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have a nice flight


歴史上の人物がキャラクター化されて出てきます。

苦手な方はご注意ください




◆浮田幸吉(1757~1847?)

日本で初めて空を飛んだといわれる人物。




「あああああ、腹立つ、腹立つ、腹立つ!!」


 時は江戸、とある山中。

 土を蹴り木々を殴りながら、幸吉(こうきち)青年は大股で歩いていた。今にも喉を頭を掻き毟りだしそうな鬼気迫る表情で、あの時の引きつった民衆の顔を思い出し憤慨する。


 ――散々おれを馬鹿にしてきたくせに! やれるもんならやってみろと嘲笑ったくせに! 成し遂げたら成し遂げたで結局これだ!!


 荒々しく歩くこと暫く、幸吉は切り立った崖に辿り着いた。眼下に広がる森林すら睨み、彼は決心する。一歩、二歩、十歩ほど下がり、ふうっと息を吐いた。

 瞳を閉じて、ゆっくりと一秒、二秒、十秒。

 大荒れだった心中が凪ぐ頃、幸吉は走り出した。

 絶壁との距離はあっと言う間に縮まり、地を力強く蹴って、幸吉は跳んだ。


 ――否。

 飛んだ(・・・)


 竹で出来た骨組みに紙の翼、風に乗り滑空するそれは現代に言う『グライダー飛行』そのもの。しかし江戸当時、それに相当する言葉はなかった。

 理由は単純。

 人が空を飛ぶなど、ある筈がなかったのだ。


 ――皆が有り得ないと嘲った事を、おれはやったんだ。


 幸吉の目の端に微かに涙が滲む。風に揺れる髪も眼下に広がる景色も、遥か昔から人類が望んでやまなかったもののはず。

 それなのに。


「あっ!?」


 突然の強風に煽られ、幸吉の身体と翼は大きく傾く。


 ――墜ちる。


 そう感じるとほぼ同時、これでいいんだと思った。


 肌に感じていた緩やかな風は一変、空を裂いて落下する。目を閉じたその時、何者かが幸吉の足を、続けざまに腰を掴んだ。えっという小さな呟きは大きなはばたきにかき消される。

 幸吉の鼓膜を大きく震わせたその音は、鳥の翼のはばたきそのものだった。



 ◆


「だっ、大丈夫か?! 怪我でもしたのか?!」


 幸吉を地面に降ろすなり、慌てた口調で何者かは言った。


「あの高さから墜ちたら死んでしまうではないか!」


 あの絶壁の下の森、柔らかい土の上に幸吉は座り込み呆然としていた。


 ――生きてる。というか、助けられた。あの空中でどうやって?


 自分を助けたのは恐らく目の前で身振り手振り何かを喚いているこの男性なのだろう、そう気付くと同時に幸吉は呟いていた。


「どちら様?」

「えっ、あ、(われ)か? そうか、名乗るべきだったな。()が名は顕仁(あきひと)


 そう言って男――顕仁は一拍置いた。

 ニヤリと口角を上げ、挑発的にも威圧的にも見える瞳で幸吉を見据えて言う。


「人や妖は皆、吾を崇徳(すとく)の大天狗と呼――」

「――っ、誰が天狗だッ!!」

「ぶッ!?」


 パァンと乾いた音が森の空気を震わせる。

 立ちあがり肩の上がった状態で顕仁を睨む幸吉と、赤くなった頬を押さえぽかんとした表情で幸吉を見上げる顕仁。

 音の余韻が森に溶けきった頃、呆然としたような表情で顕仁が尋ねた。


「な……何故に吾は今平手打ちをされた……? ちょっと偉そうに自己紹介したのが気に入らなかったのか? そんな、いきなり叩かなくても良かろうに……そんなに腹立たしかったのか?」


