人と龍
人と龍
久しぶりの人の波の中を二人で歩く。ミーナはずっと離れないようにヴァ―ジの右腕を抱き続けていた。ヴァ―ジの苦言が少し不安をあおりすぎたらしい。少しの不安なら緊張感で済むが今の彼女にはあんまりにも大き過ぎる物らしかった。ヴァ―ジが言うには人間も彼女の出身の村人のように良心的な人物ばかりではない。よって、人攫いに龍族はさらわれるというリスクを伴う。この世界には龍族以外にも複数の人間に近いが人間ではない種族の生物が存在する。精人や妖精鉱夫などが大きな種族だろう。さらに条件を減らして枠を広げるならば妖精、さらに悪魔も含めるならば吸血鬼や吸精魔などもそれに含まれよう。しかし、一番リスクや人と共存する歴史などから鑑みると……、龍族、精人、妖精鉱夫などが一番の対象となるのだ。それに、若い龍族の女性や精人には高価な値が付く。それを包み隠さずにヴァ―ジはミーナに告げたのだ。ヴァ―ジの人間性からするに本当のことを暴露したとみた。外界を初めて見る彼女には少々どころか恐ろしく強い刺激だったろう。
「あんまり抱きつくな」
「で、でも、怖いじゃないですか」
「そんなに簡単にさらわれはしない。俺の近くから離れないなら俺が守れる。たとえ攫われても俺が居れば問題ない。成人した完全体の龍族に人間なんかが敵う訳がない」
その通り、魔法を奪われ、人間同士でも争いの絶えない人間は既に龍族の敵ではない。討伐やいざ、龍族と戦をするとなれば数で圧すしかないのだ。だが、その龍族も数が減っているのも事実。理由は定かではないが……いや、確定ではないが要素はある、龍族の老齢者の団塊という物が存在していることもまたそれに関係しているだろう。龍族と人間の戦争時代に戦士の龍族が多く命を落とした。それを補うように多くの龍族の番が子供を残した時代があるのだ。その時代の龍族は不完全に発育した者が多く寿命も短い。そこから、若い龍族の覚醒が遅れているという弊害までもを引き起こしているのだ。ヴァ―ジの語る龍族の特性から龍族は気づかなければさして人と変わらない生育をする。そのためにまぎれて解らなくなってしまうのだ。だから、龍族は龍族として生育しても育児放棄などで人に赤ん坊を預けてしまう親までもが現れている。余談が長くなったがヴァ―ジが一頭の龍として街で暴れたりすればこんな街ではひとたまりもない。龍族の群れに襲われたヴァ―ジは先日の負傷をしたがその群れもヴァ―ジは皆殺しにしている程だ。彼には大抵の物がかなわない。そういう龍族なのだ。ただし、ミーナが完全体になってしまえばヴァ―ジはミーナに劣る者となる。ミーナにはそれほどの力が眠っているのだ。『聖帝龍』は恐ろしく強い。そして、無限に近い可能性を秘めているのだ。特に、他の龍族の力を混合されたミーナはさらに未知数である。『大地聖龍』の結晶を体に埋めている彼女……さて、どんな力があるのだろうか?
「はぐ……」
「久々のちゃんと調理された料理だな」
「……」
「悪かったよ。誇張表現をしすぎたな。人攫いはこんなところでは活動しない。ここは少し目立ちすぎる。表の街だからな。裏の旧市街なんかだと危険だが、ここから出るとき以外は通らないから安心しろ。それに、お前は別の意味でも心配が残るし」
「はい?」
「ほら、あそこの机のやつら。お前をガン見してるだろう。お前が美人だからだよ」
「そんなぁ~照れちゃいますよぉ~!」
「俺の守備範疇には無いがな」
「……なんですかそれ!」
ヴァ―ジが肉料理にフォークを突き立てて食べながらミーナにけしかける。彼もこの数日でかなり柔らかくなった。ミーナの影響も強いだろう。ミーナの村に迷い込んだ時のヴァ―ジは目がつり上がりかなり厳しい顔をしていたのだ。それが今は無表情というか澄ました顔でいることが多いにしても時々笑うようになっている。ミーナは食性としては野菜を好むらしくバイキング形式の店に入っている間はサラダや野菜と他のトッピングのような物を好んで皿に乗せている。特盛りで……。今はヴァ―ジのもっていた資金が使える区間に居るから問題ないがその内その域を超えるという。そこからは資金をその場で稼ぐことが必要になると言うヴァ―ジ。ミーナの楽観的な考えはその事象の直前にならなければ危機感を抱かせない程に強い。今はその大変さが解らないだろう。ヴァ―ジもそれに慣れたかのようにその場はわざと笑ってミーナに合わせておき直前にぶち当たる苦難で彼女が学ぶことを期待しているらしい。ヴァ―ジも意地悪い。彼がここまで茶目っ気のあるところを見せるようになったのは朗らかな性格のミーナの影響が大きく割を占めているだろう。ミーナ……。彼にとっては大きな変化の材料だろう。
