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元気出してねって

 ――遅くなっちまったな。


 慣れないスーツに身を固め、社会人として生きて早4ヶ月ちょい。

 盆休みまでにはと必死で書類と闘うサラリーマンの姿は、夏休み終盤になって涙目で宿題と格闘する学生のようだ。ああ、大晦日返上して年賀状書くのにも似てるかも。

 まぁ大晦日に一生懸命書いたところで元日には届かないがな!


 一歩足を進めるたびに、蒸し蒸しとした熱気が身体に張り付く。

 あースーツ暑いわー、なんで真夏にこんな格好しなきゃなんないのか分からんわー、普通にTシャツ着たいわー。


「はあ……小学生になりてぇ……」


 どうしようもない願望は、蒸し暑い8月の夜の空気に滲んで消えた。

 ああ彼女欲しいリア充1人残らず爆発しろと下世話な事を考えながら信号を待つ。

 車も人も全く見当たらないが、夜中だからという理由ではないだろう。いつもはこの時間でももう少し人がいるからな。

 でも今日は誰もいない。

 ……て事はアレか。みんな遊びに行ったりしてんのかちくしょう。羨ましい。


 誰もいない訳だし、赤信号なんか無視したって誰も俺を咎めたりだろうが、それはなんとなく負けな気がした。

 何にって? それはね、人としてさ!


 そんな事を考えていると、信号は青という名の緑に色を変える。


 さあ、おうちに帰ろう。

 あったかい我が家、もといクソ暑いアパートに。


 コンクリートと白いラインのしましまに足を踏み入れようとした、まさにその時。


「あの、そこの人」


 夜道に小さく響く儚げな声。

 女性の声だ。

 まわりには誰もいないから、俺に話しかけたのだろうか?

 せっかく青になった信号から目を離し振り返ると、Tシャツにマキシ丈のスカートとわりとラフめな格好の女性が立っていた。


 肩につかない程度のふわっとしたライトブラウンの髪。

 どこか幼さの残るようなくりんとした赤茶色の瞳。

 暗がりではっきり見えないのに美しいひとだということは何故か分かった。

 顔の温度が一気に上昇していくのを感じながら、どぎまぎと返事をする。


「な、なんですか?」


 こんな夜中に美人が俺になんの用だ。まさか泊めてくださいとかそういう……いやいやまさかまさか、まさか、な。うん。

 でもこんな時間に、一体なんで……?

 あ、道に迷った?


 彼女の意図は分からないが、とにかく残念なことに俺の脳内はぽわっぽわしてしまっていた。

 しかしそのぽわぽわした熱は、彼女の次の一言で氷点下まで転がり落ちる。


「わたし、きれい?」


 …………。

 ……驚いた。


 関節が錆びついたかのようにぎっと軋む。社会人にもなって、口裂け女なんて非現実的なものに出会ってしまうとは。

 ぱくぱくと口動かしながら、なんとかかすれた声を出す。


「き、綺麗です、よ?」


 それを聞くと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 そこで俺ははっとした。彼女は『口裂け女』の代名詞とも言えるマスクをしていない。

 改めて見ると口も裂けちゃいない。


 あーハイハイハイ、なんだ。そーゆーことな。ただの都市伝説好きな電波系美女なんだな。

 驚いて損した。アホか俺。


 そう思ったまさにその瞬間、優しく微笑をたたえていた彼女の口元が左右に大きく割れた。比喩ではなく、物理的に。

 耳元まで裂けた口から、愉しげな、それでもやっぱり儚げな声が紡がれる。


「これでも?」

「――――!!」


 ――ぎゃああああああああああああああ!!!!!


 膝の力が抜ける。

 尻に衝撃、慌てて手をつく。


 人間かと思わせといてそれか! マスクしとけよ心の準備ができなかっただろうが!

