其の三
其の三
――願えば叶う。叶う。叶う・・・・・。
彼女は悩んでいた。それは願いがないからだ。死を決意した彼女にとって、何かを願う事は意味を成さない。ただ一つだけあるとするならば―――――。
「安らかに死にたい。なんだけど、それを願ったらこの余興が楽しめないなぁ」
全てが矛盾している。
――仮にそれを願うなら一番最後の願いかな。今はまだ実験段階だし、違う願いをするしかないか。でも何も思いつかないなぁ。
頭を悩ませる。これまで生きてきた中で一番頭を使っていると言っても過言ではないだろう。
「ダメだ。何も思いつかない。願いなんてないよ。いっそ世界平和とか願ってみる?ははっ。考えただけで虫唾が走るな。まじファックすぎるわ」
彼女は椅子から腰を上げた。そしてチラリと時計を見る。時刻は二十一時を回っている。
「散歩でも行ってみるか」
こういう時は何も考えずに歩く。それで何かが見えてくるかもしれないと考えたのだ。そのまま部屋を出ていこうとして足を止める。
「一応持っていくか」
彼女は桐箱を手に取り、部屋を出た。家族が部屋に入って来ることはまずないが、もしもという可能性もある。
そして不意にこれに気がついたとしたら、面倒な事になるかもしれないと思ったのだ。
ただ単純に気味が悪いと思われるだけかもしれないが、可能性がある限りそれを見過ごす訳にはいかない。彼女はそういう性格だ。
さすがに桐箱のまま持ち歩く訳にもいかないので、手提げの鞄に入れた。玄関を出て、行き先も決めずに足を前に出す。
「さて、どこに行くかな」
彼女は真っ暗な闇の中に溶け込んでいった。
歩きながら風景を見る。見ると言っても夜なので何も見えない。あえて言うなら雰囲気を見るという感じか。何も考えずに進む。あてもなく進む。
すると気が付けば公園が見えていた。
「夜の公園のブランコ。よくある話だなぁ」
彼女は公園内に入りブランコへと腰を下ろした。そして思考を巡らせ始めた。
――どうする?何を願う?叶えたい願いなんてあたしにあるのか?自分の願い・・・・・か。
そこでふと思いついた。
「自分の願い?」
何か思いつきそうな気がした。
「自分の願い?自分の願い?自分の願い?その自分の願いの対象は、あたしじゃなくても・・・・・」
それが彼女が導き出した答えだった。
願うのは自分。しかしその願いは他人の願い。そうすれば良いと考えたのだ。
「何も願いがあたしの願いじゃなくてもいいんだ。願うのはあたし。でもその願いは他人のものでも構わないよな」
まさか自分が他人の為に、何かを願うことになるとは思わなかっただろう。しかし、ここで一つ問題が生じた。
「他人・・・・・か。あたし友達いないんだけど・・・・・どうしようかな」
ふと一人だけ顔が浮かぶ。
――いや、あいつがいるか。でもあまり関わりたくないな。
人との接触を好まないのだ。周りの人間は顔見知り程度。それ以上でも以下でもない。ただそこにいる。それだけの存在だ。
――うーん。
と、再び頭を悩ませていると大きなブレーキ音が聞こえた。彼女の思考は完全に止まり、音のした方向へと視線を向ける。すると公園の前を一台の車が走り去って行った。
「おいおい。ひき逃げとかじゃないよな」
そう言いながら彼女はブランコから腰を浮かした。
そして音のした方向へと歩いて行く。別に何があっても心配などはしていない。これはただの興味本位なのだ。
例え、そこに撥ねられた死体があったとしても、彼女の心は何も感じない。道端に転がる石を見るかの様にそれを見るだろう。
その場所に到着すると意外な事に彼女は眉間にシワを寄せた。
その表情は怒っている様だった。他人の為に怒る様な性格では決してない。人の為に自分の感情を表に出すことは決してない。そう。相手が人間だったら。
そこには死体があった。
その死体は酷く小さかった。つまりは動物の、猫の死体だったのだ。
彼女は人間には同情しない。しかし被害者が人間ではなかった場合、そして加害者が人間だった場合、彼女の怒りの沸点は著しく低下する。
「ちっ」
軽く舌打ちをして、その動かなくなった小さな身体を見つめる。しかしここで彼女の眉間のシワは直ぐに取り除かれた。
「・・・・・いいじゃないか。いい実験体が手に入ったじゃないか」
彼女は迷うことなく鞄から桐箱を取り出した。そして蓋を開ける。
「さぁ最初の願いといこうか・・・・・。」
と言ったはいいものの使い方が分からなかった。
「どうすればいいんだ?願うだけでいいのか?」
彼女は声に出して言った。
「この猫を生き返らせろ」
しかし変化は何も起こらなかった。
その猫はピクリとも動かなかった。
「どういう事だ?願えば叶うんじゃないのか?それとも他に何か発動条件的なものがあるのか?」
ここである可能性に気がついた。
――ただのイタズラ?
