遊牧の民1……宵闇一時
狩りを終えた男性陣を待って居たのは食事だった。今日はいつもより手が多いことからエイシャもかなり奮発したという。眠い目をこすりながらルオ、シエル、メシィーが龍族しか入れない秘密の空間へとその家に慣れないミーナやゼロを案内した。そこは龍族の持つ魔法の力で拡張された家族の居住区間と客間の集合部分だ。
セオの口ぶりでもヴァージはもとより初めてであってもかなり筋のいいゼロのおかげで今回は大きな獲物が手に入り子供たちは大喜びだった。そして、中で食事の準備に入ると基本はこちらの文化の食事なのだが今日は違い、手づかみで簡単な物や簡単に手に入る根菜を使ったサラダなどが食卓に並ぶ。チーズなどもありはするがそれは好んで食べるここの家族達と酒を飲むヴァージ、ゼロ、リュフラしか手を出さない。酒はこの周辺では貴重品だがこの様な空間の作れる龍族にはあまりそうでもない。酒蔵も作れるらしい。
「今日はリュフラちゃんにもお料理を手伝ってもらったの」
「エイシャさん……。始めてであまり上手ではありませんが皆さんどうぞ」
「あぁ、お姉さん照れてる」
「リュフラさんって照れるんですねぇ」
「そこに興味を抱くのね。ミーナちゃん……」
晩酌モードに入ると子供たちは寝かしつけられた。もちろん酒を飲めないミーナもそれに加わる。子供達と同じ部屋に押し込まれ寝かしつけられたミーナは最後に少し機嫌を悪くしたが二日間の飛行訓練で本当は体力にも限界が来ていたのもありすぐに就寝していた。
リュフラがいつになく態度がおぼつかないことに既に二人は気づいて居る。天真爛漫というか少し抜けたところがあるセオは気づいていないだろうが……それをニコニコ見ているエイシャがリュフラを畳み掛けた。本当は段取りとしてリュフラ本人がその動きを取らねばならないのだろうがどうしてもそれは羞恥を伴い。羞恥と言う概念に滅法弱いリュフラには勝つ事ができなかったのだろう。
「あらあら、リュフラちゃんも真っ赤よ? お医者さん。少し外へ連れて行って上げてくれないかしら?」
「分かりました。では皆さんお休みなさい」
「さっき話した通りだ。お前さんらは二人用の部屋がある。もともとヴァージには部屋があるがあそこに三人はきついからな」
「そうだな。リュフラ、溜め込むことだけはするな。お前も俺に似て堪え性で不器用だからな。何かあるなら、誰かに伝えろ」
「はい、兄上」
ゼロに寄りかかりながら外に出た。ゼロが少し小高い岡へと登るとそこでリュフラを座らせ、自分も横に座る。いつもは軽装の鎧姿だが今日は動きやすい服装という意味でその下に来ている内着で動いている。細身だが頼りなくは見えないゼロはリュフラと比べてもかなり身長が高い。リュフラは身長が高いことに加えてヒールの高いブーツを履いているためにさらに高い。それでも小さく見えるのだ。
夜の温度に体温を奪われ始めたリュフラはだんだんと震え始めている。これもエイシャの策略である。嫌が応でもゼロとの距離を詰めさせるためにこのようなことをしたのだ。先日の二人きりの時間で何が起きたのかは解らないがリュフラは羞恥とのかっとうに喘いでいる。そんな時にゼロからの言葉が飛ぶ。
「君は本当にわかりやすいね。おいで、僕はヴァージみたいに拒絶はしないよ」
「そ、そうではなく……」
「恥ずかしい?」
「は、はい」
「はは。君みたいなクールビューティーが乙女チックに羞恥で悶絶してるのも何か面白みを感じるね」
「あなたは本当にサドですね。でも、そこに、兄に似ているあなたに惹かれたのは事実です」
「僕はまだお兄さんの代わりなのない?」
「そんなことはありません!!」
急にリュフラの表情が必死になる。いつものように固く落ち着いていてどこにも好きを見せない様な尊大口調はどこにもなく自分の本当の気持ちを暴露していた。ゼロの方も少し意地悪したくらいの気持ちだったのがこのような結果となり少々どころかかなり驚いているように見える。メガネの奥の群青の瞳は先ほどから少しそらされていて直にリュフラを見れずにいるらしい。
