第1話
俺、大石奏の運命が大きく変わったのは北風の強い冬の日だった。
その日、俺はいつも通りに学園が終わると、幼馴染の柊結菜の祖父が趣味でやっている『実戦柊流古式剣術道場』で稽古をし家路についていた。
冬の夜道を歩きながら、今日は鍋がいいななどと考えていると辺りが急に白く輝いた。その光をよく見てみると、俺の体を中心に幾何学模様を描いていた。
突然の事に混乱した。だが、輝く幾何学模様が増えるに連れ段々と落ち着きを取り戻した。冷静になった頃にはマンガやアニメでみる魔法陣のようだなどと呑気に事態を眺めていた。
実際、よくわからない武術を習っていたり、可愛いく甲斐甲斐しい幼馴染がいたりするので、友人の勇太には「いつか勇者とかとして召喚されたりしてな。」などとからかわれ続けていたからか、その時の俺は内心これから起こることだろう展開を想像しワクワクし始めてすらいた。
白く光る幾何学模様はその密度をどんどん増やし、俺の視界を白く染めていった。
真っ白になった視界が靄の様に晴れて行くと、そこは石造りの神殿のような建物の中だった。足元には何やら魔法陣のようなものが描かれており、神官の衣装のような白装束を着た人が10人ほど並んでいた。
その中心にいたやや小柄な少女が音もなく一歩前に進み出た。
その時俺は彼女に出会ってしまったのだった。
彼女は俺と同じくらいの年頃で、月光を流し込んだような銀色の髪に星を散りばめたようなティアラを被っており、いかにも物語のお姫様といった印象を覚えた。彼女は夕日のような色をしたくりっとした瞳で俺を見つめて言った。
「ようこそ勇者様。まずは、こちらの一方的な召喚をユーベルターシャ王国第一王女マルゲリッタ・ルーティア・カリスチア・ジルコ・リストリス・ユーベルターシャがお詫びいたします。」
そう言って、ゆっくりと頭を下げる王女様の所作は優雅で俺はしばし呆然と見とれてしまった。
「突然のことで混乱していらっしゃいましょうが、お名前をお聞かせ願えませんでしょうか?」
頭をあげると彼女は潤んだ様な瞳で俺を見つめて尋ねた。
「俺の、私の名前は大石奏です。えっと、姓が大石で名が奏です。」
「すると、こちらではソウ・オーイシ様ですね。ふふっ、良いお名前ですね。」
彼女は口の中で何度か俺の名前を転がすと、花がほころぶような笑みを浮かべた。
「それではソウ様。色々と疑問もありましょうが、説明は別室に移してからでよろしいでしょうか? この場の後始末もありますし。」
そう言う王女の視線を追うと、白装束の人物が5名ほど床に倒れていた。俺は王女に頷くと、彼女に促されるままついてその場を後にした。
今思うとあの倒れた人たちの事にもっと注意を払うべきだったのだろうか?
神殿から出るとそこは緑の芝生が瑞々しく輝く庭園のような場所だった。綺麗に均された石畳の道が張り巡らされ、よく剪定された樹木が並んでいた。道の先に目をやると、そこにはそびえ立つ白亜の宮殿があった。
王女とお供に囲まれてきらびやかな鎧をまとい、陽の光を照らし返す槍を携えた門番の横を通り過ぎ、宮殿内に入った。
宮殿内は正に圧巻だった。数々の彫刻や装飾品、思わず飲み込まれそうな天井画。いや、その時俺は宮殿の凄さに完全に飲み込まれていた。宮殿内を進んでいる間に記憶に残っているのは、凄かったっと言う単純な感想と、筋肉隆々の衛兵らしき男に「美味しそうなおしり。」と舌なめずりされてケツの穴がキュッとなったくらいだった。
その後案内されたのは豪奢な応接室だった。
応接室に入ると俺は王女に進められるがままに席についた。向かい合わせにソファーがあるのに王女はなぜか俺の隣にピタリくっついて座った。
「あの、ちょっと近くないですか?」
俺は戸惑い、思わず尋ねた。
「ふふっ、いいじゃないですか? ここには他に誰も居ないことですし。」
そう言って王女は俺にしなだれかかって、俺の首筋に顔を埋めた。
「それに、ソウ様ってとっても美味しそうな香りがするのですもの。食べちゃいたいくらですわ。うふふ。」
