遊牧の民3……閃陽一時
広い丘の上には狩り用の槍の鏃に布と藁で作ったらしい玉で包んだ物を握っている二人がいた。なぜ、並んで立っているだけなのかといえば基礎的な技能をルオはすでにもっていたからだ。
それもそのはず、元皇龍親衛隊員セオディオノア・エンバーズ=ガイアルクを父に持ち、武芸の訓練はすでに受けている。
さらに堂々たる物腰は政界代表であった故人ロナルド・エンバーズ=ガイアルクを伯父に、現政界代表であるエイシャ・エンバーズ=ガイアルクを母に持つからだろう。そんな男の子、ルオーナイト・エンバーズ=ガイアルクと向かい合うのは元氷龍族の皇帝一族であったゼロ・アブソリュテ・ブリーザンだ。
そして、その師匠となるゼロはヴァージが知り得る知識では医術以外にも槍術の猛者として有名で二つ名を持つ程だ。進化の過程で氷龍族は近縁である龍族の中でも飛行には適さない体つきとなっていった。その代わりに得ることができた特徴的な攻撃特性を持っている。氷龍には氷を滑ったり壁面を蹴りつけて飛びつくような狩りを行う習性の名残として強力なスパイク状の爪が生かせるだけの脚力と腕力、翼力を持つのだ。彼の二つ名もそこから来ている。その名も『白豹』。飛行能力を捨て、峡谷や洞窟内、または吹雪をよみ、対象を確実に仕留めるトリックアタックとパワーを持つバトルスタンスなのだ。ただし、その中でも勇猛な彼には通常の氷龍に備わるパワーと技能だけではない。……氷龍族の皇帝一族一門出身であるゼロには彼が独自に持つ体質や自力で編み出した体技や槍術があり、卓越した起動能力を産むのだ。
「ルオーナイト君。君が槍を使い戦う事を選んだことを嬉しく思う。しかし、君には槍は向かないだろうな」
「……どうして、ですか? 先生」
「普通ならこの年頃の男の子なら意気消沈するか逆上すると思ったんだが……。君は年齢の割に大人びて居るね。槍は確かに向かない。だが、僕は君に新境地を与えたいと思う」
「新しい武器ですか?」
「うん。ハルバード……。薙刀ともいう。君に勧めるこの武器は様々な用法、流派、武器の形があり、君次第だ」
ルオは龍族の家庭に生まれ、生まれた瞬間から龍族として覚醒していたと言う。これは長女のシエルも同様、次女のメシィーもだ。なぜかはよく解っていない。龍族は知識の付く頃に龍族の特性や自らがそうであると言う事を理解する事で覚醒するはずなのだ。だが、彼らは違う。
ここが普遍的に存在し、様々な環境に適応した他の龍族と究極的に違う点だ。大地聖龍や聖帝龍、混沌終焉龍などの希少な龍族は太古より風習などから図らずも姿形、能力、血統の固定が進んでいる。そんな大地聖龍は居住地や文化から人や他の龍との交わりがほとんどない。このことから龍として出来上がっているとも考えられる。本当の意味での『純潔』なのだろう。そんなルオは魔力において、妹のシエル程ではないが外部の龍族の皇帝達と比較しても引けをとらない。加えてエンバーズ家の子供達は通常ならば成熟が進まねばあまり望まれないことだが、彼らは龍体にもリスクを伴わずになることが可能なのだ。そんな彼は魔法を行使し、彼が思い描く枝物を作ってゆく。氷龍であるゼロには氷を用いて同様の事が出来るのだろう。先が碇のように二股に別れた斧のような物を作り上げる。
「片刃……斧のようだね。だが、細身で刃が長い。ふむ……君はまだ幼いが本当に利口な子だね。未来が楽しみだ。……そんな今の君の力を見せてもらうよ!」
ルオの瞳はエメラルドのように深い色合いの緑だ。龍族は能力の開放と共に瞳や肌、爪に龍族ごとの変容が強く表れる。血が濃い家系であればあるだけ龍としての変容は強い。ルオも緑色の変容がとても濃い……。掛け声と共に満身の力を込めて自らを表した武器をゼロへ向ける。ゼロは楽しそうにその攻撃を無力化し、ルオの才能を見極めていた。
その頃のリュフラとシエルはと言うと……。新体操のリボン競技のような事をしていた。軽々と回すリュフラは楽しそうに隣でアタフタするシエルを見ながら軽業を交えていた。リュフラは軽々と扱うがリボンに使っている布は防具にも使われているリネンでそのリネンを張り合わせてかなり厚手になっている。隣のゼロとルオの二人はルオに合わせた訓練様式だが、リュフラは自らの適性と彼女の兼ね合いから武器を選び、教えているらしい。
「兄さんは凄いことしてるみたいですね……。ピャっ!!」
「あらあら、まだ激しい運動ではありませんが、定期的にストレッチはしてくださいね。でないと怪我に繋がります。それに私達女性の龍は馬力がたりません。ですから男性の龍と戦うためにはそれに勝る強みや戦い方を考えなければなりません」
「戦う……」
「嫌ですか?」
「い、いえ、やっぱり恐いです。私は……」