リュフラはそれに気づいた。その瞬間体を引いて小さく座り込むと今度は否定的なことを述べ始める。リュフラはヴァージの言うように溜め込みやすい性質で尚且つかなり思い込みも激しく、放出させる事が苦手な不器用な性格だ。その彼女がさらに面倒な性質を持っているのは状況から自分なりにすぐに推察して行動を起こしてしまう所にある。それが今、負の方向へと向けられているのだ。しょぼくれるとすぐにわかるリュフラら女性の龍族の特徴である男性よりも柔らかな肉質……尖って細い耳は垂れやすく気持ちの浮き沈みがすぐにわかる。
「す、すいません。こんな無骨で傷の多い女では……」
「お兄さんに言われたことをもう忘れたのかい? よっと」
「はひゃっ?!」
ゼロは一度含み笑いを漏らすとその笑いを今度はリュフラの耳元で違う意思表示へと変化させる。ゼロの考え方は相手を抱き込んで小さくはあるがそこで二人の合理的な時間を築こうとするのだ。リュフラを抱き上げそのまま自分も座り、胡座の中心にリュフラを下ろすと抱きしめる。割合細い眼光のリュフラの目は今、大きく見開かれ羞恥と新たに芽生え始めた感情を押し殺すのに精一杯の表情をしていた。涙目のリュフラは耳元で止めを刺されしまい抵抗するのをやめたらしい。
「前にも行ったけどあの中じゃしっかりと届かなかったかな? 愛してる。君のことを幸せにしたい」
「……」
「僕も最初は妹に照らし合わせて居たのは事実だよ。でも、ヴァージと君の過去からの変化や僕の気持ちの変化はもう止まらないよ? 僕は君と居たい」
「なら、それを行動で示してください」
「まだ足りないのかい?」
「は、はい。私を愛しているのでしょう? 先日のように優しく……」
「うん。じゃ、行こうか」
アルコールのことも関係しているがリュフラは歩けなかったらしい。その歩けなかったリュフラを膝の裏側から腕を滑り込ませ、ゼロは抱き上げた。最初は羞恥と小さな驚愕を表情に見せるリュフラだが諦めたように腕をゼロの首へ通し、体の支えにして言葉を落す。
「これから、築く二人の時間を守って見せます」
「騎士の誓い?」
「そうですね。私は騎士ではありませんが……私にもしっかりと守りたいものが見据える事ができました。本当にありがとうございます」
「どういたしまして」
晩酌をしていた三人も二人が帰ってきたことに気づいた。そこからはミーナとヴァージのことに関して内容が大きく移動し、親身に考えているというように会話に食いつくのはエイシャだ。彼女には兄、ロナルドのことから関係しかなり親近感があることもあってなのだろう。しかし、それに関してヴァージはいい顔をしない。彼は現在大きな苦悩と戦い続けているのだ。このままでは本来ミーナのためにはよくないのだと彼の心の中では考えている。ヴァージの中では自分はミーナの保護者なのだ。その形を逸脱してはいけない。そのことから彼はこれまではミーナにとある線引きをつけ、それ以上の逸脱を許したことはないのである。
それにその口と表情を濁すヴァージへ向けてエイシャは彼女に似合わないキツい視線を作り向けている。その視線は龍貴妃の時にも一瞬現れた悲哀だけではなくそれを絶対に推し進めたいという何かしらの強い熱意も孕んでいた。それに気づいているヴァージだがあえて酒を含んだ後に同じように否定的な言葉を告げる。
「ミーナの様な特殊な状況下の龍は少しのあいだは俺のように風変わりな者に興味を持つかもしれませんね。しかし、それは一時、ミーナを女龍の群れへと引き渡せばそれは変わります。俺との旅以上に見聞も深まり常識と限界も知るでしょう。それが、『成長』し『成人』することですから」
「それは……違うんじゃないかしら?」
「どうしてですか?」
「人間と龍は知識も体も文化も違う。だけど、同じものがあるわ。彼女にも『心』がある。あなたの身勝手な人生設計はそのうちに崩れる。あなたはいつもそう。喧嘩ばかり強くてもだめよ。あなたは心の面でもっと強くならなくちゃ。誰かを受け入れなさい」
かなり真剣な視線のエイシャに気圧されているのかヴァージに似合わずあっけに取られている。龍族の情勢を知る者にはこれは本当に手痛いことなのだという。現在、龍族の男性の生き残っている割合は本当に少なく全体の三割を切る勢でなお減り続けているという龍狩りが横行しているからということは関係なく、龍族同士の小競り合いで龍族の男性戦士はほとんど息絶えているのだとか。ロナルド・エンバーズ。彼は博愛主義者でどの龍族とも人ともが共存できる調和を願った人物だ。それだからどこでも有名だし彼は伝説級の英雄なのである。その妹も覇気は備えていた。