先ほどのお姫様然とした態度と一変し、湿っぽい色気を漏らし始めた王女は俺の首筋をぺろりと舐めった。
俺はびくりとして失礼にならないよう王女を慎重に引き離した。
「えっと、とりあえずどうなっているか説明して欲しいのですが。」
その時の俺は内心いわゆるテンプレ的な状況なのだろうとアタリは付けていたが、王女に詳細を尋ねた。
「まぁ、ソウ様ってばひどいですわ。早く本題に入れなんて。私にこのように触れられるのはお嫌ですか?」
そう言いながら王女は俺の太ももを撫で回す。こちらを見る細めた王女の目は先程のイメージとは異なり、たまに現れる赤い月のように俺は感じた。
「そういうわけでは、ないのですが……。自分の置かれた状況がわからないのは困るので……。」
こちらを怪しく見つめる王女の目を真正面から見つめ返すことができず、俺は視線を逸らしながら言い訳をした。
「そうですねぇ……ソウ様がキスしてくださるのなら、ぜーんぶお教えしますわ。」
王女は自分の艶やかな桜色の下唇をぷにぷにとしながら、いたずら好きな猫みたいな表情でそう言ってきた。
「王女さまっ!」
こっちをからかうような態度に俺は思わず声を上げてしまった。きっとその時の俺の顔は真っ赤だったに違いない。
すると王女は直ぐ様しゅんとし、俺との間に拳2つ分程開けて座り直した。
「すみません。少々浮かれていました。こほん。」
王女は咳払いを一つすると、凛とした表情をとり真面目に話始めた。
「現在、我が国は魔族による侵攻の危機に瀕しております。本来ならば我が国の国軍や同盟軍によって対峙すべき事態ではあります。実際魔族の雑兵を相手にするだけならば我が国の兵でも十二分に対抗できるのです。」
「それで俺を召喚したのは何か理由が?」
「はい。魔族の軍は魔将と呼ばれる上級魔族が率いているのですが、その魔将は雑兵を次々と呼び寄せることが出来るのです。」
「魔将を倒さない限り魔族の兵士は減らないってこと?」
「ええ。その通りです。そして魔将を倒すには我が国に伝わる聖剣によって聖別された血肉を持つ勇者でなければなりません。」
「それなら別に俺じゃなくても、この国の強い軍人だとかを聖別すれば良いんじゃないか?」
わざわざどんな人物かわからない人を呼び出して勇者にする必要はないと思った。
「ええ。我が国の兵が選ばれれば、ソウ様にご迷惑をかけることも無かったのですが……。あの召喚陣は聖剣の聖別に適応できる資質のある人物を呼び出すものなのです。」
「すると、適応できる人がこの国にいればその人が呼び出されたと?」
「その通りです。しかし、結果としては……誠に申し訳ありません。」
俺は王女の謝罪に首を振り先を促した。
「先程も言った通り、召喚された人物は勇者としての資質を備えた者です。つまりソウ様は勇者として選ばれてこの地へ呼ばれたのです。どうか私共にご協力していただけないでしょうか。」
王女は深々と頭を下げた。
「一つ質問があるのですが、いいですか?」
俺は肝心な質問を聞いた。
「俺は戻れるのですか?」
元の世界に戻れるか戻れないかは大きな問題だと思った。もし勇者になるにしろ断るにしろ、戻れるか戻れないかで大きく変わる。戻ることができないのならば、断るという選択肢を選ぶのはほぼ不可能だろう。
この時点で俺がこの世界で知っていたのは、神殿と庭園と宮殿のみ。どのような世界なのかも分からないのだ。戻れずこの世界で暮らしてゆかねばならぬのなら始めから選択しなどはない。
俺はじっと王女を見つめる。王女の瞳が頼りなく揺れる。
「正直に申しますと……。戻ることはできません……。」
「それならば、最初から俺には選び様がないのでは。」
「ええ。その通りです。もう召喚されてしまった時点でソウ様には殆ど選択肢は残されてはいません。いえ、正確にはこの様な意思確認など形式上の物でしかありません。」
王女はきっぱりと言い切った。
