(2)ほんと相良さまさまだね
(……つまらない)
あたしは男の格好で過ごすことがここまでつまらないものだとは知りもしなかった。教室についてから、女の子に挨拶をすればどうしてか顔を赤らめて小さな声で、ぉ、おはよう、ってどもりながら返されるし、今日元気ないじゃん、なんて言うと、これまた小さい声で、そ、そうかな、なんて返されるし。誰に話しかけてもそんな感じで話なんて続けられない。なんなのよ、みんな前まであれだけフレンドリーだったのに……最後には何故か光にまでほかの子に話しかけようとしたら止められたし。
(なんなの、もう……)
「それでさー、新入生に可愛い子がいてー」
変わりにあんまり知らない男の子ばっかりに話しかけられたけど、これまたつまらない。
お前ら今日が入学式だからって女の子にしか興味ないのか!?
あぁ、男がこんな発情野郎ばっかだとは思ってなかったよ……。男同士の会話って猥談まがいばっかじゃん…。男が女に話す話と男が男に話す話ってやっぱり違うんだな、なんて実感。やばい、知らなかったら良かったかも。
(ああ、もう、つまんなーいっ!)
「ごめん、昨日あんまり寝てないんだわ。ちょい……寝る」
あたしは男っぽくそう言って寝そべろうとしたら、
「おいおい、夜遊びもたいがいにしろよー」
なんて言って去って行くしまつ。
……夜遊びってなんだよ。あぁもう、いやぁー! ……女に戻りたいよぉ。
「それでね、駅前の近くにあるお菓子屋さんすっごい美味しいんだよー。今度いこうっ」
「うん、じゃあ今日の帰りどお?」
すぐ近くであたしがよく話してるグループの声が聞こえた。もちろん光も今はそこに。
……あたしもみんなと一緒にお菓子屋さん行きたい。ほんとは今頃会話に入っていってるはずなのに。まぁどうせ部活で行けないんだろうけどね。そういや部活はどうなってるんだろ……。
……あぁ、もうどうでもいーや! もう、本当に寝ちゃおう……。
そんな感じでずぅっとつまらない時間、そしてその後入学式まであったせいでもう死にそうになりながらも現在、3時間目終了。うつ伏せのなりながら小さく背伸びをしていると軽く肩をさすられて視界を上に向ける。すると可愛らしい光の顔が見えた。
「ね、李……李子」
「ん……何? 光」
こっそり小さな声で光が話しかけてきたのでこちらも自然に声が小さくなる。
「次、体育だけど。どうするの?」
「どうするって……体操服ならちゃんと持ってきたし、もちろんやるけ……あ」
忘れてた……。
今あたしが女だって知ってるのは光だけ。けど光は女子更衣室にいくわけで。一人じゃ、体を隠せない。回りは気にしないんだろうけど、あたし、これでも前は女なんですよ、嫁入り前の体は初めての殿方にしか見せられないのですよ。
「心は女の子なんだから裸見られるの嫌でしょう?」
「……しょうがないし、トイレで着替えるよ」
はぁ、と盛大にため息つくと光が言った。
「李子、元気だしてね?」
「うん……」
あぁ、光は優しいね……。
「整列―! きょうつけ! 礼!」
「お願いします!!!」
「出席確認すっぞー、青田ぁ、……石井、石井ぃ? ……いないのか。次、榎本ぉ、………………」
「初めはペアを組んでパスしてもらう。あの時計が五分になったらゲームをしてもらうから、ここに集まってくれな。それじゃあ、開始っ」
今日の体育はサッカー。それで男子全員グラウンドの右端に集合させられてるんだけど……左端では女子がソフトボールを初めている。ちなみにあたしはソフトボール部だったから混ざりたいのだけど……はぁ、無理だろうなぁ。やっぱり男の生活は嫌だぁ。
今まで女で、しかも男の子に対してはかなり引っ込み事案だったあたしは、誰と組もうかなぁ、なんてふわふわと視線を動かしながら思案してると、
「李緒、一緒にやろうぜ」
ななめ向かいの男の子があたしを誘ってきてくれた。
この結構な男前は確か……相良宗司クン、だっけ? わりと気さくな人で女子にも人気があって、あたしも幾度か話したことあるから名前まで覚えてた。
「ん、ああ、いいよ」
ふたつ返事で返すと相良クンは爽やかに笑って、じゃあ李緒なんか今日はしんどそうだし俺がボールとってくるな。先行っといてと、籠まで走っていった。
ふぅん……男同士でもあんまり態度を変えてないんだね。女の子たちと話すときよりも少し馴れ馴れしくなっただけで、なかなかいい人っぽい。人気があるのも頷ける。
「行くぞーっ!」
結構遠くからブンブンと手を振ってあたしにボールを蹴りだす。ボールは相良クンの足から吸い込まれるようにあたしの足元までちょうどの場所に届いた。
「とっとと……」
それをあたしが不器用にとってあたしも同じように蹴りだし……ってあれ、あたしってサッカー……?
