碧嵐の国3……白嵐疾風
ヴァージ他、十数名の風騎士達は皆生存していた。ヴァージが種を撒いたことであるため彼も何も指摘はせず、彼が撃墜した騎士達を皆回収していたのだ。幸いも幸い、翼を折られたり打ち身程度の軽傷な騎士は多いが重傷の騎士は一人だけだったのだ。最後に岩壁へ激突した騎士だけだったらしい。
そして、騎士団を代表してなのか最後に助けられた騎士団長が飛行中に纏う風龍独特の防護装具を取り外した形でヴァージに深々と頭を下げている。風の騎士は体が皆細身で小柄な者が多い。ヴァージが何も言わずに居ると皆が黙る。彼は何かを考えているらしい。
「ありがとうございます。私の名はファロ・ヴァン・テンペスタ。貴殿の救助が無ければ私も、妹も命は無かったでしょう」
「……妹? あぁ、最初の騎士はあんたの妹だったのか。まだ、安心は出来んがこの状態ならば命の心配はない」
「手当てまで……。本当にありがとうございます」
「どうという事はない。それよりも、この中でバランス感覚に優れた騎士を4人推挙してくれ」
「は?」
その頃のミーナと二人はあらぬミーナの暴走から大変な事態を招いてしまい収拾が付かない様子だ。それでも楽しそうなリュフラと諦めたゼロもヴァージに教導を受け、無双の戦士の影を見せ始めたミーナの警護に着く。剣を抜かず、門扉の太い金属の格子を破壊したミーナに衛兵が次々に挑むが……。怒りに任せたミーナのパワーと身軽さに圧倒され手も足も出ない。
だが、流石に多人数となればミーナには未だに経験が無い。戦えないこともないのだろうが、ここはリュフラが前に出た。彼女に秘められている技は何も背中の紋章や武器の腕前、膨大な魔力だけではない。リュフラ、ヴァージは普通の混沌龍とはまるで異なる。そうなれば持ち合わせる能力も異なるのだ。
威力は手加減していると言うリュフラ。しかし、屈強な衛兵達は一瞬で頭を垂れ、リュフラに跪く事になった。これこそ、飛行が苦手なリュフラが兄を欠いた混沌龍を統べるに至った理由だ。
「お二人共動かないでくださいね? 位置取りを間違えたらお二人にもダメージが行きますから」
「『位置取り?』」
「ヘヴィ・バインド・スクリーム!!!!!!」
球体型放射系の強烈な振幅を持つ美声が兵士を襲ったのだ。成す術無しに地面に押し付けられ、音波による空気の振動に頭を抑え、体中が軋む感覚はまさに拷問。次々に意識を失い倒れてゆく。そんな中、次に現れたのは傭兵団だ。ゼロが前に出る。リュフラも援護用に魔法陣を複数展開し、ゼロの戦い易い場を整えていた。
完全なパワーファイターではないがゼロは確かに屈強な戦士だ。武器を使わずとも数名の敵兵を薙ぎ倒し、昏倒してゆく。その中をミーナは身軽に飛び上がり、一人で大広間まで走り抜けてしまった。
「……奥様は無事にレースを完走されたでしょうか?」
「ん? 奥様とは? それ以前に俺は未婚なんだが?」
「では、貴殿が守っていたあの美女は?」
「……? あぁ、ミーナのことか。かなり曖昧な立ち位置でな。これからのあの子の事を考えるとデリケートな事だ。なかなか簡単には口外できない」
「単刀直入に伺います。彼女は……龍界帝なのですか?」
「……」
騎士の女性から飛び出した一言にヴァージは顔を顰めたが何も言わない。風龍の騎士達四人に急備えの担架を運ばせ、他数名にも防備に着くように言葉を繋ぎ、ヴァージも気を張る。何が起きるか、はたまた何があるのか解らないからだ。深い峡谷の中程で騎士団長の女性から自己紹介とヴァージへと急な提案が飛び出した。周囲の聞こえる位置にいた騎士達は皆唖然とし、二人の話に注目が集まる。
しかし、ヴァージは即座に否定する。その理由が異なってきていた事はこの場にミーナがいない事から誰にも解らず、彼の真意はまたも彼の心に仕舞われる事となった。
「では、貴殿には番のご予定がないのですね?」
「今の所はな」
「それなら……、貴殿次第です。私と番になり、風龍の王族に入る事をお考え頂けないか?」
「……せっかくのお誘いだが、丁重にお断りさせてもらう」
「理由をお聞かせ願えますか?」
