(8)北海道はでっかいどう!
――ブォォーン。
見渡す限り、雲、雲、雲!
あたしの視界の周りには晴天と色々な形の雲がまだらに陳列している。
今日は待ちに待った修学旅行なわけで。今はすっごいおっきい飛行機に乗ってるわけで。
……あの雲、食べられないかな。案外綿菓子みたいでいけるかも。でも、掴めるのかなぁ。美味しそうなんだけどなぁ。
そんな馬鹿な考えについて一人談義しつつ、手に持っているポッキーを齧る。
「食べる?」
「お前、飯食ったあとでよく食えンな……」
げんなりした顔でそういうのは隣の席に座る茶髪で中世的な顔立ちをした少年。
女の子にはお菓子は別腹って言う素晴らしい能力があるから大丈夫って力説したいところだけど、今あたしは男の身体。でも、あたしがさっきお腹いっぱい昼食食べたのに入るってことは男の身体でも別腹機能は適用するらしい。
「ケンちゃん飛行機怖いだけでしょー」
「うっせ、怖いンじゃなくて苦手なンだ!」
「じゃあ俺の席譲ろうか? 風景綺麗だよー、好きでしょ? 窓際」
意地悪に笑うと、ケンちゃんが無言であたしの頭を軽く叩いた。そして重くため息をつくと、
「……寝ててもいいか?」
どうやら本気で駄目らしい。しんどそうな顔をしているので頭を撫でてあげると、気持ち悪いといって振り払われたけど。
ケンちゃんが目をつぶって、あたしの周りにだけ静寂が訪れる。
まぁ、先ほどもいったけど、そんなこんなで修学旅行。今は北海道まで飛行機で移動中、というわけだ。けど、今の近況を言うと……とっても暇。携帯も使えないし、あいにく小説なんてあたしが持ってるわけもないわけで。それで今、隣のケンちゃんが寝ている状態なあたしといえば、何度も言うがとっても暇なわけ。
「俺の親父が飛行機に乗ること多いから乗り慣れてるんだよ」
「え、じゃあ相良クンのお父さんは飛行機の運転手さん?」
「いや、違う違う。貿易業らしい。詳しいことは知らないけどさ。よく小さい頃に同乗させられた」
「くすくす。何それ」
前から相良が光に話しかけて、相槌している声が聞こえる。
――せっかくの修学旅行、しかも今は特に楽しい移動中。
けど、後ろの席は他人だし、前の席は光と相良。話しかけたい。でも、それはダメなんだよね。やっぱり邪魔は出来ない。
……あぁ、どうしてあたし光の隣じゃないんだろ。
なんだか、嫌な気分。あたしが窓の外に視線をうつすと、先ほどと変わらない地平線の見えない空。初めははしゃいでいたけれど、今は変わらない風景に見飽きてきた。
光と相良が隣同士な理由はこうだ。
まず初めに先生が班同士で集まって乗りなさいって言われて……まぁ、あとはいつも通り、言葉巧みに、ってそれじゃああたし悪者みたいじゃん。適当な誘導で光と相良を組ませようとしたわけ。
で、組ませたのはいいんだけど……。
「相良クンってどこのポジションなの?」
「俺? フォワード」
「私サッカーって分からないんだけど、攻める人、だよね?」
「んー……まぁ大雑把にいうとそんな感じだな。本条ってサッカーに興味あるのか?」
「えと……見てるだけなら好き、かも」
もう一度前の席に意識をうつすと楽しそうに談笑する声が聞こえた。その時、ふいに感じる虚無感。
もしかしたら、今頃相良の席にあたしがいたかもしれないんだよね、とあたしと光とのポジションが奪われた気がして、少しだけ気落ちする。今まであたしの隣にはいっつも光がいたからなぁ。そんなふうに考えているとあたしの中の光は大きいと思っていたそれ以上に、大きいんだなと実感。
だって、去年の校外学習のときも、中学校の修学旅行のときも遠足でさえも、いつもあたしの隣の席には光がいて可愛らしい微笑みを見せていたから。だから、なんだか急に素直に光と相良がくっついて欲しいとは思えなくなってしまっていた。それでもやっぱり邪魔できないと思ってしまうのは、偽善だろうな。
もう一度ため息を心中でつく。
