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少年と火車


 その日、裕樹は夜遅くまで机に向かっていた。


「授業遅れてるからって、何こんなにプリント出してんだよ。しかも何が『きちんと提出しないと減点しますよ?』だよドヤ顔してんじゃねーよ山本のババア……だから嫌われんだよ」


 中学校生活で一番楽しいと言われる中二の夏休みを目前に、理不尽な量のプリントに向き合いブツブツと呟く。

 授業が遅れんのはテメーがいつもいつもいつもいつもどーでもいい自慢話挟むからだろうが。そう心の内で毒づくものの、彼は律儀に一問ずつ全てをこなし、丸付けまで終えた頃には二時をまわっていた。


 ノートを閉じ、ふっと息をつく。肩の力が抜ける。やっと終わったさあ寝ようと椅子から立ち上がった、その時。


 窓の外から聞こえるサイレン。

 達成感のままに眠りにつこうとしていた裕樹の気分は、じわじわと底辺まで落ちていった。


 裕樹は消防車のサイレンが嫌いだった。

 妙に不安を掻き立てるあの音のせいか、はたまた無意識に爛れた家や焼け焦げた人間を連想してしまうからか。

 理由は本人も分からないが、とにかくあのサイレンが昔から大嫌いなのだ。


 別に反射的に肩が跳ねるだとか怖くて眠れないだとかそんなことはない。ただ、なんとなく息苦しく感じるような、心の内が曇るような、もやもやとした不快感に包まれてしまう。


 ――さっさと寝よ。


 そう心中で呟きながら窓枠に手をかけ、そして、


「……は?」


 思わず口が開いた。窓の外のある一点が明るいのだ。いや、一点などという小さなものではない。

 不規則に揺れながらごうごうと輝くそれは、まるで。


「火……事?」


 遠ざかっていく消防車のサイレンを遠く耳にしながら、裕樹は慌てて家を飛び出した。


  ◆



 散る火の粉、絶えずうねり形を変える業火、立ち上る黒煙。


 燃え盛る一軒家が目の前にあった。


「うわ……」


 右手を掲げ、目を細める。

 震える事も忘れて立ち竦む裕樹は、暫くただただ呆然としていた。


 ――110番、違う、119番、は、救急車? 消防車、消防車ってどうやって呼ぶんだっけ……。


 呟くようにぽつりぽつりとそんな事が脳裏に浮かぶ。

 すると不意に大変な事に気付いた。


 ――どうして誰もいないんだろ。いくら夜中だからって、オレ以外誰も気付かないなんて事あるか?