 軽く涙目になった彼にそう訴えられ、幸吉ははっとして「あ、いや」と口ごもった。


 ――天狗。


 幸吉が散々吐かれたその言葉は賞賛され尊大になっているこという意味ではなく、空を飛ぶ化け物として彼を罵る為に使われていた。


 飛ぶ前は夢想家、狂人。飛んだ後は化け物、妖怪。

 血を吐くような努力を重ねて成し遂げた彼の夢は、そんな陳腐な言葉で片付けられてしまった。


「じ、自己紹介だったんすね……。おれはてっきり、おれが天狗だって言われたのかと……」


 気が動転していて気付かなかったのだろうが、見れば顕仁は黒く大きな翼を背負っている。まさか本当に天狗が存在しているなんて思いもしなかったが、実際に空中で助けられてしまったのだから信じるほかない。

 すいませんでした、そう続けようとしたその時、幸吉よりほんの一瞬早く顕仁が口を開いた。


「は? (ぬし)は天狗ではないのか?」


 びしりと幸吉の身体が強張る。

 全身に氷水を浴びせられたような錯覚にとらわれ、両の(まなこ)と唇だけがぶるぶると震えていた。


「……人間、ですけど」

「なんだと!? そうだったのか!! そうかそうか、吾はてっきり翼に怪我でもしたのかと思ったのだが、違ったのだな。人に翼はないからな。言われてみれば主の翼は随分変わった形を……あ、絡繰りなのか!」

「……」

「しかしそれで飛んでいたのか? 人が空を征するなど聞いたこともないぞ。神通力……いや、もしや知らぬ間に妖になったのかもしれんな。なに、有り得ぬことではないさ。吾の友人にもそういう奴がいてな。頭は少々おかしいが根は良…………ど、どうした。何を泣いておる」