なんだかあたしすっごい嫌なやつかも。やだなぁ、友達なら気になる子と睦まじくしているのを喜ぶべきでしょ。そう、喜ぶべき。
「くすくす」
思った途端、前から光の押さえた笑い声が聞こえた。
……やっぱ、やだ。なんだろう、このわだかまり。ったく、もう。
もう一度ため息をついて、ぐるぐると変な思いのうずまく頭を振り払いつつ、あたしは腰の辺りに設置されているイヤホンに手をかけた。
その時。
「ん、んー……姉ちゃん」
耳にかけた瞬間、音楽と一緒にそんな声が隣からうわごとのように聞こえた。
ね、姉ちゃん? ケンちゃんってシスコンだったんだー。
ぷっと吹きだしそうになる。今度起きたらからかってやろうか、そんなことを思いつつ、あたしは目を瞑った。
耳元ではあたしでも知っているほどの有名ソングライターが早口の英語を歌っている。ケンちゃんの寝顔は思っていた以上に、可愛らしかった。
送迎バスが旅館へとついて、外にでた瞬間――急に冷気が身体に降り注いだ。
「さっぶぅ……」
あたし達の住んでる町じゃアンサンブルくらいがぴったりだったんだけどね。飛行機から降りたときも思ったけど、やっぱり北の国は温度が低いらしい。
「ばっかだなー、半そでなんて」
「もーうるさいなー。そういう自分だって半そでじゃん!」
「あ、ばれた?」
トモダチのおふざけたに笑い声をあげつつ、腕をさすりながら見定めするようにあたしは旅館を見上げる。
……でかっ。
予想以上。嬉しい誤算。
北海道はでっかいどう! 旅館もついでにでっかいどう!
あたしの目の前にあったのは思っていた以上に大きなテレビに出てきそうな旅館だった。よくこんなとことれたなぁ、なんて感心してしまう。風情があって豪華、これなら十二分に楽しめそうだ。
あたし達がバスから降りた途端、すぐに若くて綺麗な女中さんが門から駆け寄ってくる。彼女は上品な仕草でこんにちは、ようこそおいでになりましたと頭を下げてきた。
き、きれー。
日本美女なだけでなく、なんというかそこには玄人の顔も見えて、凛としてるなぁ、なんて思いながら眺めてしまう。
その時、急に誰かにわき腹を小突かれる。
「何、見惚れてるのよ」
「え?」
いきなりの悪態。隣を向くと綺麗な顔のショートヘアーが不機嫌そうにあたしをにらんでいた。
「な、何? 千代」
「何、千代じゃないわよ、もう!」
あたし、また何かしたのかな……。こういうときの千代は怖い。別に暴力的になるとかそーいうのではないんだけど、大抵あたしが悪いから何言われるかが不安だ。
「ど、どしたの」
「私が用もなく話しかけちゃダメなの?」
「いや、そんなこと全然……」
そう言うと千代は、じゃあいいじゃない、と世間話をしはじめた。
あたし、情けない。ところで一体何を怒ってるの……?
千代はあたしのこと嫌ってはいないらしい。それはなんとなく、分かる。普通本当に嫌いなら話しかけてもこないだろうし。……まぁ千代はそういう例えに当てはまらないお姉さん的性格だから関係ないかもだけど。
まだ口調の刺々しい千代と話しながら、先生の指導の元ロビーへと移動する。そこで出席番号順に並ばされて、全員いるか点呼。そして、確認事項、と言って今日の事柄について話し始めた。
右隣には光、右斜め後ろには千代。
あたしの苗字は平西だから『ひ』。光の苗字が本条の『ほ』。そして千代の苗字が岬の『み』。
だから、主席番号で並ぶなると、比較的近くになる。
「李緒、もう大丈夫なの?」
ゆっくりと先生から視線を外して心配そうにそう小声で聞いてくる光。
「……え? な」
何が? と、聞こうとして、詰まる。そういえばさっきの飛行機の席順のとき、わざわざ仮病使ってまでケンちゃんと座ったんだった。ケンちゃんも具合わるそーだししんどい同士仲良く座るからーって。あの時本気で心配されて良心が痛みまくったのを今でもこの胸が覚えてる。
「あ、あーうん。もう大丈夫、治ったよ」
