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気分が乗らない

作者: 竹仲法順

     *

 俺も生身の人間だ。気分が乗らないこともある。そんな時は会社にいても、フロアのデスクのパソコンでネットなどをしたりするのだ。別に気にしてなかった。能率が悪い時はそれなりに対応する。さすがにずっと仕事が続くと、キーの叩き過ぎで腱鞘炎になったりするのだし……。

「西川君」

「はい」

 上司で女性係長の沢岡が呼ぶ。立ち上がり、係長席の前へと向かった。そして口を開く。

「ご用件は何でしょう?」

「ああ。確か、先日打診してた企画書、まだ作ってなかったわよね?」

「ええ、まあ……」

「早く仕上げてね。こっちも迷惑するんだから」

 この女性上司は結構きついことを言ってくる。長年ずっと同じ職場にいるので、手に取るように分かるのだ。それにアラフォーで婚歴がない。まあ、確かにこの女に結婚は無理だろうなと思えていたのだが……。

「分かりました。今から取り掛かります」

 そう言ってデスクへ行き、カップにコーヒーが入ってなかったので、フロア隅のコーヒーメーカーへと向かった。そしてコーヒーを一杯淹れる。沢岡は遠近両用のメガネを掛けて、じっとパソコンの画面を見つめていた。コーヒーを淹れてデスクへ戻る。ゆっくりする間はない。サラリーマンは甘くないのである。会社に勤務している以上。

     *

 コーヒーをカップに半分ほど飲んだ後、パソコンのキーを叩き始めた。ちょうど昼過ぎで午後二時頃だったが、コーヒーを飲んでいるので眠気は差さない。気にならなかった。腱鞘炎の症状は続いている。仮に眠気が差してきたとしても、濃い目のコーヒーを一杯飲めば、一発で吹き飛んでしまう。

 平日の午後は何かと疲れる。倦怠感が襲ってくるのだ。そういったことは十分分かっていた。どうしようもない時はいったん席を立ち、トイレへ向かう。用を足しさえすれば、少しは状況も変わるのだ。いい年をしていて独身なのだったし、付き合っている恋人はいない。だが、それでもいいと思う。別に何かに不自由しているわけじゃないのだし……。

 うちの会社は――というよりも、どこの会社でも、だが――勤務時間中にケータイやスマホを使ってもいいことになっている。商社だと個人の電話に頻繁に連絡が入ってきて、出ないわけにはいかない。そう思っているので、いつも電源は入れっぱなしにしていた。

     *

 沢岡から頼まれた企画書を打ち終わり、メールで送った。そしてまた別の仕事をし始める。ずっと業務が続いていた。三十五歳で社会人経験は十年を超えている。いろんなことを知り尽くしていた。会社での業務だけじゃなくて、社外での仕事などもある。会社間でのパーティーなどにも出続けていた。あくまで裏方として、である。

 勤続年数は十三年あり、普通に出世していてもおかしくはなかったのだが、障壁があった。沢岡とも年齢はそう変わらないのだが、出世や昇進が覚束ない。上司から好かれてないところが俺の最大のネックなのだった。仕事は順当にこなしていても、疲れは出てくるのだし、ストレスも溜まってしまう。仕方がないと思っていた。こればかりはどうにもならないのだ。

 残業もこなし、午後九時前の電車で自宅マンションの最寄りの駅へと行く。そして駅から夜道を歩き、自宅へ舞い戻った。朝はハイテンションで仕事に出かけるのだが、夜は帰宅すれば寛ぎ続ける。その繰り返しだった。

     *

 自宅に帰り、テレビを付ける。ニュースはほとんどネットで見ていたのだが、テレビで見ることもあった。基本的に苦労性なのである。いくら会社では沢岡たち上司や、同じ平の人間たちと上手くやっていても疲れるのだ。ずっとそんなことを思い続けていた。だけど参りそうになったら、その寸前に一息入れる。コーヒーを飲みながら、ネットを見たりしていた。

 夜間はリビングにある大画面の地デジのテレビで報道番組などを見る。相変わらず、いろんなことが起こっているのがこの社会だった。トレンドに付いていけてないのを認識している。ずっとそう思っていた。ベッドに横になり、サイドテーブルに置いているミネラルウオーターのボトルを手に取って口を付ける。夜は睡眠を取る時間だ。午後十一時過ぎか午前零時前には眠る。最近熟睡できていた。会社でいろんなことがあっているにしても心身ともに疲れて自然と眠りに就けるのだ。

 眠前は室内に静かなクラシック音楽を掛け、寛ぎながらベッドに潜り込む。朝は午前七時にアラームが鳴り、起き出して部屋着からスーツに着替えた。そしてキッチンへ入っていく。気付けのコーヒーを一杯飲んでからトーストを齧り、必要なものをカバンに詰め込んで歩き出す。

     *

「おはようございます」

「ああ、おはよう。……昨日の終業前に頼んでた企画書、早く打って送って」

「分かりました」

 午前八時半過ぎで始業時刻前のフロアは緊張感が抜けなかった。だが、自分なりに仕事する。別に他の人間たちが何を言ってきても関係ない。自身に信念のようなものがあるからだ。気分が乗らない時もあるのだが、そういった時はそういった時でちゃんとやっていた。パソコンの電源ボタンを押し、起動させてから、新着メールをチェックする。返信が必要な分に関してはちゃんと返信していた。

 所詮宮仕えなのだが、今のこの業種は安定している。安心できていた。いきなり首を切られたりすることはないのだ。そう思い、日々励んでいた。沢岡はずっと俺や他の部下たちを見張り続けている。だが、手抜きすることもあった。別に超真面目人間じゃないのだから……。

 どんな人間の中にも、ちゃんとしたやり方と、いい加減さが混在する。そんなことを感じ取っていた。特に三十代に入ってから、その認識が一層鮮明になったのである。多分四十代は――と推測すると、尚更感じるのだった。まあ、誰でも同じなのだろうが……。

 ずっとパソコンを弄りながら、自分なりに頑張っていた。時間に追われる生活が続いていても別に構わない。自分なりにやっているのだった。確かに同じオフィスに足を引っ張るヤツがいるのは事実だったが……。だが別に関係ない。淡々とこなすだけだった。そんなヤツらには何の用もないのだし……。ああ、いなくなった方がいいなと言った程度で。

 そして今日も俺の一日が始まる。徐々に体内のモーターが温まり出してから、だ。沢岡の言ってきた企画書を打つため、キーを叩き続けた。完成するまでずっと、だ。

                                 (了)


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