(3)やっぱりセクハラ疑惑かな
唯一事情の知っている光を相談相手にしながら、少しだけ男生活に慣れたあたしは、今日から朝早く起きてお弁当を作ってもってきていた。
「うわっ……。おい、誰に作ってもらったンだそれ?」
突然変異が起って数日。もしかしたら寝たら直ってるかもしれない、なんて思っていたけれど現在全く変化なし。この数日で何となく、本当に何となくだけど自分の交友関係ってものが分かってきた気がする。最近クラス分けしたはずなのに、クラスの誰ともそれなりに仲がいい。でも光から聞いた情報では、女の子とはほとんど交友関係が皆無といってもいいタイプだったらしくてこっちのあたしは本当に男版あたしって感じだったようだ。それからお昼休みのお弁当グループで分かったけれど、特に仲がいいのが隣で焼き蕎麦パンに噛り付いている相良。それと目の前に座って、おにぎり片手にあたしのお弁当箱を呆けたように覗き込む、茶髪で左右対称の前髪をした童顔の可愛らしい男の子みたいだった。
「……へ? あた、いや、俺だけど?」
まだ俺、というのには慣れない。今までの習慣ですぐにあたしって言ってしまうのが難点だ。
「いや、それはねぇーだろ……これは」
「えっ、へ、変かな。本当に俺なんだけど……」
え、マジでお前なのとケンちゃんが驚く。
ケンちゃんとはあたしが蓬健一を呼ぶときの呼称。男になって初めて話したときに、これはちゃん付けしなくては、と思ってつけたあだ名だ。だって男の癖に背がちっちゃいし、女の子みたいな可愛らしい顔してるから女装させたら似合いそうだし。それでいて今時のちょい悪を気取りたがっているけど、全然悪くなりきれてない所がまた可愛らしかった。
「変ッつうか……なぁ? 相良」
「んん。……あぁ、何ていうか可愛いな」
相良は話しを振られ、急いでもごもごと口を動かしてパンを飲み込んだ後返事した。
「うん、けどお前が作ってンならキモイ」
「き、キモイ……」
ガンっとあたしはうな垂れる。
今まで女だったからこういう風に直接的に言われたことなかったけど、こんな正直な言葉が結構傷ついた。やっぱり女と男は思考回路が若干異なってるようだ、とあたしは思う。
「変かなぁ……?」
もう一度そう呟いてお弁当を覗く。入ってるものは若鶏のから揚げとタコさんウインナと玉子焼き、それとキンピラ、ジャガイモのサラダ、デザートに林檎と蜜柑。最後にいっぱいに敷き詰めたご飯にウサギさんとクマさんを海苔やピーマンとかでかたどったもの。久しぶりだったからちょっと張り切っただけで、別にフツーなんだけど……なぁ。
まぁ、確かにちょっと変かもな、と相良も言う。
価値観が違うってやっぱり困る。けど、それに慣れないといけないんだよなぁ、なんて思いだした近頃だった。
「李緒李緒っ。また微妙に内股で歩いているよ……!」
「へ? マジ?」
今は移動教室。隣で一緒に歩いていた光がこっそり助言してくれる。この数日で少し慣れてきたけれど、やっぱり気が緩むと地が出ちゃうみたいだ。
「そういえば、さ……お風呂とかには慣れてきた? その、あのぅ……」
そこまで言って顔を真っ赤にする光。いいねぇ初心だねぇ、可愛いよぉ、なんて感じるのはあたしが男になったからだろうか。いや、これは前から思ってたか。
あたしはちょっと考えて、言葉を選びながら、
「んーと、お風呂は余裕ーっ、っていうかあんま変わらんというか」
「そういえば李緒もともと髪短かったし……胸もあんまり、だったもんね」
ぐさっ。
おまっ、人が気にしていたことを!
