風羽の輝閃
命綱のない自身の飛行に酔いしれているミーナ。自らの翼で羽ばたける喜びを体中に纏っている。そんな姿を他所に後方では強風に揉まれ、安定しない飛行状態のリュフラ……、もはや飛行せずに谷間の岩壁を駆け抜けるゼロ。過酷な状況だが夫婦となる二人は声を掛け合いながら互いに離れぬようにいるようだ。
ヴァージはもちろんミーナを気にしながらミーナの斜め前を飛んでいる。向かい風の中で経験の深いヴァージは慢心を捨て、過去の失態を二度と繰り返さないように勤めていた。茶山の国を出国し、朱華の国へ入国前の雷龍による襲撃のような事例を警戒しているのだ。
ミーナは飛行することは可能だが同時に戦闘することは恐らくまだ無理だと思われる。そして、ヴァージの懸念は現実の物となった。
「リュフラ!! ゼロ!! 応戦大勢!! 計画通りに行くぞ!! ミーナは離れるな!!」
「御意!!」
「了解!!」
「はいっ!!」
敵は色とりどりの龍族だ。山賊らしいがかなり統制が取れており飛行に不慣れな二人とヴァージ、ミーナの組みに分断しに来たらしい。ヴァージとしてはその辺りに関しては折込済のリスクだったようだ。ミーナはヴァージに合わせ、ぴったり離れず加速しながら市街地へ向かう。飛行が下手なゼロは既に龍体へ変態してリュフラが跨る格好になり、風の影響が少ない底面近くの岩場を足場に駆け回る。元々氷龍族は風を巧みに読み、岩場や雪路を利用した狩りをする種族だ。それだけありゼロは雄叫びを上げ、本来の姿を露に出来る喜びを表していた。
対するようにミーナとヴァージは既に見えない。分断されたのではなく分断し的を絞らせない挙動のようだ。攻撃に際してミーナを狙われることが一番の弱点となる。ならば、切り札のヴァージをミーナにつけ、二人に共通の高い飛行能力を活かした戦法を選ぶに越したことはない。作戦を理解しているリュフラは久々の臨場らしく険しい中に挑戦的な表情を伺わせた。ゼロの背中に跨り、光線魔法を放ってアクロバティックな動きをするゼロに合わせながら遠距離からの攻撃やその挙動を見せた敵を射ち落として行く。その中でも特に飛行を苦手とする龍族を重点的にだ。そして、二人の挙動に追いつけたらしい風龍の賊は類稀な格闘戦闘能力を持つゼロに蹂躙され見るも哀れな状態になっている。
「ゼロさん!! そろそろです」
「了解……『ブリザード・ブレス』」
風を利用し、風下に位置した龍族達はゼロの放つブレスにより凍結され動けず、リュフラからの射撃から逃れる術を失っていた。それと同時にゼロは駆け上がり、岩場を抜けながら先をゆく二人を追走する。
その頃のヴァージ達は空の賊である風龍のならず者に手を焼いていた。なぜなら、ヴァージは攻撃に魔法を使うことはてきるが体に付加する魔法が主体で放射や打ち出す魔法を好まないためであった。ミーナは敵から単体で追尾される状況が初めてのためにパニック状態になっている。それでも必ずヴァージの体を中心に動き回ると言う無駄な器用さも見せていた。
「『後続が居る以上は俺も……ミーナは論外でブレスは使えない……』ミーナ、落ち着け、今から実戦訓練をする。まず、見ていろ」
「はい?!」
ヴァージが急旋回を行いミーナには動き回りながら自分の挙動を見るように伝えた。追尾を仕掛けた龍族は五体。ヴァージは内四体を簡単な空中戦闘の小技を用いて叩き落とした。最後の一体はミーナを狙う。しかし、剣技をヴァージから指導されているミーナは間合いが解るらしい。龍族が攻撃を仕掛ける寸前にフローディアの剣を抜き、哀れな風龍を一閃した。体に覚え込ませるという方針は効果を上げ、ミーナの戦闘能力は飛躍的に上昇した。ほとんど反射的に剣を振り、分厚い外装である鱗を切り裂く程の筋力を手に入れ、一瞬でどの技を繰り出せば致命傷を与えられるか……それを短時間に習得し、ヴァージの保護下ではあるが実戦もこなしている。ミーナにはまだまだ類稀な才能が山のように睡っているようだ。
「そろそろ街の外に到着する。次の街はあまり穏やかな街ではないから俺から離れるなよ?」
「は、はい」
「恐いか?」
「え?」
「無意識に剣を向け、命を奪う事が」
「い、いえ」
「嘘はつくな。恐いなら恐いで構わない。お前はお前だ。まぁ、俺としては……俺のように切り伏せることに何も感じないような状態にはなってもらいたくはないがな」
