蒼宮の世界
飛行が可能となるおお振りな龍翼の発現が可能となったミーナはヴァージの背からついに卒業する訓練を受け始めた。それは始めて翼を開いたミーナにとってはとても過酷なことだったようだ。それでもリュフラ曰くミーナには本当に驚かされる程の天性から来る飛行感覚が備わっているという。それは体力がないこと以外には驚く程に空への恐怖や滑空感覚、空気抵抗を読む空間距離判定能力などなど。彼女は縄で腰を縛ってヴァージとの命綱にしているだけで自ら空を飛んでいるのだ。まだ、翼という新しく加わる機関の追加に成れないのかミーナは両手もばたつかせてはいるがそれも空の旅を二日程するとほとんどなくなって来ている。
朱華の街を火龍の王族一家に見送られて旅立った一行には大きな変化が現れている。ミーナの変容がその大きな要素ではあるけれど、それ以外にもリュフラの挙動やヴァージの教育がなぜかミーナに向けて丁寧になり始めたのだ。今は高山地帯の上空を飛んでいる。雲の上の上……本来はそのような飛行は好まれないが訓練するうえでミーナには低酸素状態で酸素循環を体に染み付かせる方がいいとヴァージが判断したらしい。体力のないミーナの体をより龍族のそれに近づけるのであればそれは極限状態を経験させる事が不可欠となるからだ。
『なんとしてでも……混沌龍と聖帝龍の子孫を残さねばならない。ミーナよ。君はその最後の架け橋だ。お前が私達守護龍族が崇拝する天空の守護者にして陽光の帝。お前が龍帝となった時、私はお前のためならば一族共々守るために立ち上がろう』
『龍貴妃さんが言ったこと……今はどういう意味か解らないけど。ヴァージさんと……』
「ミーナ!! 考え事は休憩の時にしろ! 俺が急旋回した時に怪我でもしたら大事だからな!! お前はまだ完全体の龍族には成れない!! 防御は望めないからな」
そして、ヴァージがとある光の点を見つけ、ミーナに言伝て背中にはいあがらせると後続の二人にも急降下をすると告げる。ほぼ直滑降の急降下に後続の二人も各々違う方式で着地をはかり、地面で待つヴァージの方向へと姿を変身させて歩いて行く。ヴァージは体が重いがその代わりに三人の中では圧倒的なパワーを保持している。急降下をしても翼で空気をおしきり、急停止が可能だ。リュフラは女性で体が比較的軽く、細身であるが戦闘龍である混沌龍の血を引いているためにそういう技能に体はついてくる。地面に激突する直前に一瞬の羽ばたきで体をホバリング状態へ持ち返し、そのまま降り立つ。ゼロは本来空中技能は乏しい氷龍であるために飛行はあまり得意ではないがヴァージやリュフラの見よう見まねで翼を羽ばたかせ、地面に風を押し付け、それで足りない分は小さく上昇してから体を戻し着地する。
「さっき、知り合いからのメッセージがあったんだ。とりあえずこのあたりにいれば大丈夫だが……」
その瞬間に馬に乗った男がヴァージにやりを突き出す。しかし、ヴァージはそれを掌で流して馬に乗った男を横から叩き落とした。そして、にやりと笑って胸ぐらをつかみ引き寄せる。その男は冷や汗をかいているが敵ではないらしい。翡翠色の瞳が印象的で細身なその男性とヴァージが握手をするとその男が後続三人にも気づいた。
「お、話には聴いてるよ。リュフラちゃんだね。後は……」
「今は逸れ龍の仲間をしてくれている。医者のゼロ。氷龍族の王族だったが家の方針に合わなかったらしくてな。仲間になってくれた。知ってるだろうが妹のリュフラとこっちのチビは聖帝龍の末裔のミーナ。俺の仲間たちだ」
「聖帝龍の……末裔? へぇ、どうりで美人さんな訳だなぁ。で? で? どこまでしたよ? お前なら……」
ヴァージの拳が脳天を直撃し翡翠色の瞳の男は倒れた。その男を乗ってきた馬に乗せて歩いて行く。後ろの三人も思い思いの反応を見せるが皆黙っている。この旅は大きな目的もないためにヴァージがたどったことのある土地を転々とし、ミーナ、または他の土地が物珍しいらしい他の二人に他文化を学んでもらう事が目的だと思われる。ヴァージの教養はここから来ているのだ。そして、平原に出る。その平原のど真ん中にポツンとテントが一つありそのテントの中から同じように翡翠色の瞳をしていてかなり細身な女性が現れた。その足元には同じ瞳の三人の子供がいる。
