皇龍の孫娘
皇龍の孫娘
ヴァ―ジがそれを見た瞬間にさらに目を見開いて口を開いたり閉じたりと繰り返していた。そのペンダントの表に付けられた金細工の装飾は数十年前に滅んだ龍族の皇帝の紋章であり、その中には二枚の写真が入っている。少し違うか……、銀に移す写真であるため紙の写真とは少し違うだろう。開くと一枚目は彼にも見覚えのある写真で戦争の暴動で崩御された皇帝の写真だ。女性が皇帝をする龍族のしきたりどおり老婦人が写真には写りその下に確かに名前、出生と死去の年号が彫られている。その右横には……。彼女の母親と思しき似通った所の多い女性の写真がある。確かに……耳は丸く、目も大きい上に犬歯は目立っていない。だが、どことなく……皇帝と……。
「私の妻だ」
「そ、そんな、まさか……。皇帝の娘が人間とのハーフで……ミーナは……」
「そのまさかだよ。ミーナは龍族の皇帝の孫娘なんだ」
「あなたはいったい何者なんですか?」
「私の名はパラディウス・アーク・エンジェリア。元は皇族の警備をしていた騎士だ」
「聖騎士だったんですか?」
「そう、私は君たち龍族に謝罪せねばならない男の一人だ。皇帝を守れなかった。そして、私も死に直面しその時に部下であったエンバーズの機転で死を免れ、彼の庇護のもとで私と皇帝の娘だったフローディア・エリュシアンはあの農村で娘と息子をもうけひっそりと生活し、彼女は三年前に命を引き取った」
「それでは……」
「あぁ、今の妻は再婚した妻だ。フローの遺言で娘の最良を考えた結果でね」
ヴァ―ジの思考は既に付いてきていない。ミーナが皇族の直系とはいかないが生き残りで孫娘……。しかも、その父親のパラディウスは龍族の血を体に流しているため……龍族の血量分配の方が多い。だとすれば彼女はほぼ龍族そのものだ。パラディウスはそこから去って行く。高揚と龍族の本能から我を忘れている娘を後にし、その場を同じ龍族の青年に託したのだ。彼には解らないのだろう。こんなときにどのように声をかけてよいのかが……。ミーナはあいかわらず動かない。龍族同士の刺激の起こりで覚醒が早まるのは他の龍族……いや、生き物でも確認はされている。特に知能があり群れる生き物はそうだ。群れを造る生物は親やその他の仲間の行動から学びとる。今のミーナがそれなのだ。本能から学び取っている。白い瞳は絶えずヴァ―ジの目を見ては下に戻し、覚醒の兆候という物なのか丸みを帯びた少し長めの耳は角が見え始め、犬歯も歯を見せるたびに目立つ。爪は元々白いため長さが変わった程度の変化ではある。いつの間にか子供たちは天爺のところに行ってしまい姿が見えない。この土地は天爺の箱庭だ。危険な物は何一つ無い。安心して生活していける。彼もそれだから彼らをここに導いたのだ。
「ミーナ」
「なんですか?」
「少し、離れてくれ……、もう、戻れなくなるぞ」
「いいです」
「ダメだ」
「いいです」
「ダメだと言っているだろう!」
ヴァ―ジがいきなり怒鳴ったことでミーナの半分酔いが入ったような覚醒が覚めてしまう。いきり立ち赤い瞳に怒りをあらわにしたヴァ―ジに驚くミーナを見つめ、彼は少しやりすぎたと謝罪しながら向かい合う状態になるように近くの岩に腰掛けて話始めた。何故、龍族と人間が『共存』できず『共生』しかできなかったかだ。確かに、仲良く生きてこれた時代は人間との比率や知能の授受という観点で二種族が対等だった。しかし、今は奢る人間に龍側が愛想を尽かしている。その関係でどこも龍族との相性は良くない。よって龍族は嫌われていないにしても捕らえられる可能性は非常に高い。そして、龍族には強すぎる力という宿命も多くかかわる。その場には二頭が同時にとどまれないのだ。気性は個体によってにまちまちではある。しかし、喧嘩や力比べで人間に被害が出ないはずが無い。そのことから彼女はこの村には覚醒と同時に居られなくなるのだ。今であればまだ大丈夫だ。自分が一人で生きていけるようになるではこの村の人間達の庇護を受けて生活できる。それも受けずに旅立つのは自殺行為に他ならない。彼は自分の覚醒のことからそういう体験をしているのだ。龍族が自分が龍と気づくのは生まれた瞬間ではない。それは両親の教育にもよるが大抵が十歳程度だ。しかし、彼は生れてすぐにそれを思い知り、一人孤独に生き、血に染まった生活を続けて来たらしいのだ。彼女のこれからの動向に敏感になるのもうなづける。そして、彼女は女性の龍族だ。彼とはまた違う何かがあるはずなのである。
