(9)着替え着替え生着替え……!?
修学旅行の食事中。
ケンちゃんに軽く柔道の技をかけられながら初めに感じたことは『セクハラ』だった。例え端からみたら男同士でも、中身は男生活1ヵ月半ちょっとの、まだまだ男になりきれていない思春期真っ只中の女の子。男の子が密着している状態なんて男女の境が出来てからこれが初めてで、やっぱり少しだけ羞恥心を感じたのは言うまでもない。
幼稚園くらいのときまではそんなこと全く気にしなかったけど、男と女ってのは異性なわけで。当然肌を見せるのは将来の相手だけにしたいわけで。
(お風呂、どうしよう)
部屋はぱっとだけ見たが、確かWCと書かれたところが一つだけあっただけ。
……ここの旅館のトイレって、ユニットバスだったっけ?
「やっぱない、かぁ……」
現実を知らされてあたしはドアの開いたトイレの前で深く肩を落とす。
備えつけのお饅頭を食べながらこの旅館の見所などが書かれたパンフレットを見てみると、ここは温泉が有名な旅館、らしい。泡風呂、流れるお風呂、サウナはもちろん、ジェット風呂、薬風呂などもある。そして大人気なのが北海道の自然が作る絶景を楽しめる露天風呂。だからかホテルによくある小さなお風呂はなかった。
……入りたいけど、どうすればいいんだろ。
「何かいいのあったか?」
こくのあるお茶、要するにあたしからしたら結構苦めのお茶を平然と飲みほしながら相良が左上から問いかけてくる。
「へ!? ……あ、うん、お風呂楽しそうだなって」
不安要素のほうが限りなく高いんだけどね。
あたしは湯のみ片手に中腰の相良に向かって答えた。
「ふぅん、流れる風呂まであンのか。風呂ってよりプールみてぇー」
右隣から同じく中腰になったケンちゃんが食べかけのお饅頭片手にそう言った。
「おッし、競争しようぜッ」
ケンちゃんがぐっと拳を握る。
「お前な子供じゃないんだから」
相良が呆れたように頭を抱えた。
「負けンの怖いのか?」
ふふんと鼻を鳴らし手を横にやるお決まりのポーズ。その様子を見て相良はかちんと来たようで、
「……上等。ほえ面かいてもしらねぇから」
パチパチとあたしを挟んで睨み合う2人。ケンちゃんが負けたらジュースおごりなー、と言った。
……楽しそー。
中学のときにあった水泳の授業、結構好きだったからやりたいなー、なんて思ったけど。
でも、全裸でやるなんて絶対無理、だよねー。恥ずかしさで悶え死ぬ。
「じゃあ、そろそろ行くか?」
そう言って相良が机に手をつけて立ち上がる。そうだな、とケンちゃんもつられて立ち上がった。
どうしよっかな、どうやって断ろうか、そんな思いを抱えつつあたしは心中で思いっきり頭を抱える。
(おまえらと一緒に入りたくない? それ、失礼でしょ。いや、でも、うんと……)
少し時間がたった後パンフレットから視線を上げると――あたしの思考は止まった。
(…………はい?)
目が点になる。目線の先にはあらかじめ用意してあった替えの洋服を取り出して、今着ている服を脱いでいく相良とケンちゃんの姿。
……。
……?
…………!
「ちょ、ちょっ! 馬鹿っ。おまえら2人ともいきなり何やってんの!!」
あたしは自分の顔が真っ赤になっているのを自覚しながらパンフレットを目の前にかざした。
(着替え着替え生着替え……!?)
パンフレットの奥から2人の声がする。
「は? ここで着替えといたら後で楽じゃン。着替えもっていく必要ないしさー」
何言ってんだこいつは、とケンちゃんが困ったようにいう。
「風呂出た後に洗い物持って歩くってのもヤな感じじゃないか? ま、結局タオルとかは持って帰らないといけないんだけど。持ち物減らせるし」
だよなーと2人で頷きあう声が聞こえる。
ここでも、……男女の差がでたかぁ、と思う。豪気というか大雑把というか……。
そういえば、中学のとき男子の服がお風呂に入る前なのに変わっていたのって、着替えてからお風呂入りにいってたってことだったんだー……。
(それなら、合わせなきゃ、だったり……?)