「夢かな……」

「そう思うならほっぺたでもつねってみたら?」

「え」


 不意に聞こえたりんとした声に横を向くと、そこには裕樹とそう歳の変わらないような少女が立っていた。


 花火大会や祭りに行くような華やかな柄ではなく、質素や自然といった言葉の似合う柄の浴衣。

 さしている傘は六本骨のビニール傘ではなくいわゆる「番傘」、しかしそれも裕樹がドラマや漫画で見る赤いものではなく、くすんだ紺色である。


 江戸時代からタイムスリップしてきたみたい。

 そんな印象を抱いてしまいそうな姿をした少女だったが、裕樹はそうは思わなかった。


 何故なら、少女のおさげ髪は目が覚めるような紅蓮だったから。


「……」


 黙って頬の内側を噛む。じわっとした痛みが口内に広がった。

 しかしそれでも、目の前の風景は信用するに足らない。


「……いや。ないな、うん、夢だ」

「夢じゃないよ。なに現実逃避してんの」

「だって、よく考えたら色々有り得ねーし……燃えてる家のこんな近くまで来れる訳ねーじゃん、つーか全然熱くねーし」


 深く深くため息をつきながら裕樹は頭をかいた。

 痛みこそあるものの、今この場には非現実的な物が多すぎる。


「寝よ。バイバイ」


 雨も降っていないのに番傘をさす少女にそう告げ、踵を返す。

 すると少女は燃え盛る家を真っ直ぐ見上げながら「そう」と呟いた。それからすぐにまた口を開く。


「知らんぷりするんだ。じゃあこの家の子供は死んじゃうね。別に私の知った事じゃないけど」


 少女の言葉に信憑性はない。何故なら彼女の姿はこの住宅地において異であるから。

 もっと率直に言い表すならば――この場にそぐわない「イタい人」、だから。

 そんな人物の言葉にいちいち翻弄されるのは馬鹿馬鹿しいとしか言いようがないだろう。


 しかし。


「……死ぬってなんだよ」


 裕樹は足を止め、振り返った。


「これが本物の火だって言うのか?」


 ――知らんぷりして帰っちゃうんだ。


 裕樹にそんなことを言われる筋合いはなかった。

 草木も眠るような深い夜、わざわざ普段より少ない睡眠時間をさらに削って飛び出してきたのは、大惨事を見学する為ではない。そうなったら困るから来たのだ。

 近づいても人肌ほどにも熱くない火から目を離し、赤髪の少女は笑って首を傾げた。


「本物? 本物の火ってなに? 偽物の火があるの?」

「はぁ? お前何言っ――」

「じゃあ、これはどっちの火?」


 裕樹の台詞を軽く遮り、少女は笑ってするりと裕樹の頬から肩、腕を撫でた。その軌跡に沿って現れる、青色の炎。

 裕樹はあっと肩を震わせたが燃え移った青い火は熱くなく、それどころか。


「ね。冷たいでしょ? これ『鬼火』なの。これって『偽物の火』?」


 自分の身体を焼くことなく、それでも確かに燃え続ける「火」に裕樹は暫し言葉を失う。

 やがて少女がもう一度裕樹の身体をなぞると、溶けるように火は消えた。


「……なんなのお前」


 いくら中学二年生とはいえ全員が全員いわゆる「中二病」を発症している訳ではない。

 人の業を超えた力を見せつけられても、即座に異能だ何だと騒ぐほど裕樹の頭はおめでたくなかった。


「言ったところで信じなそうな顔してるけどね」


 ほんの少し眉根を寄せてから、ふっと力を抜いて少女は言った。


「火の車って書いて火車(かしゃ)だよ。名前は伊奈(いな)だけど。こう見えて冥府の幹部なんだから」

「……へー」

「その目! やっぱ信じてないし、大っ嫌いこの現代っ子」


 苦笑いを浮かべる裕樹に、赤髪の和服少女――伊奈はぷんぷん怒って背を向けた。

 紺色の番傘をくるりと弄びながら立ち去っていく。


「お、おい待てよ! この家の火は結局なんなんだよ? お前子供、子供が死ぬって……」


 慌てて伊奈を引き止める裕樹。

 「へえ、意外」とでも言いたげな感心したような驚いた顔で、伊奈は振り返った。


「知りたいんだ。いいよ。あのねえ、私にも鬼火なのか狐火なのかよく解んないけど、とりあえずいつも虐待されて泣いてる子供のところで燃えてるの。こんだけ家中が燃えてるってことはそろそろ死んじゃうね」


 浴衣の袂をふわりと揺らし家を指差す。


「ま、私には関係ないけどね」

「は?」

「死んだら身体は焼いてあげるよ。ちゃんと葬られなかった死体を届けるのが私の仕事だから。さっき冥府の幹部って言ったけど、私はこの世にいることの方が多くて――」


 世間話でもするように楽しそうに赤髪を揺らす伊奈の言葉は、そこで途切れる。

 裕樹が、そうさせたのだ。

 身体中が震えるがそれは恐怖ではなくて、なんだか腹の中がふつふつと煮えているようで、気づけば伊奈の両肩を掴んでいた。


「……んだよそれ……自分は妖怪だから人間が死のうとどうでもいいっつーのかよ……」


 無意識に、浴衣ごしに伊奈の肌に爪を立てる。


「なんとか言えよ!」


 深夜だということも忘れ、燃え盛る家を背に頭に血が昇るまま叫んだ。

 かけがえのない尊いはずのものを、つまらないことのように簡単に切り捨てた目の前の少女が許せなかった。


 当の本人はそんな裕樹に暫くされるがまま揺らされる。


 が、やがてふわりと優しく微笑んだ。

 薄桃色の唇が動いて、言葉を紡ぐ。


「そんなに大事なら自分で助ければ?」



 その瞬間、凍りついたように裕樹の動きが、表情が、思考が固まった。

 裕樹の背後でパチッと何かが燃えて爆ぜる。


「人間の命でしょ? 人間が助けなよ。簡単に人任せにしないでよね」


 肩に置かれていた裕樹の手を優しく払う。

 落ち着き払っている伊奈に、裕樹は「でも」と口ごもった。


「し、知らない人ん家だし、ど、どう、すれば……」

「何言ってんの、携帯電話持ってるくせに。ボタン押せば消防車でも警察でも呼べるじゃん」


 ――警察? 警察に通報して、信じてもらえるのか? 大体本当に虐待なんかあるのか? どう説明すればいい? もしそんなもの無かったら、オレが責められるのか?


 まばたきをたった一度する間に、おびただしい量の不安や疑問が裕樹に押し寄せる。

 彼女の言うことは恐らく間違ってはいない、ただ携帯電話を出して電話をかければいい。

 けれどそれで全てが解決するとは限らなかった。


 黙りこくって唇を噛む裕樹に、伊奈は言う。


「ほんと日本人って『困った時の神頼み』だよね。でも神様はまだいいよ、普段から多少は信仰されてるもん。あんた妖怪なんか信じてないでしょ? なんで私に頼るの? 意味わかんないし。自分でやれし」


 口元だけ笑わせたまま伊奈はそう告げ、今度こそ裕樹に背を向けた。立ちすくむ彼を取り残し、静まり返った住宅地をすたすた進んでいく。

 しばらく歩いたところで、伊奈は思い出したようにくるりと振り返った。


「分かってなさそうだから言うけどね!」


 伊奈は叫ぶ。


「あんたなら助けられるよって言ってんの!」



 暫くそのままじっと佇んでいた伊奈だったが、やがて踵を返し歩いていく。

 遠く遠く消防車のサイレンが響く。


 電灯があるにも関わらず、彼女の姿はすぐにゆるりと闇に溶けていった。


  ◆



 その後あの家がどうなったか、裕樹がどうしたのか、伊奈は知らない。

 恐らく警察に連絡したくらいで解決する問題ではないことを、彼女は分かっていた。それどころか彼一人ではどうにもならないということも。


 だが、心配ないだろうと思っているのだ。


「勘違いしないでよね。私、見捨てたつもりなんかないんだから」


 今日もあのサイレンを耳に、どこかの街を歩きながら、番傘をさした火車の少女は呟く。



「優しい人間がどんなに強いか、私たちみんな知ってるよ。じゃなきゃ一緒になんて生きていけないっつーの」






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