「どうせーまな板ですよーでももう関係ないもーんだ」
「あはは、冗談だよ」
あたしがぶーたれていると光が可笑しそうに笑った。
何ですか、その余裕の笑みは、あぁあれですか、何なのよー、自分だって胸……あるし。
じー、とあたしはそれを危険な目つきで見つめる。
「それ、頂戴」
「え?」
あたしは両手を広げて無言で手を近づけた。
「ちょ、ちょっと、李緒……? 洒落になんないよ、それぇーっ」
「うるさいっ。あた……いや、俺を深くふかーく傷つけた罰――いったぁ!?」
ガッと後ろから頭を何か硬いもので叩かれる。何なに!? 悪い頭がさらに悪くなったらどうしてくれ……!
「って千代、おまっ何すんのさ!?」
「何ってあーたこんな公共の場で光にセクハラしといてよく言うわよ!」
叩いた本人は千代だった。岬千代子って言って姉御肌でいつもあたし達の面倒を見てくれたりしてた子だ。
その千代の手にはアルミ製の筆箱が握られている。あ、あれの角で殴ったのかこの子は…どうりで痛いわけだ。
「セクハラってこんなの普通――っだっ!?」
ぐり、と赤い顔をした光に足を思いっきり踏まれる。上履きが茶色のサンダルだから守られていない部分を踏まれてさらに痛い。
そういえばそうだった……これはセクハラになるのか。
しかも千代の後ろには女子の軍団が据わった目つきであたしを見つめている。初めにいったかもしれないけど光はクラスの女子達からマスコットキャラ的に可愛がられてるのだ。
よーするに、ヤバイ。狩られるかも。
「い、いや、なぁ、これは……スキンシップ?」
「変態! ちょっと光、こんなセクハラ人間ほっといて先行こう!」
「あ、李緒……」
光は申し訳なさそうにあたしを呼ぶけれど、もう無理。しょぼんとあたし一人残されたわけでした。
さ、さびし……。
「おーおーどうしたァ李緒、そんなしけた面して」
「ん? ケンちゃん。あ、相良も……」
よう、と相良が手をあげる。彼らも移動教室の途中だったみたいだ。
「で、どーしたんだ? 李緒って本条と一緒に先に行くって言ってなかったっけ」
いいねぇ、と横でケンちゃんが冷やかした。
それがねぇー……。
「人生って……大変だね」
「は?」
そう言うと、二人にすっごく怪訝な顔をされた。
「後ろにプリント回していってください」
修学旅行。二年生になって初めてある学校行事で、旅行先はなんと北海道!
乳牛、ジンギスカン、ポロトコターン!
……って普通か。むしろ外国に行く高校もあるみたいだからしょぼいほうかも。
微妙にテンションを上げたり下げたりしつつあたしは後ろの席にプリントを回す――あ。
「えーと千代?」
そういえば後ろは千代だった。
「……どうぞ」
「……」
ぷい。
無言でプリントを受け取ってそっぽを向かれた。
「あ、あのさーさっきのは誤解で」
やっぱまずいよね。例え男になってても、女だったころは千代とは特に親しかったから嫌われたくはない。
なんて言おう誤解で……誤解? いや、誤解じゃないんだけど。この際全部話してしまおうか。いや、でもなーあれからいちおう祐次やお母さんとかには話したけど信じてくれなかったし……。
ぐるぐるとあたしがそこで言い途惑っていると、先に口を開いたのは意外にも千代だった。
「先生」
「へ?」
「センセあーたのことさっきから呼んでるわよ」
――「平西李緒―!!」
「うぇっ!?」
教室中に響き渡るくらいの大きな怒声。
ぐりん、と首を捻ると担任教師の怒りの形相が見えた。
「は、は、は、は……ごめんなさい」
散々だ……。
クスクスと回りの女子の抑えた笑い声とバカだなー、とはやしたてる男子達の声が聞こえる。
「んんっ、全員こちらを向いたところで」
そう言ってあたしをじろりと睨む担任教師。またここで失笑が入る。
「班決めを行う。男子三人、女子三人で六人。二十分くらいあったら充分だろ、それじゃあ自由に班を作っていっていきなさい」