つい視線を下げて胸元を見る。
どうせ、まったいらだし、見られても、そんな……。
あたしは心中で盛大にため息をつきつつ、パンフレットを胸元に下げていく。そしてちらりとパンフレットの端から見えたのは、相良の締りのいい上半身。生身の。
(って!?)
思わず手に持っていたパンフレットを落とす。自身の頬が赤くなっていた以上に真っ赤に染まるのを確認できた。
どうやら過去を振り返っている間にも2人はズボンを脱ぎ去っていたらしい。
(な、ななななななな?)
そして、腰に手を当ていわゆるガラパンと呼ばれるものを一気に腰から――。
(――って!?)
「う、ぁ……!?」
「ン?」
ケンちゃんが手を腰に当てながら疑問の表情を見せる。それと同時に、あたしの身体は自然と動き出していた。
返事も待たずにあたしは回れ後ろすると、早足でトイレに駆け込む。そして、ドアを閉めて扉に鍵をかける。ぜぇぜぇと息を吐きつつ、胸に手を当てた。
(入る前からこれとか、……む、むむむ無理に決まってるじゃんっ)
あたしは胸に手を当てながら必死に鼓動を押さえつつ、へろへろと蓋の閉まった洋式便所に座りこんだ。
「どうした? 急に気分でも悪くなったのか?」
扉の奥からそう相良の声が聞こえる。
(悪くなったというか! 悪くされたんです!)
そう叫びたいのをこらえる。
「そっ、んなところっ。えっと、何ていうか」
無理無理無理、絶対無理。いくら男の裸なんて不本意にも自分の身体で見慣れたと言っても、それが他人に通用するとはとても思えない。というか16年も女で暮らしてきたあたしにとって通用するはずもないわけで。
(……ぜぇぇぇったい、無理っ!!)
「相良、ケンちゃん……っ」
うん? なンだ? と奥から声がするのが聞こえたから、あたしは言う。
「悪いけど、2人で行ってくれる? 俺、ちょっとお腹壊したみたいで」
「うん? じゃあ待っとくけど」
「そー、そー、別に急いでるわけじゃないンだしさー」
「だ、だめ!」
出来るだけしんどそうな声で言ったのに、やっぱり待っていてくれる気らしい。持つべきものは友達だね、って話しなんだけど……違う!
「お、俺ちょっと長引くほうで……その、恥ずかしいし先行ってくれたほうが嬉しいっていうか」
乙女に何を言わすんですか奥さん。っていうか、恥ずかしいのはかなり本当で、今あたしの頬は真っ赤に染まっている。
「ふぅん……? じゃあ、先行ってるから、治ったら来いよ?」
「へ? 待っとかねぇの?」
「いや、だってさ、お前だって下痢してるときなんて一緒にいてほしくないだろ?」
「あ、そーか。ンじゃ、先行っとくな」
「う、ううううんっ」
恥ずかしい単語を直に言ってくる相良にまた悶絶。
いや、もう、こういう言動にも慣れたつもりだったんだけど、ね……。
重くため息をつきつつ頭を抱えていると、2人の足音とともにがちゃりと玄関の閉まる音がして、静寂が訪れた。
(まぁ、これでお風呂の問題は解決、かなぁ……? 後でこっそり入りに行けばいいし)
旅館のお風呂が閉まるくらいの時間帯ならたぶん、人も少ないだろうし、少なくとも同年代の人には会わないと、思う。おじいさんとかならまだ見ても見られても大丈夫……だし。
改めて考えると、咄嗟にトイレに逃げこんだだけだったのに恐れていた事態だけは避けられたみたいだ。
「さてと……2人が帰ってくるまで何しようかな」