「楽観的っていいな」
「え?」
「ん? いや、なんでもないよ。しっかし、よく食うな。お前……」
「そうですか?」
「成長期なんだろうな」
「そうだといいんですけどね」
店を出る……。おそらく店側はかなりの損失だろう。野菜を底なし沼のように食い漁ったミーナのせいで野菜系の皿はほとんど収拾が付いていない。彼もそれには清々しさを覚える程だったらしくにこやかに店を出て行った。彼は不自然に時々背中を抑える。背中には……。ヴァ―ジが背中に背負う剣は未だに誰にもばれてはいない。この街は非戦闘区域で武器の持ち込みも禁止だ。だが、彼らはこの街の検閲所を通り抜けることなく近くのギャングがたまる旧市街の空から侵入している。そのために武器は隠しているのだ。それとは別にミーナは周りの変化で疲れているらしい。宿屋に入るとミーナは疲れと眠気ですぐにベッドへ突っ伏した。小さい寝息を立てるミーナを彼は撫でながら毛布をかけて寝かせているらしい。彼はその後もずっと起きていた。彼は彼自身の感覚で周りの違和感に気づいていたのだ。街に居た時から彼が無理にミーナを煙たがるように払いのけなかったのは監視しているようなその視線を気にしていたことが関係している。目を向けずに彼は扉の方にミーナを起こさぬように厳かで低い声を出す。龍族の言語だ。
「兄上……」
「どうした? リュフラ、何故お前がここに?」
「もちろん、連れ帰るためです」
「バカも休み休み言え。俺はあんな腐った一族には帰らない。それに俺には守るべき者もできた」
「まさか……、番になられたのですか?」
「いいや、だが、お前であってもミーナに手を出せば容赦なく殺す」
「……解りました。ならば、私どももあなたから手を引きます。既に、あなたにかなう戦士もおりません。……ヴァ―ジ、あなたに課せられていた反逆罪を抹消し、あなたを一族からも抹消します。これからの明るい人生をお楽しみください」
扉の裏にはヴァ―ジにそっくりな黒い髪と瞳でわりと大柄な女性の龍族がいた。その女性が外に出ると翼を開き飛んでいき……、空中で大きく翼を大きくし体を巨大化、そして、大きく咆える。龍族には龍族にしか解らない暗号のような物があるらしい。その声を聞いた街の住民は震え慄き、恐怖にその夜の睡眠を奪われただろう。ヴァ―ジの出身はそのように恐ろしい戒律や何かに縛られた種族の集まりらしい。彼もその夜は眠らず疲れと成長の重なりで夜は体をしっかり休めるためにか熟睡しているミーナを撫でながら起きている。天井を見て妹だった龍の羽音を聞き終えると彼はミーナを見つめ続けていた。
『久遠なる栄光の未来が汝にあらんことをお祈りいたす!』
「貴様らのように心をすてた龍族がいるから……俺はこの世界を憎むんだ。久方ぶりに忘れられたのにまた眠れなくなりそうだな」
そのまま早朝の日を目にしたヴァ―ジ。彼は完全に成長しきった龍族だ。龍族は最終形態になるまでに数年の年月を要する。しかし、数か月で最終形態へと変容する方法も無いことは無い。彼は遠くを見るようにミーナの頭を撫でながら窓の外を見ている。彼の過去に何か重い物があるとみた。平常時の彼はフェロモンに自制を入れており龍になることは少ない。しかし、今の彼はかなり興奮している。ミーナがそれを吸入することは彼女の発育を急激に増進させるらしい。彼女の耳は夜の間から長いままでぴくぴくと動き、犬歯が痒いのか歯ぎしりを何回も無意識にしている。他にも彼女は成長の現れが大きく出始めていた。
「エリュン……。お前が死んでから何年たった? もう、8年か。お前は俺を許せるか? 俺が……再び過ちを犯そうとしていても」
「……ヴァ―ジさん」
「!?」
「誰ですか? エリュンって」
「……知らなくていい」
「嫌です。隠し事しないでください。ヴァ―ジさんがそんなに悲しそうな顔するなんて相当に思い入れのある方なんですよね?」
「そうか、別に知ってお前にメリットなんて無いんだが……教えてやる」
彼の発達が早い理由はエリュンと呼ばれた龍族の女性と一緒に居たことが原因だった。異性の血族以外の龍族が近くにフェロモンの放出を抑えずにいると龍族間では共鳴反応が起こり体の生育の速度が加速される。彼もミーナと同じ状態だったのだ。ただし、彼の場合は気ごころ知れた幼馴染と二人だったために成長の増長も相互的で双方が恐ろしく早く生育した。それに、彼の血はかなり濃いために龍族としての生育も早まって行く倍率や刺激の多さもことなったらしい。他よりもそれだけ早く成長したのだ。