ざわざわ、ざわざわ、と声が広がっていく。
三人か……それなら、とあたしは立ち上がると、
「李緒、組もうぜ」
やっぱり斜め右どなりに座るケンちゃんに誘われた。
うん、と即座に頷いてからケンちゃんと一緒に、前のほうの席でこちらを振り向き、軽く片手を上げている相良の所へ行くと、もちろんオッケー。
「女子誰と組む?」
「本条とかの班でいいンじゃね? 李緒もそうしたそーだし。お前ら付き合ってンだろ?」
「へ……うん、そだね。って違うってば! 友達なの!」
けど……光と一緒のグループってことは千代とも一緒ってことに。……なんでだろう、あたしって男になってから分かったけど千代にすごい嫌われてる気がするんだよね。光に誘われる害虫みたいに……うぅ、害虫。害虫。せめて害虫は害虫でもバッタあたりがいいな。
「ね、ねぇ」
そんな馬鹿なことを考えながらも、あたしは光達の集まっているところに組まないかって言いに行こうとしたら、
びくっ。
隣に立っていた千代に思いっきり睨まれてしまった。
「さ、相良は誰とがいい? うん」
びくびくしながらあたしは相良に問う。相良はあたしに哀れみの視線を向けてから口を開きかけたとき、
「相良クーン、蓬クーン! あたしらと組まない?」
突然さっき睨んでいた張本人に相良とケンちゃんが声をかけられた。そしてあたしには侮蔑っぽい目線。
……そこまで嫌いですか、あたしが。ふーん、そうですか。やっぱ悲しい。
あたしはとってもいじけた。
「ね……俺って千代になんかしたかなぁ」
よよよ、と心中で滝のように涙を流し二人に問う。
「前まではそうでもなかったろ、むしろ友好的な感じだったしな。李緒、何かした覚えないか?」
……やっぱりセクハラ疑惑かな。
あたし達は先生の説明も終わって、六人で二つの机を囲んで座っていた。教室には人があたし達みたいに囲いを作っている。今はもう放課後。けど今日までにコースを決めて提出しなきゃなんないのだ。
「……ええと……それじゃあ私達はポロトコタン・グルメコースを選びます……いいかな……?」
そう、小さな声で腰まで長髪を伸ばした小柄な女の子が言った。
「うん、いいよ」
あたしはうんうんと頷いた。光や相良たちもいいよ、と答える。
彼女は樹美沙ちゃん。みぃちゃんみぃちゃんと周りから呼ばれてる子で、あたしと同じで男とはかなり疎遠なタイプ。内気でしゃべったりするのもしどろもどろなんだけど、いつもこういう時仕切ってくれるのはこの子だった。それでみぃちゃんの言葉に相槌うつのがいつもあたし。
「……それじゃあ、これで決めることは終わり……なんだけど……?」
「うん、オッケー! やっぱみぃちゃんがいると違うねー、話が早く決まる!」
「……え、へへ……そうかな……?」
「うん!」
そう答えるとみぃちゃんは男と話している緊張からか顔を若干赤くしてはにかんだ。
「じゃな、また明日」
「じゃあなッ」
「それじゃ私も……」
部活のある三人がそれぞれ帰っていく。みぃちゃんは手芸部、ケンちゃんは見掛けに似合わず空手部だ。
「それじゃ、帰ろっか? 光」
あたしといえばあれからソフト以外の部活に入りたいとも思わず、未だ帰宅部。あたしは今日も光と一緒に帰る予定だった。
「千代、またあし」
た、と言う前に何か神妙な表情をしていた千代が口を開けた。
「李緒クンちょっといい? 二人っきりで話したいんだけどさ」
そう、千代に呼びだされるまでは。
光は図書室で待ってると言って行ってしまった。
千代もテニス部行かなくてもいいのかな、どうして二人っきりなんだろう、あ、でもこれでもしかしたら千代とまた普通に話せるかも、なんて思いつつあたしは千代の後についていく。千代は教室から少し歩いていきローカの途中で回りを一度見渡してから、ここならいいわね、と言って止まった。
そして千代の口から出た言葉は結構衝撃的なものだった。
「あのね、あんまり光に近づかないでほしいんだけど」
――え……?