 今にも倒れそうな状態のまま彼女を見上げると、彼女は裂けた口をさらに吊り上げて俺を嘲笑っていた。


「あははははははははははははははは」


 弾けたように俺を見て笑う。無人の交差点に響く狂気的な笑い声。夏の生ぬるい風に首筋をなでられ、背筋がぞわりとした。


 大きく左右に裂けた口。

 とてもとても恐ろしいそれは、俺の中のとある記憶を引きずりだした。


 このまま逃げ帰ってしまいたいけれど、それはできない。したくなかった。

 弾む息を整え深呼吸をし、わずかに震えたまま、それでもしっかりと彼女の目を見て言う。


「きれいだと思います、よ」


 声はかすれてしまったけれど、はっきりとした口調で言えた。

 ぴたっと止む笑い声。


「きれい? わたしが?」

「はい」

「バカじゃないの、そんなの全然嬉しくない。もっと怖がってよ。口説く相手間違ってるわ」

「いや口説いてる訳じゃなくて――」


 俺は自分のスーツのボタンを外すとシャツをまくりあげた。変態な訳ではない。

 なさけない腹筋が露わになるが、見せたいのはそこじゃなかった。


「……どうしたの、それ」


 口裂け女は小さな声で問う。少しだが動揺の色が混じっていた。

 なるべく平静を装って、何でもないというような口調で話すよう心がける。

 実際かなりのトラウマではあるが、彼女にそれを悟られないように。


「小学生の時、車に当て逃げされて。こんなにでかく縫った跡残っちゃったからプールとかも全然入れないし、中学の時キモイっていじめられて、色々死にたくなったりして」


 彼女は目を細める。

 決していい思い出ではないんだ。でも乗り越えられないわけじゃない……なんて俺が言うと寒いけど。


「今はちゃんと友達とかいるんだ。そーゆーの別に気にしないからって言ってくれる奴らが、その……関係ないよって。だから、あなたはきれいな人だと思います、だってそうなんだから、口が裂けてようと、関係なく」


 そこで俺の言葉は終わる。

 静寂が蒸し暑い交差点を包む。


 ……自分で言ってて思ったが、最後だいぶ飛躍したぞオイ。

 俺が言いたかったのは、根本的にあなたは美人さんなんだから傷があっても美人=きれいだよって事なんだが、この例えだとなんか言葉おかしくないか? 伝わったのか?


 彼女もきっとそう思ったのだろう、なにやら神妙な顔つきだ。

 ごめん口裂け女さん、たいした国語力もないのにシリアスに持ってこうとした俺が愚かだったよ。日本語勉強し直してきます。

 ああああ小学生になりたいやり直したい……!


 眉間に手を当て溜息をつこうとしたちょうどその時、彼女が口を開いた。


「怖がらせたかっただけなのに……。そんな慰め方をされたのははじめてだわ」

「えっ?」


 顔を上げる。

 彼女の裂けた口はいつの間にか元に戻り、への字に曲がっている。何処に持っていたのか何やらお菓子の袋を取り出し、俺に差し出してきた。


 昔懐かしべっこうアメ。『口裂け女』の大好物、だった気がする。


「あげる」


 いいんですかと問うと、彼女はこっくり頷いた。

 受け取る。

 商品名がまんま「昔ながらのべっこうあめ」だったのに少し笑ってしまった。

 このメーカーが好きなのか、それともたまたま今回はこれを買ったのか。


 ありがとう、そう言おうと思って袋から顔を上げるとそこには誰もいなくて、無人の交差点が静かに広がっている。

 青信号がチカチカと点滅して、赤に変わるところだった。






 それと関係があるかは知らないが、その夜に、傷の事を知っている某友達から「お盆に長野行こうぜ」という謎の誘いがあった。

 無論二つ返事でOKした。うれしい。


 彼女からもらったべっこうアメは甘くてとてもうまかったから、同じものを買ってお盆の旅行に持っていこうと思う。





◆口裂け女

 言わずと知れた俊足都市伝説お姉さん。100mを6秒で走れる(諸説あり)。

 社会現象にもなり、パトカーが出動したり学校が集団下校になったり口裂け女を真似して逮捕された人がいたりとかなりの影響力を持つ。

 三姉妹疑惑。



 この小説内では、ベタな展開とべっこう飴と恐怖に引きつった顔をこよなく愛する多少残念な女性です。

 名前は「優子」。

 なんとなく3という数字が好き、というのが共通しているためトイレの花子ちゃんとは仲良くなれそうな気がしてソワソワしてる。




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