あたしはそう呟くと、赤くなった頬を叩いてこっそりとトイレのドアに手をかけた。
(うっわ、たっかそー。あたしが一生かかっても返せないくらい価値あるんだろなー、こんなの)
あたしは今、アイヌのコシャマインって人(正直あたしも説明ボード見なきゃ誰、って感じなんだけど、六百年くらい昔、和人、いわゆる昔の日本人と戦ったときの首長やってた人らしい)が生きてた時代からある振袖みたいなのが飾られているガラスケースと睨めっこしていた。
(……なんだろう、威厳みたいなのが)
ぐっと目を凝すと、なんだか威厳が漂ってきている気がする。やっぱ年季が入ってる物は違うね、うん。……なんて、全然知識もないくせに思ってみる。
あの後、他の男の子達の部屋も回ったけどもうお風呂でドアに鍵がかかっている部屋がほとんどだった。それは先生が、入浴時間はこれくらい、と指導していたからだろうと思う。入浴時間が決められているのは、人数が多いから同時にしなきゃからかな? まぁ、そうは言っても団体で入るのは駄目なだけで個人的に入りたい人は入ってもいいらしいけど。
相良達が帰ってくるまで暇なあたしは、もぬけの殻だったフロアを抜けて女の子達がいるフロアに来ている。
誰かいるかな、話せるかなぁ?
そんな思いを持ってきたのに、あたしは何故かエレベーターの前にある自動販売機の横にあるガラスケースの前で立ち尽くしていたわけだ。
(……うーん、こんなとこで立ち止まっててもしょうがないし、他、行こうかな)
そして、そんな風に頭を切り替えてガラスケースから目を離して誰でもいいから話しに行こう、なんて思ったとき、一人の少女が目の前に現れた。光と同じくらい小柄な背丈で綺麗な腰までの長い黒髪を持つ同じ世代くらいの少女。
「あれ、みぃちゃん」
「李緒、クン……?」
呼びかけると、みぃちゃんの肩が揺れて、下を向いていた顔をすぐ上に向けてあたしを見つめた。すると艶っぽい髪が目に入り、鼻腔をシャンプーかリンスのいい香りがあたしのほうまで流れてくる。
「もうお風呂入ってきたんだ? いい香りするね」
「あ……うんっ」
みぃちゃんは小さく頷くと、嬉しそうにはにかんだ。
いやはや喜ばしきことかな。男の姿であるあたしにこんな友達感覚な笑顔を向けてくれるとは。みぃちゃんも男に慣れてきたということかな? それとも、男女ペア組んだりするとき誘ったのが効いたのかも?
「李緒クン……は?」
「や、まだなんだけどさー。今だと混んでるし、人少なくなったら一緒に入ろうってトモダチが言ってたから相良達には悪いけど一人抜け出してきたわけ」
嘘です。逃げ出してきただけ。
これが部屋を出る前に誰かに会ったら言おうと思っていた口実だ。
「そうなんだ……。あのね、お風呂……すごかったよ。ジャグジーとかも……あってね。それから……」
そのトモダチはどうしたの、とか聞いてこないみぃちゃんに感謝。
「へぇ、そうなんだ、楽しみ。みぃちゃんはどれがお気に入りだった?」
「私は、……えっと、えっと……」
ゆっくりと考えながら話してくれるみぃちゃん。
たまにこういうたどたどしい喋り方をしてる子を苦手に思う人がいるけど、あたしは大好き。こうやってみぃちゃんと話してると、すっごく癒される。
「おみあげ、……お父さんに、何買って帰ろうかな……って」
「それ、確かに迷う。お母さんとかならキーホールダーとかで喜んでくれそうだけどお父さんはねー。今風のストラップつけたお父さんの携帯とか思いつかない」