「俺は約束を守らなくてはならない。そのために、可能性があるならば俺は……この身を、心を改めその存在が俺を圧倒した時。俺はその女と番になる」
「……女泣かせな事をなさいますね。ですが嫌いではないですよ。信念や志を曲げないことは」
その頃、ミーナは大広間に到達していた。
不意な魔術による攻撃に身を翻し、瞬時に掌から水晶の礫を乱射する。エンバーズ一家との出会いは彼女を飛躍的に龍へ近づけたようだ。今までの彼女にはない的確で素早い反撃や状況判断など、彼女の成長速度は異常の一言には収まらない程に規格外なのである。そして、本来ならば風龍の長が居るはずの玉座には黒い羽毛の生えた翼を持つ女性が腰掛け、肘掛に凭れながらミーナに声をかけた。
何が面白いのかその女性は上からミーナを嘲笑するようにとびあがり、杖の一振りでミーナの足元に黒い結晶を撃ち込んでから自己紹介らしき事を始める。ミーナはどうしてこのような事態に発展しているのかが理解出来ていないらしいが敵意は剥き出したまま、母の剣を構えてどのタイミングで何が起きても対処できるようにしていた。
「初めまして……、エンジェリア家最後のお嬢さん」
「誰……」
「そうね、私とした事が……。フフフ……。私はヴィヴィレッド・サタナニアス・ダークカイザー。貴女の母親一族の敵にしてロナルド・エンバーズ・ガイアルクを討った張本人……。そして、貴方と対になり、龍世界の統治者となり……再び龍の力でこの大地を統治する者」
「それで? 言いたい事はそれだけですか?」
「あらあら、薄い反応ね。まぁ、いいわ。解らない方が……。それにライバルは芽が若い内に摘み取る方が楽だものね」
急所を的確に狙う鋭い攻撃にミーナが反応しきれる訳もない。間一髪の所で直撃は避け、距離をとる。ヴィヴィレッドと名乗る気味の悪い女性の龍族はなおも魔法主体の攻撃を続ける。無傷とは行かないがミーナは果敢に戦っていた。明らかに戦闘慣れした相手にまだ手の内の浅いミーナでは限界も有ろう。絶体絶命にまで追い詰められはしないがミーナはじわじわと体力を削られている。
しかし、そこに爆音と砂煙、内装の破壊音と共にゼロが壁を突き破り突入してきた。完全体へ移行してから狭い城内での取っ組み合いの末に硬い岩石で作られた壁を突き破ってしまったのだ。息を切らせたゼロの右腕には先程現れた傭兵団の団長らしき頭があり、壁ごと叩き潰されたためだろう。凄まじい衝撃に耐えられず伸びている。
そこに反対側の壁を打ち破り、片手に気絶した傭兵、もう片方には気絶した正規兵の胸倉を掴んだリュフラが靴音を立てながら入って来る。口からは黒い火花を散らしており、明らかに不機嫌な様子だ。兄であるヴァージにそっくりである。……がゼロを目にした瞬間に取り繕っているつもりらしく、乱雑に二人の兵士を投げ捨てて口元を右手で隠して笑顔を見せた。
「今更隠しても見てしまったよ? リュフラ」
「す、すみません。調子に乗りました」
「そうだね。そんな君も素敵だけど今は身重だし、無理は厳禁だよ? それで貴女は何者なのでしょうか?」
「ミーナ、大丈夫ですか?」
「は、はい。少し、疲れました」
その頃のヴァージは危険空域を抜け、医療機関へ負傷が酷い人員を預けてから崩壊が始まっている城へ向かう。もちろん、騎士団長の女性もだ。数人の騎士を従え、先程のヴィヴィレッドに洗脳されていない兵士をかき集めている。
リュフラが二人の前に立ち会話を始めた。どうやら初対面では無いらしい。並々ならないリュフラの怒りから現れる波動に二人は驚いている。リュフラはミーナの前では毅然とし、美しい勇猛な女性戦士。ゼロの前では甘え下手で不器用なクールビューティ。……二人に見せた事のない程に強烈な魔力を開放し対峙しているのだ。
「あら、お久しぶり。リュフラ・アリストクレア・プルトネオ……。いえ? アルテリオンかしら?」
「その説はどうも、私にもやっと貴女を焼くだけの力が備わったので……兄上やゼロさんはお許しにならずとも消し炭にして葬ってしまいましょう」
「馬鹿妹が……最初から解って居るならそんな前置きを入れるな!」
