碧嵐の国4……転機疾風
ドレス姿のミーナにはセレモニーだからだろう、次々に他種族の男性が挨拶をしてゆく。ヴァージは行方不明であったことから、ルールの規約に従って形式上の棄権という扱いである。それでも、レース中の咄嗟の判断や自身の危険を顧みない行動……。最もな点を挙げれば、姫である二人の救助に貢献した事により風龍達からはヒーローのような扱いを受けている。
ただしヴァージはポーカーフェイスに慣れているが、ミーナはそうもいかず疲れや機嫌の悪化が目に見えてきていた。そんな時に助け舟を出すのは決まってリュフラだ。リュフラ、ゼロ夫婦もヴィヴィレッドによる憑依洗脳を解かれた王妃からの感謝状などを受け取っており、四人は今日の主賓という扱いである。
「ミーナ様のお側には行かれないのですか?」
「あの子も先日18歳になったんだ。大人の対応ができねばならない。それに見かねたリュフラが必ず助ける。俺は当たりが厳しいからな。俺が控える理由はあるのだろうが行かなければならない理由はない」
「それは違うと思いますよ? 私がミーナ様と同じ立場でしたら……ヴァージ様、貴方に支えて欲しいと思います」
「そうか、参考にしておく」
隣に立ち、一口だけ飲み物を口に運んだ後、ヴァン姫の視線に変換が現れた。ふと気づいたような思い付きではあるが確実ではないため訝しみ気味な視線だ。
その視線もヴァージの少々強い否定と威圧からそらされ、2人は再び沈黙の中で周囲の観察を始める。ヴァージは周囲と言うよりはミーナとゼロ、リュフラの動向を追っているだけの様だが。
「貴殿にも……龍界帝の素質が……」
「ヴァン姫。先に言っておくが俺は龍界帝にはならない。ミーナも独裁者にはならない。龍界帝……古き忌まわしき龍を縛る風習を俺は潰す。あの子や妹達が安住できるように」
そこにミーナが駆け寄ってきた。どうやらヴァン姫とヴァージが親密そうな素振りで会話をしているのが気に食わないらしいのだ。ヴァージの腕を抱いて笑顔を作る。ヴァージの外見が比較的若いためか、夫婦に見えなくもない。それでも年齢の割に童顔なミーナの容姿は未だ幼く見える。18歳を迎えるため、多くの場合では龍族の国法では結婚が許される傾向があるのだ。それを理解してかせずか、『ヴァージを渡さない』。……そうも取れる意思表示だろう。それを見るとヴァン姫はミーナに視線を向ける。ヴァージからミーナへ会話の主を変え、二人は話し始めた。ヴァージは何を思ったのか王妃と会話をしに向う。
リュフラはゼロに食事制限を設けられ、あまり好まないらしいがこれまでの食事とは違いバランスの取れた食事を取らされている。野菜やフルーツがあまり好ましく無いらしい。渋々食べているがやはり少し物足りないらしい。兄の行動を逐一気にしながら彼女は彼女で夫と話す。
その二人もヴァン姫がミーナと連れ立っているのに気づいたのか様子を見守るように遠巻きにいる。ヴァン姫はこの周辺の王族には有名で気高く独特な雰囲気を持つ辺りからリュフラと似ているらしい。それでもリュフラと決定的に違う部分があり、保守的なヴァン姫。リュフラはリスクを出そうとも緩急を持っていて、革新的だ。
「ミーナ様、貴女の旦那様はとても底の深いお方なのですね」
「ヴァージさんの事ですか? ヴァージさんは私の番ではないです」
「……ふぅ。お二人共が頑なですね」
「え?」
「貴女の飛翔は私の固定概念を打ち砕きました。私は風龍の騎士では今まで負け知らず……。それをいとも容易く覆され、貴女のような足元の覚束無い幼い龍に負けたんです」
「何を仰りたいんですか?」
「……それでも不思議と貴女への妬み嫉みは沸かず清々しいまでに晴れやかな気分です。おまけに取るに足らないとまで思っていた男性に初恋をし、直後に失恋。その方は……貴女を育て上げる事が最優先であると申されました」
「……」
「貴女の空は……先が見えていますか?」