馬からヴァージが男を下ろすと。女性が「あらあら……」と言いいつつ微笑みその男性をテントの中へと運んで行く。そして、運び込み終えた女性が敷物の様な物と保存食の様な物を持ち出し草原の上に敷き四人へ座るように言葉をかけた。細身だがその女性からは堂々とした風格と優しさというおぼろげな概念でしか表すことのできない曖昧な雰囲気を表している。
「久しぶりね、ヴァージ君。それとようこそおいでくださいました。逸れ龍の皆様方。これからここで過ごされるひと時をお楽しみください」
「エイシャさん。そんなにかしこまらないでください」
「いいのよ。この土地の風習だし。セオもそうするだろうから」
「あ、あの……」
「失礼、私はエイシャ・エンバーズ=ガイアルク。大地聖龍族の政界代表者だったロナルド・エンバーズの妹です」
丁寧な自己紹介を受け、聞き覚えのあるその名を三人が思い思いの言葉で受け止めた。リュフラはその細身の女性を知っているらしく話を聞きに身を乗り出す。ゼロもその名を知って居るらしい。そして、リュフラへ言葉を告ぐ前にエイシャはミーナに優しい視線を落す。慈しむ様な懐かしむ様な……そして、彼女からすると一回り小さなミーナを抱きかかえる。ちょうどエイシャの胸のあたりに頭が来るミーナは放心状態なのかそのまま動かない。
「おかえりなさい。兄さん」
「……不思議ですね。なんでか、ここに来たのは始めてなのにここが、あなたが懐かしく感じるんです」
「そうね、兄さんの血を受けた人の娘さんなんでしょ? 私も不思議。あなたのお名前は?」
「ミーナです。ミーナ・エンジェリアといいます」
ミーナの右目が翡翠色に変化している。この変化は始めてだった。そして、聖帝龍特有の背中に現れる小さな翼から透明な輝石が次々と現れ、結晶龍である大地聖龍の容姿が色濃くなる。そして、それを引き剥がすようにニコリと笑うエイシャが皆からリュフラへと視線をうつした。そちらにもおなじようにニコリと視線を送り、深緑色のサラサラとした髪を翻した。
ヴァージは既にその場にはいない。テントの中で昏倒しているセオの様子を見に行ったようだ。ゼロもその場には居づらいらしく少し離れた岡のうえで深呼吸しながら空を眺める。細渕のメガネをつけたゼロはメガネを取り拭いてからもう一度かけなおし、そのまま草原に寝転ぶ。
「あなた、好きな人がいるのね? リュフラちゃん」
「お久しぶりです、エイシャさん。そのことでご相談したい事があります」
「解ってるわ。その前に……ルオ! シエル! メシィー!」
まだ十代になり立てと言える子供を筆頭に小さめな子供達が現れた。呼ばれた順だとすればルオと呼ばれた男の子は母であるエイシャに似た美男で細い手足は少女にさえ見えるがしっかりした態度は父であるセオに似たのだろう。長女らしいシエルはおっかなびっくり兄の背中に隠れながら客の前に現れる。内気な性格だが柔和な笑顔と可愛らしい顔立ちは活発だが凛々しい父のセオに似たらしい。最後に次女のメシィーが遅れて現れる。この子は神経質らしく少し兄や姉から離れていたがしっかりと歩いてくる。目が細いのはエイシャに似たのだろう。
その子供達へミーナの相手をさせてリュフラを連れてテントの中へと歩いて行く。それと入れ違いにセオとヴァージが現れ連れ立って馬を駆り、ゼロを誘って先ほどの少し込み入った不自然な森へと足を運ぶ。本来龍族である彼らは馬に助けられることなど無くてもいいがここに来るのは彼らだけではない。他にも人間の遊牧民族たちも動いているのだ。彼らの羊などもテントの周りにはいたからだ。
「番になるとはどういうことなんですか?」
「簡単なことよ? お互いが好き合えればいいだけ。あの氷龍のお医者さんと少し前に交わったみたいね」
「わ、わかりますか?」
「あなたのそのおっかなびっくりした態度を見ちゃえばそりゃわかるわよ」
「そ、そうですか。好きとはどういうことなんですか?」