「……ヴァ―ジさんと一緒には行けないんですか?」
「俺が断る」
「何故?」
「お前はとことん聞きたがるな……。いいか? 龍族の結婚や出産の適齢期はとても長い。まして、お前と俺のように数千年を生きるような龍族の血を引いているならばなおさらだ。いつ、そういう関係になってもおかしくない。普通の龍族は群れで生きる。女の龍族の群れと男の龍族の群れでな。それは無駄に数を増やして争いを起こすのを防ぐためだ。あからさまにそれを破る事なんかできるわけがないだろう」
生き物の習性はいろいろある。人間のように簡単に子孫を増やしてはならない生き物も存在するのだ。まして、龍族は人間のように子供を守る性質がある上に出生率が高い。多くの龍の子供が生き残ってしまえば龍族同士の殺し合いが増え、それが原因で世界の崩壊を招きかねない。だから、龍族はそれを自粛しているのだ。食料は人間の姿の時であればそこまで張らないにしても生きる場所の関係での闘争は先の戦闘のように少なくはないのだ。天爺のように一頭でさびしく生きる決意がある龍族ならば別ではあるのだが……。二頭の番で生きるのはかなりリスクを伴うのだ。人に見つかる率も飛躍的に上がり、更に子供を残すのであればなおさらそれが顕著になる。龍族は半卵生という出産の方法だ。人間と変わりはしないが胎内で一つ、または双子の卵を孵化させ途中から胎生に切り替えるのだ。生存率は人間より高く女性の龍族の生還率も高い。
「い、いきなりそういうことを言われても。た、確かにヴァ―ジさんのことは嫌いじゃないですけど。先立つ物が……」
「はぁ……。バカだろう……。お前と俺がそう成るかならないかじゃない! 可能性の話だ! 何千年を生活する気なのかは知らんがお前の口ぶりだとずっと一緒に居る気だろう?」
「はい」
「サラっと怖い事を言うな……。俺は要するに『番』になりたいのかと言いたいんだ。お前の解釈もそうだろう?」
「番……、夫婦? ですか? やん……そんな」
「言葉そのものの解釈は正しい。だが……、少し違う気がする。とりあえず俺と来るのは諦めろ。お前がいくら龍族の血を多く体にもっていても俺についてくるのは無理だ」
彼がその場から立ち上がり村の方へ小走りに歩いて行く。ミーナの父、パラディウスに今のミーナの状態を伝えるためだ。おそらく、彼女が村に居られるのはこれから数年程だろう。ヴァ―ジの出現により発情という意味の覚醒の加速でミーナは強い刺激を受ければ一気に……花が太陽に導かれて開くがごとく、龍族へと姿を変えることのできる体になってしまう。人間から龍族への移行はかなりの苦痛を伴うが元々龍族の血量分配の多いミーナには痛みなどはなく軽い酒に『酔う』感覚に近い高揚感にる感じられるだろう。加えて説明を盗み聞けば、龍族の皇族の種類は『聖帝龍』と言われ、龍族には珍しく平常時から人の形態のままに背中には小さいが天使に近い羽毛の付いた翼を持つと言う。もちろん大型化もできるが強すぎる戦闘力と馬力からそれを自粛し姿を現すのは式典などの時くらいだという。パラディウスへヴァ―ジからの報告を盗み聞くとこうなる。その血統に加えてエンバーズという龍族の血を受けたミーナはおそらく現時点での龍族の最強候補の一人に数えられると彼がつぶやいた。今は故人となったエンバーズの龍の種類は『大地聖龍』と呼ばれ大人しい気性とは裏はらに恐ろしい力を秘めた龍だという。特徴は体に結晶を持ち体が固い。