遊牧の民2……明星一時
その明朝、テントの中は騒然とした。
突然にミーナの気配が消え、行方が解らなくなっていたのだ。エイシャがかなりヤキモキしているらしく爪を噛みながら考えを回し、セオを動かしているために他のこの土地に不馴れな『二人』は待機させられている。何故二人となっているか? 行方不明が発覚した時に誰にどこに行くとも知らせずにヴァージは飛翔して探しに出てしまったのだ。
もうすぐ夜が明け始める時間帯だけにエイシャの焦りは頂点に達している。人間の動き出す時間となれば捜索がしにくくなるからだ。それだけはよくわかるらしい二人もただ、無力感にさらされている。そんな時、何を思ったのか考えを回しているリュフラへエイシャから言葉が放たれた。
「リュフラちゃん。ミーナちゃんはどんな子なのかしら?」
「……思いやりの強いところが目立ちますね。自分よりも周囲の気持ちを優先的に見ようとします。今はまだ幼さが抜けきらないので全てを見れてはいませんがけれど」
「そぅ……。今回の事件は私が引き起こしてしまったかもしれないの」
「え?」
「ゼロ君は間接的に知っているかも知れないけれど混沌龍は虐殺を行った歴史があるわ。ヴァージ君がそれに関わり苦しんでいるかもしれないことを聞かれてしまったかもしれないの」
エイシャの苦い表情は動かない。ミーナは確かに存在として特別だが、これまでの様に人間の要素が占める割合が大きい時期は簡単に発見できた。それは人間がこの龍のテリトリーに居ることが希だからだ。しかし、今回は違う。彼女は彼女に潜在する能力として前から言われていた大地聖龍とほぼ変わらない。この周辺は大地聖龍の居住者が多数いる。闇雲に探したところで小さな個体差が多く気配が朧気な龍族の中をピンポイントに見つける宛がない。しかも、ここは普通の市街地とはまた違う。遊牧民の集まる区域は不定期な感覚で他の家族に出会うのだ。ある程度の集まりとするならばここは龍の集まりやすい場所ではあるも……『迷子』や『家出』となればまた話は別になる。
そして、ゼロが立ち上がる。周囲の異変に気づいてしまい起きてきた三人の子供達の内で飲み込みが上手く、考えを柔軟に回せる長男のルオがゼロについて案内をするというのだ。当然、母親のエイシャは反対するが頑固さも母譲りらしいルオは折れる気はないらしい。母に向けて真剣な眼差しを曲げずにさらに言葉を放つ。
「わかったわ。ただし、ゼロさんから絶対に離れないこと! いいわね?」
「うん!」
「君、名前は?」
「え? ルオだよ? 何で?」
「騎士なら愛称でいつまでも呼び続けるのは失礼だろ?」
「……ありがとう、先生。僕はルオーナイト・エンバーズ=ガイアルク」
「僕はゼロ・アブソリュテ・ブリーザン。これから頼むよ」
背中に命綱を付けたルオを乗せてゼロが飛び立つ。
残された二人に会話はなかなか起こらなかった。そんな静寂を打ち破ったのはリュフラだった。気遣いではなく兄であるヴァージがどのように自分を育ててくれたかを語る…そんな空気だ。
リュフラは兄が厳密に何歳なのかはわからないらしい。それでも、兄は生まれたての自分を匿うことができたあたりから年齢はある程度あったのだと考えていたと言う。兄は優しかったとも語る。しかし、独裁者ヴァーゲルデに目をつけられた辺りからかなり目付きはキツくなり追いやられていったのではないかと……。自分もヴァーゲルデを殺した兄を救いたかった。……追うことすらも出来なかった。恐怖で翼が開かず、地を這うしかない。そんな自分の目の前の光景は今も鮮明に覚えている。黒い、怒りに満ちたブレスの一閃で師団級の大軍勢を打ち破り、乱戦となるも兵士達は皆、刃が立たず……。混沌龍の国は彼一人に滅亡したと言う状態に近いのだ。それに純潔の混沌龍は彼と自分だけ。もう、いない。それはどうでもよくても我々が起こした罪に終わりがないことを……彼は深い傷を負っているのだとも。
