナは嫉妬しているだけですから」
違うから。
魔術師長は陛下に向かって胡散臭いほどにこやかな笑顔で口を開いた。
「私が花嫁を選ぶ基準は魔力が最も少ないこと。それ以外にはありません」
「高位貴族のそなたには、できればつり合う家柄の娘を娶って欲しいのが本音だが……。そなたの場合は……致し方ないのであろうな。形だけでも貴族ならばよしとしよう」
「そうですね。私の魔力は多すぎる。贅沢は言えません」
ちょっと。どうしたんだ魔術師長。そんな謙虚な性格じゃないだろう。
「ほ……本当に花嫁を選ばれるのですか……?」
思わず口をついた疑問に再び陛下に睨まれた。しかしさすがに二度も同じ轍は踏みたくないのか、ムッとしながらも何も言わない。
しかし少しすると、陛下も徐々に不安そうな表情になっていき、伺うように魔術師長に向き直った。
そりゃ陛下も不安にもなるだろう。なんて言ったって相手は魔術師長だ。大人しく言うことを聞く人間では到底ないのだから。
しかし私達の不信感に反して、魔術師長は脚を組み直すと尊大に頷いた。
「もちろんだ」
魔術師長の返答に、陛下が喜び勇んで言葉を重ねた。
「ほ、本当だな!?」
その必死な様子に、魔術師長はクスリと笑って言った。
「私の言葉はそんなに信用ありませんか。では契約書でも書きましょうか」
私は驚きに目を見開いた。魔術師の契約書。それは破棄のできない、絶対行使の約定だ。
陛下はものすごい勢いで首を縦に振っている。
「ハナ。紙とペンを持っておいで」
「でも……」
「早くしなさい」
いつもと変わらぬ神々しく凄みのある笑みで命じられた私は、すごすごと言われた通りのものを持ってきた。
魔術師長に渡す手が、わずかに震える。
「何も契約書まで書かなくてもいいのでは……」
「おやおや。ハナはよほど私の花嫁選びが不満らしい」
……不満なんかじゃない。ただ……そう、花嫁になる相手の女性が心配なだけだ。だって魔術師長の魔力は強すぎるから。
魔術師長は紫の瞳を細めると、なぜか機嫌良さげに契約書を作り始めた。
ーーー晩餐会の日に、会場にいる貴族の中から最も魔力の少ない娘を花嫁に選ぶ。
「これでいかがですか?」
「うむ。いいだろう」
魔術師長は一つ頷くと、契約書にサラサラとサインした。
「陛下もどうぞ」
「余のサインもか?」
「ええ。その方がより契約の効力も強まりますから。陛下もその方が安心でしょう」
陛下は、そうだな、と言ってサインをすると、肩の荷が下りたようにホッと息をついた。
「それからハナ。そなたもサインしなさい」
「……私もですか?」
「そうだ。三つのサインが揃えば、この契約書は誰にも崩されぬ強固な力を持つ」
「何もわざわざこのような小娘のものでなくても……」
陛下の言葉は、魔術師長のスッと冷気を帯びた視線に封じられた。
「せっかくこの場にいるのだ。他の者をわざわざ呼ぶ必要もない。さあ、ハナ。書きなさい」
そう言って差し出された契約書に、私はモヤモヤした気分のまま渋々サインした。
何だろう。すごく嫌な気分。
……そうだ。きっと怖いんだ。だって魔術師長の花嫁ってことは、子作りの時に死のリスクが高いってことだよね。花嫁が本当に死んじゃったら、なんだか責任を感じるもん……。
私の葛藤も知らず、魔術師長はサインの揃った契約書を目の前に掲げると、至極満足そうに頷いた。
「……魔術師長様。やっぱり考え直すべきでは」
「またその話か。珍しく食い下がるな、ハナ」
豪奢な刺繍がふんだんに入った黒のローブを着た魔術師長は、何がおかしいのか口元にいつも通りの意地の悪い笑みを浮かべた。
今日の魔術師長は、普段は下ろしているだけの長い黒髪を、金の筒状の髪留めで片側に緩く纏めて垂らしている。歩みに合わせて、瞳と同じ色のアメジストをあしらった大振りの耳飾りがユラユラと揺れる。その動きに誘われるようにうっかり耳飾りに目をやると、普段は髪で隠されている白い項が視界に入ってしまい、その匂い立つような色気にウッと鼻を押さえた。
「それにもう、今さらだ」
その通りだった。
私達は今、晩餐会という名の魔術師長の花嫁選びの会場にいた。豪華絢爛な会場には、国王陛下や大臣達はもちろんのこと、魔術師長の花嫁の座を射止めんと、国中から集められた貴族のお嬢様方がいた。
下は十代からいるが、上は精々二十代半ばまで。子作りが目的であることを考えると、妥当な選択だ。ちなみに私は今年二十四歳。この会場ではかなり年増の部類じゃないか。
