碧嵐の国1……黒翼疾風
ブラストレース初日。
第一部予選は波乱の中に幕を開けた。ブラストレースは本来であれば風龍の力比べを根底にしている。そのため無風とはいかなくとも弱風程の天候で行われなくては難しいコース設定なのだ。しかし、女王のワガママから強風の渦巻く中でレースは強引に開催された。リュフラと戦力外のゼロは心配そうにミーナを見ている。数多といる参加者は殆どが成体となった龍族だ。チラホラとミーナと同等レベルの龍族を見かけるが極稀なのである。
「予選はお前なら余裕だろうな。高さの縛りやコースがない。直線を真っ直ぐに飛べ、赤いフラッグの間を飛び抜けるんだ」
「ひゃ、ひゃいっ!!」
「ははは、緊張するか? 心配ない。お前は空に愛されている。天空の守護者……聖帝龍だからな」
司会者と解説者の抑揚の付いた公表がながれ、ミーナも呼ばれる。種族は明かさない。聖帝龍は曰く付きの種族だ。ヴァージも混沌龍としての参加である。
そして、スタートの10カウントが始まる。ミーナは翼に満身の力を込めているようだ。斜角は……砂嵐を突き抜けた先の空……。体を返してギリギリを飛び抜けるつもりらしい。
対するヴァージは低空だ。重戦車のようながっしりした体躯は他の龍族には有り得ない程の能力を秘めている。しかし、それだけの外殻を持っているため体がかなり重いはずだ。そのためヴァージでは瞬時に斜角を返すのは難しいらしい。力はあるが全ての状況をカバー出来る訳ではなく、ホバリングからの修正ではタイムロスが出る。取捨選択から彼は超低空を選んだのだ。
『は、速い…速いぞ!! 初出場ミーナ・エンジェリア!! 追う龍達をどんどん引き離してゆくぅっ!!』
「流石に伝承どおりですね。天に愛されし帝……。やはり、貴女は美しい。ミーナ……」
「心配かい?」
「当たり前です。ミーナに何かあったら……」
「多分ヴァージはそれも気にして下に居るんだと思う。大丈夫だよ」
「……」
「そういえば、ヴァージにも並外れた飛行感性があるみたいだね」
「……羨ましい」
「そうだね。僕も思うよ」
超加速を続け、直線のコースをブッチギリで飛翔してゆく。速すぎる速度に観客の一部は見えず、魔法を用いたモニターでなんとか視認出来るレベルだ。ミーナは魔法で体を浮かしている。並外れた魔力の補填能力と体内に蓄積されたそれらを最高の能率で解凍し、用いる事が出来る体質……。聖帝龍は他の龍族からかけ離れた性能から全ての龍族を統治する役割を担っていた。……しかし、聖帝龍族は滅亡している。
その子孫であるミーナは直線飛行を続け、高陽した中に聞き覚えのある雄叫びを耳にした。ヴァージだ。けたたましい砂埃を巻き上げ、彼は同じく二位集団であった龍達を蹴落すように強烈な羽ばたきを加えて、急加速する。二位集団とその後に続く十位集団が砂煙に巻かれた。未だ高度に差はある状態ではあるもミーナの速度にヴァージが並び追いついている。そして、ミーナは降下に伴い風を切るように体を捻り、翼を窄めて急降下を開始。ヴァージの真横に翼を開き、彼と張り合うように魔法の出力を上げて加速する。
「ほぉ、付いてこい!!」
「行きます!」
予選である直線飛行では本戦に重きを置く選手であれば温存するはずなのだが、他の龍族とは異なり二人は楽しそうに競い合っている。類稀な感性と経験を持つヴァージと自身のポテンシャルのみではあるがヴァージよりも優れた物を持つミーナ。両者とも引けを取らない。半龍体であるミーナだが、完全体のヴァージに勝るとも劣らない……末恐ろしい少女だ。
完全体ではない小柄なミーナはそれだけ空気抵抗や妨害の対象から外れやすい。しかし、リーチや衝撃に対する耐性はかなり低い。ミーナはその辺りを気にしなくては行けないのだ。
超加速した二人をいくら温存しているとは言え、完全に見失う後続達。二人の競り合いは小細工など無しに、今回はヴァージの力技によりヴァージへ勝利がもたらされた。だが、予選に勝ち残ったとしてもブラストレースは三日間の内に三競技だ。体力が続かねばレースには勝てない。彼には彼の考えがあるようだが……。
「ぐ、ぐやじいぃ~~!!」