そうやって話していると、いつの間にか近くにあった長いすに座って話しこんでいることに気付く。やっぱり女の子同士が話しだすと2、30分なんて一瞬だなぁ、なんて実感。
「……ぁっ」
その時、話しの途中でみぃちゃんが急に小さく声をあげて慌てたように立ち上がった。
「え? どうかしたの?」
「あ、あの、戻らなきゃ」
そういうとみぃちゃんは先ほどの自動販売機の所まで行って、焦ったようにお金を入れだす。そしてボタンを押してはジュースを取り出す動作を計3回。
「……あれ?」
あたしはふいに疑問に思って首を傾げる。
なんでみぃちゃん一人なんだろ。まさかあたしみたいに逃げ出してきたわけじゃないだろうし。しかもジュース3つ……? パシリとかはうちのクラスに限って絶対……。
「どっかしたの? 急いでたなら呼び止めてごめんね」
そう謝ると、ジュースを胸に抱えて首を振った。
「ち、違うの。……忘れてて、別に、急いでるわけじゃ……なくて。ただ、同じ部屋の子が……気分悪くなったみたいだから、その子の分と看てくれてる子の分買ってこようと思って……」
「えっ。みぃちゃんの部屋って光と千代だよね」
「あっ」
「……見に行ってもいい?」
数時間前あたしと話してたときは2人とも元気だったはずだ。一体どうしたんだろう。そう思って問うとみぃちゃんは何やら口ごもって千代ちゃんが体調崩して、とだけ言った。
「部屋は? 行ってもいいよね」
「それは…………だめ」
せかすように言うとたっぷり時間をかけてからみぃちゃんは困ったように、けどしっかりと首をふる。
「でも……」
「たいしたことじゃないの……ただ……」
また口ごもると、意を決したようにごめんね、それじゃあ、とジュースを持ちにくそうに胸にだかえて歩き去ってしまった。
(……気温差のせいで体調でも崩したのかな? けど、何で部屋入っちゃダメなんだろ。あたしだって心配なのに……)
怪訝に首を捻りつつ、もうそろそろ相良達部屋に戻ったかなー、と考えながらあたしは自分達の部屋に戻った。
おっきなお風呂でシャワーを頭からかぶりながらあたしはぼそりと呟く。
「あー……もう、疲れたぁ……」
ケンちゃんがお前が行くンなら俺ももう一回行こうかな、とか言うから本気で焦った。心中ではかなり冷や汗をだらだら流しながら温泉は2回入ると身体に毒なんだよ、なんて誰にでも分かる冗談を言うと、そうなのか!? なんてころっと騙されたから、言ったあたしがびっくり。相良は何も言わずにいてくれたから良かったんだけど……ねぇ。また変なこと思われてないだろうかだけが心配だ。
がしがしともうすっかり短くなってしまった髪に乱雑にリンスをつけながら、こんなでっかいお風呂1人ではいるなんて何だか贅沢だけど勿体ない気がするなー、なんて寂しく思う。
(まぁ別にいいんだけど。……裸見られるよりマシだよね)
誰もいなかったのは好都合だった。脱衣場に入るとき、おじさん達が出てきたからかなり驚いて額に汗が滲んだけど、中に入ると誰もいなかったのであれが最後だったんだ、と安堵のため息。
身体を洗ってお風呂に入ると早速泳ぎ出す。クロールが出来るほどの深さはないのですいすいと平泳ぎで。
(何かカエルみたい……でも背泳ぎはかなり抵抗あるしなぁ……誰もいないんだけど。やっぱり、ねぇ……?)