そう? と光はまだ心配そうな目で見つめる。2日前のときも然り。ホント、過保護なんだから、なんて思いながらもちょっと嬉しい。けど反面、良心もずたずただった。
「そういえばそっち部屋割りどうなってんの?」
そういえば聞いていなかった気がする。あたしは後ろを向いた。まぁ大体分かってはいるけど、念のため。
「私と光とみぃちゃんだけど……」
千代は先ほどの刺々しい表情を見せず、そう言った。千代が尾を引く性格じゃなくて感謝。だけど、あたしがそっかー、と相づちをうった瞬間、先ほどとはまだ違ったスゴく怪訝な目付きを送られる。
「い、言っとくけど、夜中忍びこんできたら承知しないから!」
い、……いや、しないから。
何やら顔を赤く染めていう千代に突っ込みをいれつつ頭を掻く。あたしって千代の中じゃそーいうキャラなんだろうか。……覚えているのだけでも1つ。2つ。3つ。こ、心当たりがありすぎて妙に悲しい。うん、考えるのはよそう。
あたしは適当に流そうとする――が、光は無言で千代を横目で見つつ、突拍子もないことをいいだした。
「……ね、李緒。もし夜中暇だったら私遊びに行ってもいい?」
「ええ?」
何をいうんだこの子は。
「あ、あーた何いってんのよっ。ダメに決まってるでしょっ、李緒クンなんてね、狼なんだから!」
それまで小声だったのに普通に喋るから、周りの人達が振り向く。
「あ、ははは……?」
先生までこっちを見てたので、あたしは苦笑いを振りまいて、千代は顔を赤くしてうつむいた。先生が一度せきをして、また話し始める。
狼なんだから、か。本気で、千代のあたしへの印象に疑問をもってしまった。
……それにしても、光、本気で言ったの? そう思って見つめると、子悪魔みたいに意地悪く微笑まれる。どうやらうまく遊ばれたみたいだ。
バスがこの旅館についたとき、もうほとんど夕方だったから、先生から説明を受けた後、すぐに荷物を部屋に運びに行って、食べる場所へ案内された。
「わお」
夜ご飯はいきなりジンギスカン食べ放題。匂いはきついけど、すごく美味しそうな香りが部屋中を満たしている。こういうのを見ると、北海道に来たんだなぁってすごく実感。
「肉、もっと入れるか?」
「うんっ」
正面に盛られる肉と少量の野菜を炒めてくれている相良に感謝しつつ、おねーさんもう一皿追加ー! と、あたしは手を上げて叫んだ。
「おいしーっ。俺ジンギスカン食べたの初めてなんだー」
羊さんごめんなさい。そしてありがとう。
ぱくぱくとあたしの口から羊肉が胃に放り込まれていく。
「お前そンな食いすぎたら太るぞ?」
「うっ」
ケンちゃんの何気ない言葉があたしの胸に突き刺さる。今思うと休日のランニングくらいしか自主的に運動してないな、なんてことに気付く。食べたいけど太りたくない。これは男女変わらず究極の葛藤である。
「李緒、やっぱりサッカー部入ったほうがいいんじゃないか? 運動してたらいくら食っても太らないぞ」
冗談交じりに勧誘してくる相良。以前あの後ちゃんと断ったから諦めたかと思っていたのに、そうでもないみたいだ。
「そーいや李緒って部活入ってないンだっけ?」
「ソフト入るつもりだったらしいぞ」
それを聞いて、ケンちゃんが笑い出す。
「ソフトって……ばっかでーッ」
ば、馬鹿じゃないやいっ。前は入ってたんだからっ。……まぁ、男子ソフトがないことに全く気付いていなかったあたしもあたしだけどね。
からかわれてむっと来たあたし隣のケンちゃんの分のお肉まで口に入れる。
「むしゃむしゃ、おいしー」
わざわざ擬音まで出してケンちゃんをからかう。
「おい、李緒ッ」
「へーんだ、また焼けばいいでしょー」
「くッそ……おらッ」
つんと横を向くと、ケンちゃんがふざけ半分で身体を羽交い絞めにしようと手を伸ばしてきた。
「セ、セクハラっ」
こ、これってセクハラだよね。だってあたし、心は女なんだから!
いくら身体は男でも――て、……あ!?