ヴァン姫は右手を差し出す。体格として彼女も華奢ではあるがミーナよりは幾分もしっかりしている。完全体と不完全体の差だ。ミーナが握手をすると、ミーナの手を引いてパーティーの中でも自分が好きなのだと言うデザートコーナーへ連れてゆく。そこには既に母や車椅子ではあるが妹、ヴァージがおり派手に赤面している。
母親はそんな長女にニコニコし、妹はスイーツを頬張り、ヴァージはそれを呆れながら見ている。甘いものが苦手なヴァージではこの連なりは辛かろう……。楽しそうな幼さの残る二人と、とっくに成人は迎えているにも関わらず、甘いものに目がなくミーナや妹に混じる騎士の姿も……。
「ヴァージ様。気負う事はございませんよ」
「はい?」
「貴方は十二分に父として、師としての勤めを果たしていらっしゃる。リュフラ様から伺いましたが龍貴妃様やエンバーズ様ともお話をされたのでしょう? でしたら、後は貴方様次第で龍帝様の未来は闇明がしっかりと分かれましょう」
「はっはっはっ……。皆さん、ミーナのお気遣いなら嬉しいのですが自分についての事に関しては控えて頂きたいものだ。自分の立ち位置は弁えているつもりですので」
「そうですか……。筋を通され、貴方も身を引くおつもりなのですね?」
「えぇ、もとより混沌終焉龍は闇影の一族。支えこそすれども交わりはけして許されない。我が両親もその筋を通しました」
「そうですか。ですが、その意思に反する物であっても……貴方の師であるフローディア妃のご意思を知りたいですか?」
「今、何と?! 師匠の……」
「申し上げた通りです。娘達は娘達で始末をつけるでしょう。テーブルを占拠してまで食べてますね……。では、こちらへ。あの魔性が私に取り付いた理由がここに……」
ヴァージが王妃と連れ立ってその場からいなくなるのをリュフラは見逃さ無かった。リュフラは隠密に長けている。いかにヴァージが規格外であってもアルコールが体に入っており、いつも達観したような彼が動揺するような内容を耳にした状態では気付けなかったのだろう。
親友の立ち位置であった二人は長い間文通をしていたらしいのだ。かなりの量の手紙が引き出しの中から現れた。その中で、龍族が正式な内容を伝えるために用いる封印の様式が見られる手紙が数通ある事に王妃は気づいていたのだと言う。しかし、彼女には開けなかった。彼女は文脈からフローディア妃の心残りが何かを知っていたらしい。その本人がここに来た。試さない手はない。ヴァージが手紙に手をかざすと手紙の書面が動き出す。文字の順番がまるでパズルのように組み変わる事で別の文面になったのだ。
「やはり……」
「貴方はいつお気づきに?」
「最初は判らなかったわ。でも、フローがプライベートに敬語を混ぜた文面を何通も連続したのがどうしても気になったの」
「……俺についてですね」
「旅こそしなかったけれど、フローからしたら貴方は歳の離れた弟同然だったようね。貴方のお母様であるエル・ノアール様は私とフローの養育係……。ヴァーゲルデ一派の反乱により王族やたくさんの龍が死に、もちろん政権は離散、地方王政が各所で力を強めた。全てを武力や圧力などの力で制圧し、独裁政権を樹立するというヴァーゲルデの野望は貴方と言う想定外により覆され、今に至る」
「……」
「それで文面はどうなのかしら? フローも用心深いわね。貴方にしか読めない遮視の魔法までかけてる。何故……そこまで」
ヴァージの体が震え出した。余程の内容が書かれているらしい。怒りに近いがやり場のない気持ちに彼の力は抜け、膝をついて叫んだ。奥の間は大広間から隔離されたスペースのためにこの出来事は隠れて覗いているリュフラと王妃以外には知る者はいない。ヴァージの口から嗚咽のように漏れる今は亡きフローディア妃の意思と彼女が何故、死に至ったのか……。
更に、ヴァージだけではなくその場に居た二人にも驚愕の事実が明かされる事になる。フローディア妃の残した文面にはこれから起きる第二の嵐とヴァージが何故龍旅を歩む事になったのかまで……。全てが記されている。
「……そんな、俺は」