「ふふふ、流石に年齢的にも難しいですよ。でも、間違いなく、年齢を基準に考えたら貴女は堂々の一位です。昔の兄上にも負けません」
「ヴァージは少し大人気なかったね。ははは」
「そうだな。少し熱くなり過ぎた」
宿に帰り、少し疲れた様子のヴァージへスタンドのモニターから二人を確認していたゼロとリュフラが近づいていく。リュフラの面持ちから何かしら悪いことがあったと気づいたヴァージにリュフラが口を開こうとするのだがゼロが遮り、ゼロの口からヴァージへ真相を濁した形で事態の深刻さを伝えている。
「……兄上」
「リュフラ。この事は僕が受け持つ。ヴァージ、レース外での妨害や策略に関しては僕が対処する。後で話そう」
「あぁ。頼む」
蚊帳の外に出されたリュフラは不満を感じつつもミーナのケアをするためにミーナと一緒にいる。ただ、疲れを知らない……と言うミーナの態度に不信感を抱くリュフラ。過去の境遇もあろうがリュフラは覚醒の兆候が見られた時期はかなり非力で体力面に大きな問題があったらしい。彼女の覚醒を行われた段階と違い、ミーナはイレギュラーな存在だ。しかし、それにしてもここ最近の急な体力の増加や気持ちの面での前向きさなど……ミーナの異常さ…いや、強烈さに充てられているのだ。
「どうかしました? リュフラさん」
「もどかしいです。貴女の気持ちが少し理解できた気がしますよ」
「へ?」
「貴女は強い。私がいくら頑張ろうと私の翼では貴女のように美しく、気高く…いえ、そういう嫉妬は今は控えましょう。……貴女が戦えず兄上の背に乗っていた時に私は負傷しました」
「……」
「今は、立場は違えど私はあなたの様に空を舞えないことから妹のような貴女を確実に守りに行けない。貴女が傷ついてしまうかもしれない……。貴女を守りたいのに」
「私、まだ、皆さん無しでは何もできませんよ。ヴァージさんが追尾してくれていたので強気でしたし、戦闘も…パニックでしたけど以前よりも比較的安心できました。お二人がいなければ私は今も皆さんの足かせでしかなかった。リュフラさんのおかげです」
ミーナも成長している。リュフラはそんな事を実感していた。自分が辿った道とは違い、彼女は人として育ち、とても短い期間に急成長を遂げている。そんな彼女ミーナ・エンジェリアの可能性をリュフラは目の当たりにしていたのだ。龍帝へと成長するまでに兄が彼女によって変化することを……自らは自らのパートナーと円満に…順風満帆に空を駆ける旅を目指し……。
そんな事を考えている最中にリュフラが急に口元と胸を抑えて蹲る。ミーナはそんなリュフラに寄り添い、背中を擦りながらゼロを呼ぶと言うようにリュフラから離れようとする。しかし、その直後に片手には受け止めきれない量の鮮血が床板へ飛散った。リュフラは苦しそうに息を荒くしミーナもその異変にパニックを起こした。
隣の部屋が騒がしいことに気づいたゼロとヴァージが部屋に入り、リュフラの状態を確認している。ヴァージは初めての事らしく珍しく狼狽えていた。ゼロがリュフラの口元の血を拭き取り体をベッドに寝かせるとミーナとヴァージの前で説明を始める。
「ふぅ……」
「リュフラは大丈夫なのか?」
「健康体だよ。まぁ……人間と龍族、男性と女性の龍族も体の構造が異なるからね」
「でも、あんなに血が……」
「出血は確かに多いね。でも、命や体調に悪影響は出さないよ」
「……」
「これから二人も所帯を持ったら経験するかもしれない。これはリュフラが子供を宿す準備が整ったっていう証拠なんだよ」
ヴァージが事を理解したのかミーナを連れて部屋を出る。何やら少し機嫌が良いヴァージはそのまま風龍の下町に降りてミーナと共に軽食を取り始めた。野菜や果物中心となるミーナのような食料品は案外高い。だが、ヴァージは旅の始まりから全く出し渋る気配はないのだ。さらに言えばミーナは見た目以上に食べる。底なし沼のように皿に乗る物、バイキングに並ぶ物、目に入り食べられる物は平らげるのだ。