「昨晩に何を語っていたのかは解りませんが、兄上の様子から彼にミーナに対しての気持ちを切り替えさせようとしたのはわかりました。エイシャさん……少し焦りすぎですよ」
「そうね。ミーナちゃんもまだ、彼をどのように受け入れていいのか解らないみたいだし」
「それはエイシャさんが考えすぎです」
「……」
「ミーナは彼女が知ることができ、求める事ができる部分を強く受け入れたいと思っています。ただ、兄上が触れられたくないと感じる部分に触れると今回のように暴走しますが。では、私も行きます。メシィーもシエルも着いてこなくて大丈夫です。心当たりがありますから」
幼い子達を残し動けないエイシャを残してリュフラは歩いて行く。エイシャは小さく悲哀に近いがそれほど深くない表情で外套を纏う細身で戦士としては頼りなく見えるリュフラを最後まで見ていた。大きな丘を越えると彼女は見えなくなり、眠気に勝てなくなり始めた娘達を寝かしつけるために家屋に入る。
そして、小高い丘の上に座り込み、月明かりに照らされているミーナをリュフラが見つけた。ミーナはけして頭が悪い訳ではない。そんなミーナはリュフラの気配がすると体を縮こまらせて翼を大きくして頭を隠しながら項垂れる。
「ミーナ」
「リュフラ……さん?」
「怒らないので、私に話してくれませんか?」
「うっ……」
「やはり、私達の一族の話を聞いてしまったんですね?」
「は、はぃ」
「兄上は確かに貴女と居ることに何らかの負荷があるでしょうね。それは『親』としての責任からです。が……彼の私情が含まれているので少し行き過ぎですね。……それでも貴女のことはとても大切にしています。それは『親代わり』だからです」
リュフラは今の自らの一族と血族に関する話を始めた。リュフラは兄と供に残った最後の混沌龍の純血。混沌終焉龍と呼ばれ、より戦闘行為……狩りに長けた肉食性の龍族なのだ。そして、他の混沌龍は亜種なのだとも語る。食性が異なり、幅の広い雑食性であり、狡猾で生き残るためなら何でもする汚い生物なのだ。彼女はそれ事態には何も思わないと言うように軽く流し、兄と自分はその中で正しい教育を受けずに強いられた生き方をせざるをえなかった。そんな彼がミーナを成行とは言え養う立場に立ったのだ。彼は自らと照らし合わせ、教える上で自らとは隔離した方向性を取るつもりだったらしい。
「ところが純真無垢な貴女は兄上の優しさを抉じ開けてしまったんですよ。虐殺に加担せねば生きることすら奪われるような立場を経験し、同時に私を育てながら……」
「知りませんでした。そんな事があったなんて」
「当たり前です。私も知り得ない情報を貴女が知るわけがない。私も龍貴妃様に伝えられるまでは知りませんでしたからね」
結局、リュフラに抱かれるようにミーナは座り、リュフラも優しい笑顔を向けながら兄と自らの境遇を語る。辛い過去なのにリュフラはそんなことを微塵も感じないと言うようにミーナを落ち着かせるようにするためずっと語りかけていた。星空を眺める隻眼のリュフラは派手な服装でミーナと比べると対極的な位置にある。白いワンピースのような服装を好むミーナと黒い露出の高い服を好むリュフラ……異色の二人だが今は解りあっている。
次はミーナからの言葉だった。予想外の言葉だったらしくリュフラが今度は赤面し出した。リュフラを姉のように慕うミーナも気にしてはいたのだ。お互いのことを話し合ううちに夜は更けていく。
「私は……お父さんとしてのヴァージさんしか見れてないんですね」
「いいえ、貴女はあの人を抉じ開けることができる最後の人物だと私は思っています。貴女が、貴女だけが今、必死で貴女を探すために飛び回る本当の優しい兄上をさらけ出させることができるんです」
「……。そう言えば、ゼロさんとは上手くいってるんですか?」
「?! ……今は私の事は」