ちょっと、今目の前を横切った子、十三歳位に見えたけど。あの子と魔術師長が並んだら、犯罪にしか見えない。
お嬢様方は皆、魔術師長に熱の孕んだ視線を向けている。その浮き足立つような空気に、私の沈んでいた気分は更にズーンと地面にめり込んだ。
「……相手の女性に万が一のことがあったらどうするのです?」
この中の誰かが魔術師長の花嫁になるのか。
「……ハナ。そなた、私に生涯独身でいろと申すのか?」
「そういう訳ではないですが……」
でも、女性の命を奪う危険をおかしてまで……。
「私もそろそろ子が欲しい」
「……。えっ!」
私はビックリして思わず魔術師長の顔をマジマジ見つめた。
この、あらゆる意味で常人の域から勢いよくはみ出している男に、まさか子供が欲しいなんて普通の感覚があったとは。
「これも良い機会だ。陛下のお声掛けで決めた花嫁ならば、誰も文句は言うまい。契約書もあることだしな」
魔術師長はそう言ってクツクツと笑った。その悪どい笑みに、今日選ぶのは花嫁ではなく生贄だったかと一瞬勘違いしそうになった。
陛下から花嫁選びの話があった日から今日まで、魔術師長はずっと上機嫌で過ごしていた。今など無差別に笑顔を振りまいて、恋という名の犠牲者を量産している。
始終ご機嫌な様子の魔術師長を見て、私は諦めのため息をついた。
「……ところで魔術師長様。なんで私までこの場にいなきゃならないんですか」
今日もいつも通り、けれど内心鬱々としながら仕事をしていると、夕刻前になって突如魔術師長に命じられたのだ。晩餐会の供をせよ、と。
何で私が、との反論は一切受け付けてもらえず、随従の私がお仕着せでは恥をかく(魔術師長が)と勝手に用意されていたドレスに着替えるよう言い渡された。いつの間にか集められていた、如何にもベテランといったおばちゃん侍女達に無理矢理ドレスを着せられ、髪のセットや化粧を施された。どの世界でもおばちゃん達のパワーはすごかった。
ヘロヘロになりながら用意を終えたタイミングで魔術師長が私を迎えにきた。
『見違えたではないか』
魔術師長の満足そうな笑みを見て、不覚にも顔が赤くなってしまった。胸が不自然なほどドキドキし始めてーーー。
『馬子にも衣装だな』
それ、褒めてないから。
一瞬で冷静になり、同時に胸の高鳴りもシン、っと静まった。チッ。
「私の供をするのがそんなに不満か」
私の問いには答えずにそう聞き返した魔術師長は、花嫁選びがよほど嬉しいのか、いつもの冷酷無比振りでは考えられないほど麗しい笑顔を大盤振る舞いしている。ついでに色気も大放出中だ。どうしたんだ魔術師長。まさか年甲斐もなく若い女をあてがわれたことに浮かれているのか。このままだとあなたの視線だけでお嬢様方が妊娠しそうですけど。
「不満だらけですよ!私なんの関係もないじゃないですか!魔術師長様の隣にいるせいで、さっきからお嬢様方に親の仇を見るような目で睨まれてるんですからね!」
お嬢様方は揃いも揃って魔術師長を熱く眩しげに見つめた後、決まって私を憎々しげに睨みつけてくる。その気まずさといったら半端ない。私だって、この美貌の魔術師長の隣に立つには自分の容姿が平凡に過ぎると充分に自覚している。しかも世界は違えど、所詮はバリバリの庶民だった私と比べ、根っからの貴族のお嬢様方とは持ってるオーラが違うのだ。中には私同様肩身が狭そうにしている女性もチラホラいるが、その人達が恐らく元庶民のお嬢様だろう。可哀想だが完全に浮いている。そしてきっと私も同様だろう。
「いつもの図太さはどうした。他人の視線など無視すれば良いではないか」
何故私はいつもこの人に褒められているようで貶されているんだろう。
ギッと睨みつけた魔術師長は、しかし愉しそうに笑っただけだった。
「さて、そろそろ陛下のところにいこうか。ハナ、ここで待っていなさい。決してこの会場から出てはならぬぞ」
「ちょっと……。こんなところに置いてかないでくださいよ。というかもう帰りたいんですけど!」
「ハナは寂しがり屋だな。ほんの僅かな時間だ。大人しくしていなさい」
「誰が寂しがり屋ですか!こんな無駄にキラキラした場所にいたくないんですよ!私一人でも帰りますからね!」
私の言葉に、魔術師長は一層笑みを深くした。瞳に映るのは冷たく冷酷な色だったが。
「もし会場から出たならば、そなたはクビだ」
その信じられない言葉に瞬時に頭の中がまっ白になった。
……クビ?