そんな清々しいまでの食べっぷりにヴァージは優しい瞳を珍しく見せている。そんな彼に見つめられるのが恥ずかしいのかミーナは一度箸を止める。箸と言えば最初は握り箸、刺箸などマナー的に見苦しい類の食べ方をしていたミーナだがいつの間にやらとても綺麗な手つきで食べるようになっていた。そんな箸が止まった事にヴァージは不信感を抱いたのかミーナが言葉を発する前に口を開く。ちなみに、ヴァージは軽食らしく酒とその肴が前にある。
「どうかしたか? 遠慮はいらんぞ?」
「あ、いえ、恥ずかしいですよ。そんなに見つめられたら」
「ははは、そうか。それはすまなかったな」
「ヴァージさん。何か嬉しそうですね」
「ん? そうか?」
「リュフラさんの事ですよね? 私もゼロさんとご結婚されると聞いてなんだか暖かい気持ちになりました」
「俺はあの子を育てる為、独裁者の傘下に降った。今、確かに後悔はするが……苦難が多ければ多い程、思い出が多ければ多い程…親しい人物であればある程に結果として実った喜びはとても濃厚になる」
そして、思い出したようにヴァージがポケットから小さな箱を二つ取り出した。一つはヴァージ自身から、もう一つはエンバーズ一家からだと言う。エンバーズ一家からの物はエメラルド色の煌めく装飾がされている小箱で中からは水晶のような六角柱の輝石がついているペンダントが出てきた。加えて家族からの手紙と政界代表のエイシャから友好の証も入っている。
ヴァージからの物は白いシルクで包装された物で彼から出た言葉でミーナは目を見開いた。ヴァージがその日を知っているとは思わなかったらしいのだ。小箱を受け取りキョトンとしているミーナにヴァージが苦笑いをしている。しかし、彼が懸念した内容ではなくミーナが驚いていた内容が彼女の口から飛び出すと彼は笑い出した。
「ははは! そうだな。確かに俺がお前の誕生日を知ってるとは知らないな」
「本当にビックリしましたよ」
「そうか? ならサプライズは成功だな。龍族で言う成人は凡そ18歳だ。お前も大人の仲間入りと言う訳さ。そんなお前にはこれをやる」
その箱の中にはイヤリングが入っている。ミーナの容姿に合わせたのか白い翼をイメージさせる美しい羽飾りを象っていた。村の出発から比較的に近い居留地を転々としながらミーナは一つ歳を重ねたことになる。出発当初の幼い顔立ちから段々と大人びているミーナだが…まだ、ヴァージには可愛い妹、または娘のように見えるらしい。
柔らかく細い頭髪は乳白色でありながら光沢を持っている。金とは行かないが白髪とも言えない曖昧な色合いだ。旅の始まりから考えればかなり伸びたミーナの髪をヴァージは優しく撫でながら彼なりの言葉を彼女に向けていた。初期のヴァージを思わせない優しさに満ちた彼。本来の彼の姿なのだろう。
「私は……どうなったんですか?」
「大丈夫。安心して。君の体が卵を宿す準備を始めたんだよ」
「卵? ………………!!」
「そうだよ。今、君のお腹には僕と君の子供がいる。龍族は人間とは違い、卵胎生だ。だけど、魚類や爬虫類のような柔らかな卵ではなく龍族の卵はダチョウの卵のように大型で硬く脆い。君の体が急速にそれに耐えられる体へと変化をしているんだ。今は絶対に安静にしてなくちゃね」
「はい。私が……母親になるんですね」
「そうだよ。僕も父親になる。お互い初めてだし……色々あるだろうけど、頑張ろう。それに……恥ずかしながらかなり早く授かる事になったし、ヴァージもビックリしてたよ」
「ふふ、ですね。解りました。私は貴方に少しの間だけ剣を預けます」
「そうしてくれると安心かな。ははは」
各々の進む道に分岐が現れていく。それはどのような人生を歩もうと現れるものだ。能動的にならねばならない場面もあれば必然や運命という言葉を借りるように受動的に現れる分岐点もある。これらはどのように流れていくかわからない。彼らが到達する終わりがどのようなものであれ彼らにも終わりが現れる。それをどのように上向かせるかによって人生観は変わるのだろう。
彼らは今、どうであろうか? この後に現れる道がどのようなものか……彼らは見定められるのだろう。今の円満が崩れる時も近い。ヴァージはそう感じているはずだ。彼が…災禍の象徴である混沌終焉龍だから。