「リュフラさん、上手くいってるんですね。私も嬉しいです」
「ミーナ……。ありがとう」
「へへ……」
「ですが、ここからは優しくはいけませんよ?」
体を小さくしたミーナを抱きながらリュフラは訓戒を投げ渡す。今回はお世話になる家にも迷惑をかけた事は言うまでもなく、他にも様々な問題があり得たのだ。人間に見つかる……と言う危険があった。如何に強大な力を持ち合わせているヴァージと言えど、無関係な家族が多数居住しているこの土地では無闇に戦闘へ繋がる挙動を見せられないからだ。
それだけではなく。リュフラにもヴァージがミーナを皇龍へと育て上げるための方策が見え始めていたらしい。しかし、その兄が執るその方法には反対らしく体を小さくしたミーナを強く抱きしめ、ミーナへ強く深い言葉を投げかける。
「兄上は貴女を皇龍とし、平穏を望む龍族達の象徴と位置づける事でご自分にある統治責任やこれまでに我々の血筋が犯した暴挙を有耶無耶にして姿を消すつもりのようです。もちろん、それは再び荒廃を舞いこませるような存在を排除するためですが」
「……」
「貴女には兄上を変えるだけの器量があります。貴女は兄上を救う力を持っているのですよ 。負けてはいけません。貴女が兄上を選ぶか、はたまた別の男性を選ぶか……それは貴女の自由。ですが、兄上が敷いていく路線に貴女は抗わなくては行けない。貴女が望む未来を貴女が勝ち取ってください」
リュフラの言葉が終わると共に上空から月光を遮り、巨大な影が降り立つ。戦に生き、無骨な体躯は戦車その物……。その巨体が人間に近い容姿へと戻ると彼はミーナの頬へ平手をぶつけた。あえてリュフラも止めない。それだけの事をしたからだ。父の姿を見せるヴァージと解ってはいたが痛みと父であり兄であり……自らが想う男性を失望させてしまったという虚脱感と焦燥からミーナは泣き出した。ヴァージが手を差し伸べようとしたがリュフラが抱き込み、兄へ進言する。
妹が自らの意思を強くさらけ出したのが新鮮らしく、彼も驚きながらではあるが手を引き、リュフラに任せるような動作をとる。ヴァージがエイシャへミーナを見つけた事を伝えたために日の出ギリギリまで探しに飛んでいたセオとゼロ、ルオが帰宅していた。泣き腫らしたのだろう。ミーナは目の周りが腫れ、涙の跡が光る。
「ご迷惑をお掛けしました」
「……今回のことは私が不謹慎だったから、ミーナちゃんは悪くないわよ。ごめんなさいね」
ヴァージは何か想う事が有るらしくその場にはいない。しかし、そこには少し年上のセオが姿を見せていた。ヴァージには何か考える事があるのであろう。
「ヴァージよぉ。ミーナちゃんの居場所、最初から解ってたんだな。お前が旋回してた位置は動いて無かった。気づかないとでも思ったのか?」
「……」
「今回のはエイシャも言い過ぎだし、義兄さんのこともあっからかなり感情的になり過ぎてたがよ。お前さんも少し考えを改めるいい機会かもしれないぜ?」
女性陣が何やら話し込んでいた後にヴァージとセオが再びテントに帰ってきた。その場に居にくかったのかゼロはせがまれるままにルオへ槍術を教えている。
兄が入る瞬間にリュフラは背中に隠れようとしたミーナを前に押し出し、エイシャが隣に付き添うように横へ列んだ。まずはエイシャから梱包の内容が語られ、ヴァージは額に指を突いてため息をついた。その次にミーナから放たれるであろう言い訳を遮り、彼はミーナとリュフラ、エイシャの娘であるシエルを連れ出していく。
「さて……、ミーナ。お前は俺に何を求めてるんだ?」
「……」
「言わないと解らんぞ? あそこにいる師弟と俺達は大きく異なる。隣にいる二人共な。ならば、俺がお前に求める事とお前が俺に求める事を再確認する必要があるんだ」
「あの……兄上、ミーナを責めるのはその辺りで……」
「……俺の性格を知ってるだろう? あと、俺は昔の事なんか今更振り返らん。リュフラと俺が生きた道筋は確かに苛酷だった。それだからと言って周囲を巻き込む程ばかではない」