その部分を説明するならば、額、両肩や関節の各部と尾の先端だろう。そのミーナがパタパタとせわしなく足を動かして走りながらヴァ―ジを追ってくる。それを目にいれた瞬間にパラディウスがその場を離れるように去って行った。彼としては娘を外界に連れ出して経験を積ませる方がいいと感じたようだ。ヴァ―ジとは逆の動きに彼はため息をついた。それもそうだ、龍の戒律は守るべき物であり罪には問われない。制約を持ち続けて子孫繁栄をせずに生き続ける龍族もいない訳ではないが彼ら二人にそれができるとは言えない。それをできるのは熟練した番だけだ。若い番に多いのが多くの子孫を残してしまうことだという。それが結果として先ほどの逸れ龍を生むのだ。
「何を話してたんですか?」
「お前のことだ。受け入れられるかどうかは知らんがな。龍族の皇帝になれるんだよお前はな。ま、俺もその一人ではある」
再び頭の上でクエスチョンマークの嵐を起こすミーナ。それをよそにヴァ―ジはそこで話を切り上げると彼が少しの間だけ居住すると言って彼の住まいになっているログハウスに入りエンバーズの剣を取ってくる。それをミーナに手渡して父親に返すように伝えた。彼が使う必要が無いと判断したらしい。それからはログハウスの完成もそうそうに若い農夫や漁師の志願者を天爺のところに連れて行き土地の特徴を聞かせるために集めるなどの取り仕切りを始めた。彼は23歳の若さに合わず節度と建設的な考えの強い男性だ。型物と言おうか? その曲げの効かない型物男だから頑ななのもうなづける。時たまそれで喧嘩も多いが大抵は彼が途中で折れる。引際をわきまえているらしい。まぁ、そうだろう。力の上で彼に勝てる者などいないのだからな。
「お父さん! ヴァ―ジさんがこれを返してくれって私に」
「そうか、もう、彼は心配ないか」
「え?」
「私は、彼の両親と刃を交えたこともあるんだよ。龍族と一言に言うが皆が同じ思想を持っている訳じゃないんだ。特に、彼の両親は人間を心の底から憎んでいた。だが、私は彼らと解り合う道を模索して私だけは彼らの信用を得ることができた……。しかし、彼らはその土地から去り、さびしい思いもしたがな」
それからのことはヴァ―ジしか知らない。天爺の勧めで植物から繊維を得る方法を習い人々は麻の袋を造ることも覚えた。それ以外にも龍族の知識にあずかるところは大きい。羊の毛ではなく蚕から糸を得る方法なども天爺は楽しそうに教えている。さらに、酒、燻製、発酵食品、大きな船の造り方や生き物との共生の方法などを教えていると見えた。その外側からヴァ―ジは眺めるだけである。それに気づいた天爺がさびしそうに彼に声をかけた。ヴァ―ジの性格をよく知っている彼の事だからそれを感じ取るのも楽なのだろう。皆が居なくなってからひっそりと一人で去ろうとしたようだが……天爺の暴露で皆に知れ渡ってしまったようだ。
「おい、小童。もう発つのか?」
「……そろそろ行こうと思っています」
「ホントか? ヴァ―ジ!」
「行かないでくれよ! 俺達はお前が龍族でも気にしないさ!」
「むしろ大歓迎だぞ! なぁ!」
「おう!」
温かな歓迎ではあるが彼はそれに丁重な断りを入れると……。無口で根暗な印象の若い男の中の一人がヴァ―ジに近づいて行く。彼が手にしていたのはヴァ―ジがもっていた大剣だった。しかも、それは形が造りかわり剣芯の中心には『ヴァ―ジ・アリストクレア・プルトネオ』と特殊な細工で彼の名前が掘られていた。鞘までもが拵えられており周りの若い衆は唖然としそれに文句を垂れていた。確かにそうだ、ここに写ったのは数日前でなかなか作物が実るのも簡単ではない。種などを何とか持ち出した若者や家畜を連れ出すことに成功した者も今は数を増やすことに専念させるために肉としては使わないと見える。
「お前だけずるいぞ!」
「そうだそうだ! 俺らもなんか……無いか?」
「出発の会やろうぜ!」
「それいいな!」
