遊牧の民4……白輪一時
この先に進もうとする場合に障害があるためにヴァージはあえてこの場に長居していたのだ。それもセオの勧めでだ。実はここ最近の出来事で龍族の傭兵団が小さな村や様々な国の辺境を襲撃する山賊が荒し回ったような事件が多発しているという。そのために次にヴァージが経由していく予定であった『風の国』へ行くのを延期せざるを得なかったのだ。満足に飛べないミーナを背に乗せた状態ではいくらヴァージが屈強で強力な戦士であろうとも守り切れる保証が無いからだ。
「だいぶ形になって来たな。ルオーナイト君、そろそろ君にも話さなくてはいけない」
「はい、先生!!」
「はは…、そんなに意気込まなくて大丈夫だ。戦争や急襲に見舞われた時に君が何をしなくてはいけないかを僕の意思として伝えるだけさ」
「(ゴクリッ)」
「まず君は守りたい物はあるかい?」
「はい」
「究極の選択を迫られた時も僕は自らの命よりも相手の命を優先する。君に任せる。だが、君には君の決断をしなくてはならない事もある。ルオーナイト君。君が男になった時に……もう一度、話そう」
キョトンとした表情のルオだが、武器の扱いは飛躍的に上達し、ヘタをすればミーナよりも上手な程だ。彼が持つべ武器が出来上がるのがいつになるかは解らない。しかし、ルオは龍旅の四人が降り立つ前に比べ、格段に成長していた。ゼロはにこやかに拳を突き出し、小さな拳が突き出されるのを待っている。ルオが理解し、一回り以上大きな拳へ小さな拳を打ち付ける事で彼らの最初の講義は終わりを迎えたのだ。
槍を片付けるためにテントへ帰る途中、リュフラとシエルの二人に出会った。本来ならばシャイで人前に出る事を嫌うシエルだが、ゼロと兄がいる事も忘れ、楽しそうに舞う姿が見受けられたのだ。技術面でもかなり上達したのだろう。リュフラも最初の頃に与えていたようなかなり抽象的で基本など全体に響くようなアドバイスではなく、要所要所を見極めた的確なアドバイスを投げかけている。
「そっちもかなり前進したようだね」
「ゼロさん、お疲れ様です。ルオの鍛錬はどうでしたか?」
「次に会える時が楽しみだよ」
「そうですか。シエル!! 私達も区切りにしよう。今日までこなした魔力コントロールと軽業中心の技芸は忘れずにいてください。ここからは貴女のスタイルを確立する場面になります。ふふ、それではこれにて講義を終了します」
「ありがとうございました!」
「私も楽しかったです。くれぐれも体には気を付けてくださいね?」
「へへへっ……」
頭を撫でられ嬉しそうな妹を見る兄も嬉しそうだ。リュフラとゼロが合流し、ミーナとヴァージの場所へ向かう。鍛錬の開始から一週間前後……、強風が吹き荒れない時期へ入るらしい。そのためにそろそろ移動しなくてはならないのだ。風が止む時期は短い。それに風の国は深い峡谷と砂漠地帯の多い国だ。備えも必要になる。
ミーナもかなり腕を上げていた。基本の構えを二日程で覚え、応用に引き込める材料を既に揃えているのだ。最初はボロボロになったミーナだが今ではヴァージに引き足を取らせるだけの技術を体得し、剣士としての第一歩を踏み出そうとしていたのだ。
「なかなかだな。あの人が母親なだけあってお前も確かに強い。あとは、実戦を交えながらだ」
「お母さんと知り合いだったんですか?!」
「昔、少しな。さぁ、ミーナ。そろそろ旅立たなくちゃならん。その前にお前には感覚で覚えなくちゃならん内容がある」
旅立つ際にミーナはここへ訪れる時に空から降り立った。しかし、ヴァージの背中からは離れてはいない。ヴァージは風の国へ向かう前にミーナへ自力での離着陸を教えようとしているのだ。特殊な魔法を用いて彼はミーナと自分を人間に対して不可視化し、ミーナをドーム状の結界を張った中で打ち上げ、自らの能力だけで着陸させる訓練を強行しようとしていたらしい。
リュフラがそれには猛反対を始める。ミーナは完全体になる事が出来ない。そんな防御力では結界の頂点である200m上空から急降下して地面に激突すれば……。体が耐えきり、生きていたとしても恐怖で翼は開かないだろう。翼が無事とも限らない。