「ふふ、それが当然です。なので、貴女に合うように考えました。それに偶然も偶然ですが私と貴女はとても似ている。能力から性格、適性……。兄を慕っている辺りもです」
元より露出の高いリュフラであるがさらに露出が大きな服装に着替えていた。水着? いや、別の物だろう。その姿に呆れ顔のエイシャと娘のシエル。
幼い時期が苛酷であったらしいが全てがそうではなく、人並みであった時期もあり、リュフラは体がとても柔らかく、幼少時は新体操や器械体操などもできたらしい。そんな彼女の得意武器は『鞭』だ。軽やかで幻想的な舞いをする彼女は体操選手と言うよりはバレリーナのようである。片目が潰れている事や体中に古傷が残る事を除けば本当に美しい。裸足で草原を舞う彼女への憧れが強まるシエルだが、流石に今のリュフラと同じ服装はできまい。それに背中に残る痛々しい焼印はいくらシエルが似ているとはいえ使えるものでは無いだろう。もちろん、リュフラもそんな所まで強要するような人物ではない。
「鞭は近接、中距離が適した攻撃範囲となります。今、教えている鞭もそうですがどんな武器にもリスクが付いて回ることは言うまでもありません。ですから、徐々に、貴女も体を柔軟にして展開した武器を回収出来るだけの器量を養う事が必要ですね」
「あ、あの…リュフラさんは魔法を使って鞭を操っているんですか? 私は力が弱いので……そうでもしないと」
「ほぉ、かなり密度を下げたのに……よく解りましたね。これなら将来が明るい。私も貴女も魔力の活性が比較的高く、体が柔軟でしなやか……」
リュフラは眺望するようなシエルの前に片膝を付きながら話し出す。ミーナや自らの未来を友好という意味で救う可能性のある現政界代表を母に持つ子供達だ。それらを度外視してもリュフラには何か感じる物があったのだろう。内在魔力がとても高く、魔力操作に長けたリュフラには先見の才能があるのかも知れない。彼女は近い未来か遠い未来なのかは定かではないが未来を肌で感じ、見ることが出来るのだろう。
龍族同士は様々な力に呼応して能力が花開き、強化されていく。特に類似した才能や能力を持つ者同士は引き付け合い共鳴する。ミーナとヴァージのようにシエルとリュフラにもその関係が見られたのだ。
「貴女はこの先に再び龍帝の……いいぇ、ミーナと出会い、貴女の意思で龍旅に同行すると思います。貴女は私と似ている。貴女には貴女の道があり私は先達として貴女を支えますよ。シエル、貴女に私の全てを託します。混沌終焉龍最後の姫として貴女との友好を誓います」
難しい表情をするエイシャの後からルオを背負うゼロが現れた。疲れきっていて訓練をしていた場所から歩いている途中にウツラウツラしていたらしい。両手には血豆がいくつもあり、潰れた物もいくつもあった。しかし、ルオは充実した表情をしている。
順調に親離れしていく子供達に寂しさがあるのだろうか……。エイシャは寂しげな表情もしていた。奇抜な服装のリュフラの容姿を見ていたゼロは顔を赤らめ、番になる予定の美女からのウィンクに答えている。片手を上げたゼロは次に早朝に出ていったヴァージ達を気にしていた。
「リュ、リュフラ……凄い格好だね」
「……ふふ、こんな格好は婚前だからできるんですよ? ゼロさん、今夜も……ふふふ」
「そう言えば一番早く出た二人がまだだよね?」
打ち解けた二人の変わりようからエイシャからは苦笑いが漏れていた。その後、シエルとの訓練に区切りをつけ、いつもの服を着たリュフラ。先程加わったゼロ、少し後に遊牧の仕事から帰宅したセオを交えて二人の迎えに皆が足を向ける。
途中から木刀のぶつかる音が響き、ミーナの険しい表情が見えてきた。言うまでもなくミーナは剣に関しては素人だ。逆にヴァージは茶山の国でも侍との一騒動が表したように剣豪レベルの使い手である。ミーナが打ち込む太刀筋はすべて踏み足すら変えないヴァージに返されてしまっていた。
こればかりは仕方のないことだ。それにヴァージがわざわざ小技などを教えるような親切な教導をするとは考えにくい。それでもリュフラは姉役として我武者羅に食らいついてボロボロになっているミーナと、教えている兄へ休憩、若しくは本日の終了を言い渡しに近づいていく。
「ミーナ、兄上。本日はこれまでです」
「……ふぅ、ミーナ、今日はしめよう。恐らく体はとうに限界だろうがな。よく食らいついたな」
「は、はひぃ」
ヴァージの中では最大級の手加減だったらしい。しかし、ミーナは今まで戦闘とは無縁で、なおかつ人間であったのだ。今の体力では龍族の戦闘訓練について行けるはずが無い。それでも彼女は覚醒度合いで言うならばそろそろ戦闘を覚え無くてはならないのだ。そう考えれば今のヴァージの教え方が最も速足な教導となるだろう。肌身で感じれば知識がなくともある程度は身につくのだ。そこからがまた大変ではあるが……。