そう。願えば叶うなどという非現実な事は起こらない。
誰かのイタズラの可能性だ。一番最初に気がついても良かった。しかし彼女は疑う事をしなかった。
「いや。これは本物だ。あたしの願い方が間違っているんだ。何か他に・・・・・言葉だけというのがいけないのか?」
彼女はおもむろに桐箱に入った骨を触った。そしてその手で猫の死体に触れて、もう一度言った。
「この猫を生き返らせろ」
しかしそれでも何も変化は起こらなかった。
「どうしてだ?何が足りてないんだ?」
それから何度か試してみたが何も起こらなかった。
「ダメだな。さすがに死んだ生物を生き返らせるのは、願いの範疇を超えているのか」
結果、彼女はそういう答えに行き着いた。
「悪かったな。わたしのワガママに付き合わせて」
そう言うと彼女は猫の死体を持ち上げた。
「埋めてやるよ」
公園の中へと再び入って行く。命には限りがある。一度失ってしまった命は元には戻らない。
――どこか適当な場所は・・・・・・っと。
そして適当な場所を発見し、そこまで行く。
「しかし、猫も大変だな。お前、野良だったのか?野良猫っていうのは短命だって言うしなぁ。まぁ生きてあと三年ほどか。あと三年でも生きられたら良かったのにな」
返事が返ってくるはずもないのに彼女は言うのをやめなかった。
別に可哀想だと思わない。そして猫を地面へと下ろした。
穴を掘る。スコップなどという便利な道具はここにはない。彼女は手で掘る。爪の間に土が入り込もうがお構いなしだった。
死神の尻尾の使い道を考えながら、一心不乱に掘っていると声がした。その声は彼女の思考を一瞬で吹っ飛ばすほどの衝撃を与えた。
「にゃーん」
彼女は我が目を疑った。死んでいたはずの猫が生き返ったのだ。
「な・・・・・んで?」
理解が出来なかった。身体が動かなかった。しかし身体とは裏腹に頭の中はフル回転していた。生き返った猫は彼女の足に擦り寄ってくる。
――なぜ生き返った?何らかの発動条件を満たしたのか?あたしは何をした?何を言った?どんな行動をとった?
彼女は一つ一つ冷静に整理した。そして思い当たった。
「時間・・・・・か?生き返った後の生きる時間を決めなければならない?」
彼女はそう考えた。
――そう考えるのが妥当だな。生き返らせるならその後、どれほどの時間を与えるかを指定する。恐らくそれが発動条件。あと対象に触れるのも条件に入ってそうだな。
実際、彼女の考えは当たっている。対象に触れ、生き返った後にどれほど生きるかを指定する。それが死神の尻尾の発動条件だ。しかし、彼女はある事に気がついた。
「・・・・・対価は?」
そう。これが猿の手と同等の物ならば、何らかの対価を払わなくてはいけない。何かを得るには何かを捨てなければならないのだ。
しかも死んだ生物を生き返らせるという対価は、想像もつかない物になっても何ら不思議ではない。
しかし、何も起こらなかった。
「どういう事だ?これは猿の手とは全くの別物だと考えた方がいいのか?」
彼女は死神の尻尾を見つめる。心なしか少し短くなっている気がした。
「まぁいいか。この対価が何であろうとかまやしないさ。最悪あたしの命をくれてやるよ。そうすれば一石二鳥だ」
彼女はそう言うと猫を抱き上げ家路についたのだった。
彼女はまだ知らない。
願いが叶ったからこそ願いが叶わなくなるという事に。
ヒント四、先入観を捨てる事
ヒント五、問題をよく読む事