風の国で一番外郭にある貿易中継都市、イースタンウィンドウ。リュフラ達とこの町で合流し、風の国の友人宅を訪ねるらしい。ヴァージの友好に甘える形のこの旅だが……この街に住んでいる友人はかなり気難しいらしいのだ。ミーナにそのことを伝えるとミーナは露骨に不安顔をする。そして、大きな木製の門扉の前で止まる。
生唾を飲むミーナを扉の前で待機させ、ヴァージが扉を開くと……。
修行僧らしい若者達がヴァージへ金剛杖を振り下ろす。しかし、ヴァージは杖を回避し、逆に両側の柱付近にいた修行僧達から金剛杖を奪い取り、片方の金剛杖で次々に現れてヴァージへ杖で攻撃を加えてくる修行僧達をのして行く。鮮やかな棒捌きにミーナは驚きを隠せない。
「来よったか!! 小僧!!」
住職らしい男性がヴァージを見つけると楽しそうに猛進してくる。金剛杖を投げ捨てたヴァージも住職と拳と拳の語り合いを始める。凄まじい音を上げながらかなり長い時間の打ち合いが続き、二人が後ろに飛び退く。
「シュヤン住職、お久しぶりです」
「おぉおぉ、小僧!! よく来たな」
「兄上!!」
「ナイスタイミング……。住職、紹介します。ミーナ、おいで」
「は、はい」
「ほぅ、お前の旅は順調と見える。ははは!!!!」
ミーナ、リュフラ、ゼロの順に挨拶を行い、三人はシュヤンと呼ばれた風龍族の住職に迎えられて昼食が始まった。この街ではこの寺の修行僧達が賊から街を守るために走り回っているらしい。とくに大きな飢饉や暴政がある訳では無いにも関わらず最近は荒れが激しいという。
住職もその理由は解っているらしいのだが……。政治的なことには二度とかかわり合いたくないために自らを慕う修行僧や街の住民達を守るボランティア程度に抑えているらしい。
「ブラストレース?」
「お嬢さんは知らんようだな。教えよう。風龍族の祖先は戦闘向きではなく、どちらかと言えば逃げ腰でな。しかし、逃げた先の空に続々と他の龍族が進出してきたんじゃ」
そして、風龍は独特な体を持つことでこの峡谷を生き抜き、他者からの侵害から逃れたのだという。レースの始まりは空を制す騎士として君臨する彼らの力試しだというのだ。
「じゃが……、問題もあってな」
龍も生きていくために徒党を組み、勢力争いをする。その中で今、このブラストレースがお世継ぎ争いの道具にされているのだという。その中でレースに登用された龍を正式な騎士へ、優勝した場合は世継ぎの婿にすると現在の王妃がいい始めたらしい。またとない玉の輿だ。国内、国外問わず強者が集まる。それの潰しあい、闇の賭博を取り仕切るマフィアの勢力争い。なにより、王妃がゲームとして楽しんでいるらしいのだ。
「ふぅ……」
「兄上?」
「ヴァージは何か思うところがあるのかい?」
「小僧よ。まさかとは思うが……」
「ヴァージさん?」
ヴァージがこの土地に立ち寄った理由を伝えた。その目的以外にも理由はあれど、まずはこれからの旅の資金を手に入れたい。しかし、普通に働いても風の国は風龍族以外にかなり冷たくあたるためあまり能率的ではないともいう。
これ以上住職に世話になる理由にもいかない。そうなると、レースへの出場が最良の手段となる。
「ふぬ……レースに出るのか?」
「ここには天才もいます。それにミーナが居なくとも四年前のブラストレース優勝経験者の俺も居ますからね。なんとかなるでしょう。いつかのご恩返しだと思ってください」
住職は言葉を止め、頷く。ヴァージの性格を知っている人物であることや今回はヴァージが立案したこと以外には打開策はない。彼らしかこちらに協力的な者はいないのだ。
皆が寝静まる頃にヴァージはゼロを連れ出し、ゼロにこの先のプランを告げた。いつになくヴァージの目つきは真剣だ。だが、彼は直後に微笑み右手を差し出す。それは彼への何らかの思いを託した現れなのだろう。
「すまないな、こんな夜更けに呼び出して」
「あぁ、リュフラに気づかれないようにするのには骨が折れたが……構わないさ」
「まずは兄としてだが……リュフラの事をよろしく頼む。二つ目はこれからの道のりだ。確定事項ではないが一つだけお前の人柄と武芸をみこんだプランをお前にだけ伝えておく」
「プラン?」
「俺、もしくはミーナがレースの賞金を手に入れた場合にお前にはリュフラを連れて北へ向かってもらいたい」
「……深読みしても構わないのかい?」
「あぁ、だが、お前さんの考える事例とは少し異なるとは思う。内容はこの場では言えないが時が来たら伝えよう」
「解った」
翌朝、ミーナやリュフラ、ゼロが起きだした頃には食事の準備はすでに整っており、修行僧という立場の少年達は皆が自身の仕事をしていた。得意不得意のわかれる様々な仕事であるが基本的な掃除や家事などの最低限の内容は皆できるらしい。そういう意味でミーナは軽く落胆し、リュフラも自らを律することを誓ったようだ。