ていうか今更ながら泳ぐくらいしかやることないんだよね、ほんとに。中学の修学旅行のときは楽しかったんだけどなぁ。あの時は光胸小さかったからからかえたし……そういえばでてきたの中3頃からか。ほんと、大きくなってお姉さん感激。……いや、まぁそんな軽いじぇらしぃとセクハラ発言は置いとこう。
「ぷはっ」
息をいっぱい吸って今度は泡風呂の所に行って座る。けど、すぐに立ち上がって腰に無地のタオルを巻きつけた。
(誰も来ないうちに、もう、出ようかなぁー……)
そう思って肩をならす。
その時。
『露天風呂、水着があったら……入れたんだけど。……ちょっと残念』
そんなみぃちゃんの言葉を思い出して外に繋がる混浴入り口と書かれる看板を見た。
(そういえばパンフレットにも大人気は北海道の絶景が見れる露天風呂って書いてあったっけ)
立ち上がって回りを確認しつつそこまで向かう。
(まぁ、せっかく来たんだし……。寂しいだけのお風呂に潤いを……! なんて)
あたしは馬鹿な考えを持ちながら露天風呂の前の脱衣所を開け、露天風呂へ続く横開きのドアを開く。
(誰も、いませんよねーっと……)
そこは結構広くて、湯気のせいか奥が曇っていて見えない。
(わお、きれーいっ)
その替わり外の風景が光でライトアップされていてとても綺麗。あたしは上機嫌になりながら外を見つつざぶざぶとお湯の中を進んだ。
そんな時だった。
(へぇ、なかなか絶景じゃ……え!?)
誰もいないはずの湯船の先には人の姿。
(やっば……! 早く出なきゃ)
そう思って後退しようとしたとき、
「……いっ」
何だかくぐもった声が聞こえた。それはまさに苦悶という声で、興味本位、ただそれだけでその人の顔を見た。
「……あれ、千代」
意外にもそれは見知った綺麗なお顔。
「り、……お、クン?」
愛すべき大事な友人、千代の姿だった。あたし達の間に無言の時間が流れる。いや、だって、考えてもみてほしい。混浴なのに2人ともほとんど、千代にいたっては濁り湯になってるから分かんないけどたぶん裸で、気まずいというか何というか。まぁこちらとしては女の子の裸なんて本当の意味で見慣れてるから気にしないとしても、千代のほうは違うだろうし……。
千代を見ると口を開いたり閉じたりしている。きっと何か言おうとしてけど言葉が出てこなくて、みたいな感じなんだろうと思う。
「えっと……風景、綺麗だね?」
だから、あたしは当たり障りのない、今更どうでもいいことを口に出した。
「……っ」
あたしの目には驚きの顔が羞恥の顔へ一気に変化するのが見て取れた。
き、気まずい。
どうして千代がここに、とか。なんでこの時間帯に、だとかはどうでもいい。一向に待っても返事が返ってこないことが問題だった。
あたしは後ろを向いてぽちゃりと音をたてて湯船の中に座り込む。
「や、別に覗いたりとか、そんな気は全然なくて。今誰もいないと思っててっ。……ごめん、やっぱり気分悪いよね」
言い訳っぽくなったのでざばんとお湯に顔を半分つける。肌がピリピリしてちょっと痛かった。
やっぱり、許してくれないかな……向こうは男に見られたって思ってるんだから。こういうの男に見られてすっごく嫌がる女の子と、あんまり気にしない女の子がいるけど、千代は絶対前者だよね。
どうしたら機嫌治してくれるんだろう……。
そんな風に思いながら次に言う言葉をさがしてると、
「……別に、いいわよ。これくらい。私も悪かったんだし、おあいこ」
意外にも千代は許してくれたようで、背に声をかけてくれた。
「ほ、ほんとっ!?」
感激のあまり振り返るとばしゃりとお湯をかけられる。目に入ってちょっと痛い。千代は呆れた声をして言った。
「もう、振り返らないでよ……。あのね、これで私に非がなかったらこんなもんじゃ済んでないんだからね」
「……だろうね」
きっと千代は今あたしの背をジトメで睨んでいるだろうと思う。