セオから深みのある言葉がそんなミーナへ投げかけられ、ミーナは唖然としていた。実は彼は元から外界を夢見て旅立ち、いろいろな職業を経験した後にロナルドの部下としてミーナの母を護衛する部隊にいたらしい。だから、子供達がどのような未来を進もうとしても反対はしないらしかった。
そして、彼の昔話から遷移し、意外な事実がここで飛び出すことになった。性格からセオがエイシャに求婚したと思われたのだが実は逆であるらしいのだ。昔は落ち着きがなく、何にでも興味を示したセオは職業柄世界を飛び回るエイシャの一族にくっついて周り、見聞を広める事が楽しくて仕方なかったらしい。しかし、その頃は物腰が座らないために幼さが滲むエイシャはというと……。
「かなり灰汁の強い女の子だったんだぞ? エイシャはさ」
「……ちょっと……セオ!」
「意外ですね。エイシャさんですから幼少期から落ち着いた方かと思っていましたが」
「私もそう思ってました」
「ところがどっこい。昔は何かと突っかかるし、口うるせぇわワガママだってな。今のエイシャの姿なんて微塵も感じなかったんだぜ」
「セオ? 後が酷いですからね?」
「まぁ、姉さん女房だしな。俺は軽い性格だから完全に座布団だけどなぁ。にしし、ゼロは気を付けろよぅ?」
酒を交えながら結婚前の二人を前にしながら、セオはここぞとばかりにエイシャを弄る。子供達ですらあまり聞けないらしい母と父の懐古にリュフラとミーナ、三人の子供達は興味津々な様子だ。
ミーナは疲れと腕の重さを忘れてセオとエイシャの馴れ初めを聞き出そうとしている。暴露するセオはあとで大変な目に合うのだろうなぁ。
食器の片付けと、強力な殴打により昏倒した旦那の片付けが終わったらしいリュフラとエイシャは外に出て散歩をしていた。夜は冷えるらしく二人は外套を纏い、手袋にニット帽、マフラーなどと重装備だ。以前にも語ったが女性の龍族は体温が下がりやすい。そのための装備だろう。
「実はね。セオも子供達の前では言わなかったけど……。私達はデキちゃった結婚なの」
「……へ? は、はぃ?」
「私は……人に説教出来る程に出来た女じゃないのよ。セオは……本当に風のような人でね? お尻が軽いと言うか……足が速いと言うか。飄々としてたの。だから、私も彼を捕まえるのに必死で……」
「エイシャさんは後悔してないんですか?」
「してない……とは言えないわね。事実が発覚して私が無理やり押し倒したのがバレちゃって……。父には縁を切られそうになるわ、兄は怒り狂うわで大変だったし。でも、セオが全部何とかしてくれちゃったのよ。あんなに軽い性格なのに手腕がある。本当に不思議な人なの」
「そうですね。私もゼロさんのことはたまに不思議に思います。ですから何となく、気持ちは解りますよ」
リュフラとエイシャが散歩するのと同様に昏倒されたフリをしていたらしいセオがゼロと話している。内容は彼の視点からみたエイシャと自分の話だった。自分の妻が…そのように相談されたにしてもリュフラを煽り、けしかけていた事は気づいていたらしい。セオも面白がっているようだ。何歳かは定かではないが先輩夫婦はゼロとリュフラの二人に何かしら重なる所や懐かしさがあるのだろう。
ゼロはそんな彼の言葉に答えながら『責任』について問うていた。リュフラの動きから唯一の肉親であるヴァージからは許可が出ていても先立つものや安定は必要だ。その辺りについての内容らしい。
「お前さんは真面目だな。俺は行き当たりばったりだったからなぁ。まぁ、それだけ覚悟があるなら十分だよ。そろそろ嫁さんが帰って来んぜ。出迎えてやんな」
彼の言葉かけに合わせてゼロはリュフラを出迎えるために表に出た。
ちょうど示し合わせたようにリュフラとエイシャが帰宅し、エイシャは就寝の挨拶と共に二人の寝室へと消えて行く。リュフラは何を思ったのか少々薄着のゼロへ両手を回し肩に通すと、彼の体を押し下げるのと同時に彼の分厚い胸板と鎖骨の下側辺りに頬を当て、すがり寄る。
その後にリュフラの唇をゼロが吸うように合わせ、濃厚な時間が経つ。リュフラは最初に驚いたような素振りを見せたが成されるがままに体をあずけ、ゼロから言葉が注がれるのを待っているようだ。
「体は大丈夫かい?」
「今更ですよ。ふふ…昨晩にあれだけ激しく抱いておいて」
「はは、君が足りないって言うものだからついね。リュフラ……愛してるよ」
「貴方まで感化されていたんですね」
「リュフラは?」
「もちろん、私もです」
円満な二人の足取りはもはや追うまでもない。二人の夜を邪魔する者もいまい。
幼い戦士達は皆健やかに寝息を立て、黒い勇壮な龍騎士は平原を照らす巨大な白い星を眺めながら彼の先を見据えている。彼は何を思っているのだろう。