そのころ、男性陣は…特にゼロは棒術を体得している修行僧たちへ槍術を教えながら彼も棒術の技を彼の技に組み込んでいく。住職はそんなゼロを横目にヴァージと共に準備運動をしながら会話をしている。ヴァージと彼はとても仲が良い。仲の良い親子のようだ。
「そういえば、旅の途中に師匠とは会ったのか?」
「えぇ、天龍殿もお元気でしたよ」
「そうか、彼からこの寺を受け継ぎいく年…悩ましいことも多いがお前のように男龍の群れから離れたものが息災であるならば安心だ。……小僧、あの青年は何者なんだ?」
「ゼロ・アブソリュテ・ブリーザン。氷龍族の皇族を離反した直径の王子です」
「……ほう、迷っているな。心の奥深く……真底の部分に闇を抱えておる。それに……女人禁制のこの場によもや各々の番を連れ込むとは思いもせなんだわ。だが、突拍子もなく、荒いのはなんともお前らしいがな」
「住職……探りを入れる程の事ではありません。それに、あちらの二人は番になる予定ですが俺とミーナにはその予定はありません」
『深い…深すぎる。こやつの業はどこまで深いのか……。師匠が拾ってきたころのこやつと比べれば……天と地ほどの差ではあるがな』
ゼロによる技術指導とヴァージによる肉体的な指導により修行僧たちは格段に屈強になり、ついでにゼロから簡単な医学療法を学んだらしい。実質的な益を受けた修行僧達とは対照的にゼロは座禅をくみ、何かを考える時間を修行僧と共に取っていた。住職が感じた闇……果たしてそれがどのような物であるかはわからない。しかし、ゼロは何らかの岐路に差し掛かっているのだろう。
月夜を眺めながら寺院の屋根の上で一人何かを考えるゼロ。そこにリュフラが現れる。龍族は言うまでもなく人間などの追随を許さない比類無き筋力と魔法から現れる物理的に不可能な組織形態や構造を持つ。リュフラは軽々と屋根に上がり、ゼロの体に密着するように体をあずける。
リュフラの態度は急変し、初期の初な動作はどこにもない。彼女の外見に相応しい妖美でありながら節度ある気高い振る舞い……。ミーナの例示をできるだけの王族としての風格を身にまとっているのだ。黒髪をまとめ上げたリュフラはいつもの彼女とはまた違う美しさを醸し出す。
「月が綺麗ですね」
「うん。空をあまり飛ばない僕にはこの景色は新鮮なんだ」
「どうかされたのですか?」
「君こそ、昨日の夜にたぬき寝入りしてたよね?」
「も、申し訳ありません」
「はは、別に構わないよ。君と番になれる事はとても嬉しい。しかし、君を守りきれるかは……」
リュフラは微笑み、ゼロの腕を抱き込んで言葉を紡ぐ。兄であるヴァージに似て彼女も少々理屈っぽい。それに饒舌だ。女性にしては多少大柄なリュフラだがやはりゼロやヴァージのように戦闘や狩りに特化した男性の龍族とは比較にならない。その代わりに彼女にはまた別の才能がある。
ゼロの言葉を受け、彼女は彼女の覚悟の丈を伝えていた。昨夜のゼロとヴァージの会話中にヴァージが言葉を切ったのは彼女がゼロをつけていたからだろう。現段階でリュフラに聞かれてはこの先に悪影響が出る……とヴァージは考えているのだ。リュフラはそれも加味してゼロに付いていくと語る。
「ゼロさん、私は貴方がどのような状態でも貴方を助けるために傍に居続けます。例え、兄上の意志に反することだとしても……」
「ありがとう。リュフラ」
「私達は番になるのですよ? 私は貴方が望む妻になります。人と龍は未だに異なる……人は男女平等を謳っていますがまた、文化の異なる我々には我々の事情がある。私は貴方と私の家を守り、貴方は私と家族を守る」
「ヴァージが聞いたら拗ねちゃいそうな言葉だね。そうか…僕は君とこれから増える家族を守る。君が僕を支えにして、僕も君を支えにする。素敵な考えだ」
「現実に……したいです」
「絶対になるさ」
明朝には寺院から出発し、龍族の多い区間から外れて人間の多い居住区を抜ける。その後は首都であるラウ・ウィンドウに入るとヴァージは語った。眠い目を擦るミーナは無意識に手を差し出しておりヴァージに握られた手はゆったりと引っ張られて行く。
風の国での大祭……ブラストレース。
運命を分けるこの大祭はこれから……ミーナを渦中に巻き込み、大きな分岐点を投げ渡す事となる。龍族の……前龍帝時代から引き続く風習を崩し、ミーナは自らの姿を手に入れようとしていた。