「エリュンは火龍族の娘だった。俺とは番になる約束までしていたんだよ。しかし、俺の出身の一族『混沌龍』は他族との交際を認めない。厳格な一族でな。他の龍族ではなく同じ龍の血しか受け入れないんだよ。『混沌龍』は純潔だということを重んじる。そして、俺は『混沌龍』の首長の息子にして、その一族の王子」
龍族には種族ごとに王族が存在しそれを元に種族を取りまとめている。多数の種族が存在する龍族の長たる王族は50年に一度のペースで集会を開き領土や食料生産、人間との交流の制限に関して話しあう。その中で他の種族と上手く考えの交わらない種族、それがヴァ―ジの一族『混沌龍』だったのだ。過激な思想の戦龍であるヴァ―ジの一族は人間の殲滅を最後の目標にしていたらしい。しかし、他の龍族や跡取りのヴァ―ジはそれを否とする。そのために龍族間の戦争まで起きた。その影響で今の戦争は長期化していたのだ。
「俺はお前達『聖帝龍』の王族を殺したのは俺の父親、ヴァーゲルデだ。俺は……ヴァーゲルデを殺した。その時に犠牲になったのが火龍族の姫だった……、そう、エリュデ。エリュデ・イフライト・ブラングナー。俺の愛した……これまで唯一愛した女性の龍だった。俺はその時に狂い、一族の戦士を殺して里を出ている」
父親がエリュデと結ばれることを拒み母親は既に人間に殺されていた。いや、彼の補足的な説明を聞くとあまりよくない一族内の風習が感じ取れた。王族の息子とは言うが実子ではないのだ。王族に推挙されるのは成長した龍族の子供の中でより強靭で戦闘力に秀でた龍である。ヴァ―ジはその時に推され、そのままその座に付き、実の父母は人間に殺されていたために彼はすぐに王族の子息として即位の段取りを進められた。
「これが全貌だよ。俺の一族は気に入らない事があれば構わずに龍でも殺す。ヴァーゲルデは俺の目の前で彼女を殺した。そして、俺の逆鱗は彼を殺した事では治まらず……たくさんの罪の無い一族を殺し、里を逃げ出た。その後始末に俺の実の妹が昨夜ここに来ている。だが、帰らせた」
「私じゃ、代わりになりませんか?」
「ならん」
「……」
「なんだ、不満そうだが」
「……私、そんなに女として見られてないんですね」
「あぁ、お前はまだまだだ。胸も小さいし」
牙を立ててヴァ―ジの腕に噛みついたミーナ。ミーナの牙は鋭く鋭利で堅い。ヴァ―ジの鱗程度では簡単に貫き砕く。血が垂れるなか彼女がすぐに舐めてから牙をはずし、膨れっ面を反対に向ける。ミーナは確かに綺麗だが、まだ、人間でも龍でも言える女性的な観点の生育は芳しくなかった。ミーナはヴァ―ジの腕を握りかなり龍族として発達している筋力で握りしめ怒りをあらわにしながら彼に宣戦布告をしたらしい。粗末ともいかないが華美でもない宿の一室での出来事……。しかし、彼らは着実にその道をたどっていた。
「良いです! 絶対いい女になってエリュデさんを超えます!」
「はいはい」
「おざなりですね……。知らないですから。後からミーナがよかったなんて言われても」
「大丈夫だよ。お前が俺の近くにいる以上俺はお前を番とは認めないから」
「なら、もう一つ」
「ん?」
「私がヴァ―ジさんに勝つか……、綺麗な女らしい龍になったら……番にしてください」
「何年先だろうな。それまで俺と一緒に入れると良いな」
彼は意味深な言葉をミーナに向けた。ミーナは既にその説明を受けている。世界には逸れ龍の群れが多数存在しているという。途中で女性の龍族が集うその群れに接触しミーナが受け入れられればそこにミーナを置いて行くということだ。男性の龍族とは一緒に居ない方がいいと言うこともある。過度な発育は寿命を縮めることにもつながるのだ。まぁ……、ミーナやヴァ―ジのような数千年を生きる龍からすればスズメの涙なのだが。ミーナはなおも脹れっ面を彼に向ける。白い瞳は更に怒りを含み彼に先のとがった舌を向けていた。
「ふん! 本当になって見せます! あなたの初めての女性はエリュデさんでも私の初めて出会った龍族の男性はヴァ―ジさんなんですから」
「……」
「なんですか」
「お前って、純情なんだな」
「心外です!」
「ははは……」
「なんかバカにされたみたいで納得いきません。ヴァ―ジさんはどんな女性がこのみなんですか?」
その次の日、彼らはさらに飛んでいく。ヴァ―ジはミーナに飛行の訓練をわせるためにいろいろと準備をしている。これからの旅に備えて……。