「お前ら……気持ちは嬉しいが……」
「俺らの気持ちが治まんないんだよ!」
「小童、やらせてやれ」
「……ありがたく受け取らせてもらう」
その夜には天爺を含めた村人たちが彼の出立式に集まった。ただし、それに乗じて彼が唖然とする光景までもが目に映ることになってしまう。美しく……、神々しいまでに皆のいる前でミーナが自らその翼を表したのだ。純白の汚れすら見当たらない天使のような翼。爪が長く鋭く発達し犬歯も唇にかかり大きな金色の瞳も白い濃淡の薄い物に変わった。金色の髪も白くなり毛先にカールがかかり歩くたびにあの甘い香りが漂っているようだ。実は龍族の覚醒は自分の意思でもできてしまう。ミーナはどうやったのかは解らないがそれを自発的に起こしたのだ。天爺は笑ってそれを見ているが若い村人達もヴァ―ジ同様に唖然としている。当たり前だ、人間だと思っていた少女が実は龍族だったのだから……。だが、周りの皆が全員すぐに落ち着いた。それにヴァ―ジが不信感を抱く。若者の親世代が静かにしろと彼女がヴァ―ジにかけている言葉を聞こうとしているのだ。普通の人間なら若者たちよりももっと恐怖し不安な空気を流すはずだろう。しかし、それが起きない。
「ま、ミーナ嬢だけならワシらもそう成るだろうが……、ここは龍族に所縁のある村なんだぞ?」
「は? 初耳……」
「知らないのは若いメンバーだけだろう。ワシらは皆龍族の血を少ないが引いている」
「おいおい、んじゃ俺らは皆が龍族関連なのか?」「そういうことじゃ。天龍殿は気づいておられたようだがな」
「あたりまえじゃ。ほれ、今宵は二人の出立じゃ、祝え祝え! 別れに涙はなしじゃ。龍族のしきたりはそうなる。『若き翼ははるかな空へ旅立ち翼なく血を這う者はそれを見届けよ』」
「ま、特別な二人ならそうか。俺らは地べたで頑張るからよ! ヴァ―ジもがんばれよ!」
……結局付いてくるという空気になってしまったミーナのことに関して出立の前から不安を隠せないヴァ―ジ。なぜなら、龍族が飛べるようになるには相当な訓練が必要になる。ミーナが飛べることなどあり得ない。よって、彼女は彼の背に乗ることになる。出立の前に先ほどの鍛冶職人の若者が正式に剣を手渡しヴァ―ジが腰に下げると歓声が起こった。そして……。ミーナに父親、パラディウスが近づく。
「ミーナ、いつかは母さんがいつも言っていたことが本当になるとは思っていたが……。これはお前が手にすべきだ」
細い剣をパラディウスが手渡す。フローディアという女性の人物像がよくわからないが金と銀の細工と美しい細身の細身の剣を彼女は重そうに受け取る。どう見ても腰には提げられない。両手で掴んでいるからだ。そして、首飾りを彼女に託してパラディウスはヴァ―ジに一礼する。彼も元は騎士だ。それなりの礼節を持っているらしい。ヴァ―ジもそれに応える。エンバーズの剣と新造のヴァ―ジの剣が互いに打ち鳴らされ綺麗で響くような金属音を残す。それから祝いの席は夜半過ぎまで続いたと言う。それにも関らず出立の朝、朝早くに彼は剣をふるっている。その近くには眠れなかったらしいローブを纏ったミーナもいた。
「いざとなると寂しい物なんですね」
「そうか? 俺はもう、慣れた。霧が晴れたら新大陸の奥へ向かう。あの国ではお前の言葉は通じないからな。無駄に喋るなよ」
「え? それは……不安です。お買い物とかは……」
「定住はしない」
「放浪するんですか?」
「そうだ。それが逸れ龍の宿命だからな」
「……はい」
「妙に解りがいいな。ま、何でもいいか。それに、お前もその内に嫌でも戦わざるを得なくなる。俺についてくるということはそういうことだ」
意味深な言葉に苦笑いをするミーナとその苦笑いを鼻で笑うヴァ―ジ。二人の旅はこれから始まるのだ。余り多くの荷物を持つことはできない。最低限の服をそこで買えるだけの知識と生活の方法を学ぶしかないのだ。……苦難になろう、しかし、彼らの望むたびが始まる。そう、だ。厳しい旅が……。