臆病な転生者
摩訶不思議なことに、僕は死んだことがあるらしい。
僕がそのけったいな記憶を思い出したのは、3歳の時のこと。
七つ前は神のうち、幼児はとかく死にやすいと言うが、
3歳のある日突然僕はひどい高熱を出した。
熱は何日も下がらず親は息子の命を諦めかけた。
ところが幸い僕は一命をとりとめ、家族を吃驚させた。
そしてその後は何事もなく快復した。
…ように見えたろう、周囲には。
だが、実際には。
その高熱からあと、僕の中身はほぼ別人だ。
高熱の原因は、自分がこの世に生を受ける前の記憶であった。
つまり、前世の記憶。
それがフラッシュバックしたのだ。僕はただひたすらに混乱し、熱と悪夢にうなされた。
やがて、熱と共に混乱も去った。最終的に僕は前世の記憶を受け入れた。
この時以来、僕の脳には前世の記憶が混在している。
懐かしく、しかしけして届かない遠くの思い出達…そして最後は恐ろしく、冷たい死の記憶。僕が死んだのははたちそこそこ。日本人だった。ちなみに死因は毒物。
この記憶の影響で、僕の精神は、前世の自分に引っ張られ、発達段階やら何やらすっ飛ばして、あっという間に大人になった。
さて、問題は、そこにあった。
3歳児が死の概念を理解している、というのは何とも気味が悪いだろう?
3歳の僕はこの秘密を誰にも話さなかった。
その上親にも悟られないように、演技すらした。それは今も続いている。
本来無いはずの記憶を持ってしまった僕は、何よりもまず、恐怖した。自分の異端さに。また、それが周囲に知られることを。
僕は元来心配性で臆病だった。そして、人間不信だった。
だから 不安で不安でしかたがなかった。
異物を取り除くべく、村から追い出されでもしたら…3歳児が捨てられるとどうなるか。
飢え死にか、食べられるんじゃないかな野良犬に。
本当に下手すりゃ人の手によって間引かれる。
下手をしなくても、飯にありつけなければ死ぬ。
僕が今世、生まれたのは、日本以外の国の…何時代なんだか、とにかく前世よりだいぶ未成熟な文化圏の大きな農村だ。
貧しく、余裕のない村という集団。
結束が固い。余所者はそうそう入り込めない。
異物を容赦なく排除する。安全のためだ。
だが、爪弾きにされたらこの歳では食べていけない。
気味が悪い赤子はいらぬと捨てられたらのたれ死ぬ。
そもそも子供は弱く些細なことで死にやすい。
果たして僕はまともに成長できるか?
恐ろしく臆病に、悩んだこと悩んだこと。
とにかく、僕は子供を演じようとしたのだ。
特に、親に対して。
そして時は流れ、現在に至る。今、僕は10歳。
結論を言うと、心配は杞憂であった。
…今のところは。
村の人々は穏やかで優しく、子供たちは元気に育っている。
両親は僕を見捨てたりはしなかった。
でも、演技…もしくは"子供のふり"は、見抜かれているような気もするのだ。
だが、他の兄弟達と分け隔てなく扱ってくれた。
そんな両親のもと、いまだに僕は子供を演じている…。
この家は子沢山で、姉、僕、弟、妹の4人兄弟。(ほんとは5人兄弟で、僕の前に兄がいたようだが1歳になる前に病死したらしい)
ーー僕は長男に当たるわけだが家は弟に譲り、早いうちに家を出るつもりだ。
この世界を見て回りたい。
ここは日本ではなく、地球ですらないようだと、ある時思い知った。
僕の知らない奇妙な法則、
いわゆる "魔法" が存在するのだ。
なんと非科学的な、どうなっているんだこの世界は!
現実に魔法使いがいる。いや、正確に言うと魔法は魔術、魔法使いでなく魔術師というのだが。
とは言っても、"魔法"はそこらに転がっているものでもなく、"貴重な力" ではあるようだった。
初めて"魔法"とやらを見たときは仰天した。
ある年、村の祭りに訪れる旅芸人の中に、珍しいことに魔術師がいた。彼は綺麗な魔法を披露してくれ、村人たちに大評判だった。
ところが僕は初見の魔法に違和感しかない。他の子が無邪気に喜ぶ傍ら、僕だけ目を剥き恐ろしい表情をしていた、というのは後日の姉の談による。
魔法を筆頭に、この世界の文化に馴染むのにはいささか苦労した。
日本でも英語圏でもない、そもそも地球じゃない。
当然のことながら、前世の記憶とは文化も言語も異なる。
文化も風習も、いちから学び直しだ。
言葉も覚えなければならない。
そこらはまぁ別に他の子と変わらない。
ただ、思考回路が教育を受けた大人、というだけで。
言葉を覚えるのは早かった。
だが文化の壁は難敵で、
郷に従おうとするも、日本文化が足を引っ張る。
ちょっと出来の悪い子ではあった。
だが幸い幼児の脳味噌は柔軟で、数年も経てば村に馴染んでくれる。
だから、10歳の今も、僕は何とか子供として生きていた。
「ロアート!薪積み終わったら、こっち手伝ってちょうだいな」
母さんの張りのある声が僕を呼ぶ。
母さんは庭で乾いた洗濯物を取り込んでいた。
朝から晩まで忙しなく家事や子供の世話をこなす母さんは、とても働き者だ。明るくたくましく、時に厳しく強い母である。
「ありがとう、ロアート。これでひとまず片付いたわ」
「そういや姉さんたち、そろそろ暗くなってきたけど、森から帰 ってこないね。大丈夫かな」
「あら、確かに遅いわね」
「僕、ちょっと森まで見てこようか」
「まったく心配性ねぇあんたは。大丈夫よ、アンナはしっかりしてるし。すぐ帰ってくるわ………ああほら、帰ってきたよ」
薄暮れ時の淡い光のなか、歩いてくる3人の小さな人影が見えた。
すらりと伸びた人影は姉のアンナ。
その両脇をじゃれつくように歩くのは、妹のイーニャと弟のダン。イーニャとダンは双子で、まだ5歳だ。
3人とも背負った編み籠をいっぱいにしていた。
「お帰りなさい、姉さんたち」
「ただいま。今日は木の実がちょっと少なくて、奥まで採りに行っていたの」
「ああ良かった。少し心配だったからさ…」
「あら…大丈夫ったら。別に少しぐらい暗くったって、庭のような森で迷ったりはしないわ」
妹達の籠を下ろしてやりながら姉はケロッと答える。すると母さんが。
「ロアートは、もっと遅かったら森に探しに行こうとしてたのよ。アンナ、弟に心配されないように、あまり森奥には行かないようにね」
母さんがちょっとおどけて可笑しげに言うと、姉さんがふくれ面になった。
今年15で顔立ちが大人びてきた姉さんだが、表情が豊かで可愛らしい。母さんに似ている。
「ロアートったら、いつも何かしら心配してるじゃない。年下の癖になんでこうも過保護なのかしら」
「まあ、確かにとっても心配性ね。誰に似たのやら」
誰に似たと聞かれれば父さんかな、彼も心配性なところがあるから。
でもこれは前世の僕が形成した性格だ。今の僕自身の性格でもあるが。本当に僕の感覚で言うとどうしても物騒に感じるんだよ、この世界、というより時代は。
「ま、何事もなくて良かった。さあ、夕食の準備を手伝ってちょうだい。もうすぐ父さんも帰ってくるわ」
楽しげに笑うとまたてきぱきと動き出す母さん。僕らもつられて笑いながら、台所へと向かった。