「兄上……」
「ミーナ、お前はどうしたい?」
リュフラの袖を引くシエルをリュフラは連れてテントの近くに連れて行く。二人きりになり、ミーナはヴァージへ言葉を紡ぎ出した。今のミーナには迷いしかない。ヴァージの考え、ミーナの行く道。彼からの歩み寄りに対して、ミーナ自身が揺れているのだ。
ミーナの表情が変わる。フローディアの剣を抜き、ヴァージと会話を始めた。彼女が人から半龍半人となり、現在は大地聖龍族とのハーフドラゴンの状態。
「私は……ヴァージさんと対等の位置に立ちたいです」
「ほぅ、それがどう言う意味があるか解っているか? 俺にはお前が無理をして……耐えきれない未来しか見ることが出来ない。お前はそれでも俺が耐えた苦悩に釣り合う経験をしたいのか?」
ミーナが話す途中に休憩をしているらしいゼロが近寄ってきた。ゼロは……リュフラを番にする事を決め、立場上兄となるヴァージへ伝えながらミーナの教導に関して話を繋ぐ。リュフラが望み、彼が伝えたいこと……皇帝と成ると言う重荷や彼女がヴァージやリュフラへ抱く思い、さらにゼロが二人へ願うこと……。
ミーナはゼロが繋いだ言葉に重ね、自らに投げかける様に言葉を選んでいた。母、フローディアの剣とリュフラから預かったアリストクレア氏の牙より造られた剣を握りしめ、ヘタをすれば伯父のような立場となるヴァージへ意思を伝えているのだ。今はまだ短い旅の道程ではあった。しかし、彼女は旅をしたことで見聞を重ねている。外の世界に繋がり、自らが……羽ばたくべき世界を模索する……本当の意味での旅を始めていたのだ。
「彼女と君は違う。もちろん、番になる僕とリュフラも違う。違うからそれぞれの人生と様々な組み合わせがある。ヴァージ、君と対等である事は確かに並大抵でない努力が必要だ。だが、ミーナに背負わせる必要はない」
「……。私はヴァージさんや皆さんに守られて来た今までの分をお返しできるだけの才能を手に入れたいです。旅で得られる経験は叡智となり、皆さんがお持ちの武芸は私の力へ…………。本当は今でも信じたくないですけどね。私が皇帝になる時に必要となるであろう人脈と友好、それを得るための真心……。私が変われば……ヴァージさんが苦悩しない世界を作る事ができるはずです」
目をつぶっていたヴァージが目を開いて剣を腰から外し、ミーナへ投げ渡した。剣の重みによろめくミーナだが、後ろからルオといつの間にか新体操の競技に用いられるリボンのような物を握りしめたシエルが支えている。その後ろからはゼロ、リュフラ……。母に寄り添いながらメシィー、セオ……。皆がミーナを支えている。ヴァージが苦笑いをしながらその剣を軽々と掴みもう一度彼の腰に戻した。
そんなヴァージはミーナへ視線を合わせ、龍の瞳を顕にし口から火の粉を吹き、牙を剥き出して彼の最大級の威圧と思われる凄まじい息吹を放つ。熱を放ち、皮肉から鱗が剥がれながら血しぶきと共に舞う。魔力の解放は龍族にとってもリスクを伴うのだ。エンバーズ一家と二人……特に魔力に鋭敏な体質らしいシエルは頭を抱え、リュフラは歯を食いしばっている。……が、途端に魔力と威圧をするために放つ気迫を薄めた。
「はぁ……」
「え?」
「……俺はお前らが言うほど出来た存在じゃねぇ。怒りもすれば沈みもするさ。だが、お前にはお前が考えている以上の物があるんだ。お前は……この剣を持ち上げる事が出来なかったな。だが、お前には支えてくれるリュフラやゼロ……関わり友好を重ねた者がいる。まず、お前の覚悟の丈を知らねばならんな」
ヴァージが剣を抜き、翼を開く。それが意味する事をまだミーナは良く理解はしていなかった。しかし、それはミーナがこれからの波乱を乗り越える基礎であり、自らの筋を通す為の……礎となって行くとはまだ彼女自身も理解していなかった。