「兄上……、私は反対です」
「なぜだ? 俺は…この方法で覚えた。それにこれが出来なければ風の国の風には耐えられない」
「お言葉ですが兄上。貴方とミーナは違うのです。貴方は……ミーナ?!」
「やります。いざとなれば昨日教えてもらった魔法で何とかします」
「……よし、こちらも万全の大勢をとる。リュフラ、風の加速魔法、もしくはクッションを入れるために同じく風の気弾魔法を行使する準備を」
「はい!!」
「ゼロ、ダイビングキャッチは本来させたくないが……圧力からの呼吸不全で意識を失った場合の対処頼みたい」
「解ってる。言われずともするつもりだ。君こそ、無茶はするなよ?」
「……保証は出来んが、善処する」
猛烈な風圧や横風による抵抗、自らの落下速度を学ぶ訓練らしい。これから向かう風の国に住まう風龍族の軍隊では至極当然の内容らしいが……。ミーナがやると決めたためにリュフラは仕方なく所定の位置についたが納得はしていない様子だ。確かに半龍族から大地聖龍族としての覚醒を遂げたミーナだが、大地聖龍族は飛行を最も苦手とする種族である。そんな彼女に……この訓練は無謀極まりないとリュフラは言いたいのだろう。
異変に気づいたセオとエイシャの夫婦も止めに入ろうとしたのだが……。
「ヴァージ!! 嬢ちゃんに無理を指せるな!! タダでさえ剣の修行で無理させてんのに……」
「全く……なんて危険な事を……」
「ヴァージさん!! 行きますね!!」
ミーナがセオとエイシャの静止を振り切り飛ぶ準備を始めたのだ。直後にヴァージが飛翔し、瞬時に結界の天井へ手を付けた。その場で半龍体と呼ばれる鎧を纏うように人間のプロポーションのまま全身に鱗を纏う。その直後にミーナがヴァージよりも数十メートル下で停止し、急降下軌道を取って地表へ滑空してゆく。
「マズイ!!」
リュフラがミーナの落下点であろう地点を予測し、風の魔法を用いて空気のクッションを作る。だが、明らかに時間が間に合わない。外形ができた所でミーナが落下する速度に追いつけないだろう。不完全ではミーナを守れない。
それに合わせるようにゼロも走る。落下点へ全速力を用いているが果たしてタイミングを合わせる事が……。セオも風の魔法を用いてゼロを支援し、エイシャはリュフラに加勢する。だが、間に合うかは……。
ミーナが地面から体を引き起こそうと必死になるが角度が付きすぎていて修正は出来ない。ミーナも自らを守る魔法を発動するが……、魔法が消えてしまう。魔法は人間の心情変化からかなり圧力がかかる。極限状態になりストレスに体が負けたのだ。
地面に激突するコンマ数秒前……、黒い塊のような物が白い隕石が落下してくるような状態のミーナを掻っ攫うようにして滑り込んできた。言わずとも解るだろうがヴァージだ。激突直前にミーナを抱き込み、ギリギリの斜角で地面へ激突するコースからずらしたのだ。しかし、地面を掘削するようにヴァージは地面と接触してしまっている。二人の安否が心配だ。
「……っかは……久々に効いたぞ」
「オイ!! 生きてるか?!」
「勝手に殺すんじゃねぇ」
「ヴァージさん!! ごめんなさい、私……」
「いいや、お前のせいじゃない。お前を育てる俺の自己満足なんだ。これくらいさせろ。ま、お前がこんな訓練を選択肢の中から選んだのは大誤算だったがな……。さて、今日はどのくらい恐ろしくて危険か解っただろう? リュフラに空の散歩へ連れて行ってもらえ」
ミーナを立たせ、リュフラの所まで歩かせてから肩を軽く叩き、彼は笑っている。リュフラはまだヴァージに怪我をさせたことを引きずるミーナを抱き込み、丘の方向へ歩いて行った。セオとゼロが頷き二人が丘の行に差し掛かるところでヴァージをテントへ引きずり込んだ。
いくらヴァージが頑丈であっても大地聖龍のかなり硬く、重量のある翼と体を重力により加わった力と共に受け止めれば無傷であるはずがない。事実上、彼の左腕と左の鎖骨、肋骨が三本、左の翼骨が数箇所折れていたのだ。ヴァージでなければ死んでいた可能性すら有り得る。