「もし、ソウ様が勇者にならない。などという結論を出した場合、ソウ様の召喚は初めから無かったことになります。それがどういう意味かは説明する必要はないと思いますが……。」
「ほとんど脅迫だな。拉致して協力しなければ殺すって。」
「否定はいたしません。我が国の状況はそれまでに逼迫しております。手段を選ぶ事もできないのです。ですが、通せる筋は通したいと我々は考えています。」
「筋?」
「まず現状です。一国の姫が護衛もなく二人きりで正直に事情を語っている。これも一つの通せる筋、我々の誠意だと思っていただきたいです。」
俺が逆上して何をするかも分からないのに、こうして話している王女は余程肝が座っているのかと思った。だが、揃えた足の上でスカート握る手は微かに震えていた。
「続いて、ソウ様に勇者となっていただけるのならば、我が国は持てる全てでその働きに報いたく考えております。」
「具体的に聞いてもよろしいですか?」
「まず、今回の問題が片付いた暁には、今後一生不自由のない生活をお約束します。それは、金銭的な意味でも、社会的地位的な意味でも我が国で叶えられる限りを保証いたします。そして、その手付として……。」
そこまで言うと王女は一度口を一文字に結んでから言った。
「手付として、私をソウ様に捧げますわ。」
俺は思わず物色するような目で王女を見回した。
「それは、どういう意味で?」
「どういう意味もありませんわ。言葉通りにこのマルゲリットの全てを貴方様に捧げますわ。」
王女は額まで赤く染めながら言った。
「あーえっと……。」
俺は何を言っていいのかわからなくなりシドロモドロに意味のない言葉を漏らした。
「そう深く考えないでください。私、王女などは元々そういうものなのです。」
「そういうものとは?」
「敵対国との条約締結の為の人質、友好国との同盟強化のための贈り物、有力貴族への褒美。どの道、顔の知らない誰か、父より年上の男性、特殊な趣味嗜好を持った者かも知れません。私は王族として相手がどんな者であれ、国益の為に笑顔を武器に閨に侍るのです。それが王女である私の義務なのです。」
そうきっぱりと言い切ると、王女は少しうつむき頬を染め言った。
「そ、それでも……勇者様に侍ると決まった時は期待しました。救国の勇者とお姫様。お伽噺のようではありませんか。」
うつむいた顔を上げ、今までにない柔らかな笑を浮かべた。
「でも、それも僅かの間でした。どんな人が召喚されるかそれを思うと不安になりました……。」
王女の笑みに影が掛かる。
「もしオーク鬼のような人が出てきたら、そんなことを想像して怖くなってしまいました。」
「あー、こんなのでスミマセン。」
俺はいたたまれなくなり思わず謝った。
「いえ! そういうのではないのです!」
ぽんっと音が鳴りそうなほど顔を真赤にして、王女が俺の手を取った。
「思っていたより素敵だったと言いますか……歳も近くて……えっと、この人が私の伴侶になるのかと思うと心の臓がぎゅっとなったと言いますか……この辺りでは見ない黒髪と黒い瞳が素敵で……あと、細身でありながらバランスよく筋肉がついていて……じゅるり。って!」
何だか色々言いながら、にじり寄ってきた王女の勢いに押されていたのか、その言葉が脳内で暴れまわったからか、俺の心臓は変に跳ねまわっていた。
「えっと、そんな感じで最初はちょっと空回ってしまって……お見苦しいことを、穴があったら入ってしまいたいですわ。で、でも、二人きりになった時に気持ちが溢れてしまったと言いますか、何か抑えきれなくなってしまって。もし、ソウ様がお断りになられて、国に狙われてしまったら。そして新しい別の召喚者と一緒になれと命じられたらと思ったら、何をしてでもソウ様に勇者になってもらいたいと……。」
そう言って王女は俺にひしとしがみついてきた。
「ソウ様。お願いします。勇者になっていただけませんか。私はもう、ソウ様以外の勇者に侍れなど耐えられません……。」
その時の俺は、胸の中で涙で濡らす王女の言葉に否と言うことはできなかった。