それに加えるように畳み掛ける。難しい話をなしに今度はミーナの年齢から来る成長段階のことを彼に教えているのだ。男性も女性も思春期を設け、その後に限界や常識、ルールなどをだんだと付けられ誓約的な世界の理を知ることとなる。それは人間でも龍でも変わらない。古い物は打ち捨てられ新たな物に代わり龍族の中で新たに支えられるルールができているのだ。
「あなたは、今、とても重要な位置にいるの」
「どういうことですか?」
「一部の従わない龍族を除き、龍帝……聖帝龍族の血統を持つ龍族が再び復活した時。各一族の龍長は再び聖帝龍の皇帝へ忠誠を誓い、ここに新たな龍族の中央王権を復活させようというのよ」
「それとこれとどういう関係があるんですか? 俺には全く無縁でしょう」
「はぁ……。ヴァージ・アリストクレア。君は、いいえ、あなたたちは最後の『混沌終焉龍』の末裔。特に男性のヴァージ、あなたは帝となるミーナの夫となる龍族の候補となるのよ」
そう、龍族の王権は基本的に女性が担う。それは戦という仕事が主になる男性の龍族の帝がいきなり崩御して政権が狂いに狂うことを抑える手法なのである。そして、各王族に男性の龍がいるかといえばそうではない。そして、その中でもヴァージは特殊な立ち位置にいる。聖帝となるであろうミーナ・エンジェリアの初恋の相手。結果、彼はその輪の中で有無を言わせぬ第一候補となるのだ。さらにいえば、忠誠を誓う龍族は龍帝の招集は絶対である。
「俺は逸れ龍です。王にもならなければ子も残す気は毛頭ありません」
「あなた、矛盾したこと言ってるわよ?」
「は?」
「それが今の、これからの龍族の『ルール』なんだから」
ヴァージは黙ったままいかり怒りを露にした。それは、彼に関わる過去や私情の全てを無視した話だ。言うまでもなく彼は許容範囲はあるにしてもそこまで無視されれば激昂する。牙をむき出し血走る目はエイシャを捉えるがエイシャは悲観に満ちた視線を崩さない。口からは黒く何かが燻るような煙を吹き、火の粉も散らしたが……膠着は解けない。そこにセオが割ってはいる。
緑の大きな瞳は男性であっても凛々しさを強調し可愛らしいといえば行き過ぎだがそれに近い雰囲気を醸し出す。ヴァージも一度怒りを収めた。理屈の話ではそれはそうなる。そこで次はヴァージがいつも考えている教育の話に彼がうまくすり替えたのだ。
「そこまで、二人共一度おさめな。ヴァージよぉ。あの嬢ちゃんを聖帝龍と位置付けりゃそりゃお前も躍起になって早く女性らしい生活や空気を纏わせたいから女龍の群れに引き渡したいのもわかる。だがな? 嬢ちゃんの想いはどうなるんだ? お前がまず大事にしなくちゃなんねぇのは世間体なんかよりもまずはあのミーナっていう嬢ちゃんがどうしたら幸せかを考えてやることだ。そしたら自ずと答えは出てくる。わがままじゃない嬢ちゃんだからあの子のしたいようにさせるべきだとは俺は考えるがね」
苦虫を潰した、という表情は変わらないがエイシャの時のように怒りを見せるほどにキツい表情は返さない。それでも酒を飲み終えたヴァージはそのまま就寝するために彼が来たときにいつも使うらしい小さな部屋に入った。大地聖龍の夫婦はやれやれと言うように肩を預け合いながらいつものことらしくロウソクを眺めつつ色々なことを語らう。
「ヴァージ君もミーナちゃんが大切なんだろうけど……大切だからしっかり育てたいんでしょうね」
「そりゃな。おまけにあいつは育ちと経歴が経歴だ。あの子は懐くんだろうがアイツ自身はかなりまいってんのかもしれない」
「聖帝龍虐殺の歴史?」
「ヴァーゲルデの凶行で何千もの聖帝龍や他の龍族が犠牲になった。わずか10程の年齢のヴァージは世にも思わないだろうな。あれが本当はしてはいけないことで結果的に恐ろしい事が起きた」
「ヴァージ君って本当は何歳なんだろう」
「さぁ? だが、あいつにも消したくて消してしまった記憶の断片はいくらでもあるだろうよ。何年分の記憶を削除してしまったかなんて本人がわからない以上は……」
その時、ミーナが聞いていた。夜にトイレにたった途中。どのくらいから聞いていたのかは解らない。しかし、聞いてしまったのだ。腰が抜け、座り込む……エイシャは気づいたのだろうけれどあえて触れない。