「ヴァージ……流石に今回のことは良くわからないぞ? お前は何がしたいんだ?」
「昨日にはミーナに飛行訓練の話はしていたんだ」
「で? なぜこんな事になるんだい?」
「どの道嵐の渓谷を抜けるのは俺の背中にしがみついている今の状態では不可能だ。俺が知り得る高加速下での訓練を例示した時に一番危険でなくリスクの少ないものを二人で話し合った結界がこれだ」
風の国に住まう風龍は風を巧みに利用する龍族だ。どんな風をも味方につけて彼らは舞う。そんな彼らとは自分たちは習性から習慣、生息地がことなるため対応しきれる訳がないのだ。ヴァージだけゼロだけならば話は別とヴァージは小さくもらす。ヴァージの飛行技能とパワーがあれば風龍と互角以上の飛行が出来る。しかし、ミーナを背負い、彼女を安全に連れて行くと言う条件は満たせるとは限らないのだ。
「確かにそうだな。あの渓谷はかなり厳しい。風が弱まるあと数日後から数日間にあそこを越えなければ……無理だろうな」
「別ルートは無いのかい?」
「あるのは二つだ。高地帯を抜ける事には変わらないが獰猛なモンスターが蔓延る雪山を登山で北へ抜けるか、朱華の街へ戻り、下側から海沿いに抜けて香辛料で有名な砂の国を経由し風の国の首都へ向かうかだ」
「どちらにせよ危険だし、リスクはあんだよ。特にゼロ、お前は行きたくないんじゃないのか? ヒュドラオ高地のその先……、凍土の国には」
「……いいや、いずれは行かねばならないさ」
「だが、それはそれとしてもヴァージの見解だけは賛同する。南の沿岸沿いは確かに安全だが時間がかかり過ぎる。空路で南に抜けたあとは沿岸沿いを飛行することになるからどうしたって飛行訓練は必須……。それに南方は疫病の感染リスクもあるからな。ヴァージとリュフラには飛行による疲労や長期間の滞在があればかなり酷なルートになる」
「北へ抜けるあのルートはかなり危険だ。それに今のヒュドラオ高地は……いや、なんでもない。……となるとやっぱり風の国に向かうルート…って訳か」
ヴァージの怪我はヴァージが自ら魔法を用いて体を修復し、テントの中で天井を見上げる。ヴァージは……何を考え、何が彼を変えたのだろうか。龍旅は急ぐ旅ではない。しかし、険しい場所を越えなくてはならないのだ。そのためには……。
「ミーナ」
「は、はい」
「前にもこんな質問をしましたね。貴女は空が好きですか?」
「私は……今日、自分自身の過信でヴァージさんを傷つけてしまいました」
「そうとも取れますね」
「だとしても、ヴァージさんが私の手を引き、舞い上がる手助けを……未来を見るだけの覚悟を持つ事が出来て……わがままでアホな私は空が……好きです」
結界が消えている空で……リュフラが急にアクロバット飛行をする。ミーナはリュフラの背中にしがみつこうとするのだが…リュフラは体を翻しミーナを振り落としてしまう。ミーナは絶叫しながら落下していく、恐怖に支配され背中に備わる翼は開かない。手も開かない……筋肉は萎縮し、瞳は氷つき頭は下に向く。
甲高い絶叫に気付き、男性の三人が慌てて駆け出した。
ヴァージが翼を開くのだが、魔法で高速回復したとは言え、すぐに動かすことはできないらしい。ヴァージは肩を抑えながら蹲り、規格外の脚力を用いてフルパワーの飛躍を試みたゼロだがミーナの落下速度に合わせる事が出来ていない。セオは魔法での静止を試みるが……、間に合わない。
「ミーナ!! 貴女の覚悟を…貴女の意志を見せなさい!!」
リュフラは落下するミーナと同じ速度で急降下している。このままでは先程のヴァージのように斜角の調整も出来ずに地面に激突してしまう。真横につけたリュフラは半龍体に変異しミーナの肩を掴む。ミーナだけでも助ける処置としてミーナを抱き込む準備をしているのだ。
「貴女は…あの人を支えたいのでしょう?!」
ミーナの意識が急にハッキリした。残り数十メートル……。リュフラの背中側から腕を掴み、神々しいまでに光り輝く……本来の聖帝龍の翼を開いたのだ。聖帝龍は魔法を主体に戦う龍で対局に位置する混沌終焉龍とはことなる。大きく開いた翼に魔法を付加し、リュフラを投げ上げるように飛び上がった。