そしてまた無言になる。けど先ほどのように気まずい空気はなかった。だから、一つ疑問に思ったことを口にだしてみる。
「千代はさ、どうしてこんな時間帯にお風呂入ってるの? ……あ、そういえば体調悪いって聞いたけど……」
「誰に聞いたの?」
「みぃちゃんに。けどどうしてか教えてくれなくって……。あ、でも偶然会って、誰が体調悪いのか聞きだしたのかは俺だよ?」
何やら秘密にしてそうなのでいちおうみぃちゃんは悪くないことを説明しておく。なんだか千代の声、今刺々しかったしね……。
「……秘密。それに李緒クンこそこんな時間帯にどうしたの?」
何やら重い声で返す千代。
「俺も、秘密……」
痛い所をつかれたので黙っておく。今さら友達に、なんて言えないしなー……。2回目入りたくなったなら一人くらい友達連れてくるだろうし。
ぱちゃりぱちゃりと指先でお湯を作って波紋を作る。
また気まずい雰囲気。……話題がない。さっきあんなこと聞かなきゃ良かったな、なんて今更ながら思う。そりゃあ、話題くらい作ろうとすればいくらでも出来るんだろうけど、こんな状況こんな雰囲気で能天気に話せるくらいあたしも場馴れしていなかった。
「私、もう出るわね」
やっぱりこういう気まずい雰囲気になると人はそこから離れようとするわけで。
ん、とあたしは返事は返事すると、背後でちゃぷ、と静かに音が聞こえた。たぶん、立ち上がったのだろう。
「……振り向かないでよ」
「分かってるって」
苦笑する。
たぶん振り向かないと分かっていて言っているんだろう。それと刺々しい言い方になったのを後悔してる。ちゃぷちゃぷと後ろから聞こえる音を聞きながらあたしも出ようとして立ち上がった。
その時。
「――いっ……きゃっ」
何……!?
苦悶の声と悲鳴、その声で思わず振り返ってしまい、あたしの目に映ったのはバランスを崩して今にも倒れに仰け反った千代の白くそれでいて健康的な肢体。
地面はでこぼこの石畳。
間に合うだろうか。あれは、こけたら怪我しそうだよね。そう思いながらもお湯を掻き分けながら走る。
地面に倒れていくのが眼前をスローモーションのように流れていた。
間に合え、と願いながら手を出すと――。
「っぶな……」
ぎりぎり、あたしの手の中に納まる柔らかい肢体。千代を見るとぎゅっと目を瞑っていて迫っていた痛みを今か今かと待ち続けているのが分かる。
「もう、大丈夫だから……」
そう言うと、ゆっくりと千代の瞼が開いていって、あたしの目と合った。
「……ぁ」
それだけ口から産声のような声をだすと、急に千代の顔が真っ赤に染まる。
「ありが、と……。ぁ」
小さくお礼を言った何やら千代はわなわなと震えて、もしかして怖かったのかな、なんて思いながら頭を撫でると千代の動きが止まった。
「――え?」
千代は体制をを立て直すと思いっきり――あたしの頬を叩いた。後で気付いたけれど、あたしは千代を受け止めた拍子に彼女の身体に巻かれているタオルを取り去っていたわけで、それで偶然、直に彼女の身体を見てしまったわけで。
――パッチーンッ!
小気味よい、あたしの頬から発せられた音がお風呂中に響き渡った。
「……どうしたんだ? 李緒。その……頬」
「うわッ、手形くっきりじゃン!?」
部屋に帰ってそうそう、2人にそう言われた。
「……そんな酷い? これ」
そう言うと洗面台行って鏡でも見てこい、と言われる。あたしはそれを聞き気分をまた沈めて洗面台のドアを開けた。
「うぁ」
そんな声をあげてしまうほど、あたしの頬にはくっきりと綺麗な赤色の花が咲いていた。
結局、あの後早々と去っていった千代を目先に、あたしは頬の痛みに苦しんでいた。
――やっぱりどんな形であれ、同意なく男が女の痴態を見るのはいけないことらしい。あたしはそれを修学旅行1日目で十分に味わったのだった。明日千代、機嫌直してくれたらいいなぁ……。