 べらべらと一人で喋り続けていた顕仁は、目の前の青年が静かに涙を流していることに気づき慌てた。


「どこか痛んできたのか?」


 はらはらと泣く幸吉の肩に触れ顔を覗き、困ってあたりを見回す。それ程重大な外傷があるようには見えない、そう思ってから気づいた。

 彼が両手で端を抱えている絡繰りの翼が、ぱっきりと折れていたのだ。

 すうっと顕仁の顔が白くなる。


 ――自然と授かったものだろうが人の手で造ったものだろうが、関係なく、これは彼にとって大切なものだったのだ。

 そんな理解が身の内を拡散していく。

 うろうろと視線を泳がせながら、顕仁は口を開いた。


「す、すまない……吾は主が墜ちているのを見てその、助けなければと必死になって、主の大事な」

「――のか」

「は?」


 一つに結い肩に垂らしている黒髪を情けなくいじっていた顕仁だが、自身の謝罪を変な形で遮られ顔を上げる。

 変わらず機械的にただただ涙を零す幸吉は呟いた。


「おれは……本物の妖から見ても化け物なのか……」


 一世一代の大発明が腕からずり落ちる。

 地に爪を立て、幸吉は僅かに俯き唇を噛んだ。


 ――悔しい。結局、自分は異端なのだ。


 褒め称えられたいだとか褒美が欲しいだとか、そんな動機で飛ぼうとしたのではない。

 無理だと嘲笑った者を黙らせてやりたかった訳でもない。


 一つだけ、たった一つだけ我が儘を言うならば……共にこの喜びを分かち合えたら。


「……嬉しく、ない。たった一人でこんなことしたって、分かってない奴が馬鹿なのだと驕ったって、何も……こんなの、むなしいだけだ……」


 静かにはらはらと流れていた涙はいつの間にか大粒になってぼろぼろと零れ落ちる。

 悔しくて仕方がなかった。


 嗚咽を漏らす幸吉を顕仁はしばらく見つめていたが、不意に幸吉の手をとり引っ張って立たせた。

 唇を噛んだまま顔をあげた幸吉を勇気づけるように、にっと笑って顕仁は言う。


「おおよその事情しか推測できぬが、これも何かの縁だ。吾が主の気を晴らしてやろう」

「え……、ッ、うわあ!?」


 言うなり、顕仁は幸吉の腰を後ろから抱え地を蹴り上げて飛び上がった。


 首の座らない赤子のようにぐわんと首が振れ、ほんの刹那、幸吉の意識が飛びかける。

 咄嗟に目を堅く瞑ると風が肌に叩きつけられる感覚だけが残り、ふっと内臓が持ち上がるような浮遊感。

 やがて風は緩やかに(たもと)を揺らすようになった。


 意を決しゆっくりと目を開くと、そこに、幸吉の眼前に限りなく広がっていたのは。


「っ……」


 息を呑んだ。

 時折ばさりと顕仁の翼が羽ばたく以外、全てが静。

 しかしそれは口を固く噤んだものではなく、例えるなら息を呑んだような静寂、それこそまさに幸吉のように。


 幼い頃から憧れ続けていた、いつもいつも首が痛くなるほどに見上げていた空が、目の前にあった。


「綺麗だろう? 吾はな、嫌なことがあるとこうして高く飛ぶことにしているのだ」


 幸吉が蹴った崖を遥か下に捉えながら、大天狗は滑空する。

 大空に溶けるように、風に溶けぬように。


「吾も大昔は人間でな。保元の年の政権争いに敗れて、讃岐に流されてな。誰にも惜しまれず一人で死んで、都でだって誰も吾の死を悲しむ者はいなかった」


 その言葉はチクリと幸吉の心を突いた。

 当時の顕仁の心中を悟ってのことか、はたまた今の自分に置き換えてのことかは分からないが。


「冷静になって考えれば皇族や貴族の中ではそんな事よくあるのだがな。その時は虚しさと一緒に何かへの憎悪が抑えきれなくなって……気付いたらなんと、異形の体になっていたのだ!」


 くるりと旋回する。

 冗談めかした口調で顕仁は言い、「勘違いするでないぞ」と笑った。


「確かにその時は驚いたが、この姿になったことを今は悔いても恨んでもいない。空飛ぶ妖も悪くないさ」

「……おれは」

「まあ『今は』だからな。吾だって人間であるに越したことはないとは思う……が!」


 言うなり、顕仁は幸吉を抱えたままぐるっと天を仰ぐ。

 そして、幸吉をほいと放り投げた。


 さすが妖と言うべきか、顕仁の腕は筋肉質とは言えないにも関わらず幸吉は鞠のように浮き上がり、そして。


「う……っ、わあああああああ!?」


 伸ばした手が空を掴める訳もなく、大気を裂いて落下する。空気抵抗の中で手足をばたつかせていると、身体がひっくり返り、地が迫る様が否応なく見えた。

 顕仁へ恨み言を唱える余裕もなく両の眼を堅く閉じた瞬間――否、閉じるよりも寸分早く、鷹が獲物を狩るように顕仁が幸吉の足を捕まえ攫う。

 足首が抜けてしまうのではないかと危ぶまれる程の衝撃は一瞬、立て続けに浮遊感、急上昇、急旋回、急降下。


「よおく見ておけ憂き世の人よ、主の目指した蒼空を!」


 大天狗は気取って何かを叫ぶ。

 息が止まってしまうのではと思うような風圧と目まぐるしく変化する遠景の中、いつの間にやら幸吉は笑ってしまっていた。



 ◆


「どうだ、凄いだろう! 楽しかったか!?」


 幸吉に地面を踏ませるなり、顕仁はうきうきと言い放った。

 対して幸吉は息も絶え絶えに膝をつき両手をつく。「は、は……」という笑っているとも息が荒いだけともとれる声が漏れた。


 ――やりすぎたか?