――ぼふっっ。
ボールは変な音を出して変な方向に飛んで行く。
か、……完全に忘れてた。あたし、サッカーなんてしたことないじゃん。
「ご、ごめんっ」
ボールの距離だけは届いたことは届いたんだけど、あきらか斜め右の方向に大ジャンプ。
相良クンが慌ててとりに行ってくれて、あたしにパス。あたしは気を取り直して相良クンにパ――。
――ぼふんっ。
……それは見事に宙に浮き上がって、真ん中あたりに落ちた。
は、初めてなんですよ、初めて。小学生のときはやったことないしね、中学生のときも男子だけサッカー、女子はバレーだったし。……はぁ。
相良クンがボールをとりに行くついでにあたしのほうにやってきた。
「李緒」
「はい……」
近づいてきた相良クンの表情はよく見えない。見ようによっては怒ってるようにも取れる。
ま、まさか、怒られる? ……そんなぁ。
あたしは情けない顔で相良クンを見つめた。
「もしかして……」
相良クンは急に、柔らかい表情になる。
「もしかしてさ、李緒ってサッカーするのは初めて?」
「え? そ、そうだけど?」
「そっか、やっぱり。見た目李緒は運動できそうだし。たまにあるんだよな、授業で野球とかやってサッカーやってない学校って。加えて今日はこの高校でも初めてだしな」
そういった途端相良クンは爽やかに微笑んで、教えてやるよ、と言ってきた。
「ええと、つま先で蹴りだすんじゃなくてこの足の甲、そう、その部分にボールを当てるんだよ」
その後手とり足とり教えてくれる相良クン。自然とあたしと彼の距離は近づいて……すいません、ちょっと近すぎじゃあないですかー!?
いや、まぁ相良クンはあたしのこと前から男だと思ってるわけでおかしくは全くないんだけどさぁ……。そんな近づかれたら心臓ドキドキバクバク手術物……。
……あれ? ドキドキしない。
あたしは自分が全く相良クンを意識してないことに気づいた。
「軸足は蹴りだす方向に垂直に――」
説明は十分くらい続いていた。相良クンの説明はとても分かりやすいもので、あたしは感心しっぱなし。パスのほかにもドリブルの仕方や軽いフェイントの仕方など色々な技術も教えてもらった。
「うん、李緒はやっぱ覚えがいいな。俺ちょっと離れるからさっき教えたようにパスしろよ」
「分かった、ありがと。……相良」
相良クンが小走りで向こうまで行ったのを見届けて、あたしは足を振り上げた。
(えっと……確かこうやって……)
「えいやっ」
小さく声を上げてボールを蹴り上げた。ボールは無事相良クンの足元に届いて難なくトラップされた。
(やったーっ!)
心の中でガッツポーズして、表面上でも相良クンにピースすると、
「ナイスパスっ!」
と、声と一緒に手を握って親指をあげてくれた。それがなんとも嬉しくてあたしは笑顔のままその後、ゲームまで相良クンと休みなくパスの練習をしていたのだった。
******
ひかり。
ヒカリぃ〜。
「光ってばっ」
ばしっと軽く背中を叩かれる。
「ぇ、な、何? 千代ちゃん」
「次、打順だよ? 早く行かなきゃ、センセー睨んでる、睨んでるっ」
「あ、あ、ごめんなさいっ」
はぁ……。
李子が相良クンと仲良さそうにしてる。相良クンは女子にも受けが良くて、誰にでも優しいとこが人気で、甘いマスクで……そんな相良クンが李子と一緒にいる。
……いいなぁ。羨ましい。
ストラーイク。
「光、光っ。振らなきゃあたらないよっ」
「あ、あ…」
ブンッ。ずてっ。ストライク、三振、アーウト。
我ながら見事に大ハズレ、そのままこけてしまった。私、運動は苦手なんだよね……李子とは大違い。得意だったら一緒に李子とソフト部に入れたのになぁ……。
「ったぁ……」
「大丈夫? ひぃちゃん?」
「うん、大丈夫……」
そのままキャッチャーをやってた子に私は手を引かれ立ち上がって、砂を払いながら後ろに下がった。
あたし、何やってるんだろ……、バカみたいだ。
「光ぃ?」
「な、何? 千代ちゃん」
ボーイッシュな髪形の、可愛いというより綺麗という言葉の似合う女の子が私を見つめる。私は考えてることを読まれてる気がしてすぐに目を逸らした。
彼女は岬千代子ちゃん。面倒見がいい私の友達で、クラスでも同じグループだ。
「あーた、まーた何か悩んでるんでしょ」
「わ、分かる?」
やっぱり読まれてたか。油断も隙もないね、千代ちゃん……。
「で、今度はなんなの?」
「……もちろん秘密です」
引きつった笑顔でそう私は返す。
言えるわけないじゃない、そんなこと。李子にだって言えないんだから。
「李緒クンに相良クンいいわね、あの二人が二トップで、絵になるわぁ」
「えっ」
グラウンドを見つめると李子がボールを持って端っこから相良クンにパスしてる様子が見えた。
「今の反応で確信に変わったわ。校内でも特に人気ある二人だもんねー、ふふふぅ」
「どうして……?」
どうして分かったの?