ケンちゃんの魔の手から逃げながら、この後やってくるだろう、ある一つの問題に今あたしは愕然としてしまっていた。
******
女の子たちは李緒クンと蓬クンの絡み合いを見て楽しそうに笑っている。
「ホント男子って、馬鹿ばっかりだよねー」
「けどあの2人だと変な想像が駆り立てられるわけで」
確かに、あの上級生に好かれそうな容姿をもつ蓬クンと、言わずもがな最近急激に女の子からの株急上昇中な李緒クンだ。そんな風に考えてしまうのもおかしくはない。
「何しろあの面子だもんねー。私このクラスで良かったー」
「ぷっ、まぁそういうことはお近づきになってからいいなさい」
「なんだとーっ」
あはは、と黄色い声をあげて笑うトモダチ達。本当に楽しそう。
「っ……」
そんな中、私、岬千代子は下腹部への鈍痛に悩まされていた。
最悪。
その一言に尽きた。
確かに2日前から生理は始まっていてもうすぐだな、と思っていたけれど、まさか今日に来るとは……。大抵私が生理痛で悩むのは3日目。たぶん、今日にきたのは急激な気温の変化によるものだと思う。
「大丈夫? 千代ちゃん。はい、カイロ」
「……痛くない?」
みぃちゃんは大腿骨のすぐ内側にある血海という場所を押してくれている。本当に急にきたからすごく痛かったけれど、マッサージをしてくれているみぃちゃんのおかげでマシになってきた。
「ごめん、ありがと……」
甲斐甲斐しく世話を2人に対してお礼をいいつつ、やっぱり持つべきものは友達ね、と思う。
「千代ちゃん、お風呂どうする?」
「今入れないようなら……私たちも、あとで入るけど……」
そう聞いてくれる2人に嬉しさを感じながらも首を2度振った。この鈍痛が続くのも結構長くなりそうだし、後でお風呂に入ろうとするとすごく遅い時間帯になるのは目に見えている。それに、なんだか生理痛があった日に誰かと一緒に入るのは妙に気恥ずかしかったりするのだ。
だから私は、後で一人で入るから、と言って痛みをこらえながらぎこちなく笑った。
「わぁ……広い」
私は感嘆の声をあげる。
痛みも収まってきたし、お風呂行ってくるわね、そう2人に告げてあたしは部屋を抜け出してきた。
誰も、いない。
ほとんど最終の時刻に入ってきたせいか、やはり人は1人もいなかった。
身体をさっと洗い終えると、ちゃぽんと音をたてて湯船につかる。温かい。
すいすいと子供みたいに泳ぎたくなるけど、子供じゃないんだから、と自分に叱責。
完全に貸切風呂。
こんな経験初めてでなんだか得した気分。
私は頬を緩めて、いくつかのお風呂を回ってみる。ジャグジー。サウナ。流れるお風呂。さすがに生理にはお腹が冷えるのは禁物だから水風呂には入らなかったけれど。
「あれ? あれは……」
露天風呂とかかれた看板を発見する。そしてここからは混浴なため水着に着替えてください、とのお達しも。ゆっくりと近づいて入ると、そこは脱衣所になっていて、そこで水着に着替えられるらしい。私はゆっくりばれないように体をタオルで覆いながらこっそりと中を見る。
誰もいない……。
やはりこの時間帯は誰も入りにこないようだった。それを好機だと思い、あたしは入り込んだ。
男湯のほうの脱衣所のドアをみる。これだけ静かなら、男湯と脱衣所の間にもドアがあるから、もし誰か入ってきても、きっとその物音で分かるだろう。そう、私は安心した。ようするに私は露天風呂に入りたかったのだ。
小さく音をたててお風呂に浸かる。
お湯が肌にぴりぴりして気持ちがいい。昔から露天風呂というものが私は好きだった。家族で温泉旅行によく行くからそういう趣味が出来たのだと思う。
ずっと浸かっていたいかも……。
そんなことを思い始めたときだった。
――カチャッ。バタン。
小さく、物音が聞こえる。男のほうの脱衣所からだ。
ど、どうしよう……!? 早く、早くあがらなきゃっ。
「……っ」
そう思ったとき――また先ほどのような鈍痛が下半身に響く。ざぶざぶと手だけは動かすが湯をかくだけで起き上がれる気配はない。
すぐにガララ、と音をたてて横開きのドアが開き、男の人だと思われる体格の人がこちらに近づいてくる。
どうしようどうしようどうしよう。
「……いっ」
また鈍痛。私は泣きそうになりながら周りを見渡す。何も今の状況を打破出来るようなものはない。叫べば良かったのかもしれない。けど、羞恥と恐怖がそれを邪魔していた。
その時。
「……あれ、千代」
聞きなれた男の人の声が広い露天風呂一帯に響き渡った。それは若干驚いたような声。
「り、……お、クン?」
私が目にしたのは、腰にタオルを1枚だけ巻きつけた李緒クンだった。