 そう不安になった顕仁がしゃがみ込むのと同時に、幸吉は片足を立てて後ろ手に座りんだ。

 吹っ切れたような晴れやかな笑みを浮かべ、呼吸が落ち着いた頃に口を開く。


「おれは……処刑されるかもしれません」


 さあっと優柔な風が森を揺らす。

 顕仁の結った黒髪がさらりと動いた。


「欄干から、あなたほどではないが飛べたんだ。それが騒ぎになって、天狗だって恐れられて、恐らく見つかれば即刻留置場行きです」


 幸吉は笑って頬を掻いた。


 ――上空で自分を包んだ風の脚。かつてない程に近く、同時に遠く感じた天つ空。

 全て童子の頃からずっと抱いてきた大切な憧憬だというのに、危うく怨んでしまうところだった。


「……こんな形では、死でも死にきれません。なんとかして、おれは、もっと、高く高く飛べるように」


 妖と蔑まれた夢追い人は顔を上げる。

 大天狗を真っ直ぐ見つめ、決意の滲む瞳で言った。


「あなたのように」



 ――人をやめるつもりは毛頭ない。しかし叶うならば貴殿のように、否、超えられるくらいに。


 顕仁は優しく目を細め、「そうか」とだけ呟いて笑った。

 笑って、何かを言いかけ、僅かに躊躇った後やはり口を開いた。


「今の主にはもう必要ないかもしれんがな。吾が昔の話をしたのは主の同情を買うためではないぞ。話の前座だ」


 唐突に再開された上空での会話。

 幸吉は「……と言うと?」とまばたきをした。


「吾を最後に必要としてくれた部下がいてな。結局その戦で死んでしまったのだが、生真面目で理想が高くてその為なら努力など惜しまない、自分にも他人にもとことん厳しい奴だった。恐らく吾のことも単に『戦を起こす為に名を借り担ぐ者が』必要だったのだろうが、まあそんな事は今はどうでもいい」


 話が読めず僅かに困惑する幸吉を見、顕仁はにやりと笑った。

 反応を窺うように期待するように、もったいぶって口を開く。


「その男は――頼長という名なのだが、奴は今では地獄で八代目の閻魔大王として働いておるのだ」


 沈黙。


 小鳥がさえずり青葉が揺れ、幸吉と顕仁が森に溶けてしまいそうな程の間の後、ようやく幸吉は「えっ」と呟いた。


「良いぞ良いぞ、そんなに驚かずとも良い! 人は冥府には行けぬゆえ知らなかっただろうが閻魔大王は代替わり制なのだ。しかしまあ驚くのも無理はないな、知らなかったのだからな!」


 何故か嬉しそうにどしんと幸吉の肩を叩く。

 目を丸くする彼に、嬉々として顕仁は話を続けた。


「頼長はやはり冥府でもひたすら真面目で厳格なままでな。地獄行きは勿論天国と判決を下された者にも小言を言わなかったことはないそうだ」

「正義感の強い方なのですね」

「そうだな、本当に悪に厳しい奴だ。だがな。空を飛んだからと処刑された者を、彼奴(あいつ)が地獄に堕とすとは到底思えぬのだよ」



 幸吉ははっと息を止めた。

 顕仁は言う。


「『人間であるに越したことはないとは思うが』、此の世の人間が全てではないぞ。今誰かが主を責め立てたとて、彼の世や後の世のヒトがそうするとは限らん。せっかく主には目指すものがあるのだ」


 続けて顕仁が言った言葉に、幸吉は力強く頷いた。その拍子に一筋だけ雫が頬を伝う。

 ぽたりと草の上に落ちたそれは、葉をなぞり、茎を伝って地面にふわっと吸い込まれていく。


 心のどこかで彼がずっと欲していたのは、こんなものだったのかもしれない。


 真っ直ぐ幸吉を見、笑って、心を込めて、強く強く顕仁は言った。



 ――頑張れ!




 ◆


 天狗と恐れられ「鳥人幸吉」と呼ばれたその男――浮田幸吉のその後の生は確かでない。


 或いは別の地で同様の騒ぎを起こし処刑されたと。

 或いは空を飛び損ね転落して死んだと。

 或いは遠い何処かで平穏な人生を過ごしたと。


 しかし、何ゆえに今の世まで彼の名が伝えられているかと言えば、この国で初めて空を飛ぶという偉業を成し遂げたからに違いないのである。







◆崇徳上皇(1119~1164)/崇徳の大天狗

第七五代天皇。顕仁(あきひと)(いみな)

「日本三大悪妖怪」としてカウントされるレベルの怨霊伝説がある人。

 ↑酒呑童子(鬼の頭領)、玉藻御前(九尾の狐)、崇徳上皇(大天狗)の三体(人?)。この中では崇徳の大天狗だけが退治されていない。



◆藤原頼長(1130~1156)

平安末期の公卿、左大臣。

頭がよくて努力家で真面目、しかし妥協を知らなすぎて人望はあまりなかった。ついたあだ名が「悪左府(≒頭良すぎて怖い左大臣)」。


閻魔大王設定はオリジナルです。そのうちまた出てくると思います。



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