「……え、魔術師長様。クビって……」
「言葉の通りだ。それが嫌ならここで私を待っていなさい」
そう言って魔術師長は優雅な足取りで私から離れていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は指の先から冷たくなっていくのを感じた。
クビって、なんで……?
今まで私がどんなミスをしても、決してクビという言葉だけは口にしなかった魔術師長。それなのに、こんな場であっさりその言葉を口にした魔術師長に、私は信じられないほどショックを受た。
私は、自分で思ってた以上に魔術師長を信頼していたみたいだ。
この三年間で、魔術師長がいかに性格が悪いか分かってたつもりだったのに。性悪で皮肉屋で横暴で……自分勝手で……それで……。
それで、私を決して見捨てない人。
そう、信じていたんだ。
呆然とする私を他所に、魔術師長は離れた場所にいた陛下の横に並び立つと、会場に向かって天上人の如く美しく艶やかに微笑んだ。
陛下が口を開く。
「これより、魔術師長の花嫁の選定に入る」
会場のいたるところから歓声が上がる。
お嬢様達の黄色い声や、魔術師長の縁戚の座を期待する貴族達の声。
「契約書をここへ」
陛下の言葉に応えるように、翠がかった灰色の髪の魔術師が恭しく一枚の契約書を持ってきた。
「読み上げよ」
はっ、と魔術師は一礼すると、魔術師ははっきりとした声で契約書の内容を読み上げた。
「『我、フローリア王国魔術師団の長、ライオネル・アルベリック・シャルル・シュバリエ・ナサニエル・ローサントリーヌは、ロサ歴258年4の月の3日、フローリア王国の王宮内で催される晩餐会にて、会場内にいる貴族階級の娘の中より、最も魔力の少ない者を花嫁とする』。
魔術師長様、内容に相違はありませんか」
「ない」
笑みを浮かべたまま頷いた魔術師長を見て、私の胸が大きく軋んだ。
灰色の髪の魔術師が契約書からパッと手を離す。しかし契約書は床に舞い落ちることなく、宙に浮いて停止した。
魔術師は背後に控えていた侍従から背丈ほどもある太く立派な杖ーーーオーブを受け取ると、先端についている丸く赤い石を契約書に向かって掲げた。
「『契約に則り、花嫁を示せ!!』」
魔術師が唱えると、オーブの赤い石がとろりと赤く光り始めた。そしてつられるように、契約書が白くぼんやりとした光を放つ。魔術が発動したのだ。
白い光はわずかな間ゆらゆら揺れると、ふわりと一際大きく膨らんだ後、シュッと契約書に吸収された。
そして次の瞬間。
一気に目が眩むほどの強烈な光が契約書から放たれた。
ーーー嫌だ。魔術師長の花嫁なんか見たくない。だって……。
私は眩しさと苦しさでギュッと目をつぶった。
そして。
「ーーーオエッ!!」
突然両腕ごと何かに縛られたと思ったら、その腹を絞られるような圧迫感に思わず声を上げた。
驚いて目を開けると、白い光の輪が縄のように私を捕らえていた。
何よ、これ!!
訳が分からないまま助けを求めるように顔を上げると、会場中の視線が私に集まっていた。みんな一様に呆気にとられた顔をしている。
……なんだ、これは。何が起こっているんだ。
静まり返った会場の雰囲気に気圧されながら、様子を伺うように視線だけを忙しなくキョロキョロと動かすと、遠目にも一人愉しげに目を細めている人物がいた。
クスリ。
その人物ーーー魔術師長は小さく笑うと、ゆっくりと私の方へ歩いてきた。魔術師長の周りに見えない壁でもあるかのように、自然と割れていく人波の中心を、いつにも増して堂々と。
そして私の元にたどり着くと、今まで見た中でもっとも美しく、もっとも上機嫌に、そしてもっとも意地悪げに笑った。
「ハナ。どうやらそなたが私の花嫁のようだ」
何でもないことのように言った。
……ん?