心臓が早くなるのが分かった。
「分かるわよ。光ったらずっと彼ら見てるもの。で? どっちが本命よ? そういえば李緒クンとはもう仲いいよね? それでもそんな悩んでるんだから相良クンか」
「ち、違うよ……そんなんじゃ」
「わーお、相良クン、ナイッシュー。……ま、彼なら任せときなさい」
「……だから違うのにぃ」
ボールは李子の足から直接ゴール前に飛んでいき、それを相良クンが頭で拾って上手くゴールに入る。その様子を周りの子たちも見ていたのか、黄色い歓声が私の耳に木霊していた。
******
「相良ぁ、ナイッシューっ!」
あたしは相良クン、ううん、相良に走りよってハイタッチ。ここで終了のホイッスルが鳴り響いた。あたし達のチームの大勝利!
正直サッカーがこんなに楽しい球技だと思わなくって、なんでもやれば面白いものだ、としみじみあたしは実感させられる。あたしが蹴ったボールを何度も相良が決めてくれて、自分で決めたんじゃない癖になんともすがすがしくていい気分。聞いた話では相良はサッカー部のエースらしくて、あたしの下手くそなパスも全部取ってくれてすっごく嬉しかった。ほんと相良さまさまだね。
「…………それじゃ、解散っ」
先生の号令のもと次々と生徒が帰っていく。けど先ほどあたしは相良にちょっと話しが、って声をかけられていた。
「何? 話って」
「あの、さ…」
相良の表情は真剣そのもの……もしかして愛の告白!?
……んなわけないか、この体だし。
「サッカー部に入らないか……?」
へ?
「お前の今日のプレー見てて思ったんだ。初めてであそこまで出来るなんて才能あるよっ」
相良の手が、がしっとあたしの肩を捕えて目線を合わせられた。
「いや、あれは相良が上手かったからで……」
「俺だけじゃあんなに得点取れないんだ。視界が広いっていうのかな、欲しいと思うところにお前がパス回してくれるんだよ。パスもすごく正確だし……お前たしか帰宅部だったろう?」
あたしが今帰宅部だってことも驚きだけど、あたしは相良の熱心さに驚いていた。
涼しいイメージのあった相良だけど、こんな熱いやつだったんだ……。
……けど、やっぱり。
「……ごめん、サッカー部には入れない」
「そう、か」
「あた……俺、ソフトボール部に入りたいんだ」
そう、あたしは部活をやるなら中学生からやってたソフトがやりたい。サッカーも楽しかったけど、あたしの中じゃ小さいときからやってきたソフトの楽しさには比べ物にならないからだった。
けど、そう言った瞬間相良の表情が怪訝なものに変わる。
「ソフトは女子の部しかうちにはないぞ……?」
「え」
えー!?
「ってなわけなんだけど、どうしよう、光っ」
「どうしようって言われても……その後相良クンにはなんて言ったの……?」
今はもう下校時間。あたしは帰宅部の光と一緒に帰路についていて、昼間のことを報告中である。
「それがさぁ、……考えとくって」
「そっか……でも李緒がサッカーかぁ、……結構、いいかもね」
「……何言い出すのさ、いきなり」
どうしてあたしがサッカーしたら結構いいんだろう。
「だって、李緒がサッカーしてるの見てたけどすっごくカッコよくってね。他の女の子だってみんな声援送ってたんだよー?」
「へ、へー……」
女になんかもてたくないって……変な趣味ないんだから、男にもてたい。やっぱ断ろうかなぁ……いや、でもこの姿でそんなことが理由だって言ったらまんまボーイズラブなのか……。
「けど、私はやってほしくないけど……ね」
「え?」
そう言って光はふいと目を逸らす。もうその話は終わり、という感じで光は話を切り出した。
「それより、これからお菓子屋さん行かない?」
「それって朝話してたやつ?」
「うんっ、聞いてたんだ? どう? どうっ? 話によるとチョコレートクッキーがすっごく美味しいらしいんだよねー」
「うん、もちろんっ。楽しみだねっ!」
それからあたしと光は学校であまり話せなかったぶん、お菓子屋さんに行っていろいろなお菓子をつつきながら、談笑しあったのであった。その時にはあたしの中のもう悩み事なんて全部吹き飛んでて、やっぱり女は心配事より甘い物だよねー、と光と一緒に笑いあったのは次の日の朝のこと。