「ふふ、お兄さんと同じくらい理屈っぽいわね。リュフラちゃん? それはあなたにしか解らないわ。空を飛ぶのと同じこと。空が好きな人でもその空は牙をむくけれど。空に愛されているならそれは形となってあなたに現れるわ。あなたを受け入れてくれたんでしょ?」
「……はい」
中でお茶を飲みながらいつになくモゴモゴと口から言葉を出すことをためらうように……しかし、それでは進まないことを理解しそれを自制しているかのように……いつもより小さなリュフラはエイシャに言葉を投げ渡す。その言葉をその優しい笑顔で優しく受け止めて優しく投げ返すエイシャは本当にいつもの毅然とし、凛とした表情で周囲に不安を与えない彼女を励ます。
ミーナに触発され、朱華の街で唐姫から受けた後押しを経て彼女は遅い思春期の芽生えを感じ、それが一気に遷移して年齢相応の『恋愛』というものへと足を踏み込もうとしたのだ。しかし、それが彼女には怖かったのだ。それが柔らかく雲のように不定形なものだから……幼い時に両親を失い、兄を失い、一族から離れた彼女は本当に不安なのだろう。自分の存在理由がおぼろげで不定形だから……
その頃のミーナはと言うと三人の子供達と話していた。子供達はミーナと違い、幼い頃から龍族として育てられているために龍族としての自覚も深い。その三人はミーナの話が面白いのだ。彼らは火龍の姉妹とは違い、外に出る事が許されている。しかし、まだその年齢に達していないことから外を知らない。ミーナもそれほど深い知識はないのだろうが自分が体験したことを言葉にしていた。
「お姉さん達は何でお外を旅してるの?」
「私はヴァージさんといられるだけでいいんだ。でも、何で旅をするのかはわかんないなぁ」
「お外、楽しい?」
「うん。みんなも大きくなったら外を見るのもいいかもね。お父さんとお母さんが許してくれたらだけど」
同じ大地聖龍の外見が確認できるミーナに親近感のある三人の子供達はしきりに彼女へと話かけている。翡翠色の大きな六つの瞳はパチクリ動き、ミーナの話す彼女が体験したことにまぶたをせわしなく動かす。可愛らしく愛らしい子供達との戯れの中、母のことをミーナも思い出していた。その中で何かしらの決着をつけて来たらしいリュフラと三人の子供達の母であるエイシャが輪に加わる。母へとしきりに大人になってからのことを問う子供達ににこやかに接するエイシャの姿に思い思いの表情をするリュフラとミーナ。
リュフラには両親との幼い頃の記憶はない。ほとんど兄であるヴァージに育てられたリュフラはそれが羨ましく感じられたのだろう。その時、シエルが母から離れてリュフラの所に歩み寄る。
「リュフラさん」
「どうしたんだい?」
「リュフラさんはお外で旅するの楽しいですか?」
「……あぁ、兄上が私に色々なことを教えてくださる。それに新しい拠り所も見つけられそうだしな」
自分がなよなよして臆病な性格だとい理解できるらしいシエルは気高く美しいリュフラに憧れたのだろう。そんな妹をなでる兄もまた外界にあこがれを抱き、ミーナとリュフラの話を聞きに向かう。三女のメシィーは堅実的な主義らしく外界よりも今の自分を見つめるように母の膝に収まってはいるがその外界に携わる二人の言葉に引き寄せられ母と共に結局は輪に加わるのだ。
「ふふ、今日はありがとう。二人共」
「みんな寝てしまいましたね」
「ミーナちゃんもね」
「この子はこれでいいんですよ」
「含みがあるわね。いつまでも引きずるにはよくないわ。お兄さんも多分そんなことは望んでないもの。番になるなら子供を残すことも覚悟できてるのよね?」
「は、はい」
「なら、家事を勉強しなくちゃ」
「うっ……」
手痛いところを疲れたらしいリュフラは抱えたミーナと背中に背負うシエルをテントに運び込み龍の秘術で内部は普通よりもかなり広く大きくなっている。その奥の部屋へ子供たちを運ぶと簡易のキッチンらしい場所へりゅフラを連れて行く。人間とは違う龍族。文化も違う。しかし、人間に紛れて生きざるを得ない。その知恵だ。
そして、ここから数日また彼らの滞在が始まる。