「ちょっと何言ってるかわからないんですけど」
「ハナが私の花嫁だ」
「だから」
「ハナが嫁だ」
「……」
魔術師長の透き通るような紫の瞳をジッと見つめる。
「……いつもの意地悪ですか?ちょっと時と場所を考えて欲しいんですが」
「何を言う。私がハナにいつ意地悪などしたのだ」
いや、いつって毎日隙あらば私を苛めて揶揄って愉しんでるでしょうが。
状況が飲み込めずに混乱している私の耳に、怒り慌てたような陛下の声が飛び込んできた。
「魔術師長!これはどういうことだ!」
魔術師長は笑みを浮かべながら振り返ると、声を張り上げることなく、しかし会場中にはっきりと響き渡る声で言った。
「どういうことも何も、ハナが私の花嫁に選ばれた。それだけのことです」
「そ、そんなことあるはずがなかろう!!この異端の小娘が選ばれるなど!!」
陛下は怒りで顔を真っ赤にしながら私達の元までやってきた。フーフーと肩で息をしている。
そんな様子の陛下に、魔術師長は恐れることなく愉しげに応えた。
「何故です?ハナはこの会場にいる娘達の中で、もっとも魔力が少ない。いや、少ないどころか、ゼロだ」
「ゼロだと!?」
陛下にマジマジと見つめられ、私は「あ、陛下ってばおデコ広い」と、どうでもよいことを考えた。現実逃避だ。
「そのような……そのようなことがあるか!魔力のない人間など聞いたこともないわ!」
「しかし事実です。おそらく異世界からやってきた娘だからでしょう。ハナからは一切の魔力を感じません。そうだろう、リオネル」
リオネルと呼ばれた灰色の髪の魔術師は、冷静な表情で頷き、魔術師長に同意を示した。
「間違いありません。彼女は魔力の気配すら纏っていない。……陛下も注意して彼女を見ればお分かりになるはずです」
リオネルの言葉に、陛下は忌々しそうに再び私を見つめてきた。
初めは不審そうに顰められていた眉間が、次第に驚愕に開かれていく。
「まさか……そんなことが……」
そのまま絶句したように黙り込んでしまった陛下を見て、私は魔術師長に向き直ると恐る恐る問いかけた。
「あのぉ。まさか本当に私が魔術師長様の花嫁に選ばれたんですか?冗談ではなく?」
「そうだ」
「あのでも、契約書はたしか、『魔力の少ない貴族の娘』ってなってましたよね?たしかに私は生まれてこのかた魔法を使えたことなんかないですし、魔力がゼロというのは納得できますけど……。でも私……貴族じゃないですよ?」
私はまだ、この状況が魔術師長が私に仕掛けた、国中を巻き込んだ壮大な悪戯じゃないかと疑っていた。
だってこんな展開、信じられるわけがないじゃないか。
「そ、そうだ!!この娘のどこが貴族だと言うのだ!!」
私の言葉にハッとした様子で、陛下が魔術師長にまくし立てた。
陛下はよほど私を魔術師長の花嫁にしたくないらしい。なんだか他人に否定されるとムカつくものがあるが、貴族じゃないのは事実なので、私はこっくり頷いた。
そんな私達に、魔術師長は喉の奥で低く笑った。
「何をおっしゃっているのですか?ハナはれっきとした貴族です」
「これのどこが貴族だと言うのだ!!」
とうとうこれ扱いか。
私を指差して激昂する陛下に、魔術師長は綺麗に口の端を引き上げた。
「そのような言われ方は心外です。ハナは我がローサントリーヌ家の大切な養女だというのに」
なんだって?
「な、何を言っているのだ!そのようなこと聞いておらぬ!後見人とはいえ、そなたはこの小娘の面倒を見ていただけであろう!!」
「ああ、そういえば言い忘れていたかもしれません。一年前に我が家の養女にしたのですよ」
したのですよって。
「私、そんなの聞いてませんけど」
「言っていないからな」
当然のように言われ思わず押し黙る。どうやら魔術師長にとって、私の意思は考慮に値しないらしい。
「今や我が父がハナの養父です。ローサントリーヌ家がこの一年慈しんできた養女のハナを小娘扱いなど、陛下といえど酷い仕打ちではありませんか」
私は急いで慈しむの意味を心の辞書で調べ直した。ついでに養父の顔を思い浮かべようとしたが、何故か思い出せなかった。ああ、そうか。だって会ったことないもんね!!
「お分かりになりましたか?契約書が認める私の花嫁は、ハナ以外にはありえない」
魔術師長は、何故か勝ち誇ったかのような表情を見せた。
怒りか驚きか、ワナワナと震える陛下に向かって、魔術師長は最後の言葉を告げた。
「陛下自身もサインした契約書。まさか否やはありますまい」
その言葉に、陛下はついにガックリと肩を落とすと、「ああ」と無念そうに小さく頷いた。
それを見届けた魔術師長は、「では、もう今夜の用件は終わりましたね」と言って、私を捕らえている光の輪をむんずと掴むと、ズルズルと連行するように私を引きずって会場を後にしたのだった。
呆然としたままローサントリーヌ家の馬車に押し込まれた私(私はこの世界にやってきてから魔術師長の家……というか屋敷?城?でお世話になっているので、出勤も帰宅も魔術師長と一緒なのだ)は、馬車が動き始めた振動でハッと正気を取り戻した。
「ちょっと!どういうことですか!私が魔術師長様の花嫁って!」
魔術師長は馬鹿な子を見るような目で私を見てきた。
「だから契約書の条件に当てはまるのがそなただったというだけだ。何度も同じことを言わせるな。私は馬鹿が嫌いだ」
その言い草。やはり私が花嫁とか間違いか。
「だったら何とかしてくださいよ!世界一の魔術師なんでしょう!」
「無理だな。あの契約書は完璧だ。破棄できる要素が一つもない」
「そんな……そんなの困ります!!」
私の抗議に、魔術師長は冷たい目で尋ねてきた。
「何が困るのだ」
「何がって……全てですよ!分かってます?私が花嫁ですよ?魔術師長様の奥さんになるんですよ!?魔術師長様はそれでいいんですか!?」
「どうせもとより一緒に暮らしているのだ。そなたが嫁であれば面倒な準備もいらないし、むしろ楽で良い。かかる手間といえば、精々そなたの戸籍を父の養女から私の妻に書き換えるくらいだ」
どうやら魔術師長はお手軽さで花嫁を選ぼうとしているらしい。さすがにこんな場面でも面倒くさがりを発揮するとは思わなかったので驚きだ。やはりこの男、常人とは考え方が違う。
「でも……私は嫌ですよ!こんな風に勝手に魔術師長様のお嫁さんにされるなんて!!」
私がそう叫ぶと、魔術師長が不機嫌オーラ全開で睨んできた。
「私の花嫁になるのがそんなに嫌か。ハナのくせに生意気だぞ」
「そりゃ嫌ですよ!誰だって好きな人と結婚したいと思うでしょう!!」
「……まさか、他に好いた男でもいるのではあるまいな?」
「なっ……!いませんよ、そんな人!なんでそうなるんですか!」
私は急に恥ずかしくなって、慌てて反論した。
「では良いではないか」
これで話は仕舞い、といった魔術師長の態度に、私はここで引いたら負けだと自分を鼓舞した。
「わ、私だって、人並みに愛し愛されて結婚したいっていう願望くらい持ってるんですからね!」
私の心からの訴えに、魔術師長は私をじっと見つめたかと思うと、フイと馬車の窓に視線をうつした。「愛し愛され……か」と呟いたかと思ったら、そのまま口を閉じてしまった。
なんだ、気まずいじゃないか。
なんだか理不尽に居た堪れない気持ちにさせられていると、しばらくして魔術師長がボソリと言葉を発した。
「あの契約書を作った時点で、こうなることは分かっていた」
……ん?
なんか今、とんでもない台詞が聞こえたんだけど、気のせいだろうか。
「あの、多分聞き間違えだと思うので、もう一回言ってもらっても良いでしょうか」
「ハナが花嫁に選ばれることは分かっていた」
そう言うと、魔術師長は紫の瞳をひたと私に向けてきた。
「……召喚されてきたそなたを見て、初めからそなたに魔力がないことは分かっていた。しかしさすがに私も、そなたのことを何も知らないまま、魔力量だけで伴侶に据えようとは思えなかった。だからこの三年間、手元に置いてそなたを見てきた。そして結論にいたったのだ。私の伴侶はそなたしかいない、と」
私は驚きに目を見開いた。そしてじわじわと顔が赤くなるのを感じた。
「……それは、つまり……、魔力がないだけで私を選んだわけじゃないってことですか?」
「そうだ」
私は悔しくも胸に喜びが溢れてくるのを感じた。
そんなの……そんなのズルイよ……。
そんなこと言われたら、私……。
「ハナ。私の伴侶になってはくれぬか」
いつもの意地悪さはなりを潜め、静かで真剣な表情でそう言われ、私はついに自分の敗北を悟った。
今まで誤魔化そうとして誤魔化しきれなかった自分の気持ち。
「……はい」
私は真っ赤になりながらそう答えた。
そんな私の返事を聞いて、魔術師長はこの三年間見せたことのない幸せそうな表情で、まるで花が綻ぶように笑ったのだった。
こうして、私はようやくこの世界で本当の居場所を見つけた。
お読みいただき有難うございました。