「どうしたの? ヴァージ君?」
「師匠は……先見の力を持って居ませんでしたか?」
「ええ、近い未来なら見えた見たいね」
「……このままではミーナは20歳を迎える前に死ぬと記されています」
王妃、覗き見ているリュフラすら驚愕している内容。ミーナの母にして龍帝の娘であるフローディア妃は人間とのハーフではある。だがしかし、同族の高位実力者などでも寄せ付けない大魔導師の才を持ち、剣技や様々な武芸に秀でていたらしい。そんな彼女の魔法創作物に関与するのは難しいと王妃が唸る。その見解はヴァージも同様らしくこの情報が虚偽で彼らを陥れるために作られたとは考えられない。
その上でのフローディア妃の直筆、何重にも掛けられた偽装魔法……。事態の重さが浮き彫りになる。この場の当事者として足りないのはミーナだけだ。今のミーナに語ってしまう事ははばかられる内容。ヴァージは何を思ったのだろうか。
「?!」
『?!』
「その運命を引き剥がすために、俺をミーナの守人として誘ったと……」
「それじゃぁ、フローは全部解っていた……と言うこと?」
「いいえ、俺の力に気づいたのは偶然らしいです。先見の力が俺には効かない……ならば俺が関わる未来なら変わるかも知れない」
「……」
「師匠は先見をせずとも人を見ることの出来た人でした。ですから、俺が何もしなければそのまま荒れ狂うことも予想出来たのでしょう」
「可愛い弟子と娘に旅をさせ……、龍界帝の素質のある貴方を育て……最終的に」
「決定的な内容は記されていません。その前に亡くなってしまったようです。しかし、師匠は……」
「フローは貴方とミーナちゃんをどうにかしてくっつけたいみたいね」
望んだ言葉が出なかったらしくヴァージは一瞬だけ苦虫を潰したような表情をし、手紙を全て元の状態へ直してから王妃へ返却する。ヴァージは何を思ったのか……大きなため息をついた後に、大広間へゆっくりと帰って行く。
先に何食わぬ顔で帰還していたリュフラ。そのリュフラはミーナやヴァン姫達の囲っていたテーブルの目の前で愕然としていた。菓子類が山のように盛られていたはずのテーブルは様変わりしたように何も無く、厨房は菓子の追加に追いつかないと嘆くしまつ……。そこにヴァージも帰還したのだが。
「凄い惨状だな。これは」
「毎年の事なので問題はありませんよ。去年は更に酷かったのですからね? ヴァン?」
「……」
「……」
アリストクレア兄妹は呆れ顔で『前年度優勝者』と『今年度優勝者』の菓子を吸収するような現場を眺めていた。こんな円満な空気に満ち溢れた今、つい数時間前までの殺伐とした時間は嘘のようだ。
そして、宴は鎮まり城内も静寂に染まる。その中で1人、いや、2人は未だに月明かりの中で何かを模索するように黒い空に浮かぶ巨大な白い球体を見ていた。その1人、彼は以前に自らが逃避行した道のりでの中間地点にあたるこの場所で……大きな波乱に満ちた運命の狂いを感じ取っていた。自らが左右してしまう運命。いいや、自らが作用しその少女が舵を着る旅。いつもならば酒を飲みながら彼は悲観に沈む。だが、今は違う。1人の少女の運命が1人の歪んだ男の運命を矯正するかのようにこの運命は絡み合っている。
「師匠。俺は何かに絡め取られるようにあんたの娘に……いや、あんた達を助けるためにこの場に誘われたらしい。なら、俺は俺の道を行く。だが、子龍にだけはあんたの加護を、息吹を与えてやってください」
月に向け、祈りを捧げるようなヴァージを探すように乳白色に近い髪の毛を揺らしてミーナが現れた。彼女が龍となり、龍の旅の中で着実に成長し……今、一族に絡みつく柵を裁ち切る運命を背負った。
「ヴァージさんっ!!。まだ寝ないんですか?」
「ん? いや、もう寝る。騒がしたな」
『……何かヴァージさんが違う。何かあったのかな?』
しかし、その少女自身は知らず、苦悩に苛まれ自らをたてられない愚者が少女を導こうとしている。その少女が全てを知る時はいつになろうか。