「あ、兄上!!」
「ヴァージさん?!」
「やっぱり君は不死身のようだね。解ってた」
「さて、どうしてこうなった?」
ミーナが目をそらそうとした段階でミーナの脳天に拳骨が打ち込まれた。痛みに悶絶し、怒りにかられた覚醒状態は覚める。たが、ヴィヴィレッドの表情は厳しくなった。この世で最後に彼女が恐れる兄妹が目の前に居るからだ。幼く力の無い内に潰したと思われたリュフラ。力の加減が解らない程にかなりの荒くれであるヴァージ。過去にどのような交わりがあったのかは解らない。それでもリュフラから並々ならない怒りと取れる感情が、ヴァージからはそれを超える殺意に満ちた感情の波が……。
ヴァージは剣を抜く。リュフラは後ろに下がった。兄の本来の剣技がどのような剣であるか……。解らないはずはない。身体中から蒸気のように沸き上がり、リュフラの烙印に似た形式の刺青……。ヴァージは今、封印していた物を全て解き放つ覚悟で剣を握って居るのだ。
「ミーナ、ゼロさん、下がってください。危険です」
「やはり、ヴァージにも堕天使の烙印が?」
「いえ、兄上の物は更に過激で手の付けようがない物です。それに他者により植え付けられたそれではなく、あれは兄上自身の変身技能が体に蓄積した産物……。歪みから生まれた狂気の跡なのですよ」
「変態異常からの魔力ノイズと言うことかな?」
「はい、兄上は……。遺伝的な血筋は混沌終焉龍で通りますが……。不完全発生龍族なんです」
「え!?」
驚愕の事実にミーナは口元を覆う。余裕の笑顔が完全に消えたヴィヴィレッドにヴァージは詰め寄り、物理的に有り得ない速度の太刀筋を次々に向けてゆく。ヴィヴィレッドの反撃は見られない。いや、できないのだ。ヴァージが特殊である事には理由がある。混沌終焉龍はほぼ純潔。ヴァージも両親を幼い頃に失わなければこのような歪みきった人生を歩む事はなかったのだろう。
ミーナは自分が無理をし、彼を振り回し、自らがそうならぬように気づかってくれていた人物の過去に触れ始めた。そして、手傷を負うことなく、ヴィヴィレッドの容姿は段々とモヤに包まれてゆく。最後には黒いモヤが体から抜けるように別の女性に変化したようにさえ見られた。
「ふぅ……。リュフラ? 今更事実を話すなんてどういうつもりだ?」
「兄上はもう少し周囲を気づかうべきですよ」
「そうだね。あと、弟子のケアは師匠がすべきだよ? かなり不満があるみたいだし」
膨れっ面のミーナに向けてヴァージは彼の剣を鞘に納めて投げ軽々と片手で受け取るミーナに悲哀の表情を向けた。ミーナの変化してゆく速度が異常過ぎるのだ。ヴァージが時折彼女の成長を抑えようとする場面があったのは彼の経験から体に極度の負荷がかかるタイミングを知っていたかららしい。今の所はミーナ自身が苦しむような結果にはなり得ないが……ヴァージは17歳からの育ての親だ。苦しかったのだろうか……。
今度はリュフラに拳骨が放たれた。ゼロからリュフラが妊娠した事を聞いているヴァージはそんな妹に訓戒を投げ渡す。茶山の国の時のような過激な態度はどこにも無く、愛おしい妹を心から心配する篤い兄の姿がそこにはあった。
それからはヴァージ一行は王宮に招待された。本来ならば大損壊を与えた訳だから客として……は有り得ないのであるがヴァン第一皇女とその妹であるセラフィール第二皇女の救出、何より憑依魔法により操られていた国主であるその母のラヴィアリーン王妃の救出はとても大きな事態だったのだ。
「久しぶりにドレスなど着ますね」
「うぅ……」
「それ程恥ずかしがる事はありませんよ? 貴女が女性であるアピールをする良い機会なのですから」
「……リュフラさぁん」
「情けない声を出さないでください。貴女は……これから立場を得るお人なんですから」
「はぃっ!」
ミーナは第312回ブラストレース優勝、最速記録賞、栄翼勲章の記念品を受け取り一躍時の人だ。その後は、記念パーティーに続いて行く。ミーナはまだ知らない。これからミーナが嫌でも変わらなくてはならない『大人』の世界を歩まねばならない事を……。