暖かな居場所
秋晴れで冷え込む翌日の朝。僕はうちの家から数件離れた場所にたつ小屋を訪れた。
「サオラ婆ちゃん、おはよう。居る? 入るよ」
軋む扉を押し開けて中に入ると、甘いような苦いような、独特の匂いが鼻を刺激する。
ここ数年で慣れた、この家の匂い。薬草の香りだ。
「おやおや。今日は早いねぇ、ロア坊」
部屋の奥から柔らかなしわがれ声が届く。
「婆ちゃん、うちでクレレが沢山採れたから、お裾分け。いつもお世話になってるお礼に、って母さんが」
「まあまあ、ありがとうね、頂くわ 」
サオラ婆ちゃん……彼女はかなりの高齢だが、まだ矍鑠とした元気なばあさんである。
そんな彼女の家の天井の梁にはいつも薬草が干されている。
彼女は腕の良い薬草師だ。
同時に村で唯一のまともな医者であり、村一番の知恵袋でもある。
そして、村で数少ない知識人である。といっても文字が書け、簡単な計算ができるだけ。
普段の農作業にそれらは大して必要ない。
村長と跡継ぎとあと数人が何とか文字が読める程度だ。
婆ちゃんはなぜ、と言うと
娘の時分、町に奉公に出て、偉い人の目に留まって随分と目を懸けられた。
その時すこし、学問をかじったらしい。
その後その偉い人が亡くなり村に戻ってきたのだ。――小さい子供をつれて。
まったく「子供がいるようには見えん、若くて綺麗なお姉さん」だったそうだが…。当時小さい子供だった村長が言うには。
サオラ婆ちゃんは、身に付けた教養を村の子供らに伝えた。村長もその時他の子と共に教わったらしい。
ちなみに婆ちゃんの「子供」はとうに結婚していて、今や十八になる娘を持つ立派な母親である。今の村長の奥さんである。
僕はと言えば、手伝いの合間にここに遊びに来ては婆ちゃんに頼み込んで文字を教えてもらい、今ではすっかり読めるようになった。
「婆ちゃん、昨日読んだ本、面白かった」
「あら驚いた、昨日で一冊全部、もう読めたのかい?早いねぇ」
婆ちゃんが目を丸くして微笑んだ。しわが優しくえくぼを作る。
「うん。別の本も読んでいい?」
「いいよ、いいよ。好きなだけお読み。ちゃんと丁寧に扱ってくれるならね」
婆ちゃんの家には、本が数冊あった。紙を紐で綴じただけの簡単なものだったが、紙、まして本などというのはとても貴重なものだ。村で他に本を持っている者は村長と、あと極数人。
婆ちゃんは、そんな貴重な財産である本をただの子供に読ませてくれている。将来文字など使わない農民の子に。
「村の悪ガキどもには見せらないけどねぇ」
「サオラ婆ちゃん」
棚の本を眺めながらふと、何となく尋ねた。
「何かい?」
婆ちゃんは暖炉の脇で揺り椅子に腰かけて、チクチクと繕い物をしている。
「何で僕には本を読ませてくれるの?僕も悪ガキなんだけど」
「いいや…ロア坊は悪ガキじゃぁないよ。おまえは賢いし、他とは違う不思議な子さね」
意表をつかれて振り替えると、婆ちゃんはやはり微笑んでいる。僕が妙な顔をしていると婆ちゃんは続けた。
「わたしら大人が教える前から物事の道理を既に知っているのだからね。……ときたま、大人と話しとるように思うことがあるよ。
子供のふりした大人なのかしら?」
手が滑って本が落ちた。バサッと音を立てたそれを慌てて拾うと丁寧に塵を払う。
「もちろん冗談よ」
「…ねぇ婆ちゃん、僕は変、かな?」
婆ちゃんはからからと笑い、少し真面目な顔をした。
「ううん、そうだね、変わっとんのは確かだねぇ。
でも人はたいがい皆、変なもんさ。
だから安心おし、ロアート。別に多少変わってるからって、おまえを悪く思う者なんては村にゃいないよ」
最後にまた穏やかな笑顔を浮かべると、婆ちゃんは僕の顔を見た。
「…婆ちゃんは何でもお見通しなんだね」
「おまえを小さいときから見てるからねぇ」
懐かしむように暖炉の火を眺める。
「ロア坊は三歳の頃から泣かなくなって、えらく大人しくなった。病気じゃないかと心配して、おまえの母親がわしの所に連れてきたんだよ」
「そうだったっけ」
そう、よく覚えている。熱が下がって数ヶ月後のこと、母さんに抱っこされ、婆ちゃんの家を初めて訪れた。 ここはその時からずっと同じ香りがしている。




