干支達の夢 その五a 【リュウのカタチ】
干支に関するショートショートです。今回は竜 その1です。量はほぼ葉書一枚分。一分間だけ時間を下さい。
昼間なのに天井が暗くなった。何かの弾みでいっぺんにものが流
れ込んできたせいだ。つい先までは赤や黄やらで華やかだったのに、
今では古びた茶色だけ。そしてそれらはゆっくり天井から底へと移
動を始め、やがては朽ちてゆく。ま、その内また光が射し込んで周
りは明るくなるだろう。
それにしても、と奴は思う。喧嘩っ早い地廻りも、海から来た気
狂い集団も、とうに姿を消した。時は確実に流れている。今ここに
いるのはオレだけか。寒さも身に沁みて、ああ、気が滅入るのも仕
方がないだろう。
が、そんな奴にも慰めってものはある。それは自分のオヤジを思
い出す事だ。そう、オヤジのあの話! かつては直接何千、何万回
と聞いた話だった。それが叶わぬ今となっても、思い出す度初めて
聞いた時と同じ喜びが奴を奮い立たせる。
「あのな、我らの種族は大滝を征服出来れば完全体になれるんだ。
今の姿は仮の姿。誇りを失ってはならない」
オヤジもこの話をする時には目を輝かせていたもんだ。そのオヤ
ジもこの秋、遂に念願叶って幻の大滝に挑みに行った。今頃は雷と
共に大暴れしているに違いない。そうさ、そうに決まってる!
ああ、あの古亀のジジイめ、ここは日本の管理川。中国の黄河で
もないから竜門の急流なんてありゃしない。もし百歩譲ってもアレ
は後漢書の中の作り話だ、なんてこたぁ二度と言わせねえぞ!
それが証拠に丸弐月経った今でもオヤジはここには戻ってこねえ。
オヤジの言ってた事は本当なんだ!
奴は岩陰に潜み、眠りにつこうとしている。その日の為に力を蓄
えるのだ。かなり寒そうに見えるのはまだ光が射さないからなのだ
ろう。
その頃、観光客の一組の男女が淵の中を覗き込み、何かを話して
いた。
「ほら、あれ何かの骸よ、魚じゃないかしら」
「うん、そうだね。落ち葉に混じって浮いてるね」
鯉の息子にこの声は届かない。
奴は夢を見ていた。天駆ける、あまたの竜の夢を。
ラストはヘミングウェイ風の終わり